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八方美人の表と裏

作者: 阿井 愛
掲載日:2026/02/06

初投稿の短編です。

よろしくお願いします。

【表】


── プロローグ


入学式の朝、校門の桜が満開だった。


花びらが風に舞って、新入生たちの制服に降り注いでいる。俺は人混みを避けて、校舎の脇から入ろうとしていた。


そのとき、聞こえた。


「大丈夫? 怪我してない?」


振り向くと、栗色の髪の女子が一年生らしき男子に手を差し伸べていた。男子が転んだらしい。彼女は自分のハンカチを取り出して、擦りむいた膝を拭いてあげている。


「ありがとうございます、先輩」


「気をつけてね」


彼女が笑った。柔らかい笑顔だった。


クラス発表の掲示板で、彼女の名前を見つけた。


桜井美咲。同じクラスだ。


教室で席についた彼女の周りには、すぐに人が集まった。


「美咲ちゃん、久しぶり!」

「夏休みどうだった?」


美咲は誰にでも同じように笑いかけていた。


ただ、放課後。


教室に忘れ物を取りに戻ったとき、窓際に一人で立つ美咲を見た。


夕日を見つめる横顔。


誰もいない教室で、

彼女は笑っていなかった。


そのことを、なぜか俺は覚えている。


──第一章


九月。


二学期が始まって二週間。教室はまだ蒸し暑くて、扇風機が首を振っている。


「おはよう、桜井さん」


いつものように声をかけた。


美咲が振り向く。一瞬、びくっとした。


「あ...おはよう」


声が小さい。いつもの明るさがない。


昼休み。


美咲は教室の隅、窓際の席で文庫本を開いていた。周りは賑やかだ。弁当の匂い、笑い声、机を叩く音。


だけど美咲の周りだけ、空間が空いている。


「具合悪い?」


美咲の隣に立った。


「え?」


美咲は慌てて笑顔を作った。まるでスイッチを入れたみたいに。


「ううん、大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」


目の下に隈がある。


「そう...無理しないでね」


「ありがとう、高橋くん」


美咲が笑う。でも、その笑顔は少し力が入りすぎていた。

触れれば崩れそう、というより――

最初から触れられる前提で作られている顔だった。


放課後、教室掃除の当番だった。


黒板を消していると、廊下から声が聞こえた。


「桜井さんって、なんかわざとらしくない?」


女子の声だ。


「分かる。いつもニコニコしてるけど、裏で何考えてるか分かんないよね」


「篠原さんも同じこと言ってたよ」


篠原?


