第3話:花火にまぎれる心拍数
八月の夕暮れ、汐ヶ崎の海辺に近い商店街は、夏祭りの人出でごった返していた。提灯の赤と青の光が並んで吊られ、夕焼けに溶けるように揺れている。
待ち合わせ場所に現れた夏希は、真新しい藍色の浴衣に髪を軽くまとめ、緊張した面持ちで辺りを見回していた。
「……あ」
そこに現れた千夏は、水色の浴衣に白い帯。髪には小さな青いリボンを結んでいる。
「ナッキー、待った?」
「ううん、今来たとこ!」
言った瞬間、自分でもベタすぎる返答に笑ってしまう。千夏もつられて微笑んだ。
(浴衣の千夏ちゃん……似合いすぎ。なんか、胸が苦しい)
(ナッキーの浴衣姿、思った以上に……かわいい。それに……やっぱりいい匂い)
人混みに押されるように二人は歩き出した。
金魚すくいやヨーヨー釣りの屋台を冷やかしながら進む。千夏は水風船を釣り上げるのに夢中で、袖をまくった腕が白く灯りに照らされる。
「よっし……取れた!」
「おおー、やるじゃん千夏ちゃん!」
無邪気に喜ぶ姿に夏希の頬は自然に緩む。
だが、ふいに声をかけてきた同級生数人が千夏を取り囲んだ。
「千夏、久しぶり! 最近バスケ部来てないじゃん」
その一言で、千夏の表情がわずかに曇る。
「……ごめん、ちょっとね」
短く答えて視線を逸らす。沈黙が流れた。
気まずさを察した夏希が慌てて話題を変える。
「ほら千夏ちゃん、綿あめ買いに行こ! あそこ、すごい大きいやつ!」
「……うん」
千夏は助けられたように笑い、二人はまた屋台の光へと戻っていった。
(ナッキー……気を遣ってくれたんだ。ありがと)
(千夏ちゃん、やっぱり寂しかったんだろうな。私も部活やめたとき、同じ気持ちだったから)
夜空に最初の大輪が咲いた。ドン、と腹に響く音とともに、赤い光が広がる。続いて青が夜を染める。
「わぁ……」
二人は並んで立ち尽くした。赤と青の光が交互に頬を照らす。
「ねえ、ナッキー」
「ん?」
「このまま、勉強だけして受験して……っていう高校生活で、ほんとにいいのかな」
花火の轟音にかき消されそうな声だった。
夏希は胸の奥を突かれたように息を呑む。
(あたしも思ってた。剣道がなくなって、空っぽになったまま卒業するなんて嫌だ)
「……やり残すのは嫌だよ、ね」
「うん」
顔を向け合うと、光の残滓が互いの瞳に映った。
※
人波が引いた後、公園の片隅で二人は腰を下ろし、露店で買った線香花火を灯した。
「ほら、競争しよ。どっちが長く持つか」
「ふふ、負けないから」
小さな火玉が揺れ、二人の指先を照らす。最初は笑い声が絶えなかったが、やがて静けさに包まれていく。
「大きな花火もきれいだけど……線香花火って、心に残るよね」
「……うん。派手じゃないけど、ずっと見ていたくなる」
火玉が落ちるまで、千夏がぽつりと話し出した。
「ナッキー……私、やっぱり続けたい。軽音部も、音楽も。バスケをやめて、もう居場所なんてないと思ったときに、沙耶先生が声をかけてくれたんだ。ギターなんて触ったこともなかったけど、音を出した瞬間……不思議と、またここから始められる気がしたの。だから、辞めたくないんだ」
夏希は驚いた顔をして、すぐに頷いた。
「……あたしも。同じ気持ち。剣道はもうできないけど、音楽なら、千夏ちゃんとなら続けられる」
二人の視線が重なり、何かを言いかけて、言葉にならなかった。
(千夏ちゃんとなら、きっと始められる)
(ナッキーとなら、やり切れると思う)
最後の火花が散り、闇に溶けた。けれど二人の胸には、確かな光が残っていた。




