第14話:波打ち際の衝突と約束
真夏の日差しが海辺の町を白く照らしていた。
汐ヶ崎高校軽音部の夏合宿。今年は、海辺の民宿を貸し切っての二泊三日。去年は赤と青だけで精一杯だったが、今は違う。春に入った一年生が十二人。部室には収まりきらないほどの賑やかさになっていた。
「十二人って……倍どころか、三倍じゃん!」
浜風に髪を揺らしながら、夏希は驚きの声をあげた。
体育館ほどの広さの練習場には、ずらりと後輩たちが並んでいる。
新入生たちは「動画見てきました!」「文化祭すごかったです!」と口々に言い、目を輝かせていた。
沙耶先生がニコニコしながら両手を叩く。
「はいはい、先輩たち! お手本見せてあげてね。あなたたちのファンなんだから!」
「ファンって……」
千夏が苦笑する横で、夏希は「よっしゃ、任せて!」と胸を張った。
※
基礎練習から始めることになった。
「まずはチューニング。必ず毎回、耳でも確認して」
千夏が真剣な顔で指導する。姿勢も丁寧で、音の出し方一つ一つをチェックする。
一方、夏希はギターを鳴らしながら笑顔で声をかける。
「難しいこと考えなくていいよ! ガーンって鳴らして、音を楽しんで!」
後輩たちは戸惑いながらも頷いたが、徐々に空気に温度差が生まれていった。
練習が終わった休憩中、千夏が小さく息をつく。
「ナッキー、ちょっと……軽すぎないかな。基礎を疎かにすると、必ずあとで壁にぶつかるよ」
「え? でもさ、せっかく軽音部に入ったんだし、まずは楽しんでもらった方が……。部活ってガチにやるだけじゃなくてさ」
夏希の笑顔はまだ明るい。だが千夏の表情は曇っていた。
「楽しさだけじゃ、続けられないこともある」
「え……?」
※
その日の午後、練習が佳境に入ったときだった。
後輩の一人がコードを間違え、場が止まる。千夏がすかさず「ここはCメジャー。もう一度」と冷静に指摘する。
夏希は慌てて「大丈夫! 間違っても勢いでカバーだ!」と声を上げた。
後輩はきょとんとし、空気が張りつめる。
「勢いじゃなくて、正しく弾けるようにしないと」
「でもさ、楽しさがなくなったら音楽じゃない!」
ふたりの声が重なった。
ついに夏希が言ってしまう。
「恋みたいに大事にしなくたって!」
はっとした顔の千夏が、口を震わせる。
「……私にとっては恋より大事なの!」
その言葉は場を切り裂き、後輩たちは息をのんだ。
千夏はギターを置き、練習場を出ていってしまう。
「ちょ、千夏ちゃん!」
呼び止める声もむなしく、背中は振り返らなかった。
結局その日の練習は気まずいまま終わった。夜、夕食後の自由時間。民宿の外に出た夏希は、ギターを抱えて砂浜に腰を下ろす。
※
波の音に混じって、ぽろん、と弦の音が夜気に溶けた。
(なんで、あんなに言い合いになったんだろ……)
胸の奥に重たい後悔が広がる。
一方その頃、少し離れた堤防の上で千夏はひとり鼻歌を口ずさんでいた。自然と出てきたのは「赤と青」の旋律。夏希と一緒に何度も合わせてきたフレーズ。
不思議なことに、その音は波を越えて夏希の耳に届いた。夏希も同じフレーズを弾いていたのだ。
ギターと鼻歌。別々の場所で奏でられた音が、偶然に重なった。
(……やっぱり、合わせたいんだ、千夏ちゃんと)
夏希の胸に熱が戻る。千夏もまた、同じ旋律がぴたりと合った瞬間に微笑んでいた。
砂を蹴って駆け寄った夏希が、息を切らしながら立ち止まる。
「千夏ちゃん……ごめん。あたし、言いすぎた」
「私の方こそ。ちゃんと話せばよかったのに、意地張っちゃった」
二人は一瞬黙り込む。だが、波音が背中を押すように響いた。
夏希が差し出した手が、月明かりに照らされる。
「じゃあ……もう一回、一緒にやろうね」
その言葉は、仲直りの証であり、再び重ねたいという願いだった。
千夏が小さく頷き、そっと手を伸ばす。だが一歩踏み出した瞬間、砂に足を取られた。
「わっ!」
「千夏ちゃんっ!」
夏希が慌てて抱きとめる。そのまま二人は倒れこむように抱き合った。
距離はゼロ。互いの心臓の鼓動が、耳元で重なる。
(……近い。やば、千夏ちゃん近すぎ!)
(ナッキーの腕、温かい……離れたくない)
時間が止まったかのような一瞬。
「ちょ、ちょっと!」
夏希が慌てて体を起こすと、千夏は顔を赤くしながら笑った。
「……ありがとう、ナッキー」
「な、何が!」
お互い照れ隠しの声を出すが、その瞳はまっすぐに向き合っていた。
二人の影が、月明かりの砂浜に寄り添うように映っていた。
「最後まで、続けよう。音楽も……赤と青も」
「うん。最後まで、一緒に」
夜の海に響いた約束は、波に溶けながら未来へと運ばれていった。