生徒会長の篠原涼香か。


黒板消しを置いて、そっと廊下を覗いた。


三年の女子生徒が三人、階段の踊り場で話している。


「篠原さん、何て言ってたの?」


「えーっとね...『本当の優しさって何なんでしょうね』って」


「あー、それって暗に桜井さんのこと...」


「そういうこと」


笑い声。


胸の奥が熱くなった。


── 第二章


篠原涼香。


生徒会長で、成績は学年一位。長い黒髪をいつもきれいにまとめていて、廊下ですれ違う下級生は皆、道を開ける。


「完璧」という言葉がぴったりだ。


でも、完璧すぎる人間は嫌われる。


それは、クラスの反応を見ていれば分かった。


「篠原先輩って、すごいよね」


「うん、でもちょっと近寄りがたい」


「分かる。なんか、人間味ないっていうか」


九月下旬、クラスで篠原の話題が出たとき、みんなの反応は微妙だった。


尊敬はしている。でも、好きではない。


完璧な人間は、周りを息苦しくさせる。


十月に入って、美咲の様子がさらにおかしくなった。


「美咲ちゃん、今度カラオケ行こうよ」


クラスメイトが声をかけても、


「ごめん、ちょっと用事があって...」


断られる。


「そっか、残念」


表情は笑っている。でも、声に棘がある。


昼休み、美咲が一人でいるのが普通になった。


「桜井さん、一緒に食べよ」


俺の誘いには、美咲は小さく頷いた。


「...ありがとう」


「何かあったら、言ってね」


美咲は俯いたまま、何も言わなかった。


その沈黙が、すべてを物語っていた。


放課後。図書室で自習していたとき、篠原が入ってきた。


彼女は生徒会の書類を抱えて、カウンターで司書と話している。


「桜井さんって、ちょっと...ねえ?」


篠原が小声で言った。


「はい?」


「いえ、何でもないです」


篠原は微笑んだ。


司書も微笑み返した。


何も言っていない。


でも、確かに何かを伝えた。


言葉にしない悪意。それが一番たちが悪い。


十月十五日の放課後。


教室に美咲しかいなかった。机に突っ伏して、肩が震えている。


「桜井さん」


そっと声をかけた。


美咲が顔を上げる。目が赤い。


「高橋くん...」


「大丈夫?」


美咲は首を振った。


「私...何か悪いことしたのかな」


「してないよ」


「でも、みんな私を避けるの。何も変わってないのに」


声が震えている。


「桜井さんは何も悪くない」


「本当?」


「本当」


美咲の目から、涙がこぼれた。まるで、ずっと堪えていたものが溢れ出すみたいに。


「ごめん...ありがとう、高橋くん」


肩が小刻みに震えている。


「俺、桜井さんの味方だから」


美咲は何度も頷いた。


その日、決めた。


俺が美咲を守ると。


──第三章


十月二十日。


篠原のことが、どうしても気になった。


美咲の様子が崩れた日から、

彼女と篠原の名前が

何度も同じ場所で聞こえていたからだ。


偶然、篠原が廊下で誰かと話しているのを聞いた。

その内容が、どうにも引っかかった。


――本当に偶然だった。


クラスメイトに、さりげなく聞いて回った。


「そういえば、篠原先輩ってどんな人?」


「すごい人だよね。でも、ちょっと怖い」


「怖い?」


「なんか、完璧すぎて。失敗しちゃいけないっていうプレッシャーがある」


「分かる。あと、篠原先輩に嫌われたら終わりって感じ」


みんな、篠原を恐れていた。


尊敬じゃなくて、恐怖だ。


十月二十三日、放課後の廊下。


篠原が女子生徒二人と話していた。


「結局自分のことしか考えてないよね」


篠原の声だ。


ポケットのスマホで録音ボタンを押した。


「まあ、そういう子もいるわよね」


女子生徒の声。


「でも表面上は優しいから、騙されちゃう人も多いのよ」


篠原の声が、はっきりと録音された。


家に帰って、録音を聞き直した。


何度も再生する。


「桜井さんって、結局自分のことしか考えてないよね」


胸の奥が、ざわついた。


十月二十六日。


クラスメイトに聞いた。


「そういえば、桜井さんの噂って誰から聞いた?」


「んー、誰だっけ。確か...篠原さんが最初に言ってた気がする」


「篠原さんが?」


「うん。生徒会で一緒のとき、『桜井さんって大変そうね』みたいなこと言ってて」


「へえ」


「なんか、同情してるふりして、実は見下してる感じ?」


