陽章之一
「なぁ貴君、貴君は妖怪であろう。」
霊柩車の運転席に座る男が心底哀れんだ眼を私に向けてくる。
しかし私はくじけない。なぜなら私は人々を妖怪たちの魔手から救い出すという重大な使命を担っているからだ。ついでに印税も入ればなおよい。
狐が我が家にやってきた翌日。私は妖怪図鑑のネタを探すために町をうろつくことにした。
狐曰く、「ぶらぶらしていればそのうち怪異に行き会いますよ。」
適当なことこの上ない。
しばらく歩くと、葬儀場が見えてきた。どうやら今日は葬儀が行われているらしい。喪服に身を包んだ人々がちらほらといるのが見える。
葬式というのは、死者のためのものではなく残された遺族のための儀式であると聞いたことがある。儀式を通じて、もはやあの人はこの世にいないのだと確信するための儀式。一種のイニシエーションなのである、と。
だが、私は葬式は生者だけのためにあるとは考えない。それはまぎれもなく、死者のためにもなっているからだ。なぜなら生者が死んだ者を既にこの世にいないと確信することは、死者がこの世に未練を残さないために重要なことであるからだ。
魂というのは繊細なもので、肉体という鎧に包まれていなければ、この世に存在しているだけで汚れを蓄積していく。未練を残して魂だけでこの世に留まれば、魂は汚染されてしまって輪廻の輪に加わること叶わず、成仏できなくなってしまうかもしれない。
つまり、葬式とは死者を成仏させるための手助けにもなっていると、私は考える。
葬儀場から棺桶が運び出される。どうやら随分と長い間立ち止っていたようだ。
棺桶を運びこむ霊柩車、その運転手を見たとき私は予感した。
あれは人ではない。そしてその性質からあれが何であるかも分かった。私は霊柩車へと足を向けた。冒頭に戻る。
「なぁ貴君、貴君は妖怪であろう。」
「はぁ。大丈夫ですか。これは霊柩車であって救急車ではありませんよ。頭の病院には参りません。」
頭の残念な人呼ばわりをされてしまった。妖怪の分際で生意気な。
運転手は呆けた顔をしているが私は騙されない。死体を守るためにもここで逃がすわけにはいかないのだ。助手席に乗り込む。
「ちょっと、何の真似ですか。あなたは遺族の方なのですか。」
「否、遺族、縁者、近所のお兄さんのいずれでもない。後ろの仏とは赤の他人だ。だが赤の他人とは言え、妖怪の餌食になろうとしているのを見過ごすわけにはいかぬ。」
「訳のわからないことを言っていないで、早く降りてください。これから火葬場へと向かわなければならないのです。」
むぅ。まだ認めようとしないか。ならばひとつ正体を言い当ててやるとしよう。
「貴君はおそらく火車だろう。」
火車とは罪人の死体をさらうと謂われる妖怪である。その名の通り火のついた車輪を駆った姿をしている。ちなみにさらった死体は灼熱地獄の業火に放り込んで、地獄の業火を維持するための燃料としているらしい。
「霊柩車の運転手とは、火車の性質そのものである。葬儀場から死体を運び、火葬場にて焼く。運転手たちの中に火車が紛れ込んでいても何ら不思議はない。どさくさに紛れて死体をさらおうとしているのだな。」
「待って下さい。暴論です。私は妖怪なんかじゃありません。この死体だって、間違いなく火葬場まで運ぶつもりです。一体何を根拠にそのようなことを仰るのですか。」
しぶといやつだ。まだ認めようとしない。私はさらに運転手を問いつめようとして、そこで異変に気付いた。
いつの間にか車が走っている。それに周りの景色もなんだかおかしい。黒々とした尖った岩がそこかしこに立ち並び、ところどころにある窪みには赤い液体溜まっており、その表面はまるで沸騰しているかのように泡を吹く。その景色はまるで地獄の様相を呈している。
