12 一角獣の試練
靄に包まれた山へと登っていくと、世界は少しずつその姿を変えた。
岩も地面も、白と灰色のまだらだ。あちらこちらに、まるで槍を突き立てたかのようにまっすぐ生える木々もまた、樹皮が白い。
空は霞んで見えず、一面、白と淡い灰色の景色。エリュアが身にまとっているチュニックドレスは、今日はごく淡い薄紅色のものだったが、それでも外から見る者がいれば目立ったかもしれない。
やがて一角獣がたどり着いたのは、岩々に囲まれた清らかな泉だった。
白い世界の中、水だけが恐ろしいほどに青く、澄んでいる。深いところで魚が泳いでいるけれど、エリュアの知っている魚と少し姿が異なっていて、悠久の昔からここにいるのではないかと思わせた。
泉のほとりに、何頭もの一角獣が集まっている。
少し手前で下りたエリュアは、姿勢を正すと、チュニックの長い裾を摘んで丁寧に挨拶をした。
「失礼します。私はエリュア、あなたがたの清らかな住まいにお招き戴いて光栄です」
すると、手前の一角獣がすっと脇によけ、向こう側が見えるようになった。
一頭、うずくまっている一角獣がいる。
「あっ」
エリュアは思わず一歩、足を踏み出し、そして立ち止まって逡巡した。
「あの……近づいても構いませんか?」
『来るがよい』
声が響いたので、急いで駆け寄って膝をつく。
彼女にはひと目で、それが自分をトルリアから連れ出してくれた、あの一角獣だとわかったのだ。
他の一角獣たちの態度から、ここのリーダー格らしい。
「あなたは一角獣の長なのね。私を運んでくださって、ありがとう。あの、どうなさったの? あの時と違うわ……角が虹色の光を失っている」
すると、長は弱々しいながらも、例の奇妙な『ヒヒッ』という笑い声を上げた。
『我々も体調を崩すことくらいはある。しかし今回は少々、困ったことになってな。そなたを呼んだ』
「何でも言ってください。一角獣のこと、ちゃんと学んでおけばよかったわ」
エリュアは後悔して唇を噛んだ。
「このところ、悩むばかりで何も成せていなかった……私はどうすればいい?」
長は、ささやく。
『まず、この霊山の話をしよう。マルディガルの西に位置している』
「トルリア側ね」
エリュアは地図を思い浮かべた。
「山……山地……あっ! もしかしてこのあたりこそが、前にニキウスが欲しがっていた土地では? 貴重な鉱石が採れる、といって」
今いる霊山も、その山地に連なる場所だったのだ。
『その通り。しかし我々にとっては、鉱石よりも貴重なものがある。そこの、洞窟を下ったところにな』
長は、頭をぐるりと後ろに回した。
見ると、近くの岩に裂け目があり、地下へ降りる洞窟になっている。
『下に、薬になる成分を含んだ岩塩があるのだ』
「岩塩鉱山……」
元は海だった場所が陸に閉じこめられ、水分が蒸発して塩が結晶化したものが岩塩だ。
その部分が時とともに、地下に埋まったのだろう。
「では、体調が悪いときは、そこへ塩を舐めにいくのね?」
エリュアが聞くと、長はうなずく。
『そうだ。しかしトルリアとの悶着があり、大勢の騎馬が山地を通った影響が、地下に出た。元々もろかった洞窟が、崩れたのだ。一部がひどく狭くなり、我々の体格では岩塩にたどり着くことができない』
「なんてこと……本当にごめんなさい。私なら通れるかしら?」
すぐに、エリュアは立ち上がった。
「行ってみるわ。岩塩を取ってくる」
──一角獣が公邸にやってきて、エリュアを連れて行った──
その知らせを聞いたランダが、霊山に駆けつけた時には。
すでに夕方で、長の体調は良くなっていた。
「あ……ええと、ランダ?」
泉のほとりで、岩に腰かけて休んでいたエリュアが、驚いた顔で振り向く。
というのも、ランダはオオカミの姿で駆けつけていたからだ。一角獣よりは足が遅いが、人の姿で馬に乗ってくるよりはずっと速い。
ランダは獣姿になると、背中に人が二人ほど乗れる大きさになる。エリュアが初めて見る姿だが、それでも彼女には、豊かな鋼色のたてがみですぐに彼だとわかった。
ランダの方も驚いて、声をかける。
『エリュア! どうした、そんなに汚れて!』
薄紅色のチュニックは裾を中心に灰色になり、手や頬も土で擦ったような跡がついている。
ザッ、と近寄って匂いをかいだ。
『血の匂いがするぞ』
「かすり傷よ。這って潜らないと通れないところがあって、その時に少し」
エリュアが手を広げ、表、裏と返し、たいした怪我がないのを見せる。
『這う⁉ あなたが⁉』
「ええ。岩塩を取りに行きたくて。つまり……」
説明を聞いたランダは、ようやく理解した。そして一角獣たちに歯を剥く。
『俺に言えばいいだろう、なぜいきなりエリュアを連れ去った⁉』
