紙呪〜shisyu〜 その21
*** はなちるさと・安堂寺 礼 ***
沙は香奈の手を握ったまま退出し、少し寂しそうな武も次いで帰る。
店内には若月と礼だけが残った。
「あたしも同行するわ」
ふいに言い出した若月に、礼は首を横に振る。
「いや、いい。不快な思いをさせるだけだ」
「あたしは大人だから大丈夫よ。それよりも、うちの従業員を殺しかけた女の顔を見ておかなきゃ。死にかけた武にも声かけるわね」
礼は何かを言いかけたが、若月の表情を見て口を閉ざす。
こんな表情の時には、絶対に引かない事を知っていたからだ。
*** 運転席・若月 ***
土曜日。
車の運転席に乗り込んだ若月は、ドリンクホルダーにカフェオレをセットし、鼻歌混じりにキーを回した。行き先を協議した結果、今から物部の本拠地である飛騨へ向かうのだ。
先に古杣の出所を特定して、証拠を突きつけようと話が纏まっている。
「オーナー自ら運転しなくても、僕が代わりに」
後部座席に乗り込んできた沙の声に、若月は軽く頭を振って答える。
「いいえ。初心者マークの取れてない人の運転は酔うから、大丈夫よ」
沙の申し出をあっさり断った若月は、ゆっくり車を発進させた。
「しんどくなったら言ってくださいね。いつでも変わりますから」
「ありがと。でも飛騨くらいなら1人でいけると思うわ。運転、好きなのよ」
いつも助手席にいる礼は、沙と一緒に後部座席に座っている。助手席を武のために空けてくれたようだ。
「戸井さんの影響?」
「否定はできないわね。嬉しそうに車内清掃している姿はわりと好きだったわよ」
礼の質問に答えた若月。沙は礼に顔を向けて口を開く。
「戸井さんって?」
「瓊樹家の専属運転手」
へえと言いつつ、背もたれに体を預けた沙。ふと何かを思い出したように、隣の礼に顔を向けて言った。
「あいつ、逃げたよ。月曜は病欠、火曜にはもう退職してた」
沙が忌々しそうに言い、礼が確認の名を挙げる。
「佐間って女か?」
「うん。関係あるかだけでも確認しとくべきだった。一応、武にも聞いたけど何も連絡はなかったみたいだよ」
いつの間にか、沙も武と呼んでいる。仲良くなったのか、沙の性格か。いずれにしろ、距離が縮まるのは良い事だと思い、若月は少しだけ微笑んだ。
「いやに迅速だな。安堂寺の誰かが手を回したのか?」
「ん〜、安堂寺と関わってたんなら、そうかもね。別組織の線もあると思うし、なんとも言えないね」
沙がそう言うと、礼は少し考えてから呟く。
「安堂寺と無関係なら……逆に厄介とも言える」
「そうだね、別の誰かが横槍入れてたって事だもんね。神宝の他の家だったらどうする?いや、神宝関係じゃなくても、大きな組織ならどっちにしろ大変かも。神宝潰したい団体とか、安堂寺と入れ替わりたい団体とか」
嫌そうに首を振った沙。
「それはどうかわからないが、今ここで議論しても解決しないし、動きがあるまで様子見だな。他には何か影響ないか」
「香奈には影響ないよ。僕が毎晩監視……じゃなくて、見張ってるから間違いない」
本人公認なのか非公認なのか。沙の行動に大きな疑問が出るが、礼は何も問い返さない。若月もミラー越しにちらりと沙を見たが、そのまま口を閉ざしていた。
「古杣の女は?」
「あー、あの子は相変わらずって感じかな。熱心にアロマ付きの木片配ってるよ。信者にあーゆーのいたら、便利だろうね」
「そんな奴いたら評判落ちるだろ」
呆れ顔の礼が沙に言い、若月から別の質問が飛ぶ。
「アロマ付きの木片ってのは、古杣付きじゃないの?」
「あ、それ、僕が回収して家に保管しています」
「じゃあ、配っている木片ってのは?」
「僕のお気に入りオイルを垂らした、ただの木です。ちなみに、香りはネロリ」
驚いた顔の若月は、ミラー越しに沙を見た。何も指示していないのに、こちらの意図を組んで動いているのは有り難かった。
「どれくらい回収したの?」
「全部で8つです」
そんなに古杣があったら、落ち着いて寝れないのではないかと思い聞いた。
「家、大丈夫なの?それとも封印が得意なのかしら」
「得意ではないです。香奈のために1つ結界術覚えたくらいで。今はうるさいですけど、まぁ、なんとかなります」
鏡の中で微笑む沙。礼は横から口を挟む。
「それも作戦だろ」
「ちょっと礼ちゃん。雇い主に僕が不利になるような事言わないでよ」
「どういう事?」
首を傾げた若月が、正面を見たまま尋ねる。
「香奈の家に転がり込む作戦の1つだろ?反省したふりして古杣を家に集める。大変そうでやつれた表情を香奈に見せ、同情を引く。家の退去もあるし、責任もあるしって感じで訴えたら、あいつは拒否できないだろ。あくまでも予測だから、本当のところは知らないが」
淡々と言う礼の声に、否定の言葉は重ならない。
