表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

陽章之四

「なぁ貴君、貴君は人間であろうか。」


 鏡の向こうの私は何も言わず、ただ私を見つめている。

 印税などいらない、世の人の役に立ちたいわけでもない。

 ただ、家族が欲しい。


 如月。その日私は妖怪図鑑のネタを探しに行くでもなく、我が家でぐだぐだと過ごしていた。掃除機をかけている狐が、邪魔だとばかりに寝転ぶ私の背を蹴る。我が家に来てもうじき一年になるこの狐、長い期間一つ屋根の下で過ごしたことで、それなりに親交は深まったものの、それに比例してなんだか私の扱いがぞんざいになっている気がする。仮にも家主なのに。


「そう思うのでしたら、普段から威厳をお見せ下さいな。そうしていただけたら、私も尊敬のしようがあるというものです。」

「それは私が悪いのではなく、私から威厳を見いだせぬ貴君の目が悪いのだ。私の行きつけの眼科を紹介してやろうか。」

「昼間に布団から頭だけ出して寝転んでいる人間に、威厳など見出せませんよ。見いだせる方こそ、即刻眼科に行くべきです。では佐野様、急ぎましょう。」

「待て、なぜ私が行く流れになっているのだ。視力検査ならひと月ほど前にしたばかりだぞ。」

「いえ、私が連れて行こうとしているのは学び舎ですよ。期末試験が近いのでしょう。また堀田様に泣きつく羽目になる前に、計画的に勉強すべきです。」

「睡眠学習とは良いものだ。」


 狐がまた私の背を蹴る。今度は先ほどよりも強めに。思わず狐を睨みつけると、狐はため息をつき、自らの両掌を肩の高さにもってきて、心底呆れた、といった様子で首を左右に振った。欧米か。


「ナンセンスです。ベリーバッドですよ、佐野様。」

「ルー大柴だったか。」


 狐との会話は、楽しい。共に過ごす時間が心地よい。

 だからこそ、これ以上隠しているわけにはいかない。それは、狐と過ごすこの時間を嘘にしてしまうことになるから。

例え、それにより、今日彼女と決別することになったとしても。

 また、失うことになったとしても。

「なぁ狐、実は話したいことがあるのだ。」


 狐は私の言葉の中に、真面目な声色を感じ取ったらしい。美しい眉をひそめ、急に態度を変えた私を訝しげに見つめる。


「どうなさったのですか、急に。まさかもう留年が確定しているとか。そういった話なら、私に言われてもどうしようもありませんよ。」

「ああ、心配するな、その辺りはどうにかする。これからするのは昔話だ。」

「昔話、ですか。」

「そう。」


 私の、昔の話。


 佐野清十郎。彼は極一般的で、常識的な家庭で産まれ、そして彼もまたそのようにして育てられた。

 祝福されて産まれて、両親からの愛情を一身に受けて育ち、幸福のうちに成長する。

 そんな彼の人生に転機が訪れたのは、彼の祖父が世を去ってからであった。

 佐野の祖父は、広大な敷地を持つ日本家屋に一人で住んでいた。祖父は明朗快活を絵に描いたような人物で、孫である佐野に甘かった。

 そんな祖父を佐野も好いていたが、その日本家屋の放つ、どこか異様な雰囲気から、祖父の家を訪ねることは嫌がった。

 祖父の死因は、あまり自然といえるものではなかった。玄関から直進して突き当たる部屋、ちょうど屋敷の中心となる所で、自ら首を絞めるようにして死んでいたらしい。

 争った形跡もなく、家を荒された跡もない。結局警察には自殺として処理されたそうだ。

 自分の首を絞めて自殺するなど、できるはずもないのに。


 その日当時六歳の佐野は、両親とともに祖父の遺品の整理を行うために、祖父の家を訪れていた。

 祖父の思い出の品となるものは、棺とともに焼いてしまったため、母屋の中には冷蔵庫やテレビといった電気機器程度しか残っていなかった。

 次に両親が向かったのは、祖父の家の一角にある古ぼけた蔵であった。

 佐野はその蔵の扉が開いたときに、何か異様な悪寒が走ったことを覚えている。

 蔵の中は薄暗く、外は昼間であるのに、まるでここだけ夜が訪れたようであった。

 薄暗闇の中、両親は持参した懐中電灯を持って、入口付近から品を調べていく。そんな中、佐野の目を奪ったのは、蔵の最奥の棚に鎮座する小さな壺だった。この蔵の中で、最奥の棚に並んでいる物など見えるべくもないのに、なぜかその壺だけは暗闇に浮かびあがって見えた。佐野は引き寄せられるようにして歩いた。

