13『傾国の』美女にはさせない
ランダが執政公邸に帰り着いたのは、夜中だった。
自室で人の姿になり、着替えてから部屋を出ると、廊下でエリュアが一人、待っていた。白のチュニックドレス姿だ。
「エリュア!」
駆け寄った彼の顔を、エリュアがおずおずと見上げる。
「お帰りなさい、ランダ。あの……」
ランダはサッとエリュアの手を取り、軽く持ち上げて傷を確認した。袖で見えにくいが、きちんと包帯が巻かれている。
「痛みはないか?」
「ええ、ちっとも。……謝りたくて。勝手にいなくなって、ごめんなさい」
「あなたは悪くない。むしろ、俺がバカなことをしたせいで、あなたを失ってしまったかと思った。反省している」
「ランダのせいじゃないわ」
彼を見つめたまま、エリュアは首を横に振る。
「あなたを疎んだからじゃ、ない。それだけはわかってほしい」
「わかった。だから戻ってくれたんだものな。……こちらへ」
そのままランダはエリュアの手を引き、歩き出した。
二階の廊下の突き当たりは、庭を見下ろすバルコニーだった。籐で編まれたソファに、二人は並んで腰を下ろす。
雲一つない夜空に、数多の星々が美しく輝いていた。しかし二人は美しい夜空ではなく、手を取り合って互いを見つめていた。
「もう一度、言わせてくれ」
もう片方の手が伸び、エリュアの両手はランダの両手にすっぽりと収まった。
「あなたが愛しい。これからの生を、ともに過ごしたい。ずっと、そばで」
エリュアは一度、彼の愛の告白を拒絶している。その壁を越えて、彼は再び愛の言葉を届けてきた。
彼の強さ、想いの深さの縁に立ち、エリュアはめまいを覚えた。瞳が潤む。
「王妃でなかったら……私もそうしたいと、答えていたでしょう」
「エリュア」
ランダは嬉しそうに、手を握りなおした。
「あなたが同じ気持ちでいてくれるなら、行動に出られる」
「……行動?」
不安げに、エリュアは声を震わせた。
「まさか、ニキウスの命を……ということではないわよね?」
ランダがそういう性格でないことを、エリュアは知っているけれど、やはり確認せずにはいられない。
ランダはうなずいた。
「もちろんだ。俺は戦争をする気はない。ニキウス王を殺し、王妃を略奪する結果になれば、マルディガルの名誉は失墜する」
諸外国からの誹りも免れないだろう。
「あなたは、俺にとっては女神のような人だけれど……物語に出てくる『傾国の』美女にするわけにはいかない、ということだ」
「ランダ……」
少し困った笑顔を、エリュアは浮かべる。
「でも、そうね。私たち二人とも、自分のことだけを考えて行動したいなんて思っていない。それぞれの国を傾ける危険など、決して侵したくない」
「俺たちがともにあるためには、その前提の上に計画を立てなくてはならない。……これを見てくれ」
ランダは、懐から小さな袋を取り出した。
口を縛ってある紐を解くと、白い光があふれ出す。彼は中から卵大の石を取り出し、エリュアの手のひらに載せた。
「これは?」
「ニキウス王が欲しがっていた、鉱石だ」
「え……一角獣のいる山地で採れる、という?」
エリュアは不思議そうに、石を載せた両手を動かして、バルコニーのあちこちを照らした。
「光るなんて、聞いたことがなかったけれど……これがそうなのね。明るいけれど、熱くないわ。火を焚かなくても、こんなに明るい」
「そう、そこが重要だ」
ランダはうなずく。
「この鉱石は、ある条件下で昼間の光をため込むんだ。ただ、どの程度の光をため込むのか、光の強さは変えられるのか、他のものと組み合わせたらどうなるのかなど、まだまだ謎は多い」
「そんな秘密のある石だったなんて。秘密、なのよね?」
このような石なら、ニキウスどころか他国も欲しがるに違いない。
「今はな。しかし、公開しようと検討しているところだった。ちょうどこの件を、俺たちの計画に組み込める」
「どういうこと?」
「実は今日、一角獣たちとも相談したんだが……」
ランダは声を落とし、エリュアにだけ聞こえるように計画を打ち明けた。
夜の闇に、密やかな囁きが紛れていく。
エリュアは目を見開いた。
「えっ? でも、それ……わ、私が裏切ったらおしまいよ。あの土地はトルリアのものになってしまう」
「俺があなたを疑うとでも? 信じているから申し出たんだ」
ランダは親指で、エリュアの手の甲を愛おしげに撫でた。