「それだけじゃないんだよねぇ。僕は一石二鳥を狙ってんの。ま、どっちでもいいじゃん、僕らの事なんて」
沙の言葉に反応したのは、礼ではなく若月だった。
「あら、策士は嫌いじゃないわよ。それに香奈ちゃんが幸せになるのなら、それが一番よ」
そう言うと、沙は目をキラキラさせて答える。
「幸せにしてみせます!」
「お前って、そんな性格だっけ?」
呆れ声の礼がそう言って沙を見た。
「礼ちゃんも恋すれば分かるって。って言うか、香奈の気が削がれないように、さっさと本命の彼女作ってよ」
「面倒」
「えぇ〜」
そんな2人のやりとりに、運転席から漏れる笑いの声。
「安堂寺って、みんな淡白なんだと思ってたわ」
沙は意外そうな顔で口を開く。
「そんなイメージあります?礼ちゃんはともかく、うちはわりと情熱的な家系だと思いますよ」
そう言ってから、何かに気が付いたように付け加える沙。
「あ、そうか。先代のイメージですか?」
一瞬、目を見開いた若月は、ミラー内の沙にゆっくり頷いた。
「確かに、湊おじさんは情熱的ってタイプじゃないもんね。物静かで感情の凪いだイメージがあるな。しかも政略結婚のうえ、あの魔女と家庭を築くなんて過酷だよ。心も閉ざすよね、そりゃ。礼ちゃんがこうなったのって、絶対親のせいだよ」
「…………」
車内にしばし沈黙が落ちる。
その沈黙を破った沙。
「あ、そうだ!オーナー、ちょっと忘れ物しちゃった。僕、どこかで降ろしてもらっていいですか?取りに行ってきます」
「必要なものなの?」
「はい。古杣8つ。物部に返そうと思って」
若月はぎょっとして鏡越しの沙を見た。
「いや、沙1人で取りに行くのは……」
礼が何かを考えながら言う。
「このまま全員で向かった方がいい」
「あ、礼ちゃんもそっち派?」
「忘れたのはワザとか?」
礼がそう言うと、沙は否定の動作をする。
「違う。でも今思い出したって事は、きっとそういう事だよ」
安堂寺の2人で通じる何かがあるのか、若月には不明な会話だ。しかし、直感が働いてのことだと判断して、ウィンカーを出した。
「オーナー、ストップ!」
武を迎えに行くのを中断し、沙の案内で進んでいた時だった。
沙が前に体ごと乗り出して叫び、驚いた若月だったが、ちょうど信号が赤になりそうで減速していた為、そのまま停車線で止まった。
「まさかの人だよ。礼ちゃん、あそこ」
沙の指差す方を見た若月と礼。和装の女性が、スーツ姿で背の高い男と一緒に歩いていた。
「游兄も一緒じゃん」
「あれが安堂寺の当主代理なのね」
30手前くらいの年齢に見えるその男は、縦に伸ばした沙のようだった。
ただし華やかさがなく、その代わりに誠実そうな顔をしている。
信号が青に変わりゆっくり車を滑らせる。
若月はウインカーを出しながらざっと辺りを見る。残念ながら、駐車できるような場所がない。
「このまま近づくわよ」
2人の返事も聞かずに車を動かす。
この辺りは少し都心から離れていたので、比較的道幅が広い。
「僕の家を探してるのかも」
そう呟く沙。
「近いんだな。とすると、古杣の回収に来たのか」
礼がそう言って、首を鳴らして肩を回す。今から肉弾戦でもあるまいしと思ったが、若月は何も口には出さずに様子を伺った。
ノロノロと進む車。
「若月、そこで止めてくれ。オレと沙で行く」
「分かったわ」
静かに車を止めると、後部座席の2人は、素早く降りて目的の人物へ向かった。
「どうしようかしら」
若月は1人車内に残されて思案する。
「安堂寺の問題なら、あたしが変に口を出すのも野暮だし……かと言って、うちの従業員を殺しかけた事に対して、文句の1つも言わないなんて……」
迷っている若月を他所に、安堂寺家の4人が向かい合っている。
険悪そうな空気は感じるが、会話までは聞き取れない。気になって我知らず、ゆっくり車を近づけていた。窓を下げながら徐行を続ける事しばし、ついにはっきり声が聞こえる場所まで到達したようだ。
「本家の人間が分家を使って何が悪い」
礼の母親だろうか。女の声でそんな言葉が聞こえてきた。若月からは、礼と沙に隠れて女の姿が見えていない。沙の向こう側に顔だけ見えている、游と呼ばれた男はおろおろしていた。
「あなたが非人道的である事はわかりました。しかし、本家分家さらには傍流に至るまで、安堂寺の人材を勝手に使っていい立場ではない」
礼の声は凍るような声色だった。後ろ姿しか見えていないため、どんな顔をしているのか若月からは見えなかったが、さぞかし冷めた表情をしているのだろう。
「指示したのは游ですよ」
「指示させたのでしょう」
どんな顔で会話しているのだろう。なるべく端に寄せて車を止めた若月。それでもまだ、出て行こうかこのまま待機かを迷っていた。
「安堂寺が強くなる事は一族の悲願です。あなたの父も、生きていたらそれを望むでしょう」
その言葉で、若月から迷いが消えた。




