File 2:『悪徳の迷宮!砕かれた誇りと国税の剣』
湯けむりの郷で過ごした騒がしい休暇から、数日後。
俺こと蓮見司は、無機質な蛍光灯が照らし出す、国税庁の一室にいた。
目の前に座る上司――神崎統括官は、感情の読めない目で俺を見つめながら、一枚のファイルをデスクに滑らせる。
「次の仕事よ、蓮見」
ファイルには、人の良さそうな笑顔を浮かべた初老の男の写真。だが、その経歴は黒い噂にまみれている。
「龍崎 剛三。地方都市ニイザを牛耳る、巨大商業ダンジョン『龍巌窟』の経営者。表向きは地域経済を潤す名士として知られているわ」
「ですが、ここ三年の納税額は、その事業規模に全く見合っていませんね」
ファイルに目を通しながら俺が言うと、神崎統括官は静かに頷いた。
「問題は、所属する冒険者の損耗率よ。『龍巌窟』は、出現モンスターの危険度から見ても、せいぜいがC級に分類されるダンジョン。けれど、所属冒険者の負傷・引退率は、国が管理する特A級ダンジョンに匹敵する」
「……異常ですね」
「ええ。龍崎は、冒険者を命の安い、使い捨ての傭兵としか見ていない。安全管理コストを極限まで削り、負傷者が出ても公式な救助要請を出さず、闇で処理している疑いが濃い。そうすれば、本来計上すべき経費も、事故報告も、すべて闇から闇へと消えるから」
ダンジョンで冒険者が死傷することは、残念ながら珍しくない。だが、それはあくまで適切な安全管理の上で起きる、避けがたい事故の場合だ。龍崎のやっていることは、経営のために冒険者を意図的に死地へ追いやる、ただの殺人行為に等しい。
「あなたの仕事は、新人冒険者を装って『龍巌窟』に潜入し、龍崎の金の流れと、彼が冒険者を『経費』としてどう処理しているのか、その実態を掴むこと」
「承知しました」
俺はファイルを閉じ、立ち上がる。ドアへ向かう俺の背中に、神崎統括官の冷たい声が投げかけられた。
「気を付けて、蓮見。龍崎はただの脱税者じゃない。人の命を数字としか見ていない男よ」
俺は、ただ静かに一礼すると、部屋を後にした。
次の戦場は、決まった。
◇
ダンジョン『龍巌窟』が併設された複合商業施設。そのゲート前は平日の昼間だというのに多くの人々でごった返していた。ただし、そのほとんどは俺と同じく剣や槍を背負った、ガラの悪い連中ばかりだ。
ゲートの横には警察官が常駐する検問所が設けられている。ダンジョン内に武器を持ち込むための許可証のチェックだ。俺の持つ初心者用のレンタル装備一式に付属した仮の許可証とは違い、ベテラン冒険者たちの許可証は、分厚いファイルになるほど更新を繰り返している。
「――チッ、毎度毎度、お役所仕事はこれだから、やってらんねえぜ」
ひときわ大きな声が響く。声の主は検問を終えたばかりらしい、大柄な男だった。分厚い胸板に刃の部分を厳重に保護した、身の丈ほどもある両刃斧を背負っている。日本人離れした彫りの深い顔立ち。彼こそが、今回の潜入調査に相応しいパーティー「アイアン・ハーツ」のリーダー、バルガだ。
彼らは冒険者として十分な技量を持ち、危険に慣れている。もし何かあっても各自で判断して逃げることができると踏んでいる。
彼の周りには、二人の仲間が控えている。軽装鎧に身を包んだ素早い動きをしそうな女性、里奈と、周囲を睨みつけながら壁に寄りかかっている斥候風の男、ジョンストン。彼らもまた、歴戦の猛者といった空気を漂わせていた。
「おい、バルガ。ぼやいてないで、さっさと今日の仕事を探すぞ。どうせまた、しょっぱい依頼しか残ってないだろうが」
