ベースボールボール・破 パート4
今回はちょっと長めです。
──あるものは頭の端から、あるものは肩の先から、またあるものは胴のなかほどから、見えない波に洗われ、崩れてゆく砂の城のように、ゴーレムたちは土に還り始めた──。
これは宮部みゆき著『ブレイブ・ストーリー』からの引用だが、それに倣って言うならば、俺の見た光景はちょうどこんな具合になる……。
──あるものは頭の端から、あるものは肩の先から、またあるものは胴のなかほどから、目に見える白い粉に溶かされ、断末魔の声を上げ、泣き叫び、血と同化して、しかし腹で蠢いていた蛆は生きてその場を這いまわり……崩れてゆく泥の舟のように、ゾンビたちは土に還り始──おえっ!
トラウマ確定だ!! あの、あの
──『動く死体』
ゾンビが、いない……?
『案内人』はそう言った。では、あれは一体、なんだったんだ……?
固まった状態から徐々に回復した俺はアカリに、震える声で言った。
「Pardon me?」
「なんで英語なの? しかもちょっと丁寧な」
的確な突っ込みを入れつつ、アカリは俺の要望通りに「ここに『ゾンビ』なんていないよ」と繰り返し、それからなぜか、愉しげな笑顔を浮かべて。
「似たようなのはいるけど、ね」
しゃあしゃあとぬかした。
……………………。
「いひゃいいひゃい。ほっへおひっはやにゃいえ(痛い痛い。ほっぺを引っ張らないで)」
ビビって損した。罪には罰だ。いじましく睨んでくるアカリに、俺は少しも悪びれない。だって俺は悪くないもん。
「で? あれがゾンビじゃねーんなら、なんだっつーんだアカリ?」
「……教えな、ひ!? わひゃった。おひえるはりゃへほはなひて」
訳:わかった。教えるから手を放して。
一応な。
それにしても──ったく。懲りねえやつだ。なにかお化けらしく呪いの言葉を吐いているが、涙目なので迫力に欠ける。なんならちょっと可愛いかもしれない。……間が抜けている、とも言い換えられるが。
「……『グール』だよ、あの墓場にいたのは」
と。さすがに反省したのか真面目に答えるアカリ。なるほど。グールか。……って。
「『グール』って何だ?」
聞き覚えのない単語だ……いや、そうでもないな。『ハリー・ポッター』でもちょくちょく出てきていたか。……『屋根裏お化け』だったよな、確か。
…………!?
あの墓場での恐怖とのあまりの違いにものすごい勢いで大量の疑問符が俺の頭の中を駆け巡っているそのさなか、アカリは『案内人』らしく、丁寧な説明を始めた。
「『屍鬼』はね。簡単に言うと『吸血鬼の亜種』、だよ」
……『亜種』、か。『亜寒帯』とかそんな感じだろうか。『種』に成りきれない、『種』未満。……そもそも吸血鬼って生物なのか? 言うまでもなく、『種』って生物の階級だからな。
──まあ、そこらへんも含めて説明してくれることを願おう。
そんな風に適当にオチつけて、俺はアカリの話に聞き入った。
「吸血鬼とグール。吸血鬼に噛まれてなるところまではおんなじだよ。でも決定的に違う。──違いをつけるのは」
「つけるのは?」
俺が相槌をうつと、アカリは笑顔で屈託なく言った。
「リア充かどうか」
……………………。
「お前ホントにお化けか!?」
なんなんだよ。なんでお化けがネットスラングなんて使うんだ。しかも多分それ、『リア充』を本来の意味で使ってないだろうしな! 世俗的だ。ホントに本っ当に、ただの女子高生じゃねえか。
アカリは俺の突っ込みに対してキュートに舌を出して、これまた軽く言った。
「真面目なハナシ、噛まれた人の貞潔が関係するみたいだよ」
……………………。
…………へぇ。本当に真面目な話だな。……正直、もっとボケろよ、と言いたくなるくらいに。
なるほど、貞潔、ね。
「……なんか宗教っぽいな、その設定」
吸血鬼は十字架が苦手、とかもそうだが。都合いいよな。「さあ?」と首を傾げているアカリに、俺はためいきと共に「当然、」
「まあ当然、貞潔を尽くしていた者が上位の吸血鬼になり、それ以外がグールになるんだろうな」
