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第9話:雪の夜に寄り添う歌

 クリスマスイブの放課後、軽音部の部室は紙の雪片とガーランドで賑やかに飾られていた。

 颯太がサンタ帽を斜めにかぶり、律は淡々とケーキを切り分け、岬はBGMのプレイリストを調整する。沙耶先生はトナカイのカチューシャをつけて「メリー!」と両手を広げた。


 その輪の外で、夏希はスマホの時刻を何度も確かめる。

(千夏ちゃん、どうしたんだろ……来ないなら連絡くれるはずなのに)


「おいおい赤木、彼女待ち?」と颯太がニヤリ。

「ちがっ……!」夏希は顔を赤くして、窓の外の夕闇を見た。


(待つだけなんて、性に合わない)


 十分、二十分。胸のそわそわが限界を超えた。

「先生、ちょっと抜けます! ……すぐ戻ります!」


「え? え? ケーキは?」と沙耶が慌てるのを背に、夏希は部室を飛び出した。



 町内会館の前は、光の消えかかったツリーと段ボールの山。そこに、青いマフラーの千夏がいた。

「千夏ちゃん!」


「ナッキー……どうしてここに?」


「お迎えに決まってるでしょ!」


 千夏は申し訳なさそうに笑った。

「ごめん、母が町内会の手伝いで……片付け、思ったより長引いちゃって」

(私のこと、探しに来てくれたんだ……)


「バカ、ひとりで抱えないの。ほら、持つよ!」

 二人で箱を運び、ツリーのオーナメントを外す。冬の空気は冷たいのに、手先は妙に熱い。

(ナッキーのこういうところ、ずるい。まっすぐすぎて、胸があったかくなる)


 すべて片づけ終えた頃、会館の扉から千夏の母が顔を出した。


「あら、夏希ちゃん? 手伝ってくれたのね、ありがとう。これ乗って行きなさい。もう暗いから道に気をつけて」


 玄関先の自転車を指し示す。

「助かります!」



 こうして二人はそれぞれ自転車にまたがった。ペダルを踏むたび、冷たい夜風が頬をなでる。街のイルミネーションが、並走する二人の影を長く伸ばした。


「急ごう、ちょっとでも間に合うかも!」


「うん!」


 部室に着くと、ちょうど最後のゲームが終わる頃だった。


「おせーぞー!」と颯太。


「でも間に合ったね」岬が笑い、紙コップにジュースを注いで手渡す。


「……ごめんね」千夏が一礼すると、律が肩をすくめた。

「顔出せたなら充分だ」


 短い時間でも、笑い声が重なる。だがすぐに解散の時刻が来た。

(それでも、ナッキーと一緒に来られただけで充分)千夏は胸の内でそっとつぶやく。


 校門を出ると、海からの風は一段と冷たかった。


「ね、ちょっと寄り道しない?」夏希が自転車を押しながら言う。


「……うん」

 二人は並んで歩き、浜辺へ向かった。


 波打ち際は、人影も少なく静かだった。街の灯が遠くに滲み、空の色が深く沈む。白いものがひとひら、空から落ちてくる。


「雪……」


「ほんとだ」


 肩を寄せると、吐息が白く重なった。波音に合わせて、夏希が小さく鼻歌を始める。それは“夏”を思わせるリズムだった。

(あのBREEZEのステージ、アオノナツ。私たちの夏は、まだ胸の奥で鳴っている)


 千夏もそっとハミングを重ねる。別の“夏”の旋律が、優しく絡む。

(ナッキーと過ごすクリスマスが一番嬉しい。ツリーも、ケーキも、プレゼントもいらない。私にとっては、この時間が全部)


 夏希は横顔を盗み見て、知らず微笑む。

(千夏ちゃんといるだけで、なんでこんなに心が温かいんだろう。指先は冷たいのに)


 雪は次第に数を増やし、二人の髪とコートの肩を点々と白くした。


「歌おうか、ちょっとだけ」


「……うん。秘密のライブ」


 声を出すと、空気が澄んで、音が夜に沁みていく。言葉にしないフレーズ、言葉にしたくない気持ち。重なった歌は、まるで二人だけの祈りのようだった。


(もしこの瞬間が永遠だったら)


(もしこの音が、全部伝えてくれるなら)


 歌い終えると、波が寄っては返し、静けさが戻る。距離は近づいた。けれど、最後の一歩だけは、言葉にならなかった。


 帰り道、再び自転車に跨る。海沿いの道を、雪を切り裂くように走る。信号待ちで足を着くたび、じゃりっと砂の音。


「今日はありがと。間に合ってよかった」夏希が前を見たまま言う。


「私の方こそ…迎えに来てくれて、手伝ってくれて……ありがとう」

 横一列に走りながら、視線がふっと重なる。顔が同時に赤くなり、すぐ前を向いた。


(言えない。でも、伝わったよね)


(言わないけれど、わかってるよね)


 千夏の家の前でブレーキが鳴る。自転車を返し、玄関先に並ぶ。降り積もるほどではない雪が、路面を薄く濡らして光らせている。


「気をつけて帰って」


「うん。……メリークリスマス、千夏ちゃん」


「うん、メリークリスマス、ナッキー」

 短い挨拶に、たくさんの気持ちが詰まっていた。


 夏希はカバンを抱え直す。背を向けた瞬間、ふり返る。千夏も同じタイミングでふり返っていて、二人は笑った。


 雪の降る夜に、波音の彼方でハーモニーがまだかすかに響いていた。二人の声は言葉にならないまま、確かに同じ方向を向いていた。


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