「あなたを、心から愛している証明になるだろうか」
エリュアは彼をしばらく見つめていたが、ようやく、花のような笑顔を見せた。
「すごいのね、執政殿の愛の証明は」
「あなたほどの女性を手に入れるに相応しい計画だろう? しかし、あなたの覚悟が問われる計画でもある」
「……ええ」
エリュアは、一度、大きく深呼吸した。
「私も、覚悟を決めます。あなたが、愛しいから。ともに生きたいから」
細い手が、ランダの手を握り返す。
「うまくやりましょう。父に、手紙を書くわ」
「よし。なら、ザクロにも話そう。彼女に伝令を務めてもらう必要がある。もう寝てしまったかな」
「いえ、たぶん私が起きている間は……」
振り向いたエリュアが「ザクロ」と呼ぶと、廊下の柱の影からスッとザクロが現れた。
エリュアが都市国家マルディガルに来てから、季節は夏から秋へと変わろうとしている。
執政の獣公ランダは、一体何を話し合っているのか、最近ずっと上層部と会議を重ねている。しかし時間ができると、街に降りて食事をすることがあった。
これは以前からそうで、一人の時もあれば、フォーシードなどの仕事仲間や友人と楽しんだり、部下をねぎらったりもする。
最近では、エリュアと二人で食事している姿が、たびたび目撃されるようになった。
「店の前で馬車を降りる時、王妃様に手を貸して、それから手をずっと繋いでいたとか」
「護衛も遠ざけて二人っきりだったらしいよ」
「公邸で働いてる知り合いから聞いたんだけど、休憩時間はいつも一緒で楽しそうだって」
「王妃のこと、明らかに愛おしそうに見てるもんな。今まで浮いた話がなかった獣公にもついに……か?」
「でも他国の王妃だろ。既婚者だ」
「いいじゃないか、昨日も教会を訪れた時は一角獣に乗れて……乗ってたっていうから」
「あっ、ふーん。……じゃ、心で惹かれ合ってるんだなあ」
「ニキウス王とは政略結婚だったそうだしね」
「最初からうまくいってなかったんだよきっと」
「もしかして、エリュア様も今になって初めての恋を? わぁ」
「美しい王妃様が、トルリア王の夫よりも、獣公ランダ殿を選んじゃった⁉」
「物語みたい!」
噂はたちまち広まっていく。
トルリア王国の間者によって、その噂はニキウス王の元にも届いた。
今までは、和平のために来たエリュア王妃と、それをもてなす執政ランダ、という形を崩さなかった二人。それが最近は、明らかに雰囲気が変わったと。
まるで恋人同士のようだ、と。
「あいつ……! どこまで私を虚仮にして……!」
ニキウス王は歯ぎしりをする。
獣人を見下している彼にとって、妻が自分よりも獣人を選んだ、などという噂は、あまりにひどい侮辱だった。絶対に看過できない。
しかし不義だと責めようにも、エリュアの純潔は一角獣が証明している。
「くそっ……くそっ」
頭をかきむしりながら、ニキウスはうろうろと歩き回る。
彼が自分の矜持を守るには。
全てをなかったことにし、エリュアの価値を貶めるしかない。
「──あんな女! 最初から妻でも王妃でもない! 結婚は無効だ!」
執務室に、文官が報告に飛び込んできた。
「ニキウス王が、婚姻無効を宣言しました! エリュア様が純潔であることがその証明だ、とのことです!」
つまり離婚ではなく、最初から結婚などしていなかった、という理屈である。
ランダとエリュアはハッと息を呑み、そして顔を見合わせた。
「ついに来たな。エリュア」
「ええ、ランダ」
『結婚そのものをなかったことにする』というごり押しの離縁は、過去に例がなかったわけではない。
エリュアとランダは、ニキウスがそうするようにわざと人前で仲睦まじくし、誘導したのだ。
噂を広めるのには、フォーシードや商人たちも一役買っている。
まるでニキウスの方がエリュアを捨てたかのような形になり、それがニキウスの矜持を守っているわけだが、そんな些末なことでエリュアの矜持は傷つかない。
実際どうなのかは、皆が知っている。
「ここからが本番ね」
エリュアは両手を組み合わせた。次は彼女の実家を救う番だ。
「ザクロ、手はず通りにお願い……!」
「こちらも次の段階に進もう。すでにマルディガル内部の意見はまとまっている」
ランダは執務机の上に、用意していた書類を広げた。
3月22日の夜に、2話同時投稿で完結予定です。