質問というより、断定に近い俺の言葉に、しかしアカリは緩やかに首を横に振って否定した。
「ん~。少し違う、かな。いや、合ってはいるんだけど、『吸血鬼が上位』っていう考え方が違う──吸血鬼のほうが、生き物としての位は、下だよ」
その言葉に、虚をつかれた俺は思わず「えっ」と声を上げた。
「違うのか? けどお前、『グールは吸血鬼の亜種』って……」
するとアカリはこう言った。
「いや、狩りでは亜種のほうが強いじゃん。〇ィガレックス亜種とか、リオ〇ウス亜種とか」
「今さら伏せ字とか意味あるか?」
もう色々と手遅れだと思うんだが。
けれど、そうだ。そうだよ。てゆーか普通そっち先に思い浮かべるだろ。
まあ。
「まあそれは納得したよ、納得納得。……だけど、そもそも吸血鬼って生物なのか?」
アカリは間を置かず「生き物だよ」と答えた。
「生き物だよ、紛れもなく。だって生きてるんだから」
……まあ。まあまあまあ。まあ、そうか。そうだよな。
死んで、生き返ったら、そりゃあ生きてるよな。
……いや、しかしまだ、そういえば納得いかねえな。なんとなくごまかされたが、
「なんでグールが上位なんだ? まず言葉から通じなさそうだぜ?」
これに対するアカリのリアクションは、不思議そうに首を傾げる、だった。
きょとんとした表情で、アカリは言うのだった。「だからだよ?」
「…………は?」
やれやれ、とばかりに首を振り、アカリは答えた。
「あのね、カズヤ君。『言葉が通じない』っていうのは、相手の理解力がないのか、それとも自分の脳が足りないのか、その二通りだよね?」
で。アカリは前を真っ直ぐ見つめて、そして言った。
「その場合、原因は圧倒的に後者なんだよね」
………………ほう。それはなかなか。
含蓄のあるお言葉。っていうか
「お前、生きてたら何歳なんだ?」
目の笑っていない笑いを返された。どうもそれはNGらしい。
に、しても。そうか。それじゃあグールが上位だな。『言葉が通じる方がマシ』ってことだよな。
──でも、真面目に過ごしたほうが下の存在になるって。……それは。
「だとしたら、皮肉だな」
「う~ん。皮肉っていうより教訓じゃないかな。『清く正しい行いをしているもののほうが、一度の挫折で堕落しやすい』、みたいな」
「そんなもんか」
それもなんか宗教くせぇが。
そうしてしばらく、会話が途切れた。
その間、俺はぼんやりと『そういえば』
『アカリって生きてるのか?』
どうなのだろう。だって、アイツは『言葉が通じる』んだ。それなら、もう、俺と同じだろう──しかし、『死んでいる』。
こんな時、優しく『心臓が動いているだけが、生きてるってことじゃない』とか、言うことも出来るけど、でも。
優しい言葉は、時として易しい言葉にもなりえるよな。確かに生きるってそれだけではないが、それでも『心臓が動いている』っていうのは、生きている、一つの条件だからな。心臓が停まれば、人はもう、死んでいるんだよな。
──結論は出なかった。
黙々とどこかに『案内』していくアカリの背で、そんな風にぼんやりとしていると、突然アカリが『立ち止まった』……という表現は適切ではないが、とにかくアカリは急に動きを止めた。
「どうかしたのか」
訊ねると「ううん」と首を振ったが、やはり動き出そうとしない。
仕方がないので降りてみると、即座に謎が解けた。
「!? なッ!?」
──アカリの腕が、なくなっていた。
衝撃で次の句を継げない俺に、アカリは穏やかに言う。
「大丈夫だよ、ちょっと消えちゃっただけだから。ただのケガみたいなものだから」
「……それ、治るのか?」
見えない腕を凝視しながら、やっとの思いで声に出した俺の疑問に、アカリは軽い調子で「うん」と頷いた。
「十分もあれば、自然治癒するよ」
お手軽だった。
「う~ん。そろそろ着いちゃうんだけど、仕方ないね」
は~。危機感のないためいきをつくアカリ。……ふう。
俺は無言でアカリの前に立ち、そして
「? どうしたの?」
「……いやどうした、じゃなくて」
背を向けてしゃがみこんだ俺に、不思議そうな声をかけるアカリ。
…………察しろッ!!