『お前に依頼して作業する者たちを派遣させるより、我々の仲間が小柄な処女を乗せて連れてくる方が速い。彼女は事情を聞いてすぐさま、洞窟に入っていったぞ』
脇に岩塩のかけらを置いた長は、満足そうである。
しかしやはり、ランダは一言言わずにはおれない。
『エリュアはトルリアの王妃だ。客人に慣れない仕事を命じて怪我をさせた!』
というか、洞窟に入ること自体、普通に危険である。
言い募るランダのたてがみを、立ち上がったエリュアがそっと押さえた。
「心配してくれてありがとう、でもいいの。元々はトルリアのせいなのだから、私が行くのが筋です」
すると、長は横目でランダを見た。
『生贄だと聞いてトルリアから運んだのに、執政殿は彼女に何の処分も下さない。我々の住む地を荒そうとした国の者を、だ。我々が執政殿の代わりに処分を下しても、おかしくはあるまい? 試練の一つや二つに、文句を言うな』
(エリュアは、試されたのか)
驚いてエリュアを見ると、彼女も目を丸くしている。
「まあ。こんなことでいいなら、いくらでも試してください」
すると、長は『ヒヒ』と笑った。
『こんなこと、か。ニキウス王やウリーダ姫なら、獣のために地面を這いずったりは決してしなかっただろうよ! いや、愉快、愉快』
ランダは座り、頭を低くした。
『……一角獣たちに、現状の説明をしていなかったな。俺が悪かった』
『ほほう、執政殿が頭を下げた!』
ますます笑う長に、他の一角獣たちまでヒッヒヒッヒ言い出した。
霊山はマルディガルの一部ではあるものの、ここで暮らす一角獣たちは執政に従っているわけではない。
現執政のランダが獣人なのもあって、信頼関係があり、何か頼まれれば互いに手を貸す。しかし、これまでの支配者全員と協力していたわけではないのだ。
『まあよい、今エリュア王妃からどうなっているのか聞いた。山地を奪おうとして荒らしたニキウス王とは違い、エリュア王妃は霊山を大事に思ってくれているようだ。そうだろう?』
長がエリュアを見る。
「もちろんです。……もしニキウスの手にこの土地が渡ったら、鉱石目当てで掘って掘って掘り尽くすわ。一角獣のための岩塩など、守ってはくれないと思う」
エリュアはため息をこぼした。
「王を止められない私がこんなことを言うのは、本当に情けないことですけれどね……」
『起こり得ることだ。だからこそ、我々はそう簡単には支配者に従わぬ』
達観しているのか、長はエリュアを責めることはしない。
「私、支配者ではなく、生贄でもなく、ここに人質として残ったらいいかもしれないわ」
エリュアが苦笑した。
「私がここにいれば、トルリア軍の人々は踏み込むのをためらうと思うから」
『なるほど。一つの手だな』
長は答えたが、二人の話を聞いたランダは、たちまち不安になった。
『エリュア……もしかして、俺が疎ましくて公邸に戻りたくないから、ここに残ろうとしているのか?』
「そ、そんなこと!」
思わず彼のたてがみに手を伸ばしかけたエリュアは、あわてて引っ込めた。
「だって、そばにいたら……私」
『もう強引なことはしない。あなたの問題が解決しない限り、あなたは辛いままだし、俺を見てはくれないだろうから』
「ランダ……」
ランダとエリュアが見つめ合っていると、また長が鼻を鳴らした。
『男女の揉め事をここで繰り広げるでない』
あわてて目を逸らす二人に、長は続ける。
『ここは人間が暮らすには向かぬ。エリュア王妃、帰るべき場所に帰れ。……だが』
長は立ち上がり、エリュアの頭に頬をすり寄せた。
『そなたは我々の友になった。何かあれば力を貸そう』
エリュアは微笑んで、長の首をそっと撫でた。
「ありがとう」
エリュアは先に、別の一角獣に乗って公邸に戻ることになった。それが一番速い。
『戻ってザクロに手当をさせ、疲れをゆっくり癒してくれ』
ランダはそう言って、彼女を送り出した。たちまち姿は見えなくなる。
ふと、そのまま、彼は考え込んだ。
『どうした。執政殿も、仕事を放り出して来ているのだろう? 戻らなくていいのか?』
長に言われ、ランダは彼に向き直る。
『その前に一つ、聞いてもいいだろうか』
『何だ』
『さっきの、エリュアを人質にという話なんだが、もし……』
オオカミ姿の執政と一角獣の長は、しばらくの間、泉のほとりで密談していた。
『……ふん』
長は少し考えてから、金の瞳でまっすぐにランダを見た。
『執政殿とエリュア王妃が我々に誓うのなら、いいだろう。内々ではなく、諸外国に対しても堂々と公表してもらうがな。その時は、私が一角獣たちを説得しよう』
『感謝する。戻って、フォーシードや他の者たちとも相談する』
ランダも大きくうなずいた。