「分かってるよ。だがな、俺がこの国に来てから随分経つぜ? いつまで俺をテロリストみたいに疑えば気が済むんだ、あいつらは」
流暢な日本語で会話し、毒づくバルガ。その言葉の端々に貧しさから腕一本で成り上がってきた者だけが持つ、独特の棘とプライドが感じられた。
彼らはギルドの依頼ボードを一瞥すると、大きく舌打ちした。
「また鉱石採掘かよ。しかも、四人推奨だ。一人足りねえじゃねえか」
「誰か、頭数合わせで雇うか……」
彼らの視線が、ギルド内にいる他の冒険者たちを品定めするように動く。そして数人の候補を鼻で笑って切り捨てた後、その視線が、いかにも頼りなげに突っ立っている俺の上で止まった。
バルガが、大股でこちらに歩いてくる。俺は、少しだけ怯えたような表情を作って、彼を見上げた。
「おい、そこのメガネ。仕事を探してるのか?」
「あ、は、はい! そうです!」
俺は、わざと少しだけ声を裏返らせて答えた。バルガは、俺の中古の鎧と、安物の剣を値踏みするように一瞥する。
「剣の振り方くらいは知ってんだろうな?……まあ、どうでもいい。俺たちは『アイアン・ハーツ』だ。簡単な依頼で頭数が一人足りなくてな。お前、ついてこい」
「え、本当ですか!?」
「勘違いすんな。お前は荷物持ちだ。俺たちの指示には絶対に従え。報酬は、新人の取り分で文句ねえな?」
断る理由など、あるはずもなかった。
「は、はい! もちろんです! よろしくお願いします!」
俺が深々と頭を下げると、バルガは満足そうに頷き、仲間の元へ戻っていった。
――アイアン・ハーツ。リーダー、バルガ。15年のキャリアを持つベテラン。調査ファイル通りの人物だ。
俺は、野暮ったい丸メガネの位置を直し、彼らの背中を追う。
これで第一関門はクリアと言ったところか。
龍巌窟の内部は、湯けむりの郷とは対極の光景だった。
壁や床はコンクリートで固められ、天井には等間隔に魔力光のパネルが埋め込まれている。通路には「E-4」といったプレートが掲げられ、まるで工場のようだ。ひんやりとした空気には、金属とオイルの匂いが混じっている。
「チンタラするな、メガネ! さっさと歩け!」
先頭を歩くバルガの怒声が飛んでくる。
俺たちはダンジョンの第五階層を、依頼品の鉱石を求めて進んでいた。道中、壁の穴から飛び出してくる野犬クラスのモンスター「トンネルハウンド」の群れに何度か遭遇したが、アイアン・ハーツはそれを文字通り一蹴した。バルガが振るう大斧の一撃が、先頭の数匹をまとめて肉塊に変え、残りは斥候の男が投げるナイフと、女性隊員の放つ魔法の矢で、悲鳴を上げる間もなく駆除される。
その間、俺はもちろん、荷物を抱えて後方で震えているだけの役だ。
「うわっと!」
少し開けた場所に出た途端、俺はわざと足元の岩の突起に躓き、派手に転んでみせた。
「このドジが! 何やってんだ!」
バルガが悪態をつく。俺が転んだ勢いで、手にしたランタンが壁に激突し、カン、と甲高い音を立てた。
「ああ、すみません……」
俺は謝りながら、ランタンを拾いに行く。その際に壁に手を当て……これだ。色味や質感を合わせているものの、そこだけが何度も触れられた形跡がある、壁の一部。偶然を装って押し込めば、静かに低い音を立てながら壁の一部が奥へとスライドし始める。
壁の向こうに現れたのは、カビと血と小便の臭いが混じった、狭く暗い小部屋だった。壁には、錆びついた鉄の枷が取り付けられている。
「……『折檻部屋』か」
