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陰章之三

「おかえりなさいませ、佐野様」


 玄関の開く音が聞こえたのだろう。同居狐の家事手伝いがなぜかうれしそうな声で私を迎える。そんなに私の帰りが待ち遠しかったのか。


「ああ、ただいま。どうした、目が皿のようになっているぞ。」

「どうしたと聞きたいのはこちらです。服が血塗れではないですか。お怪我はないのですか、自殺未遂ですか、それとも誰かぶち殺したのですか。逃亡されますか、自首なさいますか。私は罪を償うべきだと思いますが、逃げるというのならお手伝いしますよ。」

「落ち着け、動転しすぎだ。貴君はどうも刑事事件に持っていきたがるな。これは自殺でも殺人でもなく、ただの事故だ。」

「なるほど、事故に見せかけるんだね。それなら僕も協力しよう。ああ、興奮してきた、まるでミステリー小説の世界じゃないか。さぁ佐野、早く現場に案内してくれよ。一体誰を殺めてしまったんだい。」


 狐と私しかいないはずの部屋で第三者の声がした。それも随分とふざけたことを言っている。部屋の隅に目を向けると、幸運を運んでこなさそうな座敷童子がニヤニヤと笑っていた。


「大変だ、狐。私の妖怪アンテナが狂ってしまった。座敷童子がいるというのに全く反応しない。このままでは図鑑の作成に支障がでるぞ。」

「酷い言い草だな、僕は人間だよ。それにそんな口を聞いていいのかな。もう君の出席回数を誤魔化すの、やめちゃおうかな。」

「悪かった、冗談だ。しかし何故そんな隅っこにいるのだ、堀田。」

「いや、彼女に常に自分とは限界まで距離をおくように、と言いつけられてしまってね。」

「貴君一体何をしたのだ。」

「少しスキンシップをとろうとしたんだが、嫌われてしまったようだ。」


 こいつは私の通う大学の同じ学部に所属している友人で、堀田という。身長が低く、童顔であるため、しばしば座敷童子であると勘違いされることがあるが、その正体は齢二十歳の人間である。

 しかし、こいつは女と見れば誰彼構わず手を出すような奴ではなかったはずだ。それに、二人は春に一度会っている。そのときは狐も、特別堀田を嫌っている様子を見せていなかったが。


「ところで佐野、君は罪を犯したね。」

「何を言う、私は生まれてこの方、罪を犯したことなどないぞ。」


 まさかどこぞの一神教みたいに、原罪がどうのこうの言いだすわけでもあるまい。


「いいや、君は大きな罪を犯した。僕に彼女のことを黙っていたことだ。」

「それについては説明しただろう。彼女は私の従妹で、彼女の両親がエロマンガ島に旅行に行ったきり行方不明だから、私がしばらく預かっているのだと。」

「あれは冗談ではなく、本気で誤魔化そうとしていたのか。僕は今その事実に驚いているよ。来世はもう少しまともな脳みそを搭載するべきだね。」


 そこまで言うか。まぁ自分でも苦しい嘘だとわかってはいたが。だがこいつに、本当は狐です、などと言う訳にはいかない。


「なぜ彼女が妖怪であることを黙っていたんだい。」

「おい狐、どういうことだ。」


 思わず平生の口調を崩してしまった。なぜ堀田にばれているのだ。私は狐の顔を恨めしげに睨む。対して狐は困惑した顔をしていた。


「いえ、佐野様が以前に再び堀田様が来たら化かして追い返せ、と仰っていたので、その通りにしようとしたのですが。」


 堀田を、化かすだと。私は本当にそんな指示をしたのか。だとすれば私は底無の阿呆だ。


「私なりの恐ろしい姿に化けて出迎え、追い返そうとしたところ、堀田様が急に私に抱きついてきたのです。目が血走っていて、私の姿より恐ろしかったです。」


 そうなることはわかりきっているのに。何を隠そう、堀田は生粋の妖怪好きなのだ。その妖怪への愛は留まるところを知らず、偏執的とすら言えるレベルにまで達している。何しろ、私と初めて会ったときに吐いた言葉が、「君はでいだらぼっちなのかい。もしそうなら僕と友達にならないか。」である。

