紙呪〜shisyu〜 その22
*** 運転席・若月 ***
バタンッ!
車から降りて大きな音を立ててドアを閉めた若月は、怒りを抑えつつ沙の横に立つ。
『自分の何が犠牲になっても守りたいもの、守らねばならないもの。子とはそんな存在なんだろう』
遠い日の記憶が蘇る。
幼い自分が首を傾げて見上げる先に、礼に似た顔が、優しい微笑みを湛えていた。
『意趣返し?』
『そう。家の犠牲にしたくなくてね。水に因んだ名前なんかつけさせなかった。みんながあれこれ相談している隙に、勝手に決めてしまったんだ』
「あの人は……」
そう言っていた礼の父を思い出すと、言葉を留めておくことができなかった。
「息子を犠牲にしてまで、家の繁栄を望むとは思えません」
口に出してしまってからすぐに、安堂寺の問題にでしゃばり過ぎかと思った。しかし時すでに遅し、発した言葉は相手に届いてしまった。
女の顔が険しくなる。眉根を寄せて不機嫌そうな顔で若月に目を向けた。
「なんですかあなたは。神宝でもない者が気安く話しかけないでちょうだい」
驚きで硬直する若月。
『安堂寺でもないものが』と言われるのならまだしも、神宝で括ってきた事に目を丸くする。
「そんなちゃらちゃらした格好して、恥ずかしくないのですか?いい大人がそんな髪の色で街を歩くなんて」
嘆かわしいとでも言いたげな仕草で、やれやれと首を振る。
「ちょっと、おばさん!失礼なこと言わないでよ。この人の髪は地毛だし、そもそも神宝……」
沙の悲鳴にも似た言葉は、女の抑揚のない声によって遮られる。
「あなたもあなたです。実家に戻って家を継ぐのではないのですか?あなたにだって、素晴らしい女性を用意しているのですよ」
矛先を向けられた沙は、驚きで目を見開いた。
「僕、何も聞いていないし、もう決めた人がいるから無理だよ。まさか禁忌を侵して加賀美や剱との縁談じゃないよね」
女は若月のことなど眼中にないような顔で沙に言う。
「残念ながら物部からです。本当は瓊樹に交渉したのですけど、ご当主に断られてしまいました」
瓊樹の名が出て、沙と礼は若月に目を向けた。
「聞いてましたか?」
沙の質問に若月は無言で首を横に振った。
「そんなヤバい話、外に漏らすわけないだろ。あのご当主が」
礼は沙にそう言うと、忌々しそうに自分の母を睨めつける。
「瓊樹の温情に感謝するんですね。他家がそんな動きを察知すれば、それこそ神宝の会合で吊し上げだ」
礼の母はそっぽを向いてそれには答えない。
「おばさん、これはちょっとやりすぎだよ。僕にまで何かしたでしょ。しかも礼ちゃんを呪おうとするなんて、親のやる事じゃないよ」
「親である事より、大切な使命があるのです」
頑なな口調でそう言い放つと、おろおろしている付き添いの男を見た。
「お話にならないわ。行きましょう」
話にならぬのはこちらとて同じだと言うのにと、若月は呆れ顔でその様子を見ていた。
「游」
礼が男を呼び止めた。
びくりと肩をすくませた男は、恐々振り返り礼を見る。
「正式に通達は出す。すまないが頼んだ」
青ざめたような顔で、力無く頷いた男は、すでに離れつつある小さい背を慌てて追っていった。
帰りの車内は重い空気が澱んでいた。
誰も口を開けないでいる。
「残念。飛騨までドライブできると思ったのに」
ワザと明るい口調で言った若月は、ミラー越しに礼を見る。
固まったまま何かを考えているようだ。
「あ、オーナーに共有しておきますね。合流前に確認したんですけど、おばさん、佐間の事は知らないみたいでした。ま、シラを切ってる可能性もありますけど」
「そう……それは、ちょっと嫌な展開ね。別口だった可能性が高いって事でしょう?厄介だわ」
「なんの手掛かりもないんですよね。会社にはもういないし、たぶん家もすでに退去済みだと思います。行動が早すぎて怪しいんですけど、正直お手上げです」
ふと礼が口を開く。
「そうか。沙、家に古杣集めてたのは、このための仕込みだったんだな」
そう言われた沙はにんまり笑う。
「一石二鳥か。なるほど」
礼は1人納得したように頷いた。
「え?どういう事よ」
不思議そうな顔で若月が首を傾げる。運転中のため振り返ることはなかったが、心情的には2人の顔を見て問い返したかった。
「今回は別の意味でタイミングがあったって事だろう。イメージもタイミングも、うまい具合に沙の思惑通り働いた」
「うん。うまくいってよかったよね。半分は賭けだったけど」
ふっと笑って礼が言う。
「失敗しても香奈の同情はひけただろう?家は使えないんだし」
まあねと言って、沙は頭の後ろで腕を組む。
「でも、タイミングの魔女を出し抜いてやったのは気分いいね」
足まで組んで、ふふんと笑う。
「え?え?香奈ちゃんの方は分かったけど、もう1つの方は何?」
沙が頷いたので、礼は口を閉ざして腕を組んだ。
「古杣を自宅に集めて結界も張らずに置いておくと、魔女のレーダーに引っかかるんじゃないかって思ったんです。悪いものを利用しようとした、あの人の裏を読むことに成功しましたね。結界もなく、8つも古杣が集まっているなんて、ちょっと異常ですから」
