紙呪〜shisyu〜 その18
*** はなちるさと・安堂寺 礼 ***
「あの子、礼が勧誘は薦めないって言ってのは、それを感じ取っていたのね」
床を拭きながら言う若月の言葉に、沙の顔が礼に向いた。
「礼ちゃん、やっぱ分かるんだ。相変わらず飛んでんねー」
沙に手を握られ、顔を覗き込まれていた香奈は、どうしていいのか分からず赤面したまま下を向いている。
「で?」
礼は再び壁にもたれ、腕を組んで沙に問う。
「安堂寺を離れていたお前が、その安堂寺に協力した理由をまだ聞いてない。戻りたいのか?目的はなんだ」
香奈から手を離した沙。礼を見て真剣な顔で答えた。
「両親の復縁だよ。離れた事をずっと後悔しててさ、うちの母さん。父さんが安堂寺から抜けて、海秋へ婿に来るのを許してもらおうかなって」
「伯父さんか。長い間会ってないけど、安堂寺を抜けたいのか?」
沙は残念そうに首を振る。
「復縁はしたいけど、安堂寺を抜けるのは不安そうだった。父さんの希望は母さんを呼び戻したいんだと思う。うちって安堂寺から神社任されてるでしょ。生まれた時から神職やるために勉強してて、今さら他の仕事ができるのか、不安もあるだろうし」
「ふん、なるほどな。それで、お前は安堂寺に戻れと言われなかったのか」
「……言われたよ。父さんが出るなら代わりにあの神社を守らなきゃ。ま、もし母さんが戻るってなったとしても、僕がいないと守れないしね。だから会社にも退職届を出したし、引越しの準備もしてる。香奈の怪異が解決したら、借りてる家からもすぐに退去するつもりだよ」
さらりと言われた事に顔を上げた香奈。
「え……?」
「ごめんね、香奈を利用した事には変わりないからさ。どっちにしても責任とるつもりだったんだ」
掃除を終えた若月が、振り返りながら首を傾げる。
「香奈ちゃんをこっちに残して不安はないの?離れる事になるじゃない。他の人と何かあったらどうするのよ」
「その時香奈が幸せなら、僕のものにならなくてもいいかなって」
香奈が沙の顔を見る。
「……い、いつ退職するの」
「今月末まで出勤して、後は有休消化で来月中旬に正式退職かな」
「そ、そんな、聞いてな……」
香奈の声を遮って、礼が沙に問う。
「お前、自分が何を言っているのか、ちゃんと理解しているか」
「……うん、分かってるよ、今はね。気がついたら戻れないところまで来てたんだ。ね、礼ちゃん。タイミングの魔女だよね、これも」
心底嫌そうな礼の顔。
「認めたくないが、関わっているんだろうな。香奈が会ったという物部の話から怪しんでいたんだが」
「も〜、だから最初に言ったじゃない。当主代理が犯人だって」
眉根を寄せた礼。沙を指差して口を開く。
「いや、待て。お前の言う当主代理って誰だ」
「え?僕達の認識してる人物って、別人?」
香奈と若月は話題についていけず顔を見合わせたが、同じタイミングで2人を見た。
「安堂寺の留守を預けているのは、游だぞ。そもそも代理はお前になる予定だったのに、辞退したって聞いたから游が身代わりになったんだ」
「あぁ、游兄が代理なんだ。辞退も何も、僕には打診すら来てないよ。じゃあ、あの魔女、僕に嘘ついたんだ」
「あいつ、また」
ぎりっと音を立てて歯を噛む礼に、若月から質問が飛ぶ。
「どういう事よ。いい加減教えて頂戴」
壁から体を起こした礼。腰に右手を乗せると険しい顔で若月に向かって口を開く。
「裏にいるのは安堂寺の中核に位置する人間だ。未来視に長けている人で、曖昧でよく分からないイメージから、先々の事を読み解くセンスだけは素直にすごいと認めてもいい。ただ、性格に少々難有りだ」
香奈は小さく驚きの声をあげ、若月は片眉を上げた。
「未来視なんて能力者、本当にいるのね」
「瓊樹にはいないのか」
「いないわよ、そんな非常識な力持ってる人。ビジョンみたいものが見えるのかしら」
「線の絡まりのようなイメージらしいぞ。何をどう読み取っているのか分からないが、そこから数字をランダムに吐き出す事がある。何の数か分からない事も多いが、日時や場所が特定される事もある。良い悪いは色のイメージから読み取るらしい。緯度や経度、場合によっては高低などに当てはめて読み解く。主には怨霊が現れる場所を予測する事に使われるんだが……心当たりあるんじゃないか」
はっとしたような若月の表情。
礼に続いて沙からも説明が入る。
「それだけじゃないんだよね。明確に分かってないのに、なんとなく、その場所にこんな感じの呪いを持っていくと良いとか、あの怨霊を置いていると上手くいくとかが分かるみたいなんですよ。あの人、そんな逸話がたくさんあるんだよね」