「乗れよ。待ってるのが面倒だ」
「……もしかしてもしかすると、『おんぶ』?」
「もしかしてもしかしなくてもそうだ。お前が動けねえなら、そうするしかねえだろうが」
俺が素っ気なくそう言っても、アカリはまだなにか文句があるらしく、
「でもでも」
「なんだよ」
「せ、背中の感触を楽しんだり……」
………………はぁ?
「なに言ってんだお前。そんなのフィクションの産物だろうが。現実の男子高校生は、そこまで純情でも変態でもねえよ」
「いや、でも、」
「大体にしてだな」
俺は、自分の名誉のために語る。
「お前には、『楽しむ』ようなモノはついていない。杞憂にすぎなガハ………!?」
な、なんだ? 心臓に直接氷をあてられているような未知の感覚。痛みに悶えている俺に、アカリは妙に平べったい声で言う。
「今、ウチは君の“魂”をつかんでいます」
つかんでいますったって、腕がないんじゃあ……。いや、なんかアカリの口から手みたいのが出てる。きっとあれだ。超恐いんだが。
アカリは不気味なほど感情のない声で続けた。
「これを抜かれたらどうなるか──言わなくても、ワカリマスヨネ?」
「…………い、イエス・サ、ああああああ!? すいませんイエス・マムイェスマム」
あ、あぶねえ………。今一瞬花畑が見えた気がする。くそ、このやろうこんな奥の手を隠し持ってやがったとは。…………絶対に逆らわないようにしよう。
「まったく……」
ぶつぶつ言いながら、アカリは俺の背になんとかかんとか乗り終えた。…………。
「あれ? なんかお前重くなってねガハ……!?」
意識が……ッ遠のいて……ッ!!
「ちっ、げえよッ! そういう意味じゃなくて、ああもうホントに世俗的!!」
「じゃあ、どういう意味かな? 言わなくても大体わかるけど言ってみて?」
じゃあやるなよ。そう思ったが、口には出さなかった。
「……。お前、さっき俺が投げたときは体重がなかったのに、なんで今はあるんだ?」
「いやがらせ♪ ……はにゃひてはにゃひて」
すぅ……と、背中からアカリの体重が消える。え? なんかすごくね?
ちょっと感嘆しながら、俺はアカリを乗せて駆け出した。
「案内よろしく」
そう、俺が言ったきり、時折アカリが「ここを右だよ」とか言うだけで、再び会話が途切れてしまった。
それは多分、俺と同じように、アカリもまた感じていたからだろう。
嵐の前の、静けさを。
そして、“嵐”の予感を、肌で感じとっていたのだろう。
「ここ、だよ」
本当にすぐだった。俺の足でも、30分もかからなかった。
『洋館』の最上階。そのある部屋の扉の前でそう言って、アカリは俺の背中から這い降りた。
「あ。ここに入る前に一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
「……? 『注意』とかじゃなくて、『お願い』なのか? まあいいぜ、話せよ」
「ありがと」アカリは軽く礼を言い、それから少し俯いて、「この部屋の中では『アカリ』って呼ばないで」
…………?
「なんでだ、って、ああ。お化けとヒトがあんまり仲良くしちゃいけない、とかそんな感じか?」
「うん、まあ、そんなカンジ。理由は訊かないで」
「……了解」
なんか腑に落ちねえが……まあいい。大した希望じゃあねえし。
断る理由もない。
俺は重厚なつくりの扉をノックした。すると……
『入るがよい』
言われて中に入った俺を、尊大な態度で迎えたのは──