紙呪〜shisyu〜 その6
*** はなちるさと・大波 武 ***
夕刻、本町から少し北上した大通り沿いの珈琲店で、礼、若月、武の3人は待機していた。
「何、あそこの席。眩しいんだけど」
「芸能人?ラッキー。目の保養しとかなきゃ」
「オフかしら。やばーい。かっこ良すぎじゃない?」
そこに自分が含まれていない事を、ちゃんと理解している武は居心地の悪さを感じていた。
邪魔だと言われないだけマシかと、大きなため息をつく。そんな周りの会話を全くもって意に介さない2人は、呪いについて確認していた。
「香奈ちゃんの頭に手を置いた時に、確認したのよね」
「ああ、そんなに複雑なやつじゃない。1ヶ月以内の呪いだし、儀式も何もないタイプだろう」
「アイテム系かしら」
「だろうな。壊せば解呪されるだろうが、古杣とセットで発動しているのなら、そう単純じゃないかもな。2つが繋がっていたら危険だ」
「やっぱり、現場を見ないとダメって事ね」
安心させるために、頭を撫でてあげたのだと思っていた武。
あの時、礼は呪いの本質を探っていたのだと聞いて驚いた。そんなもの、触っただけで分かるのか?
何をどうやっているのか理解できないし、聞いたとしても自分には無理に決まってる。
実力差もあるが、経験値も知識量もこの2人とは格段の差が見えて、もはや競り合おうなどと考えもしない。
やっぱり、2人は凄いな。
そんな武の思いをよそに、四方から飛んでくる軽薄な囁き声は止まらない。
「それぞれタイプが違うのね。私は髪の毛ウェーブの人がいいな。パーマ?セット?意識高そー」
「私は直毛の方かなぁ。あの髪の毛って地毛?色、抜いてるのかな。あんな色が似合う人って少ないよね」
「足、長ーい」
「見て、手が大きくて素敵」
ふっと笑ってしまった。
自分を形容するものが皆無だ。
目の前の2人は、少し近寄ってさらに考察を深めている。礼がカップに手を伸ばしたのを機に、武は小さく声を上げた。
「あのぉ」
「ん?」
ブラックを飲んでいた礼が武に目を向ける。
「ここに香奈さんが合流するの、まずくないっすか」
「なんで?」
「いや、まあ……」
周りの目が気になると言いたいが、どう説明したものか考えあぐねた結果、口を閉ざす。
時刻は18時過ぎだ。
今更かと、ガラス張りのビルに目を向けた武は、ビルから出てきた香奈を見つけた。
スモーキーピンクの大きなモヘアニットに、細かいプリーツのスカート。
「ゆるふわってやつっすか」
遠目でもわかるダボっとした襟に思わずそう呟く。
低めのパンプスが主張しすぎない女性らしさに思えて、武は香奈の好感度をさらに上昇させた。
香奈は珈琲店に入ってくると、迷わず3人の前にくる。
「お待たせしました」
「あら、お疲れ様。気がついてくれて嬉しいわ」
「目立ちますもの、誰でも気がつきます。こんな所までわざわざありがとうございます」
「いいのよ。それよりも男が3人も家に押しかけて、怖くない?」
若月がそう問いかけると香奈は、はっとしたような顔をした。
(男女半々の感覚だったんじゃ……)
武は心中でそう呟いた。
「……いえ、それよりも怪異のほうが深刻です。それに、あなた方はそんな事をしないと思います」
「へえ、随分信用されたもんだな」
礼がそう言って、若月の肩を叩いた。
若月は何も言わなかったが、武はもう一つの可能性を思いついた。
(もしかして、何かあってもいいと思っているんじゃ?礼さんになら、許してもいいって事だったりして)
そう思いついて見た香奈の視線が、礼を捉えている事を武は見逃さなかった。
(そっちの可能性高そうだなぁ、ちぇ)
「自宅はこちらです」
香奈は警戒心など欠片も見せずに先導する。
そこから歩く事10分余り。細長いワンルームマンションの前に、4人は立っていた。
「ここね……」
「はい」
「確定だな」
「え?何がっすか」
若月と礼は、何も分からない様子の武を見た。
「武のレベルだと見えるはずだけど」
礼が若月にそう言った。