「それでタイミングの魔女って呼んでいるの?」
若月の質問に礼は頷いて、少しだけ考えるように首を捻る。ややして静かに口を開いた。
「香奈が初めてここにきた時から関わってるんだろう。タイミングが良すぎて疑ったんだが、やはりと言ったところだな。あの人が指示していたのなら納得だ」
「それじゃあ、古杣を用意したのは安堂寺?」
若月の疑問に答えたのは沙だった。
「物部に用意させたんじゃないかな」
礼は首を傾げて沙に顔を向ける。
「どうしてそう思うんだ」
「昔さ、礼ちゃんと飛騨の物部さんとこ、遊びに行ったの覚えてる?」
「いや、全然」
「え〜。礼ちゃんが人見知り炸裂して、いつの間にか消えて大騒ぎだったあの時だよ。どんだけ山の中探し回ったと思ってんの」
「覚えてないものは仕方ない。それで、その時がどうしたんだ」
沙は少し膨れて見せたが、肩をすくめてから続きを言った。
「家の裏山にさ、変な結界領域があったんだよ。興味本位で転んだふりして、結界破って中見ちゃったんだよね。礼ちゃんを見た気がしたって言って、嘘ついてさ」
「いや、お前な」
礼は抗議の言葉を吐きかけたが、昔の事だという事と、続きが気になったのか、口を閉ざした。何も言わない代わりに、顎で続けろと合図を出す。
「その結界領域にさ、古杣ばっかり大量にあったんだよ。たぶん、全国から色んな種類のやつを集めてたんだと思うな」
なるほど、と若月が声を漏らす。
「古杣は物部家が集めていたのね。それで本家の当主代理を名乗る、安堂寺の誰かが指示して都岡さんに渡したって事?」
若月に向かって礼は目を向けて言う。
「安堂寺の中核……未来視の能力者ってのは……オレの母親だ。沙が魔女と呼ぶのも、偽って当主代理と名乗っているのも母だろう」
「「「え!」」」
数人の声が重なる。さっと顔色を変えた若月が、立ち上がった。
礼に1歩近寄ると問い詰めるように言う。
「未来が見えるのなら、どうしてアレが防げなかったのよ」
ぴりっと場の空気が緊張する。問われている礼は首を静かに横に振った。
「見えなかったのか、言わなかったのか、理解できなかったのか、それはオレにも分からない」
さらに礼に近寄った若月は小声で問う。
「誰にも警告しなかったの?」
「……」
「いえ、いいわ。今それを言っても何も変わらないもの。でも、後でちゃんと聞かせて」
礼は無言のまま頷くと、顔を沙に向けて問うた。
「沙はあいつに会ったのか」
「最初に接触してきた時、1回だけだね。後は代理の人とやりとりしてるよ」
ふと、顔を上げた礼。
「沙」
名を呼ぶと、じっとその顔を見つめた。
「おかしくないか」
「何が?」
「どうして今さら、両親の復縁なんだ」
「どうしてって、ずっと引っかかってたから……」
「何をきっかけに動こうと思ったんだ」
「きっかけ?」
「安堂寺に頼らなくていいように、社会に出て安定してきたからってんなら、会社を辞めるのはおかしいだろ。せっかく就職してようやく2年目に入ったところで、あの神社に封じられたいのか」
はっとしてから、難しい顔で考え込んだ沙。
「確かに……」
「今、同じこと提案されたら受けるか?香奈に紙呪を運ばせてオレに会わせたいか」
沙の表情は変わらなかったが、こめかみに青筋が走る。礼は沙に、さらに問う。
「香奈に怨霊と呪いを憑けてお使いさせる代わりに、両親の幸せを願うか」
「何、それ」
「香奈がここに来た時の状態だ。家の古杣と石の呪いとは別に、怨霊憑きで紙呪が仕込まれた手紙を持ってきた。古杣の怪異で追い詰められていたし、呪いは2重だった。家にある絵画にも呪いが憑いていたし、あんなに多重に呪われた状態ってのは異常だ。紙呪はいつどこで受け取ったんだ?会ったんじゃないのか、母と香奈が」
「魔女と香奈を会わせる?そんなの、許可するわけないだろ」
礼はだろうなと呟いてから、説明するように言う。
「香奈は若月のテリトリーで、通常2重に施されている結界が両方なくなっているタイミングで、オートロックもすり抜けて、たまたま来たんだ。それに沙、お前は香奈に呪いを運ばせたくないから、あの女を紹介したんじゃないのか」
「まさか」
ようやく腑に落ちたといった顔で、礼を見る沙。礼は頷いて口を開く。
「最初に母と会った時、すでに……」
「あんのクソババア……」
香奈には聞こえないようにか、抑えた声でそう呟いた沙。
「何がしたいの、礼のお母様は」
大きな溜息をついた礼は、怒りを抑えるように息を吐き出してから、静かに言った。
「あの人の目的は神宝の禁忌だ」
「まさか」
若月が目を見開いて固まる。沙も神妙な顔で固まったまま、何も言わない。