宿屋
オークの討伐後、荘園の跡地を宿屋に改修するべく、私たちは冒険者ギルドの職員は早速準備を開始した。宿屋といっても、まずはオオカミや魔物に襲われず、雨風を防ぐことのできる最低限の設備を提供する予定だ。
荘園は、塀や石垣で囲まれているため防衛には適している。また、荘園の使用人が寝泊まりしていたであろう建物や厩、貯蔵庫、調理場、倉庫などは比較的保存状態がいいため、宿屋としての営業は早く開始できるだろう。
使用人が使っていたと思われる建物にはたくさんの部屋があるため、客室に改装することになった。比較的大きな部屋には、複数のベッドを並べた大部屋もつくる方針となった。
もちろん客室といっても、ベッドとマットレスを備えつけるだけの簡単な設備にする方針だ。厩と倉庫はかつての用途のまま使用することになった。商人が馬を休ませ、積み荷を保管する場所として貸し出す予定だ。
ルチアーノさんは、ピラソンの大工組合で雇った大工たちに方針を伝え、彼らの作業を見守っている。アンナさんは、楽しそうに故郷の歌を歌いながら宿屋に必要なシーツ、カーテン、枕カバーなどを縫っている。私は華奢で力仕事はできないので、アンナさんを手伝うことにした。
歌いながらシーツを縫うアンナさんを見ていると、彼女から聞いた暗い過去や燃える復讐心、剣の使い手であることなどすべて別の人の話だったように思えてくる。心地よい陽気の元、歌を歌いながら縫物をする女性と、仇討ちを志す剣の名手が同一人物であることがいまだに信じられない気持ちだ。
アンナさんの歌は、西方の国々で使われる言語の歌なので、私には半分くらいしか意味が理解できなかったが、とても美しいメロディーで、初めて聞く歌であるのになぜか懐かしさを感じた。私の母もよく歌を歌っていたことをふと思い出した。
エルフの国に未練はないつもりだし、人間の国についてから故郷を想ったなかったが、アンナさんの歌を聴いていると、なぜか故郷や実家のことを思い出した。エルフの国では友人も、信頼できる人も、私のことを頼ってくれる人も誰一人いなかった。
そんな思いにふけりながら縫物をしていると、私たちのもとにルチアーノさんがやってきてきた。「せっかく土地もあるんだし、農作物の栽培にも着手したいな。ブドウ畑を作ってワインを作るのはどうだろうか?酒場も作ってそこで売れるといいんじゃないか。」ルチアーノさんは、大工の仕事を手伝っているようで、服や顔に泥やすす、おがくずがついている。
「そうね、将来的には、寝泊まりする場所の提供だけでなく、旅に必要な物品や食料の販売、飲食店の併設も視野に入れたいわね。特に酒は利益が多いわ。
街道警護の依頼を受けた冒険者パーティーにこの宿屋を使うように案内してくれないかしら。」アンナさんもいつもよりリラックスしているように見える。
「私の筆記魔法で、ピラソン周辺の地図を作って商人に販売するのはどうだろうか。」
「それもいいな。地図が必要な商人はたくさんいるだろう。売れる物はなんでも売って、ギルドの利益を増やしていきたいな。」ルチアーノさんも私の提案にのってくれた。
宿屋が無事開業したら、ギルドの収支も改善するだろう。人が集まれば情報も集まる。宿屋の成功は、アンナさんの仇討ちの成功にもつながるはずだ。何よりアンナさんやルチアーノさんと色々アイデアを出し合い、一緒に仕事をするのが楽しい。
今の私は冒険者ギルドの職員として働いており、もちろん利害関係とはいえ、人とのつながりがある。かつて一人で屋敷の書庫に籠って本を読み漁っていた私に、将来、私は冒険者ギルドで楽しく働いているといっても絶対に信じないだろう。