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陽章之三

「なぁ貴君、貴君は妖怪であろう。」


 親と思われる女性に手を引かれた子供が私を指さし、「あれなにー。」と心ない言葉を放つ。女性は子供の目を手でふさぎ、足早に立ち去って行った。しかし私は断固として自分の行いを改めるつもりはない。なぜなら私には、印税を得て自らの将来を確かなものにするという目標があるからだ。ついでに人々を救うことができればなおよい。


 神無月。私は例によって例のごとく、図鑑のネタを探すべく町をふらついていた。現代妖怪図鑑は着実に完成に近付いている。その項目の数は、あと少しで百鬼夜行を行えるほどになっていた。順風満帆である。


 近況を報告しようと思う。あれから堀田は毎週一回の頻度で我が家を訪れているらしい。

らしい、というのも堀田は大抵私が不在のときに限って我が家を訪れるからだ。私が自宅で堀田に会ったのは、実質月に一度程度である。

 狐曰く、「あれは絶対に、佐野様が出て行くのをどこかから確認していますよ。」とのことだ。ちなみに今のところは、狐に被害らしい被害はない。せいぜい気味の悪い目つきで見つめてくる程度らしい。どちらが妖怪だかわかったものではない。

 なお、諸兄らの中に私の単位の心配をしてくれている物好きがいるかもしれないので、一応報告しておく。試験前に行った連日連夜のデスマーチにより、私は必修講義の全ての単位を取得することができた。この期間でまたいくつか堀田に貸しを作ってしまったが、やつが要求する見返りなど大体予想がつく。狐がまた涙目になる様子が目に浮かぶ。


 さて、雑談はこの程度にする。今回妖怪アンテナが反応した場所は水族館である。今日は休日であるためか、親子連れの多いことが見て取れる。こんなところで妖怪が暴れだせば大惨事間違いなしだ。私は自身が、民衆を守る英雄になった気分がしたので、意気揚々と胸を張り、か弱い人々を守るために水族館に乗り込んだのであった。ちなみに入場料は大人二千円であった。


 そして冒頭の仕打ちである。しかし、真なる英雄とは人に理解されずともひたすら民衆を守るために戦い続けるもの。顔をぬぐったのは痒かったからであって、決して涙が流れてきたからではない。

 私は目の前の悪しき妖怪に向き直る。まずはこいつに、自身が妖怪であることを認めさせねばなるまい。


「えぇ、その通りよ。よくわかったわね。」

「やはり認めないか。その通りだなどと、苦しい言い訳をする。」


 あれ。


「貴君今、自分が妖怪であると認めなかったか。」

「だからそうだって言ってるでしょ。で、一体何の用なの。」


 図鑑の完成間近にして、新しいパターン。初っ端から認めてきたのは、こいつが初めてである。これは中々手ごわいかもしれない。


「要件の前に聞きたいのだが、そんなに簡単に認めてもよいのか。今日は客もたくさん来ていることだし、正体がばれると貴君の立場が危ないのではないのか。」

「なんだ、そんなこと。周りを見てごらんなさい。私が堂々としている理由がわかるわよ。」


 そういえば先ほどから何か違和感があった。物音ひとつ、しない。あれほどたくさんの人がいたというのに。周りを見渡す。先ほどまで人で満たされていたはずの空間は、完全に無人と化していた。巨大な水槽に囲まれた空間に一人というのは、なかなか不気味なものである。


「人払いの結界を張ったの。人魚にとっては必須の術よ。本来ならあなたもこの空間から弾かれるはずだったのだけど、あなたは何か妖力に対して耐性のようなものを持っているのかしら。」


 さらっと正体を言う。姿からして予想はしていたが、やはり実際にこれが人魚であるとわかると絶望感が凄い。私は目の前のでっぷりとした体をしたジュゴンを眺め、深く息を吐いた。金髪ブロンドや貝殻のブラジャーといった幻想は、今砕かれた。


