第一話 黄砂の悪夢
PCサイトの掲載小説の修正版。
「孤高の天才」と同世界で未来の話ですが、未読でも全く問題ありません。
風が、乾き切った大地を乱暴に撫で上げていく。
濛々と立つ黄色い砂埃。
生き物の気配を感じる事の出来ない、風の音の他は静かな砂の丘を、一人ゆっくりと歩いていく。
身に纏う着古した銀色に輝く防風服は、遮光レンズと防砂マスクの付いている一級品である。
呼吸する度に、シュコー、フコー、とフィルター付きの黒い防砂マスクから空気が出入りする様は、まるで異形だ。
肌の露出しない、遮光性と保温・保湿に優れた与圧された暴風服で歩く様は、不気味ですらある。
サランテスワース。
かつてこの地は、多くの水と緑に覆われ、様々な鳥獣が暮らす、美しい世界だったという。
だが、それをかつての現実と話す長老達も絶えて久しい。
人々は水を求めて荒涼とした大地を彷徨い、生きるための水を確保するために、多くの争いや惨劇・滅亡があった。
暦や歴史や文化はあらかた失われ、人々はかつての故郷を捨て、新たな町や村を作った。
かつては数十から数百に上る国家や自治体が存在したと言うが、もはやそれを知る者もほとんどない。
かつての川や湖、海と呼ばれたものは姿を消し、後に残ったのは広大な砂漠と荒れ果てた地と湿地、泉と僅かばかりの耕作地。
この地に生き残った人間が全部で何名で、存続可能な町や村が幾つあるのか、正確に把握出来ている者は殆どいない。
この乾き切った世界に、恵みの雨がいつになれば訪れるのか、知る者はない。
少なくとも、今の状態が続けば、全ての人間が死に絶えるという事だけは確実である。
サランテスワースには大きく五つの国家が存在する。
一つは商業が盛んで、豪商達による協議によって治められる『カーソワール』。広大な砂漠地帯の七つのオアシスを基盤に、東西の物資の流れを全て手中に収めている。
二つに、最高神官が治める宗教国家『ロムラルク』。聖地『シェライン』には決して枯れる事のない聖なる泉があるとしているが、定かではない。
三つに、国王を中枢とする立憲国家『エクシミオン』。国王とそれを支える議会と規律によって治められている。
四つに、武人の国と言えば聞こえは良いが、荒くれ者や無法者の集まる、力がそのまま権力な『オーカース』。
五つに、学問を奨励する、とは銘打っているものの、何をやっているかは全く不明な『アスト』である。
だが、殆どの町や村は統合されず各々で自治を行っており、一部を除けば、殆ど出入りはない。
住み慣れた地を離れる時、それは十中八九水が枯渇した時であり、その場合かなりの確率で、次の定住先を見つける前に死を迎えるか、一生流浪の身となる。
降雨が絶えて数百年。
水の出る場所は既に誰かの居住地となっている。
新たな居住地の発見は不可能に近い。
流浪する民の人口は年々増えつつある。
ジジ……ジ……ジジ……。
耳障りな音。
防風服を着た旅人は、背中に担いだバックパックを下ろし、砂が入り込まないよう注意深く開いて、中の二重ポケットから四角い機械を取り出す。
ジジ……ジ……ジ……。
不快な音は更に大きくなる。
〔……ら……レントリ……203……応答せよ……繰り返す……レント……999……応答……こちら……〕
「……こちらレントリアス・ナンバー・999。電磁波がひどく乱れており、明瞭な交信は不可能と思われます。こちらレントリアス・ナンバー・999。電磁波の乱れにより、正常な通信不能。現在地サクスキュウム南西500エント。只今より、レントリアス203基地に向けて、信号送ります。信号送りますのでその確認をよろしくお願いします」
そう言って、機械の回線を切る。
雑音は消え、急に静かになる。
風はまた、一段と強くなったようだ。
遠くの空に黄色い霞が掛かってくる。
旅人は手早く装置をしまい、代わりに棒状の物──『信号』──を取り出す。
気休めにしかならないな、と一人ごち、紐を引いて発火させ、その場に刺す。
赤い光を発し始めたそれを残し、足早に去る。
早くしないと危険だ。
『砂嵐』に巻き込まれたら、いくら高性能の防風服や防砂マスクも意味がない。
紙でも引きちぎるように粉々に裂かれ、穴という穴を大量の砂で埋められ、押し潰され、閉じ込められる。
『砂嵐』によって一晩で消失した町や村も少なくない。
今のところ、この『砂嵐』の出現地域・進路などを予測し、人々に情報を提供している機関──ただし有料で──は『レントリアス』だけだ。
『レントリアス』はどの国家にも自治体にも属していない。
流れ者の寄り集まった正体不明・詳細不明の団体だ。
元々は傭兵や人材派遣の機関だったらしい。
住む場所のない流浪の民が、この団体の中心だ。
他では厄介者扱いされる彼らが、この機関でそれぞれの知識・能力を駆使して、様々な厄介事を処理している。
彼らの仕事は情報提供、人材派遣(傭兵含む)、物資配送・供給、そしてもう一つ。
この地に起きる怪現象、及び原因不明の失踪・殺人事件を調査し、解決する――それがアル=シュケイム=レイトの仕事である。
アル=シュケイムの代わりができる者はいない。
そのため恒常的に定期的に、その位置を近くのレントリアスの施設に報告する義務を負わされている。
それは、彼自身の生存・安全・所在を確認する他に、レントリアス最大のスポンサーの『意向』がある。
『いつだって戻ってきて良いんだよ』