「え?え?」
理解が追いついていない武が2人をきょろきょろ見ていると、礼が若月に手を差し出す。
「若月、音叉」
「申し訳ないわね。あたしの教育が行き届いてなくて」
「え?ええぇ?」
状況が把握できていない武の耳元に、指で弾かれる音叉。ブーンとなる金属を礼が持ち、若月からアドバイスが飛ぶ。
「音の下の方に意識を持って行きなさい」
その言葉で目を閉ざし、耳を傾けて集中する。
音が消えた頃、薄く目をあけた。
「え!」
冷や汗が、武の額に浮かぶ。
「なんすか、このマンション。あの真ん中辺りの右端っすよね」
「よかったわ、ちゃんと見えて」
若月は安堵していたが、武の冷や汗は止まらない。腕で額を拭うその様子を見た香奈もまた、不安そうな顔をしている。
「何が、見えているんですか?」
「まあ、聞かない方がいい」
礼がそう言って、香奈の肩を抱いた。
それは逃げ出さない様にとった行動だったが、香奈のほうは安堵を覚えたようだ。
「よし、行くぞ」
香奈は決心したように頷き、それを見た武もつられて頷く。
*** 自宅・仲野 香奈 ***
8階建ての4階が目的地だった。
先導するのは香奈の肩を抱いた礼で、武は若月の後ろに隠れる様にして移動する。
「ここだな」
「どうして分かったんですか?」
部屋番号を教えていないのに、と香奈は不思議に思いながら、部屋の鍵を取り出した。
「やばいのが見えてるからな」
礼の解答を聞きながら前に出ると、肩の手が離れる。それを少し寂しく感じながら鍵を開けた香奈。ドアノブに手をかけたまま躊躇い、ちらりと礼を見た。
「大丈夫だ」
礼に励まされたように感じ、恐々ドアを開いた。
「…………」
その目には異変なく、いつも通りの部屋だった。だからと言って怖さがなくなるわけもなく、見えない恐怖を感じながら、3人を振り返る。
「どうぞ」
一番前にいた礼が進み、敷居を跨ぐ。若月と武も動き出そうとしていた。
「やだっ」
背後の若月から小さな声。
礼と香奈が振り返ると、肩を竦めた状態で固まっている若月が目に入る。
「どうしたんすか?」
武が見上げて聞くと、若月は何も言わないままそっと右足を上げる。
「何も死んでない?何も踏み潰してない?」
「え?虫っすか」
そう言って腰を深く折った武が、廊下のタイルを注意深く見ている。靴底まで確認した武は顔を上げて首を横に振っていた。
「何もないっすよ」
そう言うと、ほうっと脱力したような若月。
「虫が踏まれて潰れたような音が聞こえたのよ。感触はなかったんだけどね」
「相変わらず、虫も苦手なんだな。感触ないなら自分じゃねぇだろ」
「足を下ろしたのと同時だったのよ」
若月はそう言うとハンカチを出して、額に浮かんでいた汗をそっと拭った。
「冷や汗かくほど苦手なんすね。なんか意外っす」
弱点を見つけたように感じたのか、武は少しだけ嬉しそうだった。
「他の子には内緒よ」
「すぐバレんだろ」
若月と礼のやりとりに、くすりと笑った香奈。強張っていた表情が少し和らいだ。
3人は香奈より先に中へ入り、部屋に視線を走らせている。少し和んだとはいえ、視界が共有されていない不安と恐怖は色濃く残る。それらをなんとか振り払って、礼の背中を見ながら進んだ。
「武」
若月は部屋に入ると、武に指示をだす。
「調整した視界で、初仕事よ。一番怪しいところ、分かる?」
武はすぐに部屋の隅を指差す。そこにはベッドがあり、武の指はベッドヘッドの方に向けられていた。
「あそこの下が、一番、嫌っす」
「合格」
若月はそう言うと、武の指差した方向へ進む。
「武、動かすの手伝って。礼は万が一に備えて彼女を守っていてね」
「了解」
香奈を庇う様に近寄る礼。その背が目の前に広がり視界が狭くなる。
ガタガタと家具を動かす音が聞こえてきて、礼の背後から顔を覗かせて様子を伺う。壁とベッドの間に人が入れる空間ができていた。
「あ、これっすか!」
隙間に屈んだ武がそう言って、若月がその腕を掴んで止める。