ジョンストンが吐き捨てるように呟いた。龍崎に逆らった者や口答えした者を見せしめのために放り込む、懲罰房だ。
アイアン・ハーツの面々は、気まずそうに目を逸らす。見てはいけないものを見てしまった、という空気だ。
バルガは、舌打ちしながら俺の襟首を掴んで引き起こすと、低い声で耳打ちした。
「……おい、メガネ。今見たものは忘れろ。ああいうもんに首を突っ込んでも、ろくなことにならん」
――『折檻部屋』。冒険者を力で支配し、不満分子を秘密裏に処分する。なるほど、これでは誰も文句は言えんわけだ。これで証拠ひとつ目……しかし、臭いも漏れているし、なんともまあお粗末な偽装だな。
そんなことを思いながらも俺は、恐怖に震える新人を演じたままその場を後にした。
しばらく進んだ先、十字路に差し掛かった時だった。
「バルガ、右の通路から声がするぞ」
ジョンストンの報告に、バルガは「面倒な……」と顔をしかめる。俺は、ここぞとばかりに口を挟んだ。
「あの、地図だと右が近道みたいですけど……」
空調やダンジョンの奥から聞こえてくる音に混じって、わずかに争うような声がする。先程の折檻部屋を見た後だ。できれば、被害者を増やしたくない。
「ああ?……まあいい。行くぞ」
バルガが先導し、通路の先で俺たちが目にしたのは龍崎の私兵らしき統一された鎧を着た男たちが、まだ十代にしか見えない新人パーティを恫喝している場面だった。
「この『発光茸』は、龍巌窟の規約により当社が徴収する。いいね?」
「そ、そんな……。僕たちが見つけたのに!」
「口答えか、ガキが!」
私兵の一人が、少年を突き飛ばす。アイアン・ハーツの女性メンバー・里奈が思わず一歩前に出ようとするのを、バルガが腕で制した。
「……行くな。俺たちには関係ねえ」
その声には、いつものような傲慢な響きはなかった。
最悪の雰囲気のまま、俺たちは再び歩き始める。
やがて、小さな横穴の中に野営の跡を見つけた。まだ新しい血痕が付着した包帯と根本から折れた安物の剣が無造作に捨てられている。斥候の男が、地面を調べて呟いた。
「……引きずったような跡が一つ。そのまま奥へ向かってる。救助隊の痕跡はなし……見捨てられたな」
その言葉に、バルガはついに、地面に唾を吐き捨てた。
「……こんなのはダンジョンじゃねえ。ただの鉱山だ」
その声は、低く、怒りに満ちていた。
「俺たちは冒険者だ。鉱夫でも、奴隷でもねえんだよ」
アイアン・ハーツの面々から、やさぐれた傭兵の空気が消えていた。代わりに彼らの瞳を支配するのは、経営者・龍崎への明確な敵意と、自らの誇りを汚された者だけが持つ、鋼のように冷たい怒りだった。
俺はその変化をメガネの奥から静かに分析する。
このダンジョンの異常なまでの『損耗率』の高さ。どうやら、その原因はモンスターではなさそうだ。
依頼の目的地である鉱石層に、俺たちはたどり着いた。
鉄臭い匂いが立ち込めるその場所で、アイアン・ハーツは手際よくツルハシを振るい、ノルマの鉱石を次々と掘り出していく。その仕事ぶりは、やはりプロのものだった。
「――バルガ、こっちだ!」
斥候の男が、壁の一点を指差して叫んだ。壁の亀裂から、淡い魔力の光が漏れ出している。
バルガはニヤリと笑うと、背負っていた大斧を構えた。
「大当たりだぜ、野郎ども! どいてな!」
雄叫びと共に振り下ろされた一撃が、岩盤を粉々に砕く。
壁の向こうに現れた光景に、誰もが息を呑んだ。
天然の晶洞。壁一面に大人の頭ほどもある巨大な魔力結晶が、青白い光を緩やかに明滅させている。これほど高純度の鉱脈は滅多にお目にかかれるものではない。