と、彼の兄、カラ=セルム=レイトは言った。
『いつだって、俺の胸はお前のためにあるんだから』
そう言われて、故郷を後にしてから、もう十年になる。
カラ=セルムがレントリアスに無条件で出資するのは、ひとえに溺愛する末弟のためである。
末弟に何かあれば、即座に資金提供を打ち切る、と脅しさえ掛けているらしい。
だからレントリアス側は必死だ。
アル=シュケイム自身にも、時にはカラ=セルム宛に連絡するようにと通知が来る事もある。
このように『砂嵐』が迫っているような時はともかく、割合落ち着いてのんびり出来る時は、通信文を打って送る。
もっとも屋外よりは、レントリアス支部へ行った方が、立派な装置や設備が整っていて、顔を見て会話する事すら出来るのだが。
これらの装置や機械・技術をどうしてレントリアスが所持しているのか、本部長官カスケイム=リヤオスは「企業秘密」と言って決して口を割らない。
が、レントリアスくらいの団体が独占しているというのは実に不思議だ。
こういうものは、『アスト』あたりが、率先して独占していそうなものだが、とアル=シュケイムは不思議に思う。
カラ=セルムも『カーソワール』一の豪商レント家の跡取りならば、こういうものが『使える』と商売根性を出しそうなものだが――育ちが良すぎるのか、欲がないのか、おくびにも出さない。
(……僕なら、絶対量産して販売した方が得だと思うな)
アル=シュケイムは長年裕福な屋敷暮らし・オアシス暮らしを離れて、考え方がさもしくなっているのだろうか?
確かに以前に比べ『上品』ではなくなっている。
だが、『お坊ちゃま』丸出しでは、この仕事はやっていけないのも事実だ。
かつての礼儀作法の先生が見たら、怒り狂いそうだな、と思いつつもしばしば礼儀作法を無視した言動を行う
知っていて無視するのは、知らずに無視するより質が悪いのだろうか?
時折考える事もあるが……まあ、仕方ないか、で済ましてしまう。
元々、あまり真剣に悩んだり、考え込んだりする性格ではないのだ。
故に、相棒ラナス=キウトにもしばしば非難・説教される。
ラナス=キウトは自分の相棒になるにしては少々神経質すぎるのだ、とアル=シュケイムは思うが、楽観的すぎる彼にはラナス=キウトくらいうるさい方が丁度良いのである。彼はその事にまだ気付いていない。
前方に小さな村が見えてきた。目的地だ。『砂嵐』はあの村で過ごす事になるだろう。願わくば、『砂嵐』をやり過ごせる堅固な建物の中で今宵を過ごせますように。
「誰?」
「この度、ご利用頂きまして、誠に有り難うございます。レントリアス雑事取り扱いサービスです」
ドアが細く開いた。
「……随分、遅かったわね」
「お客様の場合、『特殊』なケースでございましたので」
アル=シュケイムは答えた。
「……近所には洩れないうちに始末してくれる? 気味悪いのよ。それにこんな事が他に知れたら……」
「ええ、勿論です。早急に処理致しますよ。ところで、今夜は『砂嵐』がこの村付近を通過するのですが……」
「……客間を用意するわ」
「それは大変恐れ入ります。あなたにウェルバーンの爪がかからぬよう」
女は不機嫌そうに肩を聳やかす。
「何? あんた、シュルグェート教信者なの?」
「……いいえ。ただ、この辺りの方は大抵そうなので」
「うちは違うわよ」
「判りました。大変失礼致しました」
少々まずかったらしい。
アル=シュケイムは相手に失礼にならない程度に、肩をすくめた。
相手はむっつりしながらも、彼を家の中へ入れてくれた。
扉を閉めたところで、ようやくアル=シュケイムは防風服の頭部の留め金を外し、防砂マスクとフードを外す。
ぶるぶるっと頭を振る。
女は思わず凝視した。
アル=シュケイムは悪びれない笑顔を洩らす。
銀色の絹糸のように細くしなやかな髪。
白く透き通るような肌。
少女のように可憐で華奢な顔立ち。
右目は隠れていて見えないけれど、美しい青く澄んだつぶらな瞳。
アル=シュケイムはにっこり笑った。
「申し訳ありませんが、この防風服、ここにお掛けしても宜しいですか?」
女の反応はやや遅れた。
「……えっ……!? ……あっ……!! ……ええっ……良いわよっ……適当に掛けといてっ!!」
アル=シュケイムは苦笑した。
「判りました。有り難うございます」
こういう反応されるのは、別に初めてではない。
ぶっきらぼうだが純粋な人、という判断を相手に下した。
アル=シュケイムは自分が美形である事を自覚している。
十年前は、家の外から一歩も出ないで英才教育を受けていたため、家族以外の他人に会った事がなかった。
故に、何も知らなかったのだが……少なくともレントリアス内だけでも、その事に関しては十分すぎるほど教育させられた。
カスケイム=リヤオスのお陰で幾つかの危機はやり過ごせたが、それでも何度か危うい目に遭った。
しかし、相棒のお陰で何とかくぐり抜けられた。
そう、相棒ラナス=キウトとは切っても切れない関係なのだ。
「部屋はこちらよ」
女は客間に案内する。
アル=シュケイムは女の後から付いて行きながら、右目を覆う銀髪をそっと掻き上げる。
《……大した事はなさそうだな》
『声』は淡々と彼に告げた。微動だにせず、アル=シュケイムは答える。
(『魔』の気配はそれほど強くないようだね。これなら僕が来る必要もなかったんじゃないかな?)