「分かる気がする」


十月三十日。


クラスの女子の言葉が耳に入った。


「篠原先輩って、桜井さんのこと嫌いなのかな」


「え、なんで?」


「いや、なんとなく。篠原先輩、桜井さんの話するとき、ちょっと冷たい気がして」


「あー、確かに。完璧な人って、美咲ちゃんみたいな天然で人気ある子、苦手そうだよね」


「嫉妬?」


「かもね」


気づけば、

同じ話題が何度も出ていた。


誰かが言ったことが、

別の誰かの口から出てくる。


噂は、

誰が始めたのか分からないまま

形を持ち始めていた。


── 第四章


十一月一日。


担任の先生に相談した。


「先生、文化祭の閉会式で、ちょっと発表したいことがあるんですけど」


「発表? 何を?」


「いじめについてです。実は、クラスで起きてることがあって」


先生は眉をひそめた。


「いじめ? 誰が?」


「それは、当日に。証拠もあります」


「高橋、ふざけてないだろうな」


「本気です」


先生は少し考えて、頷いた。


「分かった。でも、ちゃんとした証拠がないと困るぞ」


「大丈夫です」


十一月二日。


クラスメイトに、さりげなく言った。


「明日の文化祭、ちょっと衝撃的なことが起きるかも」


「え、何?」


「まあ、見てれば分かる」


みんなの好奇心を少しだけ煽った。


十一月三日、朝。


文化祭が始まった。


校舎中に模擬店の匂いが充満している。廊下には装飾が飾られて、音楽が流れている。


美咲は、クラスの模擬店を手伝っていた。


「美咲ちゃん、これお願い」


「うん」


美咲が笑う。


でも、その笑顔は相変わらず、今にも崩れそうなほど繊細だった。


「桜井さん、大丈夫?」


「うん、大丈夫」


嘘だ。


美咲は、ずっと我慢してる。


今日で、終わらせなきゃ。


── 第五章


午後三時。


体育館で閉会式が行われた。


全校生徒が集まっている。千人近い人間が、体育館を埋め尽くしている。


篠原が壇上で挨拶している。


「...皆さんのおかげで、素晴らしい文化祭になりました。ありがとうございました」


拍手。


篠原が壇上から降りようとしたとき、立ち上がった。


心臓が激しく打っている。


手のひらに汗が滲む。


「みんな、聞いてほしい」


ざわめきが起こる。


担任の先生が、小さく頷いた。


「桜井美咲さんが最近、クラスで孤立してるのは知ってると思う」


静まり返る。


美咲が、驚いた顔でこちらを見ている。


「その原因を作ったのは...」


篠原を指差した。


「生徒会長の篠原涼香さんだ」


篠原の顔が強張った。


ざわめきが大きくなる。


「高橋くん、何を...」


「証拠がある」


スマホを取り出して、Bluetoothスピーカーに繋いだ。


『桜井さんって、結局自分のことしか考えてないよね』


篠原の声が体育館に響く。


ざわめきが波のように広がった。


「これは...」


篠原が何か言おうとした。


「これは十月二十三日、篠原さんが廊下で話していた内容です。俺が録音しました」


「違う! それは田中さんのことを...」


「田中さん? でも、録音には『桜井さん』って言ってますよね」


「編集されてる!」


篠原の声が裏返った。


「もし違うなら、言ってください」


篠原は何も言えなかった。


周りの視線が、彼女に集中している。


「篠原さんが桜井さんの悪口を広めてたって、何人もの人が証言してます」


クラスメイトが頷いた。


「確かに、篠原先輩が最初に言ってた」


「私も聞いた」


証言が重なる。


篠原の顔が青ざめた。


「篠原さんは、表向きは完璧な優等生だけど、裏では人を陥れてる」


「違う...」


「そういう人を、俺は許せない」


篠原は立ち尽くしていた。


数秒の沈黙。


そして、篠原は俯いた。


まるで、すべてを認めたみたいに。


──エピローグ


十一月が終わる頃。


篠原は生徒会長を辞めた。


美咲の周りに、また友達が戻ってきた。


「美咲ちゃん、今度カラオケ行こうよ!」


「うん、行く!」


美咲が笑っている。


十二月。


放課後、美咲が声をかけてきた。


「高橋くん、ちょっといい?」


「うん」


夕日が窓から差し込んでいる。オレンジ色の光が、美咲の横顔を照らしている。


「私ね、高橋くんにお礼が言いたくて」


「お礼?」


「高橋くんがいなかったら、私、もう学校来れなかったと思う」