「よく思いついたな」
礼がそう言うと、沙は頷いて答える。
「古杣は悪いものの集まりだから、イメージの邪魔するのに最適なんじゃないかと思ってさ。昔、物部家で礼ちゃんがいなくなった時にさ、緯度も経度も何故か特定できないって言ってたの覚えてたんだ。詳しくは分からないけど、古杣の結界領域が近かったから、それが原因じゃないかってね」
「なるほど。そんな事があったのか」
俺は記憶にないけどと呟く礼に、えへへと笑う沙。
若月は改めて2人に感じる違和感を口に出す。
「そうよね、沙ちゃんの方がお兄さんなのよね」
「かわいい大人、目指してます」
呆れたのか、礼の深い溜息が背後から聞こえる。
若月はふふっと声に出して笑うと、ハンドルを握り直す。
「飛騨までドライブ出来なかったから、ちょっと遠回りして帰りましょう。沙ちゃん、行きたい所ある?」
「僕が決めて良いんですか?やった!」
興味なさそうな礼が、窓の外に目を向ける。
全員が”大波 武”の存在を忘れている事に気がつくのは、その日の夜の事である。
街が昼の呑気な空気に包まれようとしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ほーっと大きな息を吐き出した光。
「呪いってバリエーションがあって、複雑なんですね」
ゴーグルを外して礼を見る。
「それに師匠の家庭事情が大変そうです。コメントは控えさせていただきますが」
「まあな。そこは忘れてくれるとありがたい」
礼の苦笑に、光は目を斜め上に向けて指を折る。
「えっと、今回かなり情報多めでしたが、色々整理いいですか?まずは何年前なんでしょうか?」
「7〜8年くらい前じゃないか」
なるほど、と光は天井の方を見ながら指を折る。
「人物の整理からいいですか?佐間さんと都岡さんは部外者。小池先生は当然として、香奈さんと武さん、沙さんは関係者で間違いないですよね?」
「そうだ」
「主に武さん視点の時なんですが、感情が流れ込んできたのはどうしてですか?」
ああ、と言って礼は光を見る。
「香奈から抽出できた情報から、感情まで再現出来なかったのだろう。若月は感情を漏らさないように制御していたからだな。武はその間で、制御できないダダ漏れ状態だ」
つまり?と光の首が傾く。
「能力の差ってことですか?」
頷きと共に説明をする礼。
「小池先生と香奈はジャック、沙と武はキングだな」
なるほどと2度頷いた光。ふと顔を礼に向けて聞いた。
「クイーンはいないんですか?」
「今回はいないが、光の部活顧問がクイーンだな」
「え?」
小さく驚いた光。ややして大きく声に出した。
「ええ!得満先生、ここの関係者なんですか」
「わりと古株だぞ」
予想外の回答に、他の質問がすべて飛んでしまった光。
二の句が告げぬまま礼の顔を見ていた。
「少し、休憩にしない?」
ふいに背後から、耳をくすぐるような声がした。
「お茶とお茶菓子、いかが?」
2人が振り返ると冬香が紅茶らしき飲み物と、ボックスクッキーの乗った皿を1つのトレーに乗せて、静かに立っていた。
「と、冬香。いつ、来たんだ?」
珍しく礼が動揺する。
「さっきよ。時間がないのは分かるし、知識を詰め込むのは大切だけど、頭がいっぱいになっちゃうわよ」
冬香は優しくそう言うと、華やかな微笑みを光に向けてトレーごと差し出す。
「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なくいただきます!」
光はクッキーを1つ取るとパクッと頬張った。噛みながらカップも取って、すぐに口を付ける。
「幸せ。バターの香りと紅茶の香りが堪んないです」
「ふふ、よかった」
礼はそんな2人の様子を見ながら、さりげなくゴーグルを自分の背後に隠す。
もう、都合の悪い場面はないはずだが、念の為だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
*** 屋上 ***
ゴーグルの向こうでは、まだ映像が動いていた。
ビルの屋上に若月。
社の扉を開けた若月は、中に異常がないか念入りに確認する。
中は長方形の物体がガラスのような物に覆われて安置されていた。
その光沢は虹色の反射を生み出している。
中にはまるで水中に閉じ込められたように、揺らめくもの。着物や髪が静かに動く。
強い癖毛に瑠璃紺の着物の男は、まだ青年と呼んでもよさそうな相貌だった。
礼によく似た面差しが、静かに眠っているようにも見える。
だが若月は知っていた。髪や着物は揺れても、その体が自発的に動く事はない。
鼓動もなく、ただ静かに存在を留めているに過ぎない。
ぎゅっと胸元で握られた右手を、左手が覆う。
ややして、社の扉を閉じた若月。その上から丁寧に護符を貼ると、そっと撫でて何事かを呟く。
細い金の糸が社を覆い消える。
ビル風に舞う薄い金の髪。それが静かに屋上から消えた。