《……万が一という事もある。気を抜くな。お前の欠点は油断しすぎる事だからな》
(あ〜もぉ、うるさいんだから。ラナス=キウトは。神経質で心配性な奴は人間だったら禿げやすいんだぞ?)
《私は『人間』じゃないから禿げない》
(何でそんなに生真面目に反応するかな? 言ってみただけじゃないか)
ラナス=キウトは深い溜息をついた。
《……どうしてこんな『人間』を選んでしまったのだろうな》
その溜息は、アル=シュケイムの口からもたらされた。
(なぁに言ってるんだよ。先に声掛けてきたのはそっちだろ?)
アル=シュケイムは思わず笑みを洩らす。
《だから何故お前を選んでしまったのだろうかと考えているんだ》
(それは僕の『血』が君の好みだったからだろ?)
《……そうだな。この次からは『食欲』より『理性』を優先させる事にする》
アル=シュケイムは苦笑する。
(ま、ラナス=キウトも結構可愛いヤツだよね? 僕が死ねば自由になれるとか何とか脅しつつ、結局のところ、僕が危うい時は助けてくれるんだものね?)
《……別に好きで助けてやる訳じゃない。お前の代わりが見つかったらいつでも見捨てる》
(まったまたぁ♪ そぉんな事言っちゃってv 全く照れ屋さん♪なんだからぁv)
《……全くお前は信じられぬ男だ》
アル=シュケイムが必死に笑いを押し堪えていると、不意に女が振り返った。
慌ててアル=シュケイムは真顔を作る。
が、女は怪訝な顔になる。
……見られたらしい。
不気味な奴だろうな、とアル=シュケイムは思う。
が、全く気にせずにっこり営業スマイルを浮かべた。
「何でしょうか?」
女は不審げな顔で言った。
「……部屋はここよ」
女は不審そうだったが、関わり合いになるのはやめたようだった。
それは賢明な判断だ。まともでない事に関わると、ろくな事がない。
自分が可愛ければ、他人に干渉すべきではない。
それが一見、人畜無害な少女のようなうら若き青年であっても。
「食事が出来たら、ここへ持ってくるわ」
「それはどうも有り難うございます」
にっこり笑ったが、それは第一印象の時ほど相手に感銘を与えなかったようだ。
女は返事もせずに背を向けた。
それを見送り、アル=シュケイムは客間に入り、扉を閉めた。
「……どうすんだよ。また、嫌われたぞ」
《興味を持たれなくて、良いだろう》
「あ〜あ、久しぶりに会った女性だったのに」
《……お前は女だったら、既婚者でも良いのか》
呆れたような声で、ラナス=キウトは言った。
「っていうかさ、女性に親切にして貰うのって何か嬉しいじゃない? 変な意味じゃなくてさ。僕は女の人って好きだよ? 母親に早く死なれたからかな? 女の人に甘えるの、凄く好きなんだけど」
《……お前は》
心底呆れた、と言わんばかりの口調だ。
アル=シュケイムは邪気のない笑顔で言う。
「だってさぁ。僕は随分長い間、誰にも抱擁されずキスもされずに生活してるんだよ? それって凄く寂しくてつまんない事じゃない? そりゃ、こんな体じゃ家族と平和に暮らすなんて絶対無理だって判ってるけどさ。甘えたい盛りの僕に『寄生』して、普通の生活から遠ざけたのって誰? 僕、それさえなきゃ兄さん達とルグミュントで平和に暮らして、今頃は立派な商人になってたかも知れないのにさっ」
《……つまりお前は、全て私が悪い、と?》
「別にそんな事は思ってないよ。君が命の恩人なのは確かな事だしね。君がいなけりゃ僕は今頃生きてはいない。そぉんな事は良ぉく判ってるよ。君が僕に『寄生』したから、僕もカラ=セルム兄さんも生きてる。エル=ステイト兄さんは……死んじゃったけどね。でも、感謝してる。僕は生きていて本当に良かったと思うし……けど、どうしても思う事があるのさ。もし、あの時君が『寄生』せず、僕達が生き延び、普通に生活していたら、とね」
そう言って、ふう、とアル=シュケイムは溜息をつく。
《……アル=シュケイム?》
「考えるだけさ、考えるだけ。僕は姉さんや兄さん達やとても好きだった。このまま時間が止まって欲しいと思うほどに。けれど、そんなわけにはいかない。僕もいつまでも子供のままではいられない。けど、兄さんや姉さんや父さんに甘えたりする事が、僕の幸せだったんだ。僕は、それ以外の日常を知らなかった。貧困も苦痛も悲しみも寂しさも、人の死も痛みも。何も知らない子供だったんだ。だから別に後悔はしてないよ。自分の選んだ事だったとは言い難いけどね。だって、あのままだったら僕は、この世に溢れた苦痛も貧困も悲しみも、何も知らずに過ごしていたと思うから。自分に一体何が出来るんだろうって思う。僕にこの世界が救えるだなんて思ってない。だけど、僕の存在が誰かの救いや助けになれるなら、それは素晴らしい事だって思うんだ。たとえ、この身が忌み嫌われ、疎まれたとしてもね」