美咲の目が、少し潤んでいる。


「そんなこと...」


「本当だよ。高橋くんだけが、私の味方でいてくれた」


美咲が俺の手を握った。


柔らかい手。少し冷たい。


「これからも、ずっと一緒にいてくれる?」


「もちろん」


美咲の綺麗な笑顔。


硝子細工みたいに、透き通っている。


「高橋くん?」


「ううん、何でもない」


少しだけ安心した。


冬が来た。


雪が降り始めた。


【裏】


──9月12日


桜井美咲さんが生徒会室に来た。


最初、何の用事かと思った。書類を届けに来たのかと。


「篠原先輩、相談があるんですけど...」


彼女は入り口に立ったまま、もじもじしていた。


美咲さんとは、去年の文化祭実行委員で一緒だった。明るくて、誰とでも仲良くなれる子。私にも気さくに話しかけてくれた。


「どうぞ、座って」


お茶を淹れて、向かいの席に座った。


「実は...高橋くんのことなんですけど」


高橋優斗。二年生。特に目立つタイプではない。成績も運動も、普通。


「高橋くんが?」


「最近、すごく...その、距離が近いっていうか」


美咲さんは視線を落とした。


「具体的には?」


「私が誰かと話してると、必ず後から『あの人、大丈夫だった?』って聞いてくるんです。最初は心配してくれてるのかなって思ったんですけど...」


彼女の手が、膝の上で握りしめられている。


「『俺がいれば大丈夫』とか、『俺だけが桜井さんを理解してる』とか...断っても、『桜井さんは優しいから騙されやすい』って」


それは、明らかに異常だった。


「怖いんです。でも、彼は悪い人じゃないって...彼、クラスではいい人で通ってて。私が変なこと言ってるみたいで」


美咲さんの目に涙が浮かんでいた。


「分かった。様子を見させて。美咲さんは、できるだけ彼と二人きりにならないように」


「ありがとうございます」


美咲さんが帰った後、窓の外を見た。


校庭では、まだ部活動をしている生徒たちの声が聞こえる。


高橋優斗。


注意深く見ていく必要がある。


──9月15日


高橋優斗の観察を始めた。


朝、彼は普通に登校している。教室では、誰とでも普通に話す。


ただ、桜井さんに対してだけ、違う。


昼休み。桜井さんが男子生徒と話していた。


高橋は教室の隅、自分の席に座っていた。


でも、視線は桜井さんに向いている。


じっと、見ている。


会話が終わると、高橋は桜井さんに近づいた。


「桜井さん、次の授業の準備手伝おうか?」


桜井さんは少し戸惑った様子で頷いた。


「あ...うん、ありがとう」


高橋が笑う。


優しい笑顔。


でも、その目は笑っていなかった。


放課後も同じ。


桜井さんが女子グループと話していると、高橋は廊下の隅から見ている。


監視。


それ以外の言葉が見つからない。


──9月20日


クラスメイトが生徒会室に来た。二年の女子生徒。


「篠原先輩、ちょっと聞きたいことがあって」


「何?」


「桜井さんと高橋くんって、付き合ってるんですか?」


「さあ、分からないけど」


「高橋くん、桜井さんのこといつも見てるから。心配してあげてるのかなって」


違う。


あれは心配じゃない。


「そうかもしれないわね」


でも、そうは答えた。


まだ、何も確証がない。


── 9月28日


美咲さんから連絡があった。


「篠原先輩、また相談していいですか」


生徒会室で会った。


「高橋くん、最近もっとひどくて...」


美咲さんの目の下に、隈ができていた。


「どうひどいの?」


「私が断ると、『俺のこと、信用してないの?』って悲しそうな顔するんです。それで、私が悪いことしてるみたいで...」


「それは美咲さんが悪いんじゃない」


「でも...」


美咲さんは俯いた。


「クラスのみんなは、高橋くんのこといい人だって言うんです。『桜井さんのこと、すごく心配してるよね』って」


「美咲さんは、どう思う?」


「怖い...です」


小さな声だった。


「でも、それを言ったら、私が冷たい人間みたいで。高橋くんは、ただ心配してくれてるだけなのに、私が拒絶してるみたいで...」


美咲さんは混乱していた。


自分の感情を、信じられなくなっている。


これは、危険な兆候だ。


── 10月3日


最悪のことが起きた。


今日、私が友人と話していたときのこと。


「田中さんって、結局自分のことしか考えてないよね」