「は、はは……」
バルガの口から、乾いた笑いが漏れる。
「はははは! 見ろ! これで一生遊んで暮らせるぜ!」
歓喜の声を上げるアイアン・ハーツ。無理もない。これだけの発見は、並の冒険者が生涯かけても手にできないほどの富を意味する。
だが、その歓喜は、無機質な軍靴の音によって無慈悲に踏み砕かれた。
通路の奥から現れたのは、最新式の魔導兵装で身を固めている――龍崎の私兵部隊か。その数は十人以上。
隊長らしき男が、データ端末を一瞥し、冷たく告げた。
「冒険者パーティ『アイアン・ハーツ』だな。入山契約書、第十二条四項に基づき、当該鉱脈の所有権は、すべて『龍巌窟』に帰属する。即刻、採掘物を提出し、この場を立ち去れ」
「な、何言ってやがる!俺たちが見つけたんだぞ!」
バルガが激昂するが、隊長は表情一つ変えない。データ端末に表示された契約書の文面を、ホログラムで投影して見せつける。そこには、素人目には到底理解できないような小さな文字で、彼らに都合のいい条文がびっしりと書き連ねられていた。
「こんなもん詐欺じゃねえか!」
「契約は契約だ。抵抗するなら、契約違反とみなし、実力で排除する」
私兵たちが、一斉に武器を構える。その殺気に、バルガは奥歯をギリ、と鳴らした。…………多勢に無勢。そして、法的には、相手に分がある。
アイアン・ハーツは、血の滲むような思いで、発見したばかりの夢の鉱脈を明け渡すしかなかった。
私兵たちが鉱脈を確保し、去っていく。
後に残されたのは、やり場のない怒りと、冒険者としての誇りを根こそぎ奪われた、深い屈辱感だけだった。
里奈が、悔しさに涙を滲ませる。ジョンストンは何も言わずに壁を殴りつけている。
「……龍崎」
静寂を破ったのはバルガの、怒気を纏った地を這うような低い声だった。
「バルガ、よせ! あいつらとやり合ったって……!」
仲間の制止を、彼は振り払う。そして、踵を返し、ダンジョンのさらに奥――龍崎のオフィスがある最深部へと、一人歩き出した。
「あいつだけはぶん殴らなきゃ気が済まねえ!!」
その背中には、金のためではない、ただ一点、自らの誇りのために戦おうとする男の覚悟が滲んでいた。
残された二人の仲間も、顔を見合わせると、静かに頷き、リーダーの背中を追う。
やれやれ。俺は、野暮ったいメガネの奥で、静かにため息をついた。
緻密な証拠集めを主体とする、俺の静かな調査は、どうやらここでおしまいらしい。
「――だから脳筋は、始末に負えない」
だがその悪態とは裏腹に、金のためではなくただ己の誇りを守るためだけに巨悪へと向かうその不器用で真っ直ぐな怒りを、俺は嫌いにはなれなかった。
仕方ない。彼らの正義の行方を見届けようじゃないか。俺は気高い冒険者達の後を追う。
◇
龍巌窟の最深部に設けられた、悪趣味なほど豪華なオフィス。その扉を、バルガは蹴破るようにして開ける。
部屋の奥。巨大な魔獣の骨で作られた玉座のような椅子に、一人の男が腰掛けていた。
龍崎剛三。年の頃は六十近いだろうか。資料で見た人の良さそうな笑顔はどこにもなく、肉付きのいい顔には、全てを値踏みするような蛇のように冷たい目が光っている。高級そうな仕立ての良いスーツを着こなし、突然の乱入にも、まるで動じていない。ただ、グラスを傾けながら、ゴミでも見るかのような目で、怒りに肩を震わせるバルガを見つめていた。
「龍崎! てめえ、どういうつもりだ!」
バルガの怒声に、龍崎は心底楽しそうに笑う。
