第9話:雪の夜に寄り添う歌
クリスマスイブの放課後、軽音部の部室は紙の雪片とガーランドで賑やかに飾られていた。
颯太がサンタ帽を斜めにかぶり、律は淡々とケーキを切り分け、岬はBGMのプレイリストを調整する。沙耶先生はトナカイのカチューシャをつけて「メリー!」と両手を広げた。
その輪の外で、夏希はスマホの時刻を何度も確かめる。
(千夏ちゃん、どうしたんだろ……来ないなら連絡くれるはずなのに)
「おいおい赤木、彼女待ち?」と颯太がニヤリ。
「ちがっ……!」夏希は顔を赤くして、窓の外の夕闇を見た。
(待つだけなんて、性に合わない)
十分、二十分。胸のそわそわが限界を超えた。
「先生、ちょっと抜けます! ……すぐ戻ります!」
「え? え? ケーキは?」と沙耶が慌てるのを背に、夏希は部室を飛び出した。
※
町内会館の前は、光の消えかかったツリーと段ボールの山。そこに、青いマフラーの千夏がいた。
「千夏ちゃん!」
「ナッキー……どうしてここに?」
「お迎えに決まってるでしょ!」
千夏は申し訳なさそうに笑った。
「ごめん、母が町内会の手伝いで……片付け、思ったより長引いちゃって」
(私のこと、探しに来てくれたんだ……)
「バカ、ひとりで抱えないの。ほら、持つよ!」
二人で箱を運び、ツリーのオーナメントを外す。冬の空気は冷たいのに、手先は妙に熱い。
(ナッキーのこういうところ、ずるい。まっすぐすぎて、胸があったかくなる)
すべて片づけ終えた頃、会館の扉から千夏の母が顔を出した。
「あら、夏希ちゃん? 手伝ってくれたのね、ありがとう。これ乗って行きなさい。もう暗いから道に気をつけて」
玄関先の自転車を指し示す。
「助かります!」
※
こうして二人はそれぞれ自転車にまたがった。ペダルを踏むたび、冷たい夜風が頬をなでる。街のイルミネーションが、並走する二人の影を長く伸ばした。
「急ごう、ちょっとでも間に合うかも!」
「うん!」
部室に着くと、ちょうど最後のゲームが終わる頃だった。
「おせーぞー!」と颯太。
「でも間に合ったね」岬が笑い、紙コップにジュースを注いで手渡す。
「……ごめんね」千夏が一礼すると、律が肩をすくめた。
「顔出せたなら充分だ」
短い時間でも、笑い声が重なる。だがすぐに解散の時刻が来た。
(それでも、ナッキーと一緒に来られただけで充分)千夏は胸の内でそっとつぶやく。
校門を出ると、海からの風は一段と冷たかった。
「ね、ちょっと寄り道しない?」夏希が自転車を押しながら言う。
「……うん」
二人は並んで歩き、浜辺へ向かった。
波打ち際は、人影も少なく静かだった。街の灯が遠くに滲み、空の色が深く沈む。白いものがひとひら、空から落ちてくる。
「雪……」
「ほんとだ」
肩を寄せると、吐息が白く重なった。波音に合わせて、夏希が小さく鼻歌を始める。それは“夏”を思わせるリズムだった。
(あのBREEZEのステージ、アオノナツ。私たちの夏は、まだ胸の奥で鳴っている)
千夏もそっとハミングを重ねる。別の“夏”の旋律が、優しく絡む。
(ナッキーと過ごすクリスマスが一番嬉しい。ツリーも、ケーキも、プレゼントもいらない。私にとっては、この時間が全部)
夏希は横顔を盗み見て、知らず微笑む。
(千夏ちゃんといるだけで、なんでこんなに心が温かいんだろう。指先は冷たいのに)
雪は次第に数を増やし、二人の髪とコートの肩を点々と白くした。
「歌おうか、ちょっとだけ」
「……うん。秘密のライブ」
声を出すと、空気が澄んで、音が夜に沁みていく。言葉にしないフレーズ、言葉にしたくない気持ち。重なった歌は、まるで二人だけの祈りのようだった。
(もしこの瞬間が永遠だったら)
(もしこの音が、全部伝えてくれるなら)
歌い終えると、波が寄っては返し、静けさが戻る。距離は近づいた。けれど、最後の一歩だけは、言葉にならなかった。
帰り道、再び自転車に跨る。海沿いの道を、雪を切り裂くように走る。信号待ちで足を着くたび、じゃりっと砂の音。
「今日はありがと。間に合ってよかった」夏希が前を見たまま言う。
「私の方こそ…迎えに来てくれて、手伝ってくれて……ありがとう」
横一列に走りながら、視線がふっと重なる。顔が同時に赤くなり、すぐ前を向いた。
(言えない。でも、伝わったよね)
(言わないけれど、わかってるよね)
千夏の家の前でブレーキが鳴る。自転車を返し、玄関先に並ぶ。降り積もるほどではない雪が、路面を薄く濡らして光らせている。
「気をつけて帰って」
「うん。……メリークリスマス、千夏ちゃん」
「うん、メリークリスマス、ナッキー」
短い挨拶に、たくさんの気持ちが詰まっていた。
夏希はカバンを抱え直す。背を向けた瞬間、ふり返る。千夏も同じタイミングでふり返っていて、二人は笑った。
雪の降る夜に、波音の彼方でハーモニーがまだかすかに響いていた。二人の声は言葉にならないまま、確かに同じ方向を向いていた。