クラスに田中という女子生徒がいる。彼女は最近、生徒会の仕事をサボっている。それについて、冗談半分で言った。


友人が笑った。


「まあ、そういう子もいるわよね」


「でも表面上は優しいから、騙されちゃう人も多いのよ」


そのとき、廊下の角に影が見えた。


一瞬だった。


でも、確かに誰かがいた。


嫌な予感がした。


──10月8日


桜井さんを生徒会室に呼んだ。


「美咲さん、高橋くんのこと、先生に相談しようと思うんだけど」


「え...」


桜井さんは戸惑った顔をした。


「でも、そんな大事にしなくても...」


「大事にするべきだと思う。このままじゃ、美咲さんが危ない」


「高橋くんは、悪い人じゃないんです。ただ...」


「ただ?」


「ちょっと、心配性なだけで...私が、もっとちゃんと断れれば...」


美咲さんは、自分を責めている。


「美咲さんは悪くない」


「でも...」


「悪くない」


美咲さんは泣きそうな顔で頷いた。


「分かった。もう少し様子を見る。でも、何かあったらすぐに連絡して」


「はい」


その日の夜。


スマホに匿名メッセージが来た。


『篠原さんが桜井さんをいじめています』


手が震えた。


──10月12日


クラスで噂が広がっていた。


「篠原先輩って、桜井さんのこと嫌いらしいよ」


廊下を歩いていたとき、聞こえた。


「え、そうなの?」


「生徒会長なのに、陰湿だね」


立ち止まった。


振り返ると、二年生の女子生徒たちが、慌てて視線を逸らした。


誰が、こんな噂を...。


答えは分かっていた。


高橋優斗。


── 10月18日


美咲さんが、一人で昼食を食べていた。


廊下から、教室の様子を見た。


クラスメイトは、美咲さんを避けている。


美咲さんは、窓際で文庫本を開いている。


でも、ページはめくられていない。


高橋が、美咲さんの隣に座った。


何か話しかけている。


美咲さんは、小さく頷いている。


まるで、高橋だけが美咲さんの味方、という構図。


計算されている。


すべてが。


── 10月26日


教師に呼ばれた。


「篠原さん、桜井さんのことで相談があるんだけど」


「はい」


「高橋くんから聞いたんだけど、君が桜井さんをいじめてるって本当?」


「え?」


言葉が出なかった。


「これを聞いてほしい」


教師がスマホで音声を再生した。


『桜井さんって、結局自分のことしか考えてないよね』


私の声だ。


でも、これは...。


「先生、これは田中さんのことを話してたんです。桜井さんじゃなくて」


「でも、確かに君の声だよね」


「編集されてるんです!」


「篠原さん、落ち着いて」


教師の目に、疑いの色が浮かんでいた。


「高橋くんは、君が桜井さんに冷たく当たってるのを何度も見たって言ってる」


「それは違います。私は美咲さんを助けようと...」


「美咲さん本人に聞いてみようか」


翌日、美咲さんが教師に呼ばれた。


私も同席した。


「桜井さん、篠原さんから何かされた?」


美咲さんは、私を見た。


その目に、何が映っているのか。


「...いえ」


小さな声だった。


「本当に?」


「はい」


美咲さんは、俯いた。


でも、教師は納得していない様子だった。


「分かった。何かあったら、すぐに言ってね」


「はい」


美咲さんは、そのまま教室に戻った。


私は、生徒会室に戻った。


窓の外を見る。


曇り空。雨が降りそうだった。


── 11月3日


文化祭。


閉会式の挨拶を終えた。


「...皆さんのおかげで、素晴らしい文化祭になりました。ありがとうございました」


拍手が起こる。


壇上から降りようとしたとき、声が聞こえた。


「みんな、聞いてほしい」


高橋が立ち上がっていた。


心臓が止まりそうになった。


「桜井美咲さんが最近、クラスで孤立してるのは知ってると思う。その原因を作ったのは...生徒会長の篠原涼香さんだ」


体育館中の視線が、私に集中した。


千の視線。


槍のように、突き刺さる。


「高橋くん、何を...」


声が震えた。


「証拠がある」


スマホから流れる音声。


『桜井さんって、結局自分のことしか考えてないよね』


編集された、私の声。


「これは違う!」


叫んだ。


「これは十月二十三日、篠原さんが廊下で話していた内容です。俺が録音しました」