「武は触らない方がいいわ」
若月はそう言うと武と交代し、斜めになったベッドの奥で屈む。胸元から布を取り出すのは見えたが、あとはベッドの向こう側。
バチッと電気が爆ぜるような音が聞こえたが、香奈の位置からは何も見えない。次の瞬間には立ち上がった若月が、にこりと笑って言った。
「回収は問題なかったわ。礼から見て、呪いはどう?」
礼は香奈を振り返り、少し目を細めて見てくる。
「まだ残ってる。だが古杣が直接影響している訳ではないな」
「この部屋に原因はまだあるかしら」
すっかり安堵していた武が、慌てて部屋を素早く見渡した。
「何も見えないっす」
「あたしもよ。古杣は取り除いたから、怪異はなくなるでしょう。後は呪いの原因が分かれば解呪も可能だわ」
「古杣の解析は若月に任せた。オレだと祓ってしまうし」
「ええ。店に戻って調べてみるわ。あの紙呪と一緒にね」
武は香奈に笑顔で言った。
「怪異、なくなってよかっ……」
半開きの口のまま、武が壁に目を向けた。香奈の背後にある壁だ。その視線の先を確認するように首を捻ると、そこには額縁に入った絵画があった。
「変わった、絵っすね」
そこには森の中で馬に乗った女性が描かれていた。
「あら、マグリットの白紙委任状じゃない」
若月が絵に近寄ってじっと観察する。
「有名な絵っすか?本物?」
「まさか、模写でしょう」
武の質問に笑って答える若月は、確認するように香奈を見る。
「詳しくないので、そうだと思います」
いつ買ったのか、誰かに貰ったのか、思い出そうとしているのに、うまく思考が纏まらない。
「オーナーが好きな作家なんすか?」
「そうね、この人の作品はわりと好きよ」
全員が絵に注目する中、礼がぽつりと言った。
「若月、この絵も怪しい」
記憶がない事が不安になってきた。
「香奈ちゃん、これ、持って帰ってもいい?場合によっては壊れたり、破れたりするかもしれないけど」
「は、はい。処分して頂いて構いません」
青ざめながら頷いた香奈は、震える声でそう言った。
若月は大きく頷くと、額縁ごと壁から外し武に手渡した。
「これで、私の呪いは消えたって事でしょうか」
「いや、まだ継続している。大元か原因を見つけないと消えない」
不安そうに聞く香奈に対し、答えたのは礼だった。
「そういえば、香奈さんの呪いってなんなんすか?」
「さぁな。でもこの感じは特定の相手を魅了する呪いに近い」
武の問いにも礼が答える。
「それって……誰か分かったりしますか?」
香奈が驚いて礼に聞いた。
「いや、そこまでは分からない。最近別れた男とか、告白してきた奴とかいないの?」
礼の問いに、香奈は首を振って答えた。
「告白なんてされてませんし、その……彼氏も、しばらくいません」
ほんのり頬を染めた香奈。
「ストーカーとかどうだ?もしくはよく声をかけてくる男とか、仲良くなったヤツとか」
「……いえ、特には思い当たりません」
そうか、と小さく言った礼。
「怨霊みたいに取り憑いているだけだったら楽なんだけど、仕方ないわね。こっちの解析から解呪のヒントが得られるよう頑張るわ」
若月は溜息を漏らしながら香奈に言う。
「明日には解析も終わっていると思うの。もう一度店まで来てもらえる?夜でいいから」
香奈は不安そうな顔のまま頷いた。
「じゃあ、今日はこれで帰るっす!」
武が元気よく言って玄関へ向かう。若月も頷いて武に続く。
「ん?」
背を引っ張られた礼が振り返る。スモーキーピンクの袖が、礼の上着の裾を掴んでいた。
「なんだ?」
「あの、怖くて……こんなにあれこれ呪いが出てくると思っていなかったので……もう少しだけ、ここにいてもらえませんか」
ショックを受けたような顔の武。だが、何も言えず、誰かが口を開くのを待っているようだ。
「さ、帰りましょ」
何事もなかったかのように、若月が武の肩に手を置いて玄関へ向かう。
「じゃ、また明日」
「お疲れっス……」
若月はにこやかに言い、武はぎこちなく言った。