「……ああ、君たちか。契約通り、鉱石を回収したと聞いているが。何か不満でも?」
「ふざけるなよ……!」
バルガが怒声を発しかけて、俺の姿に気づいた。その表情が、怒りから焦りへと変わる。
「メガネ! なんでお前まで来やがった! ここはてめえみてえな素人が来る場所じゃねえ、とっとと逃げろ!」
「逃げろ? フン、逃がすわけがないだろう?」
バルガの言葉を、龍崎が嘲笑で遮った。彼がデスクのボタンを押すと、背後の扉が轟音と共に分厚いシャッターで閉ざされる。完全に、袋のネズミだった。
「君たちは、私の『規約』に違反した。全員、ここで処分させてもらう」
龍崎は嘲笑を浮かべながら更にデスク下のボタンを押した。
直後、オフィスの中央の床がスライドし、禍々しい魔法陣が展開される。それは血のような赤黒い光を放ち、まるで空間そのものが悲鳴を上げているかのような、甲高い共振音を発していた。
魔法陣の中心が、墨汁を垂らした水のように淀み、ぐにゃりと歪む。そこから、ぬるり、と巨大な鉤爪を持った腕が一本、突き出された。
「なっ……!?」
バルガたちが息を呑む。突き出された腕が床に突き立てられ、それを支えに、異形の巨体が、まるで地獄の底から這い出てくるかのようにその姿を現した。
身の丈三メートルを超える屈強な巨人、オーガ。
……間違いない。特A級災害指定モンスターだ。なぜ、こんなものが国の管理下にない民間ダンジョンに……? いや、龍崎がその存在そのものを隠蔽していたのか。これ一体の存在が、このダンジョンの等級と奴の罪状を根底から覆す、決定的な証拠だ。
歴戦の勇士であるアイアン・ハーツの面々も、その絶望的な威圧感を肌で感じ取り、息を呑む。ただ強いだけではない。冒険者としての本能が、全力で警鐘を鳴らしていた。
バルガはオーガと恐怖に竦み上がった(ように見える)俺の姿を交互に見やった。そして決意を固めたように、顔を上げる。
「龍崎! ひとつだけ条件を呑め!」
「……何かね?」
龍崎が、楽しそうに聞き返す。
「こいつは関係ねえ! 俺たちが無理やり連れてきた、ただの荷物持ちだ! 戦い方なんざ知りもしねえ、ただの素人だ! もし、万が一……俺たちがそいつを倒せたら、こいつだけは見逃せ!」
その言葉は、バルガが持つ冒険者としての、最後の誇りの叫びだった。
龍崎は、サディスティックな笑みを浮かべて答える。
「……いいだろう。もし君たちが、私の可愛いペットに勝てたら、そのメガネくんの解放を『考えて』やろう。もっとも、君たちにそんな真似ができるとは到底思えんがね」
「野郎ども、聞いたな!」
バルガが、仲間たちに向かって吼える。
「絶対に勝つぞ!このでくの坊を、生きてここから出しやがる!」
そして、俺に向き直り、鋭く命じた。
「メガネ! お前は壁際にへばりついてろ! 絶対に動くんじゃねえぞ!」
リーダーの覚悟に応え、アイアン・ハーツの面々も武器を構える。彼らの戦う理由は、もはや金のためでも、自分たちの命のためだけでもなかった。ただ一人、巻き込んでしまった素人を守るため。その一点に、彼らの誇りは集約されていた。
雄叫びと共に駆け出したアイアン・ハーツの奮闘は、しかし、絶望的な戦力差の前にあまりに無力だった。
魔法は装甲版に弾かれ、刃は肉厚な皮膚に届かない。バルガの誇りであった大斧は砕け散り、パーティはボロボロになって床に転がっていた。血の匂いと、魔力光の明滅が、オフィスを満たしている。
勝利を確信した改造オーガは、部屋の隅で唯一人、静かに立ち尽くす俺へとその巨体を向けた。
