紙呪〜shisyu〜 その17
*** はなちるさと・大波 武 ***
香奈に柔らかく笑いかけていた沙が、真顔になって若月に顔を向けた。
「でも、そんな彼女を上手く利用したのが当主代理です。彼女の間違ったエリーティズムを上手く使って先導し、古杣を社内でばら撒いた。そこまでしてたから、すっかり手駒にしたのかと思ってたのに、結局香奈に紙呪を運ばせたんだから酷い話だよね」
武は隣の礼にこっそり耳打ちする。
「エリーティズムってなんすか。これって乃菊さんが古杣をばら撒いたって話っすよね」
「選ばれしものよ、この木片で身近な人から救ってみせよ、みたいな事言われたんだろ」
「はぁ、なるほどっす。それが古杣で、乃菊さん的には好意でばら撒いていたって事っすか」
「だろうな。純粋な好意かどうかは怪しいもんだが」
壁際の密やかな声を他所に、若月からの質問が沙に向かう。
「ハートのチャームがついた、あの石は何?紙呪を使って購入させたの?」
「いえ」
首を振って否定した沙。
「紙呪が使われたチラシを用意したのは僕じゃありません。香奈が会社で欲しそうに見ているなとは思ったんです。それとなく声をかけたら見せてくれて……」
礼が最後を引き取って言う。
「お前も紙呪に当てられたと」
「あは、せいかーい。でもすぐ破ったし。まあ、でも、一石二鳥で良かったと思ってるよ」
沙へ武から質問が飛ぶ。
「すぐに紙呪って気づいたんなら、どうして購入したっすか?」
「声に出して一緒に買おうって言った後に気がついたんだよ。仕方ないから解呪するか、差し替えるかするつもりで購入したんだよね。チラシは香奈の周辺にばら撒かれていたようだし、購入するまで紙呪攻撃続くでしょ?残りのチラシは僕が回収して処分したけど、購入確認するまでイタチごっこするの面倒じゃん」
「チラシを用意したのは乃菊さんっすか?」
「おそらくね。ずっとやりとりしてたんだと思う。当主代理と」
黙って聞いていた香奈は、赤面したままの顔で沙に問う。
「差し替えてくれたのにも、呪いがついていたみたいだけど、それって誰が……いえ、どんな呪いだったの?」
「威嚇の呪い」
沙がにこやかに答える。武は首を傾げながら威嚇の呪いについて聞いてみた。
「それってどんな呪いなんすか」
これには礼から解答があった。
「ま、結界みたいなもんだ。強い呪いで弱い呪いに対抗する。結果、他の呪いや怨霊を寄せ付けなくなる。魂の保護が必要になるが、そこは香奈の実力を見抜いての事か」
「うん、さすが礼ちゃん。だって、香奈が家に入れてくれないから」
凄い人だなと、素直に心の中で思う武。しかしそれを慌てて否定し、ついでに矛盾点に気がつき問う。
「解呪や差し替えが上手く行かなかったら、どうしたんすか。届いたものに紙呪が施されて、うっかり香奈さんに渡していたら?」
「実を言うと解呪は上手くいかなかったんだ」
「え?」
あっさり言い放つ沙に、武は目を丸くして見返した。
「だから、二重に石を呪った。何かの呪いが石に籠められているのは分かった。でも解呪できなかったから、封を施して上から威嚇の呪いをつけたんだよ。元の呪いが安堂寺の用意したものなら、ハートのやつは礼ちゃんがターゲットだと思ってたし、発動しないなら大丈夫でしょ」
「礼さんがターゲットなら、香奈さんとられちゃうっすよ」
武は難しそうに眉根を寄せて沙に言う。
「ターゲットが決まった呪いなんて本人じゃなきゃ、ないのと同じだし。会ったところで、礼ちゃんを継続して呪えるなんて無理に決まってるし。気がつきゃ、すぐに壊されて終わりでしょ」
やれやれといった感じで肩を寄せた沙。武をチラリと見て、礼に顔を向けてから続けた。
「最悪の事態が起きても、礼ちゃんなら他の怨霊から香奈の身も守ってくれるでしょ?上手くいけば解呪してくれるだろうし。何より、香奈と何かあったとしても、特定の誰かに心を寄せることもない」
「お前な」
呆れた声の礼。沙は笑ってそれを流し、話を続ける。
「なるべく香奈が取り憑かれないように、部屋の外から結界張ってたけど、どこまで効果あったのか自信ないし」
「結界っすか?」
武の疑問を抱いたような声に、はっと息をのむ若月。
「あの感じ。そうだったのね」
1人納得している若月に、武の疑問が膨らむ。それを察しのたか、若月から補足が入る。
「虫を潰したんじゃなくて、礼が結界をうっかり壊してしまった音だったのよ」
「礼ちゃんが香奈の部屋に入ったのなら、そうだろうね。僕たちの力って似てるから、礼ちゃんには僕の結界見えにくいだろうし」
武から疑問の声。
「それは同族だから?」
「さあ。でも、そうなんじゃない?どうせチャーム付きの石の呪いだって、僕の力を感じる前に破壊したんでしょ」
へらっと笑う沙。しかしその直後、笑みを消して言った。
「ま、香奈と礼ちゃんの間に何かあったとしても、呪われ続けて体調に影響がでたり、怨霊に憑かれて魂が穢れるよりよっぽどいい。過去に彼氏が1人増えるのと、死んでしまうのとを天秤にかけるなら、答えは決まってるでしょ」
