紙呪〜shisyu〜 その5
*** はなちるさと・大波 武 ***
「落ち着いた?」
女は手に抱えるように持っていたカップをおろし、静かに頷いた。
「それじゃ、あなたの話を聞かせてもらえる?いつくらいから、どんな怪異が起きていて、接触者が何と言ってきたのか。時期や会話内容なんかも、できるだけ細かく教えて」
女はさらに頷くと、ぽそりと口を開く。
「……最初の怪異は、今から1ヶ月前でした。私、市内のワンルームに住んでいるんですけど」
女は両膝に拳を置いて、ぎゅっと握りしめながら話している。
「これが始まりかどうか、自信ないんですけど……。最初の記憶は玄関のチャイムでした。鳴ったので出てみると誰もいないというものです。変だなと思いましたが、その時は悪戯かと思って中に戻りました」
「ピンポンダッシュ的な?」
武の声に答える者はなく、若月は女に続きを促した。
「その翌日でした。今度は玄関ドアをノックする音が聞こえました。チャイムも鳴らさず、ノックだけってあまりないので、少し怖くなって覗き穴から外を見たんです。もちろん、何も見えませんでした。でも、そのあたりから色んな怪異が始まったような気がします」
ふむ、と若月の声。
「怪異は決まって玄関からの音?」
「いえ、玄関だけじゃないんです」
否定の言葉に、考えるように彷徨っていた若月の顔が女に戻った。髪がさらりと揺れて、グレーの瞳が光を反射する。
視線を鋭くしたわけでもないのに、武はこの場の空気が少し緊張味を帯びた気がした。
その空気を感じ取ったのか、女は俯き加減になったが、話は続けようと口を開く。
「電話が鳴って出ると無音ですし、掃除機の音がして行ってみると動いていない。電子レンジの完了音が夜中に聞こえたり、洗濯機の防止ブザーが鳴った事もありました。最初は5日に1回だったのが、2回に増え、3回に増え、間隔がどんどん縮まっています」
「古杣ね」
「「フルソマ?」」
武と女が同時に問い返す。それには礼が答えた。
「昔からある、音の怪異だ。だが、古杣は外からだろ?家の中の怪異ではないが」
礼が若月に向かってそう言い、若月も拳を口元に当てて頷く。
「そこなのよね。家に連れ込めば別なんだけどそんな事、意図的じゃないと無理だし」
「意図的なんだろうぜ」
軽く頷いた若月。やっぱりそうよねと呟いて、女に顔を向ける。
「最初の怪異が起こる前に、何かいつもと変わった事はなかった?見知らぬ人と話したとか、見慣れぬ荷物が届いたとか」
「いいえ。そんな事はありませんでした」
「それじゃあ、普段と変わった事はなかった?変な物をもらった、とか」
女は少し俯いて考えている。
壁にもたれてダルそうにずり落ちて来た礼。武はいつもより低い位置にある礼の顔を見て、耳打ちするようにこっそり問いかけた。
「街中で拾う事ってないんすか?知らない間についてくるとか」
「ないだろうな。古杣は自分の意志で動けるタイプの怨霊じゃない。そこだけ考えれば、動ける奴よりも安全だが」
「なるほどっす」
「古杣だとしたら、その原因になった怨霊が利用されたんだろう。それなりに高い能力がないとできない事だし……どこで古杣なんて年季の入ったもの見つけてきたのかは、知りたいところだが」
「あ……そう言えば」
女が何か思い出しのか、顔を上げて若月を見た。
「会社の同僚が少し前に、リラックスグッズの香木をくれたんです。確かに良い匂いはしますし、木の形状や形は普通なんですが……何と言うか……感じがちょっと、不気味で苦手でした。変なモノが見える様な気がして、視界に入れるのが怖いんです」
女は次に礼を見て話す。
「その子、オカルトグッズにハマっていることで有名でしたが、そんなに仲良くもないので、どうしてくれるんだろうって、少し不思議だったんです」
「それだな」
「それね」
礼と若月が同時に頷く。
「コウボクってのが怨霊なんすか?」
武の疑問に礼が答える。
「木だからな。古杣ってのは元々、杣夫が聞いた音で多く伝承が残っている」
香奈も分からないだろうと思った武が、まだ説明が続きそうな礼の口元を見て、慌てて質問する。
「杣夫ってなんすか?」
「キコリの事だな。杣夫が仕事を終えて、家でくつろいでいると、夜中なのに木を切る音や掛け声を聞く。変に思って翌日確認しに行くと倒れた木がない。妖怪だとか怪談話なんかでも残っているし、怨霊としては有名な方だな。似たようなヤツも多いから」
「……有名なんすね」
「ま、業界ではな。その関係で、木に宿っている怨霊も多い。精霊みたいになってる奴もいるが、そんなのは稀だよ」
「それが家の中にまで入ってきたって事っすか」
武の言葉に、不安そうな女の顔が礼を見る。
「その香木に宿ってたんだろ。香木はどうしたんだ?」
「いつの間にか失くしてしまったんです。もしかすると、ゴミと間違えて捨ててしまったのかもしれません」
難しい顔の若月が女に言う。
「まだ家のどこかにあるわ」
武は眉根を寄せて、首を捻りながら誰にともなく聞いた。
「とすると、木に憑いてた怨霊が、彼女に乗り移ったってことっすか?」
「いいえ」
「いや」
若月と礼が同時に否定する。
「古杣とは別よ。誰かが意図的に彼女に憑けたとしか思えないわ」
そう言った若月の背後に、壁から背を離した礼が若月の横に移動する。
「可能性は、物部さんを名乗る人物ね」
