6 二人きりでカードゲームやってました
絨毯に置かれたトレイの上には、ハーブを浮かべた玻璃の水差しがあった。
ランダが二つのグラスに中身を注ぎ分けると、柑橘の爽やかな香りが広がる。
「ゆっくり休めただろうか」
「おかげさまで。すっかり寝坊してしまいました」
「心身を癒すためなのだから、寝坊も何も。昼寝もするといい」
ランダの言葉に、エリュアはクッションに腰を落ち着けながら「ふふ」と笑った。
「まるで、静養とか旅行をしに来たみたい」
「そのつもりで、したいことがあれば自由にしてくれ」
「したい……こと」
一瞬、「公務」という言葉が頭をよぎった。
(したいというよりは、しなければ、と思ってしまったわ)
王妃として気を張ってきたエリュアなので、国を飛び出したからといって「もう何も関係ない」という気持ちにはなれない。今回の件がこれで終わりとも思えない。
しかし、ここはトルリアではないのだ。彼女の権限で何を動かそうというのか。
外交でマルディガルに来たわけでもなく、仕事をしたいなどと言ったところで、何の仕事を? という感じである。
(しなければならないことは、ない。したいことも……うーん)
「正直に言って、何をしたらいいのか」
ハーブ水を手に困っていると、ランダは自分の顎を撫でる。
「何も決めずに過ごすのもいいものだが、退屈は人を殺すとも言うしな。そうだな……何か趣味はあるだろうか?」
「趣味ですか? これといって……そうね、読書と、あえて言えばトリテかしら」
トリテはカードゲームの一種だ。
ちょっとした休憩時間に、側近の貴族夫人らと遊ぶことがあった。いい息抜きだったと思う。
ああ、とランダはうなずく。
「トリテなら、マルディガルでも流行している。よければ夕食の後にでもお相手しよう」
「そんな、お忙しい御身なのだから、私に構わないで下さい」
「俺があなたとトリテをしたいんだ。そこそこ腕に覚えがあるし、負けないぞ」
パン! とランダが、自分の筋骨隆々とした上腕部を叩く。
トルリアでそんな仕草を見たことがなかったので、エリュアは内心と驚いてしまったが、嫌だとか恐ろしいなどとは思わなかった。
(優しい人。でも、聞かなくてはならないことが……ある)
エリュアは居住まいを正して、尋ねた。
「ランダ。ちょっとお聞きしてもいいかしら」
「何なりと」
「一つ目は……私がここに到着したこと、トルリアには?」
ランダは首を横に振る。
「まだ知らせていない。一角獣の速さを、トルリアの人々は知らないだろう。普通の馬が到着した頃を見計らって、そうだな……何と知らせようか。無事だと明かすか、生贄として妖しげな祭壇の露と消えたことにするか。あなたはどうしたい?」
「私? ええと」
エリュアが迷っていると、ランダは大きな口でニヤリと笑った。
「もう少し時間はある、考えてみてくれ」
「は、はい。……では、あの、二つ目なのですが」
二つ目の方が聞きにくいが、しかし大事なことだった。
「あなたの命を狙った、暗殺者のことです」
「…………」
ランダは口をつぐむ。
マルディガルに、というかランダの能力に国境騎士団の馬を奪われた後、どのように対応するか、トルリアでは何日も話し合われていた。
そしてエリュアは気づいたのだ。
(もしかしたら、ニキウスはランダ殿の命を奪おうとするのでは!?)
しかし、遅かった。彼女がニキウスを止めようと思った時にはすでに、彼は暗殺者に命を下していたのだ。
(どうしてすぐに思いつかなかったんだろう……! 止められるのは私だけだったのに!)
