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5 執政公邸で迎える朝

 しばらくして、天幕に食事が運ばれてきた。

 絨毯の上に置かれた大きなトレイに、鳥の丸焼き、野菜、それらを包んで食べるための薄いパン、果物や菓子などが色とりどりに並ぶ。鳥の皮の芳ばしい香りと、果物やソースの甘い香りが混じって、食欲をそそる。


「口に合うかわからないが、好きなものを好きなだけ食べてくれ」

 ランダは自ら、ナイフで肉を切り分け始める。

「ありがとうございます。天幕での食事なんて、初めてだわ」

「俺は、外で食べるのが好きなんだ。見てくれ」

 ランダの視線を追って、エリュアは外を見る。

 すでに日は暮れて、木々の上には星が瞬いていた。そしてそれとは別に、淡く緑に瞬くもの。

「あ……」

 岩を流れ落ちる小さな滝を背景に、光がふわふわと飛んでいた。

「綺麗だわ。あれは」

「ん? ああ、星ゆらしという虫だ」

「……素敵」

「よかった。マルディガルでは川辺でよく見る。ここよりもっと飛び交う場所もあるので、今度案内しよう」

 何でもなさそうにランダは説明したが、エリュアはその時、こっそりと涙ぐんでいた。

(星ゆらしも素敵だけれど。今のこの何気ない会話が素敵だと、私は言ったんです、ランダ)


 食事は食堂で、特に夕食は夫とともにとる習慣だった。

 しかし、何か話しかけるとたいてい、却下したり否定したりする言葉が帰ってくる。そして話が続けられなくなり、黙って食べることになるのだ。

 最近では会話はほとんどなく、向こうから口を開けば嫌味が飛んでくる。貴族たちとの会食の場では無視された。

(同じものを見て、会話しながら一緒に楽しんで。そうできたらどんなにか)


 ドン。

 鳥の足が一本入った皿が、エリュアの前に置かれた。

「さあ、これを……エリュア?」

 ランダは、彼女を見てギョッとする。

「すまない、そうだよな、この形だと恐ろしいか」

「いえ! 大丈夫」

 笑顔を作った拍子に、涙がこぼれ落ちたけれど、エリュアは目元をサッと拭って肉に手を伸ばした。

「いただきます」

 ランダの真似をして片手で食べようとしたものの、うまくいかず、もう片方の手も添えて持ち上げた。彼女の口の大きさで噛みつけそうな場所を探し、ガブッと一口、ほおばる。

 たっぷりの肉汁と香草の香りが、じゅわっと広がった。

「美味しい!」

「よかった。実はマルディガルでは、肉といえばその鳥でな。あとは魚をよく食べる」


 ざっくりとした説明だったが、獣人のいる国の食事情はエリュアも学んで知っていた。

 トルリアにおいて、家畜とそうでない動物がいるように、マルディガルでも区別があるのだ。


 とにかく、そうして「普通に」話ができるのが嬉しく、エリュアは尋ねた。

「ランダ様のことを、お聞きしても? 元々は、公爵ではいらっしゃらなかったのですよね」

「ああ。ご存じの通り、かつてこのあたりにはいくつかの都市国家があり、協力し合っていた。しかし何か決める時に揉めがちで、急を要するような議題もなかなか進まず……成り行きで俺が出しゃばっているうちに、三つの都市国家がまとまることになり、その代表に押し上げられて」

「望まれて執政におなりになったのですね。でも、王ではなく……?」

「ああ。獣人を嫌う者もいる。余計な反発を招かないためだ。まあ箔をつけることも必要だろうと、公爵を名乗ることで落ち着いた」

(すごい。プライドを優先させず、多方面に目を配っていらっしゃる)

 思わず、エリュアはため息をついた。

「素晴らしいわ。トルリアは古い歴史が邪魔をして、王族自身も国民も王家を盲信しているのです。王家こそ至上、王家が言うことは全て正しい、と。私がたしなめなくてはならなかったのに、力不足で……」

「婚約時代から疎まれていたのだろう? そんな状況で、あなたはよく頑張った」

 まっすぐに褒められて、慣れていないエリュアは顔が熱くなるのを感じた。

(ランダ様……)


 死ぬ覚悟で来たのに、身体は芯から温まり、エリュアの緊張がどんどん緩んでいく。

 頭がぼーっとしてきた。

(い、いけない、眠く……)