若月はちらりと背後を見た。それを受けた礼が女に問いかける。
「物部はどうやって接触してきたんだ?本当に遠縁なのか」
「あの、実は私もよくわかりません。取り憑かれたような顔をしているから心配だと言って、同僚から紹介されました」
「オカルトグッズの同僚か?」
「いえ、同期入社で営業部の男性です。部署は違いますが、席が近くなので。神社を経営している知り合いがいるから、お祓いとか検討してみては、と言われて」
「物部は紹介されてから親戚だと名乗ったのか」
「はい。今にして思えば、不自然だったかもしれません。でも、両親の事を知っていて、結婚式にも出席したと言っていました。遠縁ですが、仲が良かったとも言っていましたし、何よりも怪異が酷くて疲れていたので……」
「1ヶ月も続けば疲弊するわよね。親戚だと信じたって事は、ご両親に確認したりしてないわよね?」
「はい。両親は飛騨におりますので、いずれ聞いてみようとは思っていましたが……」
「飛騨か」
礼が飛騨に反応した。
「あ、そういえば、訛りも少し飛騨弁っぽくて懐かしいなって思ったんです」
「確かに、物部の本拠地は飛騨にあるな……。どんな人物だった?頑固そうなオヤジか、それとも気弱そうなヤツか」
「それが、あまり覚えていなくて……男性かどうかもはっきり思い出せません。もしかすると、女性だったのかも……」
「……っち」
突然の舌打ちに、女は肩を竦め、武は礼を見た。
「お前、名前は?」
礼は忌々しげな顔でそう質問する。
「……仲野……です」
スッと動いた礼にビクッとした女は、思い出したように付け加えた。
「あ、仲野……香奈、です」
女の方へ移動する礼。
武は内心狼狽えつつどうしようかと思って若月を見たが、止める気配がないので動くのをやめた。
怯えた表情の女は側に寄ってきた礼を泣きそうな顔で見上げている。その顔の上に、礼の手が近づき、女は思わず目を閉じて衝撃を覚悟するように肩を竦めた。
「よし、香奈。お前はオレが助けてやる」
礼は女の頭に手を置いただけだった。
「え?」
意外な言葉を聞いたからか、女の目が見開かれる。武も一緒に目を見開いた。
「大丈夫だ。安心して任せろ」
武は香奈と名乗った女が、恋に落ちたのではないかと思った。
自分だったら、確実に今の言動で好きになっている。
「決まりね。じゃあ、さっそくだけど、貴女のお家に行きましょうか」
「いや、今回はオレだけで行く。報酬もなしでいい」
「どうしてよ?」
訝しげな若月の顔。しかし、すぐにはっとしたように片手を口に当てた。
「へえ、そういうこと」
「え?どういう事っすか?」
「あ、あの!」
三者三様の対応を遮るように、香奈は勢いよく立ち上がった。
「実は私、お昼に病院へ行くと言って会社を抜けてきたんです。そろそろ、戻らないと」
制服姿を見て、そういえばと頷く3人。
「相談に来ておいて図々しいとは思いますけど、制服のままですし、一度会社に……」
「じゃあ、会社終わりに行きましょう。この近所なんでしょう?定時は18時くらいかしら」
若月が確認を始める。
「はい、ちょうどその時間です。残業はないと思いますので、またこちらに参ります」
「家は近所?それとも電車に乗る?」
「徒歩圏内です」
「会社から見てこっち方面?」
「逆方面です」
「なら、あたし達が会社の近所で待機しておくわ。そのまま移動した方が効率いいでしょう」
若月はそう言いながら、香奈を玄関まで誘導した。礼と武はその場に残って、2人の様子を見ている。
「そう、会社はあの辺のビルなのね。じゃあ、あそこのカフェでもいいかしら」
そんな会話が漏れ聞こえる。
礼は地理がよく分からないので、聞こえていても場所が分からないだろう。武もこの店周辺を離れてしまえば、それほど詳しくない。漏れ聞こえるのは北浜や天満辺りのようだ。若月と香奈が玄関に移動して見えなくなると声も消えた。ふと、隣に目を向ける。
「礼さん、報酬なしってどうしてなんすか」
本当は香奈と付き合いたいからなのか、と問いたい武。しかし言い出せなかった。
「ん、まあ……物部が関わっているのなら、安堂寺のせいだからな。オレの実家がなんらかの形で関わっている可能性がある。下手すりゃあいつは被害者だ。報酬なんてもらえねぇだろ」
香奈が可愛くてサービスしているのではないと知って、表情を明るくした武。心が軽くなったところで、質問を重ねる。
「その物部ってのはなんすか?」
実はずっと疑問だったのだが、聞くきっかけを逃しまくっていた。
「安堂寺には2つの傍流がある。その家名が蜂須賀と物部だ。橘に水の家紋、指定色が水縹は物部である証だ」
武は手紙の抜けた封筒を手に取り、表に裏にひっくりかえし、気がついたように言う。
「あ、封筒の色と封蝋がそれっすか」
「そう、だからこれは安堂寺の問題だ」
「だからってあたし達を勝手に排除しないで。武は経験になるし、あたしは末路を知りたいわ」
香奈を送り終えた若月が、そう言いながら戻ってくる。
「神宝関係なら、あたしも他人事じゃないしね」
「安堂寺の問題に巻き込みたくない」
「いまさら?瓊樹と安堂寺の腐れ縁ってやつで諦めて」
不満げな息が礼から漏れ、武はハラハラしながらその様子を伺う。
「なら、先に謝っとく。不快な思いをさせる可能性があるから。その時は許してくれ」
「わかったわ」