そう言って、また溜息をつく。
「……だから、別に恨んでなんかいないからね?」
《…………》
ラナス=キウトは何か言いたそうだったが、アル=シュケイムは無視する。バックパックをテーブルに下ろし、中身を全部出した。
「さぁってとぉ……」
通信装置(但し『砂嵐』通過・接近中は使用できない)。
『信号』五本。
小型発信器三つ(二つは予備。現在地確認用)。
携帯コンピューター一台(同じく『砂嵐』通過・接近中は使用不可)。
ランプ一本。換え用燃料四つ。
発火剤二箱。
携帯食料(干し肉・乾燥豆等)三ヶ月分。
レントリアス特製スタン・ガンとエア・ガン。
地図(とはいえ正確さはかなり怪しい)。
それから依頼内容・調査内容を記した書類数枚。
小ぶりだが見事な一振りの銀細工の剣。美しいが実用はあまりなさそうな華奢な剣だ。
アル=シュケイムはそれを手に取り、軽くキスする。
「ま、世の中なるようになる、とね♪」
《……お前という奴は》
「ん? 何?」
《お前などを心配した私が、馬鹿だった……》
「……変な奴」
アル=シュケイムの言葉に、反論しようとしてラナス=キウトはやめた。
無駄だからである。
アル=シュケイムは気まぐれ──というよりは忘れっぽい。
都合の悪い事は特に。
わざとではないかと思うくらいだ。
その上、致命的なまでの楽天家。お気楽極楽のほほん男だ。
今年十九になろうというのに、十年前からまるで成長がない。
いや、少しは成長したのだろうか?
最初の頃はまるでひどかった。救いようのないくらいひどかった。
『魔』の最強にして唯一の天敵であるラナス=キウト──別名『夢幻の剣』又は『魔斬剣』を手にしながら、『敵』を斬るどころか半死半生。
『魔』を無傷で逃がす体たらくだ。
そして今もその時の『魔』──生きている時の名をユレイア、『魔』となってから名乗った名をアルディース──を見つける事が出来ない。
ラナス=キウトはあれほど強大な『敵』に出会った事がない。
彼にとって『魔』を滅ぼす事は使命であり、存在意義でもある。
だが、アル=シュケイムにとってユレイアは初恋の人であり、大切な存在であって、たとえ死んでいようが人間でなかろうが、傷一つ付ける事は出来ない。
共に同じ存在を捜してはいるが、目的が異なっていた。
故にそれが見つからないというのは、幸いとも言うべきだった。
アル=シュケイムにとって、ユレイア以外の『敵』を斬るのにそれほど躊躇はなかった。
とはいえ、初期の頃はしょっちゅう泣き叫んだり、傷付いたりしたものだが。
もっとも、『魔』を斬っても本体である人間の体には傷一つ付かないし、命にも別状はない。
それでもアル=シュケイムにはユレイアを斬る自信はない。
斬る事すら思い浮かばないだろう。
それくらい大切で、神聖な存在なのだ。
いわゆる恋愛というものなのかどうか、アル=シュケイムには判らない。
ユレイアを失ったのは、あまりにも幼く遠い昔の事で、どうしてこんなに長い間、忘れる事も叶わぬのかさえ、彼には判らなかった。
ただ、繰り返しかつての記憶が去来し──とはいえ本当にそれが過去の記憶なのかすら定かではない──彼の心を苛むのだ。
今でもその夢を見ると涙が溢れてくる。
どうしてこんなに泣けるのか、何故涙が出るのか判らないままに。
「ところで、ラナス=キウト。君はどう思う? 依頼書には物が浮遊したり突然消失したりするってあるけど、やっぱり『魔』の仕業だと思う?」
《それを調べるのが我々の仕事だろう。何でも私任せにしようとするな。少しは考えろ。お前は少し、頭を使った方が良い》
「うっわぁキッツい!! それがご主人様に対する態度!?」
《私は未だお前を『主人』だなどと感じた事はない》
「そこまで言う!? 信じらんない!! 冷たいよな〜っ!!」
《だったら、少しは私を感心させるような事をするんだな。私は尊敬できる人間しか、私の格上には見られぬ》
「すっごい高飛車〜っ。普通そこまでなかなか言えないよ?」
ラナス=キウトは返事をしない。
呆れているか、怒っているかのどちらかだが──経験から言うと、前者だろう。
「正直言って、右目で物を見るのは気持ち悪くて仕様がないんだけどね」
《言っておくが、私は何も見ようとも聞こうともしない者と、話をしたくないぞ》
「判ってるよ。あれが君の『視界』なんだろう? でも、いつ見ても気味が悪くてグロテスクでさ。こんな事続けてたら、僕、人間不信になっちゃうよ」
《お前がそんなに繊細に出来ている訳がなかろう》
「む〜〜っ。何さ、非行に走っちゃうよっ!!」
《お前にそんな度胸があったら見せて貰おう》
「ああ言えばこう言うしさ。何だか悲しくなっちゃうよな。ああっ。僕って孤独。可哀相だわっ。思わず泣けてきちゃう。ほろろろん」
アル=シュケイムの口から、ラナス=キウトの溜息が洩れる。
