3 女同士の大喧嘩
なっ、と、貴族一同が口を開ける。その中には、エリュアの父の姿もある。
額に汗をにじませたニキウスが、曖昧な笑みを浮かべた。
「な、何を言ってるんだエリュア! 私たちは愛し合う夫婦じゃないか」
彼の耳は真っ赤だが、エリュアは顔の全てが真っ赤だ。
筆頭貴族の娘だからと、彼女は政略結婚によってニキウスに嫁いだ。けれど彼は、
「お前たち親子は口うるさい。萎える」
とエリュアを疎んでおり、放置していたのだ。
(もしかして今夜こそは、と思うような行為をされて「そんなわけないだろバーカ」と突き放されるイジメも、何度やられたことか。萎えるのはこっちよ!)
エリュアの父は、なかなか身ごもらない彼女を責めた。しかし、閨でそんな仕打ちをされているなどとは、とても言えなかった。
夫との関係が良くなれば産めるかもしれないと、希望も、捨てきれなかった。
(なのにこんな、会議の場で、大勢の前で)
あまりの恥辱に、エリュアは身を震わせる。
(いっそこの場で死んでやろうかしら! ああ、でも私は王妃。国民を守るためにも国の役に立たなくては。……ただし)
その時、エリュアが顔に浮かべた笑みは、壮絶だった。
(道連れに、赤っ恥かいてもらうわよ!)
「あぁそうね、ウリーダ姫に生贄は無理ですものねえ。そもそも条件を満たしていないんだから」
エリュアの言葉に、えっ? と貴族たちがウリーダに視線を移す。
今度はウリーダが顔を真っ赤にする番だ。
「な、な、なんですってえ!?」
「知ってるのよ、あなたが吟遊詩人を連れ込んでることくらい。あ、文官長? 医官の誰かだったかしら? 多すぎて忘れちゃったわぁ」
「はぁー!? 何それ嫉妬? 夫にすら女扱いされないブスな年増とは違うのよ!」
「自分が生贄になりたくないからって義姉を売るあなたは心が腐れブスですがぁ!?」
「うっさいわブタババア、キーキー鳴きくさって!」
「私がブタなら、夜のお相手を食い散らかすあなたは何なんでしょうねぇ⁉」
会議室は、女同士が罵りあう戦場と化した。
間に挟まれたニキウスが、及び腰で両手を上げる。
「やめろ二人とも! エリュア、ちょっとあちらで二人きりで話し合おう!」
「あーらニキウス様、いらしたの。私に手を出してないってウリーダ姫にしゃべりやがっ……お話しになってたんですねぇ」
もはやエリュアは止まらない。
「あれもお話しになりました?『ババアが何を期待してんだ、子なんか生ませたら俺とすげ替えて父親と実権を握るつもりだろ、そうは行くか』って私をベッドから蹴り落としたこと!」
彼女は完璧に、ニキウスの口調を真似てみせる。
貴族たちのざわめきが大きくなった。エリュアの父はワナワナと震えている。
ニキウスはわめいた。
「嘘だ、このバ……王妃は錯乱してる! 全部嘘だからな!」
「おっしゃいましたわね。では潔白を証明するわ!」
エリュアはドレスガウンの裾をひらめかせ、身を翻した。つかつかと出口に向かい、扉を開け放つ。
廊下を走り出すと、背後からニキウスの声が追いかけてきた。
「待てエリュア! おい、王妃を止めろ!」
しかしその間にもエリュアは階段を駆け下り、ホールを突っ切って、外へ飛び出した。
普段、走ったりしないので、息が切れて心臓が爆発しそうだ。
重厚な織りのドレスガウンを脱ぎ捨て、シュミーズドレス姿になると、身体が一気に軽くなった。
心まで軽くなったような気さえする。少女の頃、領地を駆け回っていた頃のように。
広場には、見張りの騎士、見学の者、王宮に向かって祈る信心深い者など多くの人々がいた。彼らは薄いドレス姿のエリュアを見て一斉にざわめく。
彼らが遠巻きに囲んでいた、広場の中央には――伝令の言った通り、一角獣がいた。
真っ白で優美な身体、同じく真っ白なたてがみに虹色の角、金の瞳。
エリュアが立ち止まり、息を整えていると、一角獣は石畳で蹄を鳴らしながらゆっくりとこちらに近づいてきた。
エリュアは、丁寧に礼をする。
「使者のお役目、ご苦労様です。エリュアと申します」
すると、一角獣も前足を片方折り、頭を下げた。空気を震わせるような声がする。
『清き乙女よ。我が盟友、ランダの頼みにより、迎えにきた』
一角獣は彼女の頬に軽く頬をすり寄せるような仕草をしてから、横向きになった。
エリュアが金の鞍にまたがると、広場の人々がどよめく。
乗れるはずがないからだ。
「エリュア様!」
広場を見下ろすバルコニーに、ニキウスが、ウリーダが、そして貴族たちがぎゅうぎゅうになってこちらを見下ろしている。
一角獣の背から、エリュアは彼らに指を突きつけた。
「嘘をついてるのがどちらか、これでわかったでしょ⁉ 私はトルリアのため、この清らかな身で、生贄のお役目を果たして参りますわねっ!」
最後のイヤミだ。
「それでは皆さん、ごきげんよう!」
鞍の上で姿勢を直し、一角獣の耳元でささやく。
「ランダ公のところへ!」
一角獣は、一瞬前足を浮かせてから、走りだした。
(恥ずかしかったし、悔しかったし、怒りに我を忘れてしまった。でも)
エリュアは、思う。
(今、この時から生贄になるまでの短い時間が、私が一番自由で、そして清らかでいられる時間なのだわ!)