 最奥の棚にたどり着き、壺を手に取り、おもむろに封を開く。中に入っているのは、どうやら液体のようだった。壺を顔に近づけ、その液体の香りを嗅ぐ。

 その瞬間、佐野は正気に戻り、壺を床へと叩きつけた。

 幼いながらも香りを嗅いだ時点で、本能的に理解したから。それが此岸のものではないと、人の触れてよい領域のものではないのだと。

 叩きつけられた壺は割れ、中の液体は逃げるようにして床へと浸潤していった。

 何かが割れる音を聞きつけた両親は、すぐに火のついたように泣きじゃくる佐野のもとへと駆け寄ってきた。

 しかし、両親は佐野がふざけていて壺を割ってしまい、それに驚いて泣いているのだと理解したらしく、結局佐野の感じた脅威は両親に伝わらなかった。


「竹取物語を知っているか。竹取の翁が光る竹を切って云々、というやつだ。」

「かぐや姫は月に帰る前に不老不死の妙薬を、帝と翁夫婦の両方に渡したとされる。」

「帝に渡されたものは、富士の火口に捨てられたとされるが、翁夫婦に渡された薬は所在不明なのだ。」


 狐は何か言いたげに口を開いたが、制止する。


「まぁ待て、話を最後まで聞いてからでも遅くはない。」


 その後、佐野は何事もなく七歳を迎え、小学校へと入学する。

 何事もなく、とはいっても佐野は自身の体に違和を感じていた。例えば今まで転べば感じていたはずの痛み。それが全くなくなっていた。確かにすりむいたはずなのに、実際は傷ひとつない。

 佐野は子供心にそれが異常だと感じていた、それ故その違和感を決して口外しようとはしなかった。

 しかし、そんな佐野の努力は、最悪の形で無駄になった。


 その日、佐野は両親とともに近所の公園を訪れていた。父親が家族サービスのつもりで連れてきたのだろう。佐野と父はキャッチボールを始める。

 続けるうちに慣れてきて、簡単なボールなら確実に取れるようになる。父はそれに応じて、少し取りづらい位置に投げる。

 何度か繰り返したところで、佐野はボールを取り逃す。ボールは公園を転がり出て、道路で静止した。

 佐野は両親からの静止も聞かずに、ボールを拾うために道路へと向かう。


 そして、道路を横切るトラックが佐野の体を吹き飛ばした。


 母が悲鳴をあげる。父が絶句し、立ち尽くす。それだけ今、目の前で起こった光景が信じられなかったから。自分たちの息子が吹き飛ばされ、人の形を成さなくなった光景を認めたくなかったから。

 トラックはそのまま走り去り、両親は茫然として息子だったものを見つめる。

 そして、目撃する。

 

 肉塊がひとりでに動き、集まろうとしている。元々人であったとわからないほどに潰れていたそれらは、早くも密着し、結合し、再び人としての体裁を成そうとしていた。

 母が再び絶叫する。今度は驚愕からではなく、恐怖から。

 何事もなく、当然のように無傷で立ち上がった佐野を見る両親の目は、まるで拳銃でも突き付けられているかのように、おびえていた。


 その日から、佐野と両親は他人となった。口もきかず、目も合わせず、触れ合うこともない。佐野の持つ超常を受け入れるには、彼の両親はあまりに一般的で、常識的過ぎた。

 ただ、両親は佐野を家から追い出そうとはしなかった。自らの息子を家から追い出すという行為は、世間的に見ていかに非常識であるかを理解していたから。

 ただ一緒に住んでいるだけ。佐野に声をかけざるを得ない時は腫れものを触るようにして。家にいるときは、自室から出ないようにと言いつけられた。そこにおよそ家族の温かみと思えることは存在しなかった。

 最初から両親がこのような態度であったのなら、佐野は特に何も思うところはなかっただろう。ただ、彼は生まれてからの六年間で、両親からの愛を知ってしまっている。

 その事実が彼自身を苦しめる。なぜ二人はこんなにも変わってしまったのだろうか、自分が何か悪いことをしたのだろうか、と。

 佐野は両親が喜びそうなことは、考え付く限りすべてやった。いい子になれば、また両親が自分に優しくしてくれる日が来るかもしれないから。

 ただそれは両親からすれば、化け物が自分たちの歓心を買って取り入ろうとしているようにしか見えなかったようだが。


「この部屋はな、座敷牢なのだ。」


 両親と、自らを隔絶するための檻。ここでの私は自由だが、本当に欲しいものは決して手に入らない。


「両親が私に対して出した条件は、こうだ。大学には行かせてやるから、卒業したら二度と顔を見せるな。」

「別に大学に行きたかったわけではない。ただ、もう私たちが家族に戻るのは不可能だと思ったから、離別するには丁度良いきっかけだと思ったのだ。」

「私はただ徒に人生を消費し、今に至る。」

「両親を恨んでいるわけではない。誰だってまともだった筈の自分の子供が、化け物になり変っていたら恐ろしいに決まっている。だから、恨んでは、いない。」

「私の話は以上だ。」


 今までため込んでいたことを一度に話しきった。ついでに感情も全部ぶちまけたように思う。未だ何も解決していないのに、どこか清々した気分だった。

 だが、その気分は狐の顔を見た瞬間吹っ飛んだ。

 狐が私を見る目が、普段とどこか違う。困惑しているような、どこか怯えているような、そんな視線。それはいつかの両親を想起させるものだった。

 