アル=シュケイムは肩をすくめる。
「……はいはい、遊んでないでお仕事、ですね。判ってますよ、判ってるってば。やだなぁマジに取らないでよ。本当生真面目なんだから。そのうちカビが生えても知らないよ?」
歌うように言って、右目をすっかり覆っている銀髪を掻き上げる。
その瞬間、アル=シュケイムの視界は百八十度変わる。
ごく普通の綺麗に整頓された明るい色調の客間が、どんより曇った灰褐色の世界へと変化する。
その灰色の霞の中でも特に強い気配を探す。
それが『魔』の元凶を探る為の第一歩。
霞の中を手探りで歩き出す。
その中で唯一清浄・清涼な光を放つ銀色の剣──それが『夢幻の剣』。
ラナス=キウトの本体だ。
それを手に取り、歩き出す。
絡み付こうとする霞は、鞘に入ったままの剣を振るえば簡単に四散する。
だが、それは出来るだけ避けた方が良い。
この剣の存在・性質・威力は対峙・対決するその時までは、気付かれない方が良い。
アル=シュケイムはそれを胸元に入れ、左手で服の上から握りしめる。
いつもこの瞬間は震えが来る。
何に脅えているのだろうかと、アル=シュケイムは自問する。
ラナス=キウトに馬鹿にされようが何だろうが、怖いものは怖いのだ。
何故怖いのかなんて判らない。
それは、何故ユレイアを捜すのかという事と同じ事だ。
他に頼るものがないから、ラナス=キウトを握りしめる。
『敵』の『世界』に近付くのだ。
それを覆する事が出来なければ、肉体的には脆弱なアル=シュケイムは死ぬ。
ラナス=キウトはアル=シュケイムの『血』を代償に、その能力を発揮する。
アル=シュケイムがかつて『魔』により抉り取られた眼窩の跡に、ラナス=キウトは潜り込み、『寄生』している。
故に、アル=シュケイムの右の瞳は彼自身のものではない。
彼本来の瞳の色は、伝説に謳われる空の色。
だが十年前からその右の瞳は、故郷のオアシス──都市ルグミュントに浮かぶ銀月の色。
この瞳の色は、何も知らない者にとっては、かなり不気味な物だろう。
人間の宿す瞳の色ではない。
そもそもこのサランテスワースにおいて、銀髪でさえ珍しいのだ。
彼の父も六人の兄姉たちも黒髪・紺碧の瞳なのに、末のアル=シュケイムだけが銀髪・明るい青の瞳。
母そっくりの容貌に、母そのままの色の髪と瞳。
年老いた父とはあまり似ていない。
だが、次兄カラ=セルムと並ぶと似ていると言われるので、兄姉たちと血の繋がりがある事は間違いない。
アル=シュケイムは母の顔を知らない。
彼の母は彼を産み落とした翌日、亡くなったからだ。
病死と聞いているが、実際のところは良く判らない。
少なくとも、その件で三男エア=レントと五男ガル=レジアには毛嫌いされている。
誰も本当の事を教えてくれない。
だが、アル=シュケイムは自分の母が病死などではなかった事を、エア=レントやガル=レジアの口振りから知ってしまった。
知っている者が誰一人として口を割らないのに、今更過去の事を掘り返しても知りようがない。
ガル=レジアは全てを知っている訳ではないし、全てを知っているエア=レントは彼の顔を見るのさえ厭う。
頼みの綱のカラ=セルムや、それ以外の事では決して嘘をつかない長女ノア=フェルアまで彼の母は病死だと言い張るのだから、それを信じるしかないのだろう。
だが、今でもエア=レントがつい、洩らした『だからあんなおぞましい死に方を……』という言葉が気になる。
ただの悪口なら気にしなかった。
しかし本音をぼろり、と洩らしたようなそんな口振りだったから気になる。
が、彼がそれを気にするというなら、エア=レントがそれを教えてくれる筈は決してないのだ。
おそらく鼻で笑って冷笑するだけだろう。そういう男だ。
長兄エル=ステイトならば、彼が尋ねれば教えてくれただろうが、残念ながら彼は十年前『魔』によって惨殺された。
それを認めるのに随分苦痛を伴い、随分時間を要したが、その『魔』は人間としての名は『ユレイア』であり、『魔』としての名は『アルディース』である。
今でも、十分信じたくない事なのだが。
淀んだ空気の中を彷徨い歩き、とうとうそれらの中心を見つける。
渦を巻いているそこへ近付くのは、本当にぞっとする事で、回れ右して逃げては駄目かな、とアル=シュケイムは思ったが、とうにそんな考えは読まれているらしく、
《……目的地に近付いたようだな》
逃げるなよ、と言わんばかりに。
アル=シュケイムは肩をすくめた。
仕方なしに、渦の中心に近付く。
「……だあれ?」
あどけない顔の少女。
四・五歳というところだ。
どうやらこの家の娘らしい。
だが、気配の中心はここにあった。
「……だあれ?」
不穏な空気。
「怪しい者じゃないよ。カーソワールの商人さ。あちらこちらへと物を売り捌いているんだ」
