紙呪〜shisyu〜 その8
*** はなちるさと・大波 武 ***
玄関先で出迎えた武と若月。
香奈は背後に、もう1人女性を連れていた。
柔らかい雰囲気の香奈と対照的な人物だった。目鼻立ちのしっかりした、仕事の出来そうな美人といった印象か。ピタッとした、体の線がよくわかる服を着ており、武は密かに鼻の下を伸ばした。
「昨日はお世話になりました。あの、今日は私ではなく、この子が相談したいって……」
香奈は店の奥をちらりと見た。礼を探しているのだろうか。
「とにかく入って。あ、スリッパでお願いね」
礼は3人で囲っていたテーブルを離れて壁際に移動し、武は3方向にあった椅子を奥に2つ並べて置くと、礼の横に移動した。
「あ……」
何かに気づいた武が小さく声を上げ、礼に耳打ちした。
「昨日、礼さんの後ろでうどん食べてた、話を聞いてた方の人っす」
武の言葉に頷いた礼は、腕を組みながら香奈に顔を向けた。
「呪いを連れてきたな」
恐ろしく端正な顔で静かに言う礼に、武は少し肩を竦める。
香奈は連れてきた女の肩を、そっと支える様に手を添えて礼を見る。
「やっぱりそうですか」
そう言うと女の肩を励ますように撫で、椅子まで誘導した。
女は椅子に座ると、顔を覆って泣き始める。
「またこれか」
礼がうんざりした口調で小さく言った。
聞こえたんじゃないかとヒヤヒヤした武は、香奈に目を向けて様子を伺う。香奈は泣いている女の背を撫でながら、彼女に何か囁いている。
励まして、慰めて、大丈夫だと繰り返しているようだ。
入ってきた時には、泣きそうな感じでもなかったので、少し驚いて様子を伺う。
香奈が何事か確認しているようで、女は泣きながらも頷き、それを受けてこちらに、というよりは、礼に顔が向く。
「彼女は同じ会社の同僚で佐間さんと言います。部署が違うので、顔と名前を知っている程度でしたが、お昼の休憩の時、石をデスクに出していて……私の持っていた石と似た様なデザインだなって、最初は通り過ぎたんですけど、少し気になったので声をかけてみたんです」
礼は無言で頷き、続きを促す様に香奈を見た。香奈はハンカチで包んだ石を、手で触れないようにしてテーブルに置く。
「保護の結界……」
礼の呟きが聞こえる。
そのハンカチが薄い保護膜で覆われている事をこの時、礼の視界は捉えていたらしい。その保護膜は、若月が作り出す結界術に近い色をしていたと、後に武は聞いた。
「自分で購入を決めた私と違って、これは……」
香奈は一瞬言い淀んで、泣いている女に声をかけてから説明を続ける。
「会社のこと知らない人達だから言うね。佐間さんが密かに好意を寄せている、営業部の男性から貰った物だそうです」
嫌そうな顔をした礼から、冷たい声が飛ぶ。
「男が石をプレゼントした?つきあってもない女に?」
「研修のお土産だと言ったようです。クレーム対応のお礼を兼ねてと」
「へぇ。その子が自分に好意ある事知ってたんなら、なかなかやる……ん、待てよ」
礼は顎を自分の手で掴んで考える。ふと香奈に顔を向けて問うた。
「その男、香奈と石を共同購入したって同僚だろ」
香奈は礼と視線を合わせる事なく、ただ静かに頷いた。
「え!女の人じゃなかったんすか」
恋愛関係の石なら、共同購入は女だろうと勝手に思っていた。もしかすると、礼に知られたくなかったから、あえて言わなかったのかと思い、香奈の様子を見る武。
「女の子みたいな外見の子なんです。だから、なんか同性みたいな感じで仲良くしてて……」
香奈はそう言い訳すると、説明を続けた。
「私達が購入した石には、小さなチャームが付いていて、その形状によって効果が変わると書いてありました。ハートは恋愛、ダイヤは金運、クローバーは勉強でした。それを肌身離さず付けて過ごすという、説明書があったんです」
武はテーブルに少し顔を近づけて石を覗き見る。そこにはスペードのチャームがついていた。
「スペードっすね。これはどんな効果があるっすか」
香奈は少し言いにくそうにしていたが、泣いている佐間から顔を遠ざける様にして、武に向かって小声で言った。
「私の持っていた説明書によると……これは呪いたい相手に送ると書いてありました。スペードは死を意味しています」
ますます激しく泣く佐間。聞こえない訳ないかと武は思いながら、その背中を必死にさすって大丈夫かと聞いている香奈を見ていた。
「確認するが、石を購入したのは、男の方だな」