「やめろぉぉぉっ!」
床に膝をついたバルガが、悲痛な叫びを上げる。
地響きを立てて、巨大な鉄の棍棒が俺の頭上へと振り下ろされた。風を切り裂く轟音。
だが。
その一撃が、俺の頭を砕くことはなかった。
ゴッ、という肉を打つにはあまりに硬質な音。振り下ろされた棍棒は、俺が突き出した片腕によって、ぴたりと静止していた。衝撃波が走り、龍崎のデスクに置かれたグラスが甲高い音を立てて砕け散る。
「グ……ォ……?」
オーガが、理解不能といったように動揺の声を漏らす。俺はその棍棒を、まるで子供の玩具でも払いのけるかのように軽々と押し返した。巨体が、たたらを踏んで後ずさる。
だが、それよりも狼狽えたのは龍崎、そしてバルガたちだった。
「貴様……一体、何者だ……!?」
龍崎の震える声に答える代わりに、俺はゆっくりとずり落ちていた丸メガネを外し、懐にしまう。そして、無造作にかかっていた前髪を片手で一気にかき上げ、寸分の乱れもないオールバックにした。頼りない素人の冒険者は、ここまでだ。
ゆっくりと、内ポケットから黒革の手帳を静かに取り出す。
オフィスを照らす魔導照明の光が、手帳の表紙に刻まれた一つの紋章に降り注いだ。
国家の徴税権という絶対的な力を象徴する、金色の菊花紋章。
その紋章だけが、この欲望に満ちた空間で何者にも汚されぬ厳かな輝きを放ち、悪を断罪する。
「国税庁ダンジョン課税 特別捜査官、蓮見司。龍崎剛三、貴殿を法人税法違反、及び冒険者安全管理義務違反の容疑で逮捕する」
「ふ、ふざけるな! 国税だと!? くそがっ! 死んでしまえば証拠など何も残らん! やれ! そいつを殺せ!」
正体を現した俺に、龍崎は逆上し、オーガに最後の命令を下す。主の命を受け、オーガが雄叫びを上げて突進してくる。
俺はオーガの突進の勢いをいなしながら、その巨体の下へ滑り込む。オーガは巨体ではあるが単純な人型モンスター。弱点は人と大差ない。全身を力ませ、一気に開放する。オーガの鳩尾に寸分の狂いもない掌底を叩き込んだ。
ゴッ、と骨ごと軋む鈍い音。巨体が信じられない角度に折れ曲がり、俺は返す刀でその腹部に強烈な蹴りを叩き込んだ。
轟音。
オーガの巨体は巨大な砲弾のようにオフィスを横切り、龍崎の豪華なデスクを粉砕しながら彼のすぐ隣の壁に激突して沈黙した。分厚い壁に、巨大な亀裂が走る。
「あ……あぁ……」
言葉を失い、膝から崩れ落ちる龍崎。
それと同時に、固く閉ざされていたシャッターが、解錠音と共に静かに上がっていく。予め呼んでいた、国税庁の査察官たちだ。黒いスーツに身を包んだ彼らが、一切の物音を立てずに室内へなだれ込んでくる。
「統括官、対象の身柄を確保!」
「オフィス内の全職員、及び私兵部隊の制圧、完了しました!」
部下からの報告が、静かなオフィスに響く。
俺は放心状態の龍崎を見下ろし、冷たく告げた。
「龍崎、その罪、簡単に償えると思うな」
だが、龍崎はもはや何も聞こえていないようだった。自ら手錠に腕を差し出して連れられていくが、その姿は俺という理解不能な恐怖に突き動かされて逃げ出しているように映った。
部下たちが室内の証拠品の押収作業を始める。その喧騒の中、ボロボロの身体を引きずりながらバルガが俺の元へと歩み寄ってきた。
彼は俺の目の前で立ち止まると、何か言葉を探すように何度か口を開閉を繰り返したが、やがて絞り出すように言った。
「……あんたは、なんで……。俺たちみてえな、ただの素人を守るために、あんな無茶を……」