「……だあれ?」
空気がざわり、とする。
やばい、と思った瞬間、少女の髪が不自然に波打ち始める。
アル=シュケイムは迷わず一目散に逃げ出した。
《馬鹿者!! 逃げてどうする!! 戦うのだ!!》
「馬鹿はどっちだよ!! 命は一個しかないんだからねっ!!」
慌てて先ほどの部屋まで戻ると急いで鍵を閉め、結界を張る。
「広大な大地と何者にも支配されぬ風とに、我が乞う。今暫く、汝らの力を借りてここに念じる。我の肉体とその周辺に汝らの力と加護を!! 結!!」
そして念じる。
先ほどの少女の姿を思い浮かべ、『転移』する。
肉体を置いて、精神のみで。
少女の精神世界へと飛ぶ。
右の眼窩からラナス=キウトの柄を抜き出し、現実世界では決して目に出来ないその銀色の刃を、ずるりと体液を滴らせながら引き抜く。
何度やっても恐怖を感じずにはいられないが、痛みはない。
判っていても、自分の目の中に(たとえ精神世界の中であろうと)手を突っ込むというのは、かなりの勇気が要る。
飛び込んだ先は、真っ赤な床と真っ赤な壁と真っ赤な天井に囲まれた部屋だ。
「……イヤな趣味してるなあ」
《まだましな方だろう》
「そう? 僕は絶対、赤というのはこの場合、『血』を意味しているんだと思うけど?」
《つまり、『主』の願望が?》
「あまり共感したくないけどね。ま、全部金色よりはマシか。眩しくないからね」
《…………》
無言の圧力を感じる。
「……例えばの話だよ」
アル=シュケイムは慌てて弁解するように言った。
しかし、この部屋には扉も窓もない。
「……ところで何処に『主』様はいるんだよ?」
《私に聞いても答えは出ぬ》
「判ってますってば! 聞いてみただけでしょう!?」
《誰だ? 今回は楽勝だなんて言ったのは》
「そこまでは言ってないよ!!」
《油断して弛んでいるからだ》
「……うっ……嬉しそうに……ヤな奴。友達いないだろ」
《私は『魔斬剣』。私の使命は『魔』を斬る事。私の宿命は『魔』を滅ぼす事。私は『魔』を滅ぼす為に生まれ、『魔』を殲滅した時、次の『魔』が生じるまで、深い眠りに就く。私に必要なのは『魔』を滅ぼす為に必要な『寄生体』と接触する為の『媒体』。故に友など必要ない》
「心底イヤな奴だな。そこまで言う事ないじゃん。言っとくけどねっ……!!」
《……来た!!》
「へ?」
何が、と問い返そうとした瞬間、足下の地面がぐにゃりと変形する。
バランスを崩し、慌てて手足をばたつかせる。
「……うわあっ!!」
床に大穴が開く。まるで蟻地獄の巣のようなすり鉢状に、辺りの空気も飲み込んでいく。
「待ってよ!! じゃあ、何!? この部屋が本体な訳!?」
《私に聞くなと言っているだろう!!》
「それってずるいよ!! 部屋の化け物だなんて聞いた事ないよっ!!」
《常々、先入観は持つなと私は注意しているぞ》
「じゃあなんで今回は注意してくれないんだよぉ!!」
《他人のせいにするな、馬鹿者!!》
「どぉせ馬鹿ですよぉっだ!! 駄目で元々っ!! 名付けて『生け贄は君だっラナス=キウト君攻撃っ!!』だあっ!!」
渾身の力を込めて刀身を床の穴に叩き込み、押し込む。
「天に地に祈る我が願い聞き願い給えこの剣に力を貸し与え給えこの驚異を滅するために天地に届く力を!! 印!!」
途端に剣が巨大化する。
アル=シュケイムは慌ててその柄によじ登り、巨大化した鍔の上に腰を下ろす。
「……ふう」
一息つく。床は既に底なし沼状態だ。
ずぶずぶと剣は沈みつつあるが、全て沈むには間がありそうだ。
《馬鹿者!! 勝負はついておらぬぞ!!》
「ああ、うん。駄目だったみたいだね。手応えないや」
《何のんびり構えている!! さっさと次の手を考えぬか!! 大たわけめ!!》
「っていうか、今危ないのは僕じゃないし」
《お前が危なくなる頃には手の打ちようがないだろう!!》
「……じゃあ、どうしたら良いのさ」
《知れた事!! 心の臓を突けば良いのだ!!》
「そんなもの何処にあるっての?」
《お前の目は節穴かっ!? 良く目を凝らして見ろ!! 天井に付いているだろう!!》
「……成程」
言われて見上げれば、確かに見える。
「天に地に祈る我が願い聞き願い給えこの剣に力を貸し与え給えこの驚異を滅するために!! 天地逆転!! 印!!」
剣は逆転し、天井へ向かって落下する。
巧みに方向・バランスを変えて、巨大な剣を天井の心臓目掛けて突進させる。
「有り難うラナス=キウトっ感謝感激愛してるっっ!!」
剣は見事心臓を刺し貫いた。
轟音のような絶叫が響き渡る。
慌ててアル=シュケイムは耳を塞ぐ。
「うわぁあっ!! 死んじゃうっ!! やめてっ!! 耳が痛いよ!! 神様仏様ラナス=キウト様ぁっ!!」
《……うるさいっ!! 少しは静かにしろ!!》
「お〜ね〜が〜い〜〜っっ!!」