「運転手、これは明らかに尋常のことではない。貴君が本当に人間だというのなら即刻引き返すべきだ。早く戻ろう。」
「尋常でないのは当たり前。ここは地獄なのですから。それに言ったでしょう。死体を火葬場まで運ぶ、と。」
こいつ本当に火車であったのか。話しているうちに間違っているのは私な気がしてきて、いかにして病院に連れて行かれる前に逃げるかを考え始めていたというのに。
「貴様、今すぐに私と死体を現世に返せ。このようなことが許されると思っているのか。」
「罪人の死体など、どうだって良いではないですか。後ろの仏は酷いやつですよ。生前に動物を虐待していたのです。それにこれはもう空っぽです。魂の抜けた、ただの器ですよ。」
「ふざけるな。私は知っているぞ。火車にさらわれ、地獄の業火でその肉を焼かれた者の魂は、永劫灼熱地獄に囚われ責め苦を味わい続けねばならんのだ。いかに罪人といえど、永劫の苦しみを受けようとしているのを看過することはできん。」
私がそこまで言ったとき、火車は不意に黙り、そして私に寒気のするような嫌な笑みを向けた。嫌な予感がする。
「わかりました。そこまで仰るのなら、後ろの死体は予定通りの火葬場へと運びましょう。ただし、条件があります。」
思わず唾を呑みこむ。
「条件とは、何だ。」
「あなたが死体の代わりに燃えるのです。」
馬鹿な。私はまだ生きている。
「生きていようと、死んでいようと、そんなことは関係ありません。万物一切地獄の業火に放り込めば、素敵な燃料となるのです。」
「待て、私は罪人ではないぞ。そんなことをしては閻魔に怒られるのではないか。」
「罪人を燃やすのは、罪がこびりついた死体のほうが、より良い燃料になるからです。ですが私が指示されているのは、人間を一人放り込め、ですからノルマさえ果たせれば、私にとっては燃えるのはあなただろうが死体だろうがどちらでもよいのです。」
いつの間にか車は崖の突端のような場所に出ていた。地面はほとんど車の幅しかなく、車から降りようとすればそのまま真っ逆さま、といった具合だ。思わず下を覗き込むと、そこにはただ圧倒的な熱量を持った赤が広がっていた。
「すごいでしょう。おそらく生者でここへ来たのはあなたが初めてですよ。おめでとうございます。さようなら。」
助手席のドアが勝手に開く。タクシーか。
火車が私の体を蹴り、灼熱地獄へ放り込もうとする。妖怪だけあって、その力は強い。私は車の天井についている持ち手に掴まって必死に耐える。日頃から体を鍛えていなかったことが悔やまれる。
「おいよせ、暴力はやめろ。私は痛いのと熱いのが大嫌いなのだ。」
「ご安心ください。地獄の業火ならば熱いと感じる間もなく燃え尽きることができますよ。まぁ死後にたっぷりと責め苦が待っていますが。」
「待て、話し合おう。交換条件だ。見逃してくれれば、私の財布を貴君に渡そうではないか。」
「どうせ子供銀行券くらいしか入っていないのでしょう。お断りです。」
失礼なやつだ。さすがの私でも赤銅の硬貨くらいは持ち合わせている。しかし、まさか妖怪が斯くも恐ろしいものであったとは。今後は気をつけよう。
「話し合うことなどありません。それにあなたに生きていられると私が困るのです。もしあなたが私が火車であると世間に広めれば、仕事がやり辛くなる。もしかしたら職場を首になるかもしれない。妻子を路頭に迷わせるわけにはいかないのです。」
結婚していたのか。なんとうらやましい、どこまでも腹の立つ奴め。そう思ったところで私はついに力尽き、持ち手を手放してしまった。
「さようなら。約束通り、後ろの死体は予定通りの火葬場へ運んでおきますよ。だから安心して燃え上がってください。」
私は断末魔の叫びをあげながら、万有引力の法則に従い、広大な赤へと落下していった。