 すぐに、ランダが気づく。

「緊張のし通しで、お疲れだろう。客室に案内させよう」

 すぐに、メイドらしき女性が呼ばれてきた。草色の、詰襟のワンピースにエプロン姿だ。

 ふわふわしながらエリュアが立ち上がると、ランダも立ち上がって、一緒に天幕を出た。

「では。ゆっくり休んでくれ」

「ありがとう、ございます。また……あの、お話しさせていただければ……」

「もちろんだ。お、俺もあなたと、もっと話したい。明日も、昼食をご一緒できれば」

 ランダの大きな手が、エリュアの左手をすっぽりと握った。

(ただの握手なのに、こんなに手の大きさが違うと、握手じゃないみたいね)

 面白く思いながら、エリュアはそこに、ふわりと右手を載せる。

「嬉しいです。おやすみなさい」


 それから先のエリュアの記憶は朦朧として、あまりよく覚えていない。



 気がつくと、彼女はベッドの中にいた。

 カーテンの向こうは明るく、朝、しかも遅い時分になっているのがわかる。

(今、何時!?)

 がばっ、とエリュアは起き上がった。

(嫌だ、私ったら他国の公邸に泊めていただいてるのに! 気を緩めすぎ!)

 彼女は焦ってベッドから出た。

 すぐそばに呼び鈴の紐があり、そういえば眠る前にメイドに「お目覚めになったらこれでお呼び下さい」と言われたような……と思い出す。


 紐を引くと、やがてノックの音がした。

 メイドが入ってくる。

「王妃様、おはようございます」

「おはよう……あの、エリュアでいいわ」

「エリュア様、何でもお命じ下さい。湯浴み、お召し替え、お食事などは用意してございます」

(そうだわ、ランダ様と昼食をともにする約束をしていた!)

 朝食(もう遅い時間だ)は断り、エリュアは湯浴みをして着替えさせてもらった。


 トルリアでは、薄いシュミーズドレスの上にドレスガウンを着る。ガウンは前を少し開けてベルトを締めるし、袖が割れていて、要するに下のドレスが見える着方をするのだ。

 一方、マルディガルのドレスは、上下に分かれている。上はチュニックで、下はパンツだが、チュニックが膝下まであるしパンツの裾が広いので、何重かに重なったスカートに見える。

 エリュアが借りたドレスは、珊瑚の色。銀色のビーズがたくさん縫い込まれてキラキラしていた。


 昨日、到着した時は午後の遅い時間で、公邸の中はあまり見られなかった。今日はゆっくりと見て歩く。

 白茶色の壁は、このあたりで産出される石だろう。トルリアよりも暖かく雨が少ない気候のためか、建物全体が開放的で、廊下からすぐに外に出られた。

 庭は山の斜面を生かした作りのようで、川の水を引いた小さな滝があり、涼やかな水音を響かせていた。木々や草花は手入れされすぎない野趣を保ち、その影で小さな蝶がひらひらと舞っている。

 蝶だけでなく、よく見ればリスが木の枝を走り、庭の奥では小型の鹿か何かが歩いているのがかいま見えた。

(公邸全体が、まるで動物の保護区みたいね)

 マルディガルは、国全体で動物を保護している。

 肉は食べるし、農作物を荒らされないよう様々な対策はとられているが、乱獲や密漁には厳しい。動物たちが種として存続するよう守っているのだ。


(……城からずっと出ないで暮らしていたせいか、こうして全然雰囲気の違う場所にいると、まるで夢を見てるみたい)

 目が覚めたら、あの城の、つらい記憶しかない寝室なのではないか。

 ぞっとして、エリュアは腕をさすった。


(ランダ様は、私が到着したこと、もうトルリアに知らせたかしら)

 どのように? 生贄になって死んだと? そうなったら、もはや王妃ではなくなるが。

(逆に、生きているとわかったらどうなるの?)


 ぐるぐると考えていた時、背後から声がした。

「エリュア」

 はっ、と振り向く。

 存在感の固まりのような大きな体躯が、歩み寄ってくるところだった。自然と頬が緩む。

「ランダ様」

「あなたも呼び捨ててほしい」

「はい。ランダ」

 ランダに案内され、エリュアは再び天幕に入った。

 彼は何やら、エリュアの姿をチラチラ見ている。

「とても、その、お似合いだ。こちらの服も」

「ありがとう。動きやすいし、染めがとても綺麗だわ。男性の服も素敵……ランダはお身体が大きいから、くっきりした柄が映えますね」

 エリュアが本心から褒めると、

「そ、そうかな」

 ランダはあからさまに照れていた。

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