「それで、佐野様はそのことを話した上で、私に何を求めるのですか。」


 核心。そうだ、私は隠し事があって後ろめたいから話したわけではない。狐を怯えさせたくて話したわけでもない。私は、ただ。


「今の話を踏まえたうえで答えてくれ。」


 私の不死性を、妖怪にすらあり得ないその異常を踏まえたうえで。


「狐、私の家族になってくれないか。」


 それは懇願だった。幼子が怒った親に許しを請うような、そんな願い。

 それに対する答えは沈黙。

佐野は狐の顔を見ることができなかった。その顔が拒絶に満ちていることが予想できたから。

ああ、やはり、また駄目なのか。


「はぁ。」


 ようやく聞こえた声は、なぜか気の抜けたものだった。

 何故、この場面でそんな声が出る。思わず狐の顔を見る。

 その顔は、佐野がふざけたことを言った後に見せる、いつもの呆れ顔だった。


「阿呆だとは思っていましたが、まさかこれほどとは、さすがの私も予想していませんでした。」

「えらくもったいぶって話しだしたので、どんな大層な秘密があるのかと思ったら。」


 辛辣な言葉を吐きながら、狐はため息をついた。


「たかが死なない程度で、どれだけ凄まじい化け物になったつもりですか。たかがその程度の異常で、私があなたの下を去るなどと、本気で考えていたのですか。」

「まぁ確かに、妖怪の中でも死なない、というものは存在しないでしょう。それは認めます。しかし我々にだって、腕が千切れたら生やすくらいのことはできますし、もっと強力なやつなら、頭さえ残っていれば再生できる、なんてやつもいるのです。」

「そんな中で、不死以外は何の能力も持たないあなたを、いったい誰が脅威だと思うでしょうか。思い上がりもいいところですよ、この阿呆。」


 狐は言いたい放題に言いきった後、少し息をつく。勢い込んで話しすぎたのだろう。

 話が途切れたところで、狐の言いたいことがまだ十分に飲み込めていなかった私は、真意を問おうと口を開いた。が、それは狐が私に噛みつくような目線を向けたので引っ込んだ。


「黙ってください。まだ私の話は済んでいません。噛みしめて聞きなさい。」

「何より腹が立つのは、あなたと私の関係が、その程度の異分子の存在で崩れ去ると考えていたことです。」

「私はあなたに救われました。解放してもらい、妖怪であるにも関わらず、住居まで与えてもらいました。」

「それからの日々は、私にとって確かに楽しい日々だったのです。四六時中暗闇の祠の中ではなく、昼と夜の変化を感じられる部屋、昔とは随分変わった、私の知らないことばかりの世界。そして佐野様、あなたの存在。」

「そう思っていたのは、私だけだったのですか。佐野様にとっては、その程度のことで崩れてしまう関係だったのですか。」


 狐はいつの間にか、目に涙を溜めていた。その涙は美しくて、狐がたまらなく愛おしく見えた。

 気付くと、私は狐の華奢な体を抱きしめていた。


「そんなことは、ない。私だって楽しかった。私にとって、大切だった。」

「私は憶病だったのだ。再び失うことを恐れ、結果貴君を傷つけてしまった。すまなかった、本当にすまなかった。」


 いつの間にか、私も涙を流していた。狐が私の肩を押すので、狐の背に回していた腕をゆっくりと離す。狐は泣き笑いのような顔を私に向けると、言葉を紡いだ。


「返事、まだでしたね。」

「ああ、聞かせてくれ。」

「私は今、佐野清十郎様に対する恩返しを決めました。それは、今後一生あなたの御側に仕えることです。雨の日も、風の日も、死が二人を別つとも。」


 狐の紡ぐ言葉は柔らかに私の耳へと流れ込み、いつかの不安を溶解させる。

 今なら過去の自分に対して言える。何を下らないことで悩んでいるのだ、と。


「時に佐野様、一つ聞きたいことがあるのですが。」


 狐は既に泣いておらず、その顔には悪戯っぽい笑みが浮かぶばかりだった。

 今ならば、どのようなからかいでも受けよう。


「何だ、狐。なんなりと聞いてみよ。」

「では。」


 そう言うと、狐はその場で立ち上がり、くるりと一回転をした。と思うと、狐の衣装はいつもの浴衣から、何か見覚えのある白装束に変じていた。


「先ほど佐野様は家族になってほしい、と仰いましたが、それは妻的なポジションでも構わないのでしょうか。」

「は。」

 

 突然のことでに、思考が停止する私。そんな私に構わず、狐は床に指をつき、大仰な仕草で首を垂れる。


「ふつつかものですが。」


 その日は昼間から晴れているにもかかわらず、雨が降った。

 これは余談であるが、狐の嫁入りがある日は天気雨が降るらしい。


 あくまで余談である。


 

 現代妖怪図鑑 項目ノ百 不死人

不死人とは、不死の妙薬や人魚の肉(項目ノ八十四参照)などを食したことにより、死から解放された元人間の総称をいう。不死になった要因によってその性質は異なり、場合によっては悲惨な永遠を歩むことにもなる。薬によって不死人となったものは、強力な再生能力を有しているが、その身体が再生しようとする光景はしばしばグロテスクである。彼らに共通しているのは、過去も、現在も、未来もないことである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