紙呪〜shisyu〜 その9
*** はなちるさと・大波 武 ***
「音の怪異が続いたからではなく、裏切られたと思って泣いているのかもしれません」
そう言った香奈に3人が注目し、それに気づいた当人は説明する必要を感じて口を開く。
「香木をくれた女性は、会社の中で佐間さんと一番仲の良い人なんです。ランチもいつも一緒ですし、会社の外でも遊ぶほど仲が良いように見えていました。だから私と違って、意外だったんです」
香奈からの同情の眼差しが、顔を伏せて泣いている佐間に向かう。
「もしかしてその人、香木が呪いの道具って知らないんじゃないっすか?」
「え?」
泣いていた佐間の震えがピタッと止まり、香奈、若月が武に目を向けた。
礼だけは、納得したように頷いている。
「知らないって、どういう事ですか?」
佐間が顔を上げ、武に目を向けて質問した。
「香奈さんだってその香木見て、怨霊憑きって気がつかなかったんすよね?それじゃあ、それくれた子だって、見えてない可能性あるっすよね」
「確かに……」
香奈はそう呟くが、佐間は武に向かって口を開く。
「ほんとに?ほんとにそう思う?見えていて、ワザとそれを勧めた可能性もあるでしょう?彼女、霊感あるんです。人に見えないものを見る力があるので、知らないはずありません」
必死な顔で言われた武は、うーんと唸ってから答えた。
「朧や傀が見えるからって、怨霊が見えるとは限らないっすよ。それにその人、自分の目的のためなら、他人を犠牲にしても平気って人っすか?」
武の言葉に礼が反応した。
「誰かのために、他人を犠牲にできる奴もいるぞ」
それには若月が口を挟む。
「背後に誰かいる、と考えてるのね」
「すでに怪しいヤツがいるだろ」
「ま、この流れじゃ海秋って男になるわよね」
礼は頷き、香奈に顔を向けた。
「香奈に物部を紹介したのも、同じ男だろ?」
香奈はゆっくり頷いた。
「古杣の女と繋がっているかどうか、知ってるか。できてる、とか」
「彼女はいないと言っていました。付き合っていて、隠しているとは考えにくいですし、少なくとも私は知りません。佐間さんも、知らないと思います」
いつの間にか泣き止んでいた佐間は、頷いてから辿々しく言った。
「彼……モテるから。一方的に好かれてる……可能性もあるわ。あの子、私が好きな事知っててよくまとわりついてるし」
「そう、なんだ」
香奈は思い出すように目線を上げながら、少し首を傾げる。どうやら香奈はその現場を見た事はないらしい。
「まぁ、同じ会社なんだし、繋がりがあっても不思議じゃないわね。石はこちらで預かるとして、古杣は……武、行ってみる?香奈ちゃんがいれば、彼女も安心でしょう?」
「え!俺だけっすか」
「自信ない?」
「い、いえ!ぜひ行かせてください!!」
満足げに頷いた若月は、香奈の家で古杣を封印した布を取り出し、それを武に渡した。
「それで包めば大丈夫よ。強い怨霊じゃないし、木から離れられないタイプだから」
「分かったっす!」
「何かあったら連絡ちょうだい」
武は神妙に頷いて、若月から布を受け取る。
「それじゃ、頼んだわよ」
若月は武にそう言うと、今度は香奈に顔を向ける。
「武を頼める?」
「あ、はい。たいしてお役に立ちませんけど……」
自信なさそうな顔の香奈に、礼から意外な言葉が飛ぶ。
「いや、武ほどじゃないが、お前も能力あるよ。気がついてないだけで、小さい頃から片鱗はあっただろ。その気になれば見えるだろうから、異変があれば自分の身くらい守れるはずだ」
「わ、私が?」
「そうだ。だから物部の遠縁ってのも、紙呪がなくても信じただろうな」
驚いた顔を礼に向けた香奈。
「自覚する。まずそれからだな」
「あら、香奈ちゃん、そうなの?」
若月が礼に確認する。
「あの女医さんくらいは、輝きがある」
「小池先生?まぁ、それならいい戦力になりそうね」
武が首を傾げて言う。
「小池先生ってこの近所のクリニックの?」