 高すぎる上背を気にしていた私は、いたく傷ついたものだ。


「驚いたよ、まさか君が妖怪と同棲しているだなんて。どうして教えてくれなかったんだ。君は僕が妖怪に遭いたがっていることを知っているだろう。」

「ああ、顔を会わせるたびに似たようなことを聞かされれば、どんな奴でも頭の中に刷り込まれてしまうだろうな。もう少し頻度を下げてくれ。」

「だったらどうして教えてくれなかったのさ。返答によっては訴訟も辞さないよ。」

「どういった内容で訴えるつもりだ。教えなかった理由は単純だ。教えたが最後、貴君は我が家に毎日のように入り浸るようになるだろうからだ。」

「そ、そんなことない、よ。」

 

 目が泳いでいる。ここまであからさまな演技をするということは、肯定と捉えていいだろう。


「まぁ、ばれてしまった以上は仕方がない。うちに来るのは構わないが、騒がしくしないこと、多少は日を空けること、手土産を持ってくること。この三つは守ってもらうぞ。」

「待って下さい、佐野様。もし佐野様がいないときに、堀田様が来たら私はどうなるのですか。見てください、あの眼鏡の奥の血走った眼を。性犯罪者と同じ目をしています。」


 狐が会話に割り込んでくる。自分の身の安全がかかっているので必死だ。


「安心しろ、狐。堀田は変態であるが紳士だ。乱暴はしないはずだ。乱暴は。」

「佐野の言う通りだよ、狐さん。僕は色々と質問させてもらいたいだけだよ。色々とね。」

「不安すぎます。安心できる要素がありません。」


 狐が涙目になったので、堀田にくれぐれも狐に対して不快な真似はしないよう言い聞かせておいた。これで大丈夫だろう。たぶん、おそらく、きっと。


「さて、今日のところは帰るよ。僕は君と違って真面目な学生だから、時間がいくらあってもたりないほどに忙しいんだ。またね、狐さん。今度は二人きりで、じっくりと話そう。じっくりと。」

「ああ、早く帰るがいい。また来る時は手土産を忘れるなよ。」

「二度と来ないでください。お願い致します。」

 

 狐が切実な言い終える前に、堀田は玄関の扉をさっさと閉めてしまった。狐は小刻みに震えている。チワワかお前は。


「ところで佐野様、あのまま帰してもよかったのですか。」


 狐が不意に真面目な顔になる。どういう意味だろう。


「何だ、無事に帰すのは納得がいかないとでも言いたいのか。あいつは変態であるが、死なねばならないほど重度のものではないぞ。」

「いやそうではなく、怪異と認識した上で私と遭ったということは、あの方も今後は多くの怪異に見舞われることになりますよ。」


 なんだ、そんなことか。


「見ただろう。あいつは妖怪フェチなのだ。怪異に見舞われるようになったなどと、やつが知ったら小躍りするだろうな。」

「そんなものですか。確かにあの方の愛情が向けられれば、いかに強力な怪異でも吐き気を催して逃げ出しそうですが。」

「貴君、本当にやつのことが嫌いなのだな。」



 現代妖怪図鑑 項目ノ三十一 塗り壁

塗り壁といえば人の行く手を塞ぐ妖怪として有名であるが、現代の塗り壁は変化するための労力を極限にまで減らした結果、工事現場の看板と化していた。本物の看板と差異がないため、外見上は見分けることは難しいが、声をかけると返事をするため、偽物を判別するのは容易である。ただしなぜ看板になったかを問うと長話を始めるので、全て聞いてやろうとすると結果的に足を止められることになる。なお、なんらかの忠告をされたら素直に聞くべし。


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