その時間は、本当に短いものだった。
一角獣は、ただの馬とは異なる生き物だ。
まさに飛ぶように道を、いや宙をかけ、エリュアをあっという間にランダの元へと送り届けた。
そして今。
都市国家マルディガルの公邸の庭、あずまや代わりに使われている天幕の中で、エリュアはチーンと鼻をかんでいる。
絨毯の上に大きなクッションがいくつも置かれ、エリュアとランダはそれぞれのクッションに座って向かい合っていた。
まずはエリュアの方が、夫との確執を洗いざらいぶちまけたところだ。
今まで誰にも言えなかったので、話し始めたらもう止まらず、閨でされたイジメのことまでしゃべってしまった。
「はぁ。……不愉快な話をお聞かせして、申し訳ありません」
湯をもらって顔を洗い、すっぴんになったエリュアは、まだ目元が赤いもののスッキリした顔をしている。取り繕う必要がないからだ。
「きっと公は、ウリーダ姫が来ると思っておいでだったのでは? なのにこんな、とうのたった生贄で申し訳ないわ」
「エリュア殿」
ランダはドスの聞いた声を響かせた。
彼の眉は吊り上がり、青灰色の瞳はやや濃くなって怒りに歪んでいる。元々逆立ち気味の髪は、ますますたてがみのように逆立った。エリュアはさすがにビクッとした。
「謝らないでくれ、あなたは何も悪くない。あなたほど美しく気高い人はいないというのに!」
ボン! と隣のクッションを殴りつけたランダは、犬歯を獰猛に剥き出した。
「執政となって挨拶に行った時、ニキウス王もウリーダ姫も『獣人ごときが』という態度を隠さなかった。王妃のエリュア殿だけが、正式な礼をして俺と握手してくれたんだ。そんなあなたを王が虐待していたとは」
「ぎゃ、虐待というと、その、ちょっと大げさで」
「尊厳を破壊するのは虐待だ!」
ぐわっ、と大きな口で怒鳴られて、エリュアがコチンと固まる。
はっ、とランダが表情を改め、ごつい手を泳がせた。
「あああ、済まない、つい!」
「……あ……い、いえ」
エリュアは深呼吸した。
「そう、ですね……尊重されない辛さは、身を持って知っております。ランダ公には、トルリアが大変な無礼をし続けてきました。傷つけないとおっしゃいましたが、私の方は覚悟はできております。どうぞトルリアへの見せしめに、公の気の済むようになさって下さい」
「その件だが」
ランダは目をそらし、ごほん、と咳払いをする。
「確かに俺は、来るなら、独身のウリーダ姫が来るものと思っていた」
「でしょうとも」
「だが別に、食ったり拷問したりするために望んだわけではない。丁重に扱うつもりだった。ニキウス王が獣人を蔑んでいるようだったから、なら食うぞ! いいのか! と言いたくなって『生贄』などと言ってしまっただけで……積もり積もったものがつい」
「まあ」
エリュアは長いまつげで瞬く。
「なら私たち……それぞれぶちキレてしまった結果、ここで顔をつきあわせている、というわけですね」
「確かに」
喜んでいいのか悲しんでいいのか、二人は曖昧に微笑みあった。