礼の問いかけに、こちらを振り向かずに頷く香奈。
仲の良い男性社員がいると、礼に知られた気まずさからだろうか。泣いている佐間に集中している風を装っているように、武には見えた。
そんな様子を、欠片も気にする素振りのない礼が口を開く。
「その広告を見せて来たのも、その男だろ?共同購入と見せかけて、そいつが用意した呪いの道具かもしれないな」
「海秋さんはそんな人じゃありません!」
佐間はそう叫ぶと、わっと伏してまた泣き始める。あまりの剣幕に、背中をさする香奈の手が離れる。しかし礼の質問は香奈に向けられたものだ。そのまま思い出そうとしているのか、少し俯いて目を彷徨わせる。ややして首を振ると、やっと顔を礼に向けて言った。
「広告を見せたのはむしろ私の方です。……ただ、誰かにさりげなく見せられていた可能性はあります。資料に紛れていた雑誌に付箋が貼ってあったり、休憩室にチラシが落ちていたり。何度も目にしたので、流行っているものなんだろうな、とは思っていました」
「紙呪がそこにも使われていた可能性があるわね」
来客用のコーヒーを持ってきた若月がそう言い、礼はそれに頷いた。
「作意を感じるな。その海秋って奴が元凶なのか、そいつも利用されているだけかは分からないが……どんな奴か興味あるな」
その言葉に若月は頷き、礼は嫌そうに眉根を寄せた。
「海秋さんがそんな事をする理由が分かりませんし、彼にそのような嗜虐的な性格が隠れているようには見えません。小柄で可愛らしい容姿の人で、愛想が良くて、人当たりも良いので、社内ではかなりの人気者です。それに、この石は純粋に利害の一致で購入したんです」
「小柄で可愛らしい?」
礼の呟き。
「利害の一致?」
若月からは疑問が飛ぶ。香奈は先に礼を見て頷くように 言う。
「同期で仲良しですが、彼を男性だと意識した事はありません」
そして若月に向かって続ける。
「私は、その……ハートのチャームの石が欲しかったし、海秋さんは金運のダイヤと、何かの資格を取ろうとしているようで、勉強のクローバーが欲しいと言っていました。単品購入より、セット購入のほうが単価が半分くらいになるので、かなりお得だって盛り上がったんです」
「じゃあ香奈ちゃんがハートを、残りを海秋って彼が持ってるのよね?」
「それは、そうなんですけど……購入した時、言ってたんです。スペードはあっても仕方ないけど、どう処分したら罰があたらないかなって。本当に心配していた様子だったので、それを使ったなんて考えられません」
「実際使われてんだろ、スペード」
礼から呆れたような声。さらに若月も同調する。
「そうよね。フェイクでそう言ったのかも。でも、それを自然に出来て、相手に信じ込ませるなんてヤバい奴よ。アイテムに込めた呪いの精度は高いし、なかなかの実力者だわ」
「だから、海秋さんじゃないわ!」
突然顔を上げて叫ぶように言う佐間に、若月と礼は顔を見合わす。言い終わると佐間は再び泣き伏した。
香奈はそんな2人の様子を見ながら、その場の空気を変えるように口を開いた。
「私には呪いがどんなものか分かりません」
だから、と言い置いて香奈は続ける。
「私みたいに音の怪異がないか聞きました。そうすると同じ様な怪異に悩んでいたんです。確認したら、佐間さんも香木をもらっていました。ただ、こっちは海秋さんにではなく、私と同じように別の女性同僚からです」
女性を強調するように言った香奈。
「その香木は?」
礼が香奈に聞く。
「家にあるそうです」
「行きましょう!」
張りきって言う武に、若月が確認する。
「今から?」
「早いほうがいいっすよね?」
「まあね。この石は、ここで砕いてもいいかしら?そんなに強いものでもないから、それで呪いは消えるけど」
香奈は若月に頷いてから質問した。
「怨霊は香木の方ですか?話を聞く限り、音の頻度は私より多いんです」
「怪異の始まりはいつ?」
「3ヶ月は前だと思います」
「そんなに長い間、辛かったっすね」
武が言うと、佐間は一瞬顔を上げて周りを見た。ただでさえ濡れてる瞳にみるみる涙を溜めると、さらに声を出して泣き始める。
「わ、ど、ど、どうしましょう、オーナー!」
若月に助けを求めるもただ頷かれただけで、どうして良いのかわからず、慌てて礼を見た。
「放置か抱きしめるかの2択だろ」
「あわわわわ!」
礼の冷静な声に、武の慌てるような混乱したような声。
深いため息は若月から。