結局、暗殺は失敗した。
しかし、暗殺者がどうなったのかは誰も知らないままである。
エリュアはランダを怒らせるのを覚悟しながらも、押し出すように言葉を続けた。
「どのように、その……暗殺者を処分なさったのでしょうか。トルリア王家が強いた任務の結末を、私は知らなくてはならないわ」
すると、彼は答えた。
「処刑はしていない。拷問もな」
「! では今は、牢に?」
「うーん、悪いが」
ランダは再び、微笑む。
「詳細は、二、三日、待ってもらえないだろうか」
「えっ?」
「必ず教える。約束するから。俺を信じてほしい」
「あ……はい」
結局、二つの質問は二つとも、解決には至らなかったことになる。
しかしいつの間にか、エリュアの心は少しだけ軽くなっていた。ランダの言葉が嘘ではないと、信じられるからだ。
「わかりました。お待ちします」
昼食後、ランダは公務に戻っていった。
そして夜、約束通り二人は天幕で待ち合わせをした。トリテで遊ぶためだ。
ランタンに照らされた絨毯の上で、カードを広げる。数字やスートはトルリアのものと同じだが、マルディガルらしい、色鮮やかな絵柄だった。
探り探りゲームは始まったが、すぐに二人はルールの違いに気づく。
「あ、そのルール、私知らないわ」
「ふん? これはマルディガル独自のルールだったのか。トルリアではどのように?」
「ええと、切り札の決め方が……」
お互いのローカルルールを教え合って、両方やってみる。
お互いの違いを知り、尊重し、否定しない。
そんな手があったかという気づき、知的な戦いの興奮、勝っても負けても笑顔になる対戦相手。だんだん遠慮がなくなっていく。
いつしか、ランダもエリュアも声を上げて笑っていた。
(ああ、こんなに楽しいのはいつ以来かしら)
エリュアは思う。
幼い頃から、王妃として相応しい女性になるよう育てられてきた。
ニキウスには嫌われていて、夢も希望もない結婚をした。もちろん、いつも気を張っていた。
ランダと過ごす時間は、その緊張をすっかり忘れてしまう。
翌日の夕食後も、二人はトリテで対戦し、公邸には笑い声が響いた。
さらに翌日の朝になって、エリュアの元にメイドが伝言を持ってきた。
ランダが朝食後、公邸執務室に来てほしいという。
執務室の扉をノックすると、ランダが自ら扉を開けて迎え入れてくれた。
「ああ、エリュア。呼び立てて済まない」
「何かあったの?」
「とにかく、中に」
「はい」
中に入ったエリュアは、窓の前に誰かが立っているのに気づいた。
これといって特徴のない顔、栗色の髪の、いかにも町娘という格好をした二十歳前後くらいの人物だ。
エリュアには、見覚えがあった。
「王妃様……!」
小柄で引き締まった身体が、さっと片膝をついて頭を下げた。エリュアは呼びかける。
「『ザクロ』!」
「わ、私を覚えておいでで!?」
ザクロと呼ばれた娘が、驚いて顔を上げる。
「もちろん、覚えているわ。王宮勤めのメイドとして、挨拶に来てくれたじゃない」
「四年も前のことです、それ以来一度も……いえ。王妃様は記憶のお力がずば抜けていらっしゃいましたね」
ザクロ──呼び名で、本名ではない──は、再び頭を下げた。
「申し訳ありません。私が任務に失敗したばかりに!」
彼女こそが、ニキウスがランダ暗殺のために送り込んだ暗殺者なのである。
「謝らないで! 顔を上げて。失敗してよかったのよ、ランダが無事でなかったら戦争は避けられなかったわ」
「しかしその結果、生贄をという話に……私のせいで王妃様がひどい目に遭わされると、絶望しておりました。ご無事でよかった!」
「この場所で王妃と呼ばれると、何だか変ね。名前でいいわ」
そう言って、エリュアはランダを振り返る。
「ランダ、ありがとう。ザクロ、元気そうだわ」
「まあ、色々と尋問はさせてもらったがな」
ランダは頭をかく。
「特に、ニキウス王の今回の行動について、詳しく聞かせてもらった。するとザクロ自身、納得がいっていないというか、王の行動を理解できていない様子だった」
「ザクロは、ニキウスの理不尽な命令にずっと耐えてきた子なんです」
ザクロは、下級貴族の娘だ。
身内に騎士が多く、彼女自身もいずれ王族に仕えることになるからと、護衛の術を学んでいた。加えて、顔にこれといった特徴がなく目立たないことから、ニキウスによって隠密的な仕事を与えられのだ。
彼女は、労働階級に混じったり危険な場所へ行かされたり、いいように使われていた。
「あの王に命令されても、理解できない方が普通だろう」
ランダは同情したが、さすがにザクロは小さくなる。
「私の、ニキウス王への忠誠が揺らいでいるのを、ランダ様に見抜かれてしまいました。……とにかくランダ様は、『エリュア王妃に免じて、トルリア国民をむやみに殺したくはない』とおっしゃられ、処刑どころか労働罰で済ませて下さって」
「私に免じて……?」
ランダは何やら目を逸らし、ザクロが微笑む。
「はい。僭越ながら、ランダ様のお気持ちはすぐにわかりました。私も、ランダ様がトルリアにいらした時、王妃様だけが正式なもてなしをなさったのを見ておりましたので。王妃様のおかげで私は救われたのです」
「ザクロ。その話はもういい」
ごほん、と咳払いをしたランダが、エリュアに向き直る。
「実は、エリュアがマルディガルに到着したのと入れ替わるようにして、ザクロには密かにトルリアへと戻ってもらった。ニキウス王の動向を探ってもらうためだ」
「か、解放なさったの? あなたの命を狙った者を?」
「誰かに様子を見に行かせる必要があったからな。トルリアに詳しい者の方がいい。それに、こちらにはエリュアがいる。人質みたいなものだ。あなたを心配してマルディガルに戻ってくるのでは、と」
(私のこと人質扱いなんて、一度もしてないくせに)
エリュアは笑ってしまった。
「なんて寛大なの、ありがとうランダ!」
「あっ……いや別に……」
また照れるランダである。
「うん、まあ、賭けではあったし、戻ってくるか来ないかで対応も変わる。結果が出てから、エリュアに話そうと思った」
そのため、ランダはエリュアに「二、三日待ってほしい」と言ったのだった。
「にしても、早かったな」
「はい」
ザクロはうなずいた。
「国境付近で、ニキウス王の情報をつかむことができましたので」




