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陰章之一

 丑三つ時。私は玄関の扉が連打される音で目を覚ました。

 このような時間に訪ねてくるようなやつは妖怪か幽霊か、はたまた新聞の勧誘かNHKの集金に違いない。私は居留守を用いることにした。


 三十分後。訪問者は我が家の扉を叩き続けている。親の仇か何かなのだろうか。

 このままでは私は安眠できない。それに我が家の玄関がそろそろ耐久力の限界を迎えるかもしれない。


 ここでひとつ我が家を紹介しておこうと思う。私が現在下宿しているのは大学近辺に存在する山月荘という名のボロアパートである。

 正確なことはわからないが、その外観からして少なくとも築八十年は超えているだろう。

 建物は二階建てで、私の部屋は一階の左端に位置している。私の部屋は六畳で、キッチンとトイレは完備されているが風呂は存在しない。

 夏場は風通しがよく涼しいのだが、冬場はまだ外のほうが暖かいのではないかと大学の友人に評されるほどに寒い。しかも歩くたびに部屋の床が嫌な音を立てる。底を抜かさないために、私は我が家の内ですら抜き足差し足を余儀なくされている。

 なぜ私がそのような廃屋寸前のアパートに下宿しているのか。理由は一つ。家賃が安いのだ。

 具体的にいえば月千円である。この破格の値段はここの大家が私の実家と縁があるとかいった理由があるのだが、どうでもよいので省く。


 話が逸れすぎた。


 以上から現在の状況を想像してほしい。玄関前の訪問者が行っていることは、八十歳を超える老人を三十分間叩き続けていることと同義である。大惨事である。敬老の精神のかけらもない。

 それも扉の叩き方が徐々にリズミカルになってきている。訪問者は我が家の玄関で作曲を行うつもりらしい。無駄にうまいのが腹が立つ。

 このままでは玄関が伝説の曲が生まれた場所として、世界中のアーティストの聖地となってしまいかねない。そうなれば安眠はなお不可能である。


 そう判断した私はようやく重い腰をあげ、玄関の扉を開いたのだった。ちなみにチェーンだとかそういったものは一切ない。自分の身は自分で守るしかないのだ。

 果たしてそこに立っていたのは、一人の少女であった。なぜか浴衣を着ていて頭の側面に狐の面をひっかけていることを除けば、至極見目麗しい普通の少女である。

 少女は当初の目的を忘れて作曲に夢中になっていたらしく、私が玄関を開くと鬼が豆鉄砲をくらったような顔をして飛びのいた。構わず要件を問うことにする。


「このような時間に何の用か。交際の申し込みと嫁入り以外の用件ならば、断固として拒否させていただく。壺も絵も買わん。」


 少女はようやく正気に戻ったらしく、気の強さを示すような切れ長のつり目を輝かせて言い放った。


「佐野様がそうお望みになるのならば、喜んで交際でも、嫁入りでも、悪徳商法でもさせていただきます。」


 この少女、奇妙なのは格好だけではないらしい。口調は妙に慇懃であるし、発言の内容も「男が人生で一度は言われてみたい言葉ランキング」にランクインしそうなものである。


「どういうことだ。いったい何が目的だ。金ならないぞ。」

「お金などいりません。私は恩返しに参ったのです。」


 まずます訳がわからない。私は恩を売られることはあっても、断じて他人に恩を売るような真似はしない。情けは人のためならず。


「佐野様、情けは人のためならずは情けをかければそれはいずれ巡り巡って自分に返ってくる、という意味です。」


 どうやら口に出ていたようだ。しかしこの少女、内容はともかく口調はしっかりとしているし、頭が残念な人物ではないようだ。


「恩返しとはどういうことだ。私はまず貴君のことを知らないぞ。」

「知らぬのも無理はございません。私はあなたが札をはがした祠に封じられていた狐ですから。直接お会いするのはこれが初めてでございます。」

 

 思わず玄関に目を向ける。確かに私は昼間、そこにいわくありげな札を貼った。だがあの祠から札をはがしたとき、周囲には誰もいなかったはずである。背を冷や汗が伝う。


「言いたいことはわかった。だが貴君が狐であるなどとは信じられぬ。証拠を見せよ。」

「わかりました。」


 人が狐を騙っているのならば、証拠を見せよなどと言われたら多少なりともひるむはずである。しかしこの少女は「わかりました。」と即答した。全身を鳥肌が覆う。


 少女は頭の側面につけていた狐の面を被った。私は拍子抜けした。まさかこれで正体を見せましたなどというつもりなのだろうか。


「これが私の真の姿です。」


 言うつもりだったようだ。恐怖から解放され、安堵のため息をつこうとしたとき私は見た。見てしまった。




 仮面が、まばたきを、している。




「私が狐であると信じていただけましたか。」

「それは、その、トリックの類ではないのか。」

「まだお疑いですか。わかりました。では私の顔を横から見てください。触れてもかまいませんよ。」


 仮面と顔の継ぎ目がなかった。思わずその頬に手を伸ばしたが、仮面と思われていた部分からは確かに体温が感じられた。ここまで非現実的なことに見舞われると、人はむしろ冷静になるものである。


「わかった。貴君が狐であることは信じよう。ところで、貴君は私に危害を加える意思はないのかな。」

 部屋の中に妖怪相手に立ちまわれそうなものは、ない。


「無論、恩人に危害を加えるほど堕ちてはおりません。先ほども申し上げたように、私は恩返しに参ったのです。さぁ、なんなりとお申し付けください。」


 ひとまず安心、だろうか。危害を加える意思がないと分かれば後は体よく帰っていただくだけだ。日々を過ごすだけで精一杯だというのに、この上超常のものと関わってたまるか。


