紙呪〜shisyu〜 その3
*** はなちるさと・大波 武 ***
「じゃあ、始めようか」
礼は先に椅子へ座ると、もう一方を女に指差して座るように目で合図し、手紙に視線を落として読み始めた。
武は礼の後ろに控えるように立ち、おずおずと入ってくる女に、どうぞどうぞと和かに手招いている。
女は礼の正面に座ると不安そうな顔を向けた。
「あれ?その制服って……」
武は女の制服が、昼食中に見たものと酷似している事に気がついた。白いシャツの襟元から覗く素肌に、金のネックレスチェーンがチラリと見え、隠れたオシャレのようでドキドキした。
うどんを啜っていた女性は綺麗系だったが、こっちの人は可愛いらしいな。そんな事を考えていると、顔がにやけてくる。世間話でもして、話を広げてみようかと思ったが、礼が手紙から目を離したのでやめた。
武は2人の表情が見えるように少し離れ、テーブルの中ほどに移動する。そこから改めて礼の顔を見ると、目を細めて女を見ている事に気がついた。
(あれ?礼さんって目が悪かったっけ?)
少しだけ首を傾げた武。ややして、礼が静かに口を開く。
「で、お前はここをどうやって調べて、何で辿り着いた?物部さんからお前のような存在は聞いたことがないんだが」
礼の口調は静かで怒りは感じなかったが、冷たい響きを隠そうともしない。びくりと肩を竦める女。そのまま下を向いてしまったので、礼が再び口を開く。
「封はされていたが、何が書かれているのか自分では読んだのか?」
少しだけ顔を上げた女が、か細い声で言う。
「い、いえ。勝手に開けて読むわけにはいきませんので。でも、内容は怪異についてでは?」
礼はこめかみをトントン指で叩きながら、じっと女を観察する。武はピリッと部屋の空気が張り詰めたように感じた。
「本当は誰の差金だ?」
「え、あ、あの……」
泣きそうな顔の女を見て、武が助け船を出す。
「礼さん、それじゃ尋問っすよ。もっと優しくヒアリングしましょう」
武の方は全く見ないまま、礼は片肘をついた手に顎を乗せた。放り投げるようにして手紙を女の前に置き、冷たい声色で言う。
「読んでみるんだな」
女は震える手で紙を持ち上げ、読み始めた。
静かな店内にかそけく響く紙の音。
それはやがて、かさかさと鳴り小刻みに震える音に変わった。
「……これって」
赤面した顔の女は、手紙をテーブルに落として、両手で顔を覆って震えている。
泣いているのか、羞恥に震えているのかはわからなかったが、武は驚いて2人を交互に見て、手紙を上から覗き込んだ。
「読んでいいぞ」
武は言われるまま手紙を取って読む。
そこには、怪奇現象に困っている女を行かせる事と、その経費はすべて物部家が負担すること、そしてその女こそが礼の婚約者である事が記載されている。
「婚約者さん、なんすか?」
武は盛大に首を捻って、礼に手紙を渡しながらそう言った。
「そんな訳ないだろう。顔も名前も知らない女と婚約するほど困ってねえ」
礼は手紙をテーブルに投げる様に置いた。
「傍流が本家の婚姻に口を出せるはずもないんだが、この手紙は物部家からで間違いないだろう。何故こんなものを出したのか、裏が読めなくて気持ち悪い」
憮然とした表情で言う礼は、女に冷たい目を向けて言う。
「震えても泣いても答えにならない。経緯を詳しく話せ」
「あ、あの、私……こんな事が書いてあるなんて思ってもみなくて、その……」
「弁明はいい。知りたいのは経緯だ」
ぴしゃりと言い放つ礼の声色は、武が聞いていても肝が冷えるようだった。
女は声を殺して泣いている。とても話せる状態ではない。
「あぁ、やっぱりこうなるのね」
呆れたような若月の声を聞いた瞬間、武は救いを求める様に顔を向けた。張り詰めた空気も、若月が登場したおかげでずいぶん和らいだ気がする。
「ほんと、なんでこんな女にも容赦ない、冷たい奴がモテるのかしら。せめて愛想笑いくらい覚えなさいな」
トレーに乗せたコーヒーをテーブルに置いた若月は、呆れたように礼を見下ろす。
それを完全に無視した形で、礼は女に問う。
「いつ、物部の遠縁だと知った」
女はびくりと肩を震わせたが、顔を覆っていた手を下ろし、勇気を振り絞るように口を開いた。
「この、手紙を……もらう、直前です」
ぽたぽたと落ちる涙。しかし泣き崩れる事はなく、グッと手に力を入れて耐えているようだ。
「なら、周辺に異常が起きてからだな」
女はしばし間を置いて、ゆっくり頷いた。
「お前は呪われている可能性がある」
「え……」
女はそのまま固まる。
「呪われている?」
「え!呪いなんすか?」
若月と武はほとんど同時にそう言った。
目を見開いて礼を見る女。目に溜まった涙がぼろっと溢れたが、新たな涙ではなさそうだ。
「若月、凪に入るぞ。武、さっきのカード貸して」
礼はそう言って武を見て、金のカードを要求した。
武は慌てて尻から財布を抜いて、金のカードを出す。
受け取った礼は、それを躊躇いもせず破いた。
「なんて事するんすか!さっきもらったばっ……」
慌てて声を上げる武に、礼は静止を求めるように手を挙げた。
黙った武は礼から目を離し、涙目で若月をじっと見つめる。その目を見た若月は仕方ないといった表情で頷くしかない。
礼は破れた金のカードをテーブルに置くと、じっと女を見つめる。
女は驚きすぎたのか、涙は止まっていた。
じっと見てくる男にどう反応していいのか分からず、頬を染めるだけで固まっている。
礼は視界を調整する様に目を大きく開けたり、細めたりしながら、じっと女を見ている。
赤面する女と、礼の様子を交互に見ながら武は思った。
(あんなにびびってたのに、見られて照れるんだな。やっぱ男前だから?)