ラナス=キウトは舌打ちする。
《全ては元ある場所へ》
アル=シュケイムの体が本人の意思とは別のところで、動かされる。
波が、体内から放出される。
宙を泳いでいるような感覚に襲われる。
ラナス=キウトはアル=シュケイムの口を借りて、命じる。
「還れ、汝の生まれし場所へ。そして無へ還れ。汝の居場所はここにはない。汝の世界へと還れ」
赤い部屋は瞬時に消失する。
後には何もない空間に、幼い少女が泣いているだけだ。
ラナス=キウトの支配から抜けたアル=シュケイムが、少女の傍らにしゃがみ込む。
「……どうしたの? お嬢ちゃん」
「……一人に……しないで……」
アル=シュケイムはふっと笑みを浮かべる。
「大丈夫。君は一人じゃないよ」
少女の頭をそっと撫でる。
「……言いたい事があったらね、ちゃんとお口で言わなきゃ駄目だよ。不便だけど、言葉で表さなくちゃ想いは伝わらないんだ。悩むんだったらその後だよ。想いを溜めてると、さっきみたいなのにばくっと食べられちゃうからね」
にっこり笑う。
「お兄ちゃん、だあれ?」
「……それは僕の方が知りたい事だな。ねえ、教えてくれる? 僕は何に見える?」
少女はアル=シュケイムを見上げる。
暫くじぃっと見つめ、おもむろに口を開いた。
「……天使様」
アル=シュケイムは一瞬絶句した。
「……そっ……それはさすがにないんじゃないかなっ!?」
「神様の代わりに来たのね?」
にっこり笑う少女に、アル=シュケイムは冷や汗を拭いながら言う。
「……ごめん。残念ながら違うんだ」
少女は目を真ん丸に見開く。
「違うの!?」
アル=シュケイムは瞬時に汗だくになる。
「……ごごごごごめんっ!! ほほほ本当にそうなら良かったんだけど。ぼぼぼぼ僕は残念ながらももももも申し訳ないと思うんだけどそそそそそそそそそのっ……!!」
「……お兄ちゃん、うそがへたね」
少女はにっこり笑った。
アル=シュケイムはえ?と目を丸くした。
「ありがとう、お兄ちゃん」
そう言って、少女はアル=シュケイムにキスをした。
《……良かったな、気に入られて》
「何言ってるんだよっ!! あんな少女に手を出したら犯罪じゃないかっ!! そりゃとても可愛いとは思うけどけどけど僕としてはっっ!!」
《……鬼畜と言うより外道だな……》
「そうだろっ!?」
《……と言うより下品で下劣か。……お前の思考回路の話だ》
「なっ……何っ……なんでっ!!」
《……折角私が好意的な意見を口にしてやったというのに……》
「えっ!? ええっ!? ……いや何っ!? っとすると何よもしやっ褒め言葉!?」
《……もう二度と口にしないから安心しろ。これからは一生お前に好意的な態度は取らないようにする》
「えええっ!? 何よ!? 許してっ!! そんな事言わないでよ泣いちゃうよぉっ!! ねぇねぇキウトくぅんっ!!」
《…………》
アル=シュケイムはラナス=キウトに『うるさい!!』と一喝されるまで、くどくどと嘆き喚き続けた。
「どーも、お疲れさん」
レントリアス本部、本部長官執務室。
長官にぐいっと突き出されたそれを一気に飲み干してから、アル=シュケイムは思い切り噎せる。
「……ぶほっ……げほっ……がはごほっっ!! ……何これメチャメチャ度の強いお酒じゃんっ!! こんなのいきなり渡さないでよねっっ!!」
「……てゆーか、一滴残らず飲み干してから言うか?」
「全く非常識もいいトコだよっ全くっ!!」
「……それを君が言うかね? ぼーや……」
「ったく良い加減その『ぼーや』ってのやめてくれる? 僕もう十九なんだからっ!! 新入りにまで舐められるんだよっ!!」
「……いや、それ以前の問題だな……」
赤い髪に灰褐色の瞳。
長身で鍛えられた筋肉・傷だらけの肉体・頬に走る古い傷跡は彼がかつて傭兵だった頃の痕跡だ。
レントリアス本部長官カスケイム=リヤオス。
三十半ばから後半くらい。レントリアスの創設者だ。
十年付き合ってきたアル=シュケイムですら、彼の本心が何処にあるかなどまるで判らない。
副官であるタール=キュラウですら裏で何を考えているかまでは良く判らないと言う。
アル=シュケイムはレントリアスは一種の国家だ、と思う。
確かに、国家と呼ぶには少人数だし、国家といえるほどの体裁も形態も取っていない。
だが、個人の所有物とすれば、あまりにも大きな団体であまりに大きな勢力だ。
リヤオスは『金儲けのためだ』と言う。
アル=シュケイムは動機としてはもっともだと思う。
しかしならば何故、ここまで規模を広げ、ほとんど来る者拒まずと言わんばかりに人員を増やし、受け入れるのだろう。
これでは幾ら金を稼いでも、メンバーを養ったり技術開発・整備・管理するのみで消えてしまう。
純利益が出ない。
それとも、そうする事こそが彼の望みなのだろうか?
