紙呪〜shisyu〜 その2
*** はなちるさと・大波 武 ***
「どれ飲む?」
振り返りざまに言った礼。
「カフェオレがいいっす!」
武が礼から缶を受け取って少しした頃、2人は店の下に着いた。
「この後の予定は?」
自動ドアを開けながら問う礼に、武は首を横に振って答える。
「なんか色々、変更になったみたいっすよ」
「何かあったのか?」
「忘れてたとか、なんとか。オーナーがそんな感じのこと言ってたっす」
「そうか」
到着したエレベーターに乗って6階へ移動し、廊下を一番奥まで進んだ2人。店のドアを開けると、中から異様な空気が漏れていた。
「礼!ちょうどよかった。ちょっと手伝って」
奥から聞こえる若月の声に、礼と武は素早く靴を脱いで中に入る。南東の部屋で、若月の結界が赤く光っていた。
礼は若月に近寄ると、空間の捩れに目を止める。
「これ、封印したいのよ」
若月の上半身が隠れるくらいの球体が、その手の上に浮かんでいる。赤い光に包まれた鈍色の煙が中で蠢く。
辛そうな表情の若月を見て、礼は無言で頷き手を翳した。
「結界系は苦手だから、祓っていいか」
「ダメダメ!封じなきゃ意味ないの。武も手伝って」
「は、はい!たいした役にたちませんけど……」
おずおずと横に並ぶ武は、自信なさげに手をかざす。
「武はキープに徹して。礼、鎮静できる?」
無言で頷いた礼は、抱える様にして張っている若月の結界の上に、直接触れるようにして右手を乗せた。
「鎮静だけだな?」
確認のために若月を見た礼。
「そうよ。再利用したいから、あたしがなんかとか封印するわ」
「分かった」
そう言うと、礼は左手も追加し目を瞑る。
「海神よ……」
語りかけるような礼の口調に反応したのか、鈍色の煙が螺旋を描き、上へと立ち昇る。鈍色の赤と青が絡み合ってゆらゆらしているようだ。
「爆ぜる力を削ぎ……」
螺旋状の絡まりが大きく2つに裂け、左右に伸びて結界内から、礼の手の平に吸い付くように動いている。
「……猛り狂う怒りを鎮めよ」
青には黄色が、赤には緑が絡まり、その力を鎮めている様にも見える。
武はその様子を、ポカンと口を開けて見ていた。初めてみる光景であり、自分の常識が音を立てて崩れる瞬間でもあった。
唖然と見ている武の手に、強い抵抗。
しまったと、武は手をかざしたまま、集中しようとした。
礼は微調整するように手を動かし、同じ言葉を繰り返す。
「海神よ、爆ぜる力を削ぎ、猛り狂う怒りを鎮めよ」
「もうちょっとよ、もうちょっと待って」
「オーナー、早くぅ」
情けない声は武から。
光は1度収束したが、ややして螺旋状に放射する鈍色の虹が現れる。
武は頬の辺りにビリビリと刺激を感じ、手が小刻みに震えている自覚があった。
「海神よ……って良いからさっさと収まれ」
イラっとした礼の声が聞こえた直後、ピキーンと張り詰めた高音を出して、球体は小さいガラス玉になる。
礼は両耳を塞ぎ、武に至っては耳を塞ぎつつ脱力するように膝をついた。
「なんて音だ。耳の感度いいやつなら鼓膜破れそうだな」
そう言いながら、自分より遥かに耳のいい若月を見た。
「凄い音でしたね」
冷や汗をかいたのか、額や顎を手の甲で拭いながら、武も若月に向かって言っている。
「…………」
ガラス玉を見たまま、2人の声に反応しない若月。
礼は若月の持っているガラス玉を、腰を折って覗き込んだ。
灰がかった虹色がマーブル状の模様を描き、ガラスの中で不気味に渦巻いている。
「あんまりいい印象のものじゃないな」
若月を下から覗き込むと、グレーの瞳と目が合った。
「え?」
問い返してきたのは若月。
「え、じゃなくて。それなんだったんだ?」
呆れた顔の礼は、その問いに不思議そうな表情が返ってきて、ようやく気がついた。
「聞こえてないだろ」
耳を指差し、どうなんだと顔で語りかけた礼。
「超高音と重低音の耳鳴りが、とっても不快なハーモニーを奏でているわ」
礼は分かったとでも言う様に頷いた後、武に目を向けて両手を上げ、肩を竦めた。
そして思い出した様に缶コーヒーを出し、若月の目の前に持っていく。
微糖とブラックだったが、若月は微糖を選び、口の動きだけでありがとうと言った。
「いや、声は出せるだろ」
若月にコーヒーを渡すと武に目を向け、じっと視線を固定させた。ややして歩みより、顔を近づけてさらにじっと見る。
「な、何か憑いてンスか?」
整った相貌が近すぎて、同性なのにドキドキして声が上ずる武。
「いや、付いてんじゃなくて、減ってる。少しだけな」