羨ましく思いながら礼に目を向けると、ピクリと動いたような気がした。
その直後……
「まずい!」
突然椅子から立ち上がった礼。背後の若月に飛び掛かると、そのまま押し倒した。
若月と礼が床に倒れて伏している中、何の反応もできずにいる武。落ちるマグカップがスローモーションで見え、茶色い液体が床に広がる。女も気づくと床に倒れていた。
「効果範囲が狭い!せめてこの3倍はないと使い勝手悪い」
両手を床について体を起こした礼は、その真下にいる若月に叫びながら訴えていた。そしてすぐ、はっと気が付いたように武へ目を向ける。
「しまった」
素早く立ち上がり、武に向かって手を振りかざすと、勢いよく振り下ろした。
しかしその手は何も掴まず、慌てて頭部を抱えながら避けた武によって宙を切る。
「なんすか!なんすか!」
必死に叫びながら言う武に、礼は盛大な舌打ちをした。
「避けるな」
「そ、そんな事言われても!」
武はそう抗議したが、再び礼の手が振り下ろされるのを確認すると、ぎゅっと目を閉じて覚悟した。
「?」
いつまでも来ない衝撃に、薄く目を開ける武。目の前に礼の手があり、それが小刻みに震えているのを見た。
「礼さん、何か掴んでます?」
「おう、ばっちりな。融合してないから剥がしてやってもいいけど」
武の薄く開いていた目は、そう言われて全開になった。
「剥がすとどうなるっすか!」
「気絶するほど痛いが、寝込むほどではない……はず」
「はず!?」
目を剥いて礼を見る武。そこに冷静な声が降る。
「個体差があるからそうとしか言えない。それが嫌なら気張って弾け」
「ど、ど、どうやって」
「自衛の結界は?」
「張れます!」
「すぐに実行」
「は、はい!」
武は即座に目を瞑って、胸元に力を入れる。ぷるぷると体を振るわせ集中している。
「顔の前になんか抵抗があります」
「鼻、吸われてるからな」
「ええぇぇえ!」
「いいから集中しろ」
「はいぃ」
すっと目を細めて様子を見ていた礼は、武のこめかみが無意識にピクリと動くと、待っていたとばかりに口を開く。
「弾け!」
「はい!」
グッと力を入れた武。バチっと大きな音がして、平手打ちされたような衝撃が走る。
「いってー!」
鼻を両手で覆い、床に膝をついた武が、片目だけを開けて礼を見上げる。
「痛いじゃないっすか!」
「痛くないとは言ってない。気絶はしなかっただろ?」
その手にぐったりした蛇のような黒い物体を持ちながら、武を見下ろしている礼。
「あ、見えた!それ、なんすか」
「ずいぶん変形しているが、ごく一般的な怨霊だな。若月、さっきのせいで結界弱まってないか?」
手に怨霊を持ったまま振り返った礼に、床を拭いていた若月は、さっと目を手で覆った。そして悲鳴に近い声で言う。
「やだ、そんな気持ち悪いもの、こっちに向けないで!」
「じゃあ、こいつは消してOK?」
「OKよ!」
礼は頷くと、手に持っているものを握りつぶした。
長く黒い物体が2つに分かれ、床へと落ちるのを見て、武は膝立ちのまま後退る。何も聞こえなかったが、ボトボトと鈍い音が鳴っていそうな景色だった。