「どうしたの、ため息なんかついて。私の体はため息が出るほどに悩ましいのかしら。」

「ああ、うん、そうだね。」


 その体型に欲情するのはドラム缶フェチくらいだろう、と言いたかったが、さすがに女性に対して失礼であるので自重した。男子諸君、紳士たれ。


「そろそろあなたの用件を教えてくれない。結界を維持するのは割と疲れるの。」

「ああ、すまない。私は佐野征十郎という。貴君に声をかけたのは、私が今作成している妖怪図鑑に貴君のことを載せたいからだ。協力してくれないか。」


 ジュゴンは顔の前面にある鼻だか唇だかわからん部位をひくつかせ、私をじっと見つめてくる。どうやら悩んでいるようだ。白い尾が水槽をピタピタと打つ。

 ジュゴンは三分ほど黙考した後、口を開いた。


「わかりました、協力はします。でもひとつ条件があるの。」

「ありがたい。して、その条件とはなんだ。」

「あなたが知りたいことを全部聞いたら、帰る前に私の自慢の歌を聞いてほしいの。」

「それは願ってもない。こちらから頼もうと思っていたくらいだ。人魚の歌声は、この世のものとは思えないほどに美しいと聞くからな。」


 いたって順調に交渉は進む。存外協力的な態度に、こちらが戸惑っているくらいだ。


「まず気を悪くしたらすまない、と前置きをしておく。人魚の肉に不老不死の力が宿っているというのは、本当か。」

「ああ、やっぱり人が最初に聞くのはそのことね。答えましょう。私たちの肉を食べると不老不死になれるのは本当。あなたも食べてみたいのかしら。」

「いいや、間に合っているよ。」

「賢明な判断ね。不老不死とはいっても、それは人間の考えているような都合のいいことじゃないの。あくまで死なないだけ。例えば、不治の病にかかったとしましょう。普通の人間は、いたって普通に死ぬでしょうね。けれど不老不死になったものはそうはいかない。明らかに人間であれば死ぬ段階まで病気が進行しても、決して死ぬことはない。常人ならば死んでいるであろう苦しみを、永遠に味わい続けなければならない。人魚の肉を食べたいと言うものは、よほどの自信家なのでしょうね。永遠に自分が健康体でいられるとでも思っているのかしら。たかが百年も満足に生きられないくせに。」


 ジュゴンの眼差しはどこか遠くを見つめていた。人間の欲望のために狩られていった仲間たちと、その肉を食った者たちの末路に思いを馳せているのだろうか。


「では次に、なぜ貴君がここにいるのかを聞きたいと思う。人魚として捕まったわけではないのだろう。もしそうだとしたら、人間が貴君を放っておくはずはないからな。」

「ええ、私はジュゴンとしてここに来ました。それもわざと捕まってね。」

「わざと。それはまた、何故。」

「疲れちゃったの。この科学信仰がはびこる時世でも、いまだに人魚の肉を求めている者たちはいる。結界を張っておけば、そういった連中が近寄ってくることはないけど、寝ている間は張り続けることはできないし、起きている間も四六時中結界を維持していたら、気の休まる時がない。それならば、いっそ人間社会の中に自ら飛び込めばいいと思ったの。肉を求めている連中は、人魚に対して妙に神秘的なイメージを抱いているから、まさか自分たちの求めている存在が水族館で見世物になっているだなんて、想像もしないでしょう。ここは人間の集まる場所だけど、私たちにとっては安住の地よ。」


 人魚が語り終える。私は彼女に対して、何の言葉も返すことができなかった。

 彼女の言葉があまりに強がりに満ちていたから。この場所が安住の地と彼女は言ったが、そんなはずはない。いかに危険とはいえ、誰が望んで住み慣れた母なる大海から、こんな水槽の中へと来たがるだろうか。恐らく彼女は、自分の意思でここに来たのではない。先ほどの話も、自分を納得させるためのものなのだろう。それに、彼女自身気付いているはずだ。自分が一般的なジュゴンよりも寿命が圧倒的に長いことを。人間がそのことに気づくのはそう遠くない未来だろう。その時彼女は。


「質問の時間は終わったようね。そろそろ私の自慢の歌を聞いていただけるかしら。」

「ああ、ぜひ歌ってくれ。」


 静謐な空間に歌声が響く。その旋律は目の前のジュゴンが歌っているとは思えないほどに美しく、流麗で、そして悲しかった。歌の内容がどのようなものなのかは、恐らく人間が理解できるものではない。ただ、望郷の歌である、ということはなんとなくわかった。


歌が止む。


「感想、聞かせていただける。」

「がぼがぼがぼ。」

「ありがとう、そう言ってくれると嬉しいわ。」

「がぼがぼがぼぼ。」

「どこって、水槽の中だけれど。」

「がぼがぼ。」

「私は歌っていただけ。あなたが勝手に入ってきたのよ。」


 忘れていた。人魚の歌。数多の男を惑わす、幻惑の旋律。


「ごめんなさい、あなたに恨みはないけれど、私はもう少しだけ生きていたいの。そのためには私の正体を知っているあなたが生きていると、不味いでしょう。」


 必死に水を掻いて、水面を目指す。その私の足に真っ白な腕が絡んできた。


「いかないで、ここで一緒に歌いましょう。」


 幻想であったはずの金髪ブロンドが、そこにいた。


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