「違う! それは田中さんのことを...」


「田中さん? でも、録音には『桜井さん』って言ってますよね」


「編集されてる!」


「もし違うなら、言ってください」


証拠なんて、ない。


「それに、篠原さんが桜井さんの悪口を広めてたって、何人もの人が証言してます」


クラスメイトが頷いた。


「確かに、篠原先輩が最初に言ってた」


「私も聞いた」


嘘だ。


全部、嘘。


でも、誰も信じてくれない。


「篠原さんは、表向きは完璧な優等生だけど、裏では人を陥れてる。そういう人を、俺は許せない」


「違う...」


言葉が、喉に詰まった。


周りの視線。


冷たい。


軽蔑。


嫌悪。


「篠原先輩、最低」


誰かの声。


「完璧ぶってたのに」


別の声。


膝が震えた。


立っているのが、やっとだった。


「篠原さん、何か言うことは?」


何も言えなかった。


何を言っても、無駄だ。


誰も、信じてくれない。


俯いた。


視線から、逃げるように。


── 11月10日


生徒会長を辞めた。


友達も、みんないなくなった。


廊下を歩くと、みんな視線を逸らす。


「あ、篠原さんだ」


「見ちゃダメ」


ひそひそ声が、耳に刺さる。


教室に入ると、会話が止まる。


まるで、私が透明人間になったみたいに。


いや、違う。


透明人間じゃない。


汚物だ。


みんなが避ける、汚物。


── 11月25日


桜井さんが来てくれた。


放課後、誰もいない教室で。


「篠原先輩...」


美咲さんの目が、赤く腫れていた。


「ごめんなさい。私、どうすればよかったんですか」


「美咲さんは悪くない」


「でも...」


美咲さんは震えていた。


「高橋くんは、私を助けてくれたって。みんなもそう言うんです。でも、私...」


美咲さんの声が途切れた。


「私、分からないんです。高橋くんは、本当に私を助けてくれたのか。それとも...」


「美咲さん」


美咲さんを抱きしめた。


「あなたは、何も悪くない。分からなくても、いい」


「でも、これからも高橋くんと...」


「...そうなるかもしれないね」


美咲さんは、私の腕の中で泣いた。


声を殺して。


まるで、泣くことさえ許されないみたいに。


── 12月1日


転校することにした。


両親に話した。


「涼香、あなたは悪くないのよ」


母は泣いた。


「うん、分かってる」


でも、分かってもらえない。


この学校では、もう。


── 12月20日


最後の登校日。


雪が降っていた。


誰にも別れを言わなかった。


下駄箱の前で、振り返った。


廊下の向こうに、高橋と桜井さんがいた。


高橋が桜井さんの肩に手を置いている。


桜井さんは笑っていた。


でも、その笑顔は、あまりに整いすぎていて、

誰に向けて作られているのか分からなかった。


私は、静かに学校を去った。


雪が、制服に降り積もる。


冷たい。


── 6ヶ月後


新しい学校。


誰も私の過去を知らない。


友達もできた。


平穏な日々。


でも、時々夢を見る。


体育館の夢。


千の視線の夢。


高橋優斗の声の夢。


スマホにメールが届いた。


差出人:桜井美咲


件名:(なし)


本文:助けて


既読をつけた。


手が震える。


返信しようとして、何度も文字を消した。


何を書けばいい?


どうすれば、助けられる?


結局、こう返した。


「いつでも、あなたの味方です」


既読がついた。


一分、二分、三分。


返事は来ない。


十分経っても、返事は来なかった。


それから、桜井さんからの連絡は途絶えた。


窓の外を見る。


雪が降っている。


白い雪が、街を覆っていく。


すべてを、白く塗りつぶしていく。


まるで、何もなかったみたいに。


でも、雪の下には、確かに何かがある。


埋もれているだけで。


消えたわけじゃない。


私は、スマホを閉じた。


桜井美咲さん。


あなたは今、どこで笑っているのか。


その笑顔は、本物なのか。


答えは、もう分からない。


ただ、祈ることしかできない。


いつか、あなたが本物の笑顔を取り戻せることを。


雪が降り続ける。


静かに。


容赦なく。

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