「そうよ。協力してもらっているの」
看板くらいは、武も見かけた事があった。すぐそこの内科クリニックだ。
「医者じゃないんすか?」
「ちゃんとした医師だけど、ここの関係者でもあるのよ。ま、外部依頼だから、扱いは礼と同じね」
外部依頼、と呟いたのは香奈だった。
「香奈ちゃんはお仕事あるから、副業って形でどう?週末だけでもいいし、月に1回とか2回の請負制でもいいわね」
「若月がいい先生になるだろ。副業の合間に、力の使い方を教えてもらうといい。あの程度の怨霊なら、取り憑かれないようになる」
思いがけない話の展開に、驚いた顔の香奈。
「えっと……自覚して、まず請負……あ、でも佐間さんの問題が先で……」
香奈は自分の思考が追いついておらず、少し混乱しているようだった。
「ま、その事はこれが解決してからよ。落ち着いたらゆっくり考えて」
香奈は若月の声で我に帰り、考えを先延ばしにしたようだ。
「それじゃ、武。頼んだわよ」
「はいっす!」
元気に返事した武は、香奈と佐間を伴って出発した。
*** はなちるさと・若月 ***
2人だけ残った店内で、若月と礼が目を合わせる。
「武、大丈夫かしら」
「古杣程度なら大丈夫だろ。紙呪もびっくり若月”古杣封印”グッズもある事だし」
抑揚のない言い方をした礼に、若月は少し嫌そうな顔で答える。
「真顔で変なネーミングつけないで。あたしが心配しているのは、香奈ちゃんの同僚に変な事しないかって方よ」
「佐間って女か」
礼は少し考えたが、首を横に振って若月に言う。
「ないだろうな。あの女も少し能力有りだから、武がもう少し頼りになれば、能力を察知して惹かれる可能性はあるが、現状じゃ難しいだろうな。それ以前に、相手がその気でもあいつに度胸がない。期待はしてるだろうが、行動できないようじゃ無理だな」
「ばっさりね」
若月はそう言ってから、首を傾げながら礼に確認する。
「佐間さんはどれくらいの能力なの?」
「見えるくらいだろうな。でも勧誘はお勧めしない」
「どうして?見えるだけでも欲しいじゃない。神宝みたいに人海戦術使えないんだから」
「まあな……なんとなくだ。面倒そうじゃん、あいつ」
ずっと泣いていたからだろうか。礼は本当に嫌そうな顔をしていた。
能力を見極める力に関しては、礼に全幅の信頼を寄せている若月。
その礼が勧めないのなら、あえて声をかけなくても良いかと考えた。
「それに武の興味は、香奈のほうだろう。そっちの勧誘は成功しそうだし、良いんじゃないか」
勧誘の有無から一気に昨夜の記憶まで巻き戻って、考えるより先に口から言葉が溢れる。
「そっちの方が問題じゃない!」
若月の悲痛な声と大きな溜め息。昨日、何があったかなど、無粋な事は聞いていない。礼の態度からは何も推察する事はできないが、武の興味が香奈にあると冷静に見ているのなら、何もなかったのだろうか。
それとも、体を重ねても心は動かないのか。
「どう問題なんだ?」
本当に分からないと言ったような顔で問う礼に、若月はどこまで聞いて良いのか考えながら口を開く。
「良い戦力なんでしょう?」
「戦力と言っても、まだ、本人の心が決まってないだろ」
「もしかして、礼が直接育てたかった?」
「は?なんでそんな面倒ごと抱え込まなきゃならないんだ」
本当に面倒そうに言う顔が若月に向かう。
教育に興味がない事は分かっていた。彼女も例外ではなさそうだ。
『情熱的に人を愛し、愛されてほしい』
若月の記憶を掠める声。その声の望みはまだ叶いそうにないと思いながらも、一縷の望みをかけて聞いた。
「気になるとか、好きになりそうとか、彼女にしたいとか、色々あるでしょう?」
「ないな」
「……ばっさりね」
望みが叶わないどころか、これは少々面倒かも、と若月は思った。
何かあったとして、香奈も納得の上だろうが、従業員候補となると対応が複雑だ。今後も顔を突き合わせるのだから、こちらも気を使わねばならない。
そう考え、1人げんなりする若月だった。