「あぁ、恩返しの前にお願いがあるのですが、私をここに住まわせていただけませんか。」


 なんと。退路を断たれてしまった。


「何故だ。札をはがした程度のことならば気にしなくてよい。早く封じられる前に住んでいた場所へと帰るがよいだろう。」

「そうはいかなくなったのです。私は封印が解かれた後、真っ先にかつて住んでいた森へと向かいました。しかし時すでに遅く、私の住居は人間による開発の憂き目にあっていたのです。もはや私に帰るところはございません。どうかここにおいてください。」


 そう言って顔を伏せた狐を見て、私は考える。この者の住居がなくなったのは私のせいではないにしろ、少なくとも人間のせいではある。ならばこの狐を救済すべきなのもまた人間なのではないか、と。弱々しい狐の姿を見ているうち、不思議と恐怖は消え失せていた。


「よかろう。一生、というわけにはいかぬが、新しい住居が見つかるまでここを貴君の住処とするがよかろう。その代わり、家事をしてもらうぞ。風呂もないぞ。」


 狐が顔を上げる。狐は泣いていた。


「有難うございます。このご恩は一生忘れません。」

「恩など感じずとも好い。春とはいえこの時間はまだ寒いだろう。家に上がるとよい。」


 そうして我が家に居候が増えた。しかしここで解決せねばならない由々しき問題が発生する。


「生活費、ですか。」

「ああ、現在の我が家の財政は私一人を養うだけでも大変なほどなのだ。この上さらに一人増えたとなれば、財政破綻の一途をたどることとなる。」

「少なくとも私に食費は必要ありませんよ。食糧くらい自分で調達できますから。雨風しのげる場所があればよいのです。」


 なるほど、それならば今までとさほど変わらぬ生活費で日々を繋げるかもしれぬ。


「しかし、佐野様の将来のためにもお金はあるに越したことはございません。ぜひとも今のうちに稼いでおきましょう。がっぽりと。」


 一理ある。金はいくらあっても困ることはない。生きるということはとかく金がいるのだ。


「良い方法を知っているのか。」

「それをこれから考えるのです。」

「何だ、貴君は妖怪であるからして、何か妖怪らしい方法で簡単に金を稼げるのではないのか。」

「私は頭脳派ですので、術の類は苦手なのです。せいぜい木の葉を野口英世に変えるぐらいがやっとなのです。」

「福沢諭吉ではないのか。」


 というより通貨偽造だ。まだ私の人生設計に檻に入る予定はない。


「では早速その頭脳とやらを働かせてくれ。できるだけ肉体労働を伴わないものが良い。私も頭脳派なのでな。」 

「では、本などお書きになってはいかがでしょう。当たりさえすれば、後は黙っていても印税がっぽがっぽです。」


 この狐、長年封印されていた割に随分と考えが世俗染みている。


「しかしそう簡単にいくのなら、人口の八割は物書きをしているだろう。そうでないということは、簡単にはいかぬ職業であるということだ。」

「佐野様、物書きで売れっ子になるためには、誰も体験したことがないような面白おかしいことをつらつらと書きつづるのが一番の近道であると私は考えます。それが日常で役立つことならさらに良い。」

「確かにその通りであるが、私は人よりも面白おかしい人生を歩んでいるつもりはないぞ。」

 

 私の日常を書いたところで、せいぜい折り鶴にされて病床の美少女の枕元に置かれる程度であろう。悪くない。


「佐野様、灯台下暗しとは正にこのこと、貴方様の目の前にいるのは一体何ですか。」


 盲点であった。確かに目の前にはこれから我が家に住み着く予定の狐がいる。世界中のどこを探しても、妖怪と同居している人間はなかなかにいないだろう。まさしく誰も体験したことがない、面白おかしい状況である。


「さらに言うならば、佐野様は既に私という怪異と関わってしまいました。一度怪異に遭ってしまったものは後々も遭うようになるといわれます。」

「それは喜んでよいのか。」

「本に書くネタが向こうからやってくると考えればよいのです。」

「つまり売れっ子になるための条件の一つは満たしているわけだ。後はいかにして私の書を世間の人々の日常に役立たせるか、だ。」


 そのとき脳裏によぎったのは昼間の忌まわしき出来事である。そのとき考えたことは、現代人は妖怪に対して無防備すぎるのではないか、ということだ。


「現代の妖怪図鑑を作ろうと思う。」

「図鑑でございますか。それは又何故。」

「現代人はあまりに妖怪に対して無防備すぎる。そのような状態でもし妖怪に襲われたらひとたまりもないだろう。だが、その時手元に現代の妖怪に対する対策が書かれた本があったとしたらどうだろう。」

「なるほど、佐野様はおそらくこれから多くの怪異を経験なさるでしょうから、妖怪の情報は非常に正確なものとなるでしょう。ならばその対策も容易に立てられるというものです。これなら人々の役にも立つ。素晴らしいお考えです。」

「そうだろう。これならば世間の人々を妖怪の被害から守ることができ、私は印税でがっぽがっぽである。」


 正に一石二鳥。何やら明るい展望が見えてきた。どうやら私の将来は薔薇色らしい。


「では今後の方針も決まったところで、そろそろ眠るとしよう。」

「そんな。もう少しお話しましょうよ。長い間話す相手がいなくてフラストレーションが溜まっているのです。」

「貴君は自分が何時に訪ねてきたか理解しているのか。頭脳派が聞いてあきれる。」


 現在時刻午前四時。忘れてはいけない。今は深夜なのである。


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