「えぇ!霊体っすか?」
礼の言葉に、喉元がぎゅっと閉まるような息苦しさを感じる。
「そうだ。保護はかけてたんだろ?」
「い、一応……」
「まだまだ甘いな。ま、今回は若月のせいだから、責任とってもらいな」
礼はそう言うと、ブラックの缶を開けて飲む。
武は大きく頷いて若月に目を向けた。
「なんでそんな泣きそうな顔してんのよ」
微糖を飲んでいた若月はそれに気がつき、武の泣きそうな表情を見て、礼に目を向けた。
「治ってきたか?」
「声は遠いけど、なんとかね」
「オーナー!霊体が減ったって、礼さんが」
「え?聞こえないわ」
「霊体が減ったって、礼さんが!」
「え?」
「だから、霊体がぁ!」
「まぁ、よく聞こえないわ」
「れぇいたいぃがぁ!」
「うるさい」
礼のぴしゃりとした声で2人は口を閉ざした。
「仕方ないわね。甘やかしたくなかったんだけど」
若月は大きなため息を吐き出して、金のカードを武に渡した。
「しばらく、それ持ってなさい」
パァッと明るい顔になった武は、その金のカードを財布に入れ込み、尻のポケットに差し込んだ。
「それで?何を閉じ込めたんだ?」
「怨霊のような、違うような。でも湊……」
若月が考えながら、続きを言おうとした時だった。
店のチャイムが鳴る。
「あら、1階のオートロックじゃないわね。予約もないし、ここの管理会社かしら」
*** はなちるさと玄関・若月 ***
玄関に移動した若月は、扉を開けながらにこやかな顔を作る。
「はーい」
そこには若い女が立っていた。
チェックのベストに黒いスカート。赤いチーフがリボン結びで胸元を飾る。
銀行の制服のような格好の女は、手に水色の紙を持ち、不安げな顔で若月を見ていた。
「あの、紹介を頂きまして……」
「写真のご依頼かしら?」
「写真?あ、あぁ。そう言えば、こちらは写真館でしたね」
写真館で看板を出しているのにと、若月は訝しげな顔で女を見る。
「紹介はどなたから?」
「神宝十家門のひとつ、物部家からです」
そう言って差し出された紙は、封蝋付きの封筒だった。
手にとってみると、封蝋には橘の花が刻印されており、背後に水が流れている。
「なるほど。この色は水縹だったかしら」
若月は封筒を裏返しながら、女に問いかける。
神宝十家門の会合を思い出す。水縹の染色の着物と流水に橘の家紋は、安堂寺傍流の物部家で間違いない。
「これはあたしが開けてもいいのかしら。物部家とご親戚とか?」
「遠縁になります。どうぞ、中を確かめてください」
パキッと封蝋を割った瞬間、妙な違和感を覚える。しかし原因が分からず、動作途中のためそのまま中身を取り出しながら、店内に声をかけた。
「礼〜、お客さんよ。あなたの親戚だって」
「え!」
目の前の女は驚きの声をあげ、目を丸くしている。
礼がここにいると知らなかったのだろうか。それなら、何故ここに?
そんな疑問を感じながら、手紙を広げて中身を確かめた若月。
「親戚?」
礼が玄関に顔を出す。
じっと女を見ていた礼は、首を振って若月に言う。
「見た事ないけど、本当にオレの親戚?」
「物部家と遠縁だってことは、あなたの親戚でしょう?」
手紙を追うグレーの瞳は、礼の反応を確認しない。
「……何百年前の話だよ。それを言い出したら、そこら中に親戚がいることになるだろ」
「まぁまぁ、親戚には違いないじゃない。かわいい子だし、助けてあげなさいよ」
そう言って、若月は礼に手紙を手渡した。
「宛名も何もないな」
封蝋に刻印された家紋と女を交互に見る礼。若月以上に訝しげな顔をしている。
「とにかく、中へどうぞ」
若月がにこやかに声をかけて中へ手招く。
声をかけられた当人は、2人の容姿に見惚れてぼんやりしていた。
「インスタントしかないけど、コーヒー飲める?」
「あ、はい!」
慌てて答えながらスリッパに履き替える女を待たず、礼はさっさと店内に引っ込む。
「武、テーブルだして。礼は話を聞いてあげて。正式な依頼の様だし、ヒアリングは任せたわ」
ヒアリングは若月がいつも行っており、内容によって派遣する人物や、ギャラの配分を決めている。
「珍しいな」
礼の声が台所に移動する若月に向かう。
「ま、物部の紹介でもあるし、仕方ないか」
軽く溜息をついた礼。
「こちらへどうぞ!」
先ほど怨霊を鎮めた部屋から武の声。
指示通り、折り畳み式のテーブルや椅子を、セットしているのだろう。
若月は僅かに聞こえる家具の音を聞きながら、台所のスライドドアを閉めた。
その首を傾げながら電気ケトルのスイッチを入れた。