商人の教育を受けて育てられたアル=シュケイムには、理解できない。
「……ところで首尾は? 原因・結果は何だった?」
不意に本題を口にする。アル=シュケイムは肩をすくめる。
「……やっぱりというか案の定、『魔』が原因だったよ。始末したら、怪現象は収まった。そこの娘さんがさ、生まれたばかりの弟に両親を取られたと思い込んでね……でも、元は可愛い子だったよ。ただ、思い込みが激しいだけで」
「こちらの調べでも、そちらの任務完了とほぼ同時期に『砂嵐』の消失が確認された」
「……ねえ、それ本当に連動してるの?」
「その判断は君がする事じゃない。だが、連動しているように見える事だけは確かだ」
「だって『魔』の出現と『砂嵐』って何処がどう関連するの。絶対違うと思うよ」
「とりあえず電磁波の乱れと『砂嵐』は連動しているし、何故かその進行方向に『怪事件』が発生しやすいのだけは確かだ」
「……ごめんなさい。僕、頭悪いから判らない」
「別にそんな事は期待してない。ところで、スポンサー殿が先程『転送機』でこちらにいらしたそうだ。元気な顔を見せに行くと良い」
「兄さんが!?」
アル=シュケイムは目の色を変えて部屋を出て行く。
「報告書はちゃんと出せよ!!」
アル=シュケイムは了解の印に手を振る。
リヤオスは溜息をつく。
「……あれの何処が子供じゃないというんだ……?」
それから伝声機に手を伸ばす。
「……今、『ぼーや』がそちらへ向かった。例によって部屋番号は聞かずに行ったので、そちらで『保護』して無事『お客様』まで引き渡すこと。……それと、先日入荷したフィオレーユ産の果実酒を持ってきてくれんか?」
〔……フィオレーユ産の果実酒は在庫がもうあまりありません。収穫高が前年に比べ大幅に激減したので。……このままでは年内に在庫が切れてしまいます〕
「……俺は自分の金すら好きに使えんのか?」
リヤオスは苦笑いした。
〔……判りました。只今、お持ちします〕
数刻後、リヤオスの元に件の果実酒が届けられた。
「兄様!!」
アル=シュケイムは案内役の女性を押し退けるようにして部屋へ飛び込み、次兄カラ=セルムの胸へと飛び込んだ。
その拍子に、テーブルが揺らされカップのお茶がこぼれたが、慌てる女性に対し当の本人達は全く気付いてもいなかった。
二人は固く抱き合った。
「大きくなったね! アル=シュケイム」
「……え? そう? そうかな? ……そうか。この前は映話だったもんね。身長は判らないか」
「……相変わらずだね。そうそう、ケルス=エインのところに赤ん坊が生まれたよ。今度見に来いと伝えるよう言われた。それと親父がまた新しい嫁さん貰ったんだ。そろそろ年なんだからそんなに元気でなくても良いけど」
「ええっ!? どんな人!?」
「お前の方が綺麗だよ」
「まったそういう事言って!! 冗談ばっかり!! それで? ケルス=エイン兄様の子供って男の子? 女の子?」
「男の子。これでまたお前の弟分が増えたよ」
「今度必ず見に行くって伝えて!!」
「勿論さ。……その時は、当然うちにも来るんだろう?」
「当たり前でしょ!!」
アル=シュケイムとカラ=セルムの笑い声は、通路にまで響いた。
──The End.
「孤高の天才」と同世界で未来の話ですが、リンクしている部分がほとんどないので、未読でも全く問題ありません。
実はこれに先立つ少年編(アル=シュケイムとラナス=キウト、リヤオスとの出会い)があるのですが、アル=シュケイムが青年になってからの方が話が面白いので、公開していません。
少年編は一応もうちょい試行錯誤してから、ライトノベル系に投稿して、ダメだったら、こちらにUPします。
すみません。
ちなみに少年編はもうちょいシリアスです。
友人には「ファンタジーというよりSFじゃないの?」とか言われています。
元は早川書房から発刊されていた「Hi!」という雑誌に投稿したものです。
投稿した翌月から休刊(事実上の廃刊)になりましたが(泣)。
面白くて濃い雑誌だったのでとても悲しかったです。
休刊とはいえ、いずれ再刊されるかもと信じて、半年間ほど市内の書店二十軒くらい回ってしつこく探してしまいました。
有名なイラストレーターでは笠井あゆみさん、小島文美さん。
小説家では栗本薫さん、神月真由璃さん、羅門祐人さんなど。
個人的には豊田淳子さんが好きでした(実質一年ちょっとくらいの作家活動なので、たぶん普通は知らないが毒テイストのノリツッコミギャグ。時にしつこい)。
他に影響受けた作家は他社ですが火浦功氏。
火浦氏は、ライトノベルの神様だと思ってるんですが、とんでもなく遅筆で著しくファン泣かせです(続刊十六年後は他の作家では有り得ない。でも待つ)。
結構前の文章なので、古い文章多くていじりにくいのでほぼそのままですが。
見比べると判るかもくらいの加筆修正です。