その問いに、俺は静かに首を横に振る。
「勘違いするな」
俺は、床に転がった、砕けた斧の残骸を一瞥してから、バルガの目を見据えた。
「君は、自分のパーティのメンバーを、そして俺という素人を守ろうとした。リーダーとして、プロの冒険者として当然の判断だ。俺も同じだ。自身の管轄内で発生した、民間人を巻き込む現行犯。それを制圧し、被害者を保護する。……ただ、プロフェッショナルとして、自分の仕事をしたにすぎない」
その言葉に、バルガは息を呑み、何も言えなくなった。
俺は彼に背を向けると、「仕事に戻る。君たちも、早く治療を受けろ」とだけ告げた。
◇
数日後。龍巌窟は一時的に閉鎖され、国税庁の管理下に置かれた。
冒険者で賑わう酒場はその話題で持ちきりだった。曰く、龍崎は巨悪な脱税だけでなく、違法なモンスターを隠していたらしい。曰く、それをたった一人で断罪した国税庁の査察官は、鬼神のような男だったらしい、と。
俺はそんな噂話が飛び交う酒場――アカバネにある『武勇伝』のカウンターの隅で塩辛を肴に、ひとり静かに日本酒のグラスを傾けていた。もちろん、野暮ったい丸メガネをかけた、ただの青年の姿で。
やがて包帯姿の痛々しいアイアン・ハーツの面々が、カウンターに座る俺の元へとやってきた。
「よお」
バルガが、少しだけ気まずそうに声をかけてくる。俺が顔を上げると、彼は仲間たちと顔を見合わせ、やがて意を決したように、俺の前で深々と頭を下げた。
「……悪かった。あんたのこと、ただの荷物持ちだと見下して……俺たちは、何も見えていなかった」
俺は何も言わず、ただ彼らの顔を交互に見る。
バルガは、ゆっくりと顔を上げると、自嘲するように話し始めた。
「俺は15年前、この国に流れ着いた。言葉も知らず、持ってるもんなんて、この身体だけだった。冒険者ってのは、そんな俺でも成り上がれる唯一の道だったんだ。だから信じてた。強さが全てだ、と。弱い奴は強い奴に食われる。それが当たり前だと思ってた。……結局、俺も龍崎と同じだったんだ」
彼の瞳には、これまでの傲慢さとは違う、深い悔恨の色が浮かんでいた。
「だが、あんたは違った。あんたは、俺たちよりも、あのオーガよりも、誰よりも強かった。なのに、あんたは、俺みてえな素人を守るために、その力を使った。……あれが、本当の『誇り』ってやつなんだな。思い出させてくれて、感謝する」
「俺は、職務を果たしただけだ」
俺は、静かに答えた。
「だが、誇りを守るために戦う君たちの姿は、見事だった」
その言葉に、バルガは少しだけ驚いたように目を見開いた後、ふっと笑みを漏らした。それは、彼がこれまで見せたことのない、憑き物の落ちたような、晴れやかな笑顔だった。
「……もし、またあんたの『仕事』で、俺たちみてえなゴロツキの力が必要になったら、いつでも声をかけてくれ。今度は、あんたの剣として戦ってやる」
差し出された、傷だらけの大きな手。俺は、その手を黙って握り返した。
彼らに別れを告げ、居酒屋を出る。
ネオンが煌めく雑踏に足を踏み出した瞬間、ポケットのスマートフォンが短く震えた。画面には、神崎統括官からの簡潔なメッセージ。
『次の資料を送る。準備しておけ』
俺はメッセージを一瞥すると、スマートフォンをポケットにしまい、丸メガネの位置をクイ、と直す。そして、何事もなかったかのように、雑踏の中へと溶け込んでいった。
一つの悪を断罪しても、不正は形を変えて息を潜めるだろう。――その限り、俺の戦いに終わりはない。
(第二話 了)