同じように笑みを消した若月が真剣な顔で答える。
「本当に彼女のことを想っているのね。愛だわ」
「自分でも健気だなって思います」
目をキラキラさせて若月を見る沙。香奈は横で赤面したまま、何も言えないでいるようだ。
「お前の愛はどうでもいいんだが、他の連中の呪いはどうなんだ?」
「そ、そっすよ!特に絵琉さんの家の古杣とか」
「僕は知らないよ。それにエルって誰?」
か細い声は香奈から。
「佐間さんの、名前」
「あぁ……」
驚くほど低い声に、武はびっと背筋を伸ばした。真顔で冷めた目をしている沙は、なるほど、礼の親戚と呼ぶに相応しい。
「あいつ、邪悪だよね。家に怨霊がいたってんなら、自分で仕込んだんじゃないの?」
「じ、自分で?なんのためっすか?」
「さあ、あいつの思惑なんて知りたくないね」
肩を竦めて言う沙に、隣の香奈から質問が飛ぶ。
「佐間さんが、邪悪?海秋さんを好きで、ずっと見ていただけです」
「香奈は優しいからそう思うんだね。でもね、あいつは裏で色々手を回したりする策士だよ。都岡さんとだって、仲良くしているように見せてるけど、あれは利用してるだけだよ」
「まさか。都岡さんに古杣を送られて泣いていたんですよ?」
「ん、それって演技だと思う。何かに勘づいて便乗したんじゃないのかな」
沙の説明に、香奈は信じられないと言いたげに首を横に振る。壁際からは鼻で笑う声。
「同類は匂いで分かるか」
礼がそう言うと、沙はとびきり美しい笑顔を向けた。
「そんなに褒めないでよ、礼ちゃん」
「で、でも、あんなに泣いていて、本当にショックを受けていたんですよ」
納得できないのか、香奈が沙に食い下がる。
「んー、なんて言えばいいのかなぁ。そうだな、例えばだけど……僕を好きって言ってたわりに、切り替え早い事とかなかった?察するに、そこの緑メッシュの彼。名前で呼んでるようだけど、関係でもあった?」
沙の視線が武を捉える。礼と同質の、緊張するような鋭さがあった。
「迫られたでしょ?その後、なんも被害ない?」
全員が武に注目する。
「それは、絵琉さんとは関係ないっす」
それ以上何も言えない武の代わりに、礼が沙に問いかける。
「スペードのやつはお前か?」
「いや。あれ、一番嫌な気配がしたから、何もせずに彼女にあげたんだ。あ、誤解しないでよ。お互い様だからね。あの子、ちょいちょい呪い付きの物渡してくるんだよ。無差別にムラムラきちゃうヤツとか、虫みたいな怨霊が入った食べ物とか」
嫌そうな顔の若月が、両肩を自分で抱いて小さく首を振っている。
「あ、ごめんなさい。想像しただけでも気持ち悪いですよね。僕もちょっとトラウマで、あれ以来、あんパンが苦手なんだよね」
若月に変わって、礼の声が沙に向かう。
「呪いあってんのか。仲良しだな」
「やめてよ、本当に迷惑してんの。残業中に錯乱する呪いで襲われそうになった時は、本気で殺してやろうかと思ったんだからね」
「相変わらずモテるんだな」
「当然でしょ」
自慢げな顔に向かって、若月から質問が飛ぶ。
「念のために確認するけど、うちの従業員を殺しかけたその女と、共犯ではないのね」
「もちろんです」
瞬時に真摯な顔になった沙は、力強く答え、すぐに首を傾げる。
「殺しかけたってのは穏やかじゃないですね。詳しく教えて頂けますか」
武が非難するような声を上げる。
「まさか絵琉さんを疑ってるんすか」
それを完全に無視した若月。
「外界から途絶される結界に、時間の感覚を狂わし、眠り続ける呪いの石。タチの悪い怨霊までいたのよ。武が眠っている間に部屋へ入り込み、結界を張った上で怨霊を置いていったとしか思えないわ。必然的に最後に接触した彼女が一番疑わしいでしょう」
「家、教えてないっす」
武が若月にそう言ったが、沙は首を横に振る。
「たいして能力ないわりに、いい呪いグッズ持ってんだよね。この僕が酩酊状態で押し倒されたんだよ?酒も飲んでないのにさ。もっとよく思い出してみたら?その被害に遭う直前の事」
絵琉を庇いたいのに、心の奥底で鳴る警鐘。そこから目を逸らすには、そろそろ限界かもしれない。武は少し諦めの心境で、じっと床を見て考える。
あの日、絵琉関連の記憶が曖昧なところ。それを思い出さねばならないのに、思い出そうとすればするほど、混乱してきて何を考えているのか分からなくなってきた。
「あ、あれ?」
ふらつく気がして、壁に手をついた。
「武」
ふいに隣から礼の声。
なんだと顔を上げて礼を見たと同時に、腹に手の平があてられている事に気がついた。耳元に寄せられる礼の唇。囁くような声のそれを聞いた。
「海神よ」
心臓が跳ねたのは照れからじゃない。自分に向けられた礼の力に、本能が反応したのだ。だが何も言えず、ごくんと喉を鳴らした。
「その殻を破り」
ふいに首筋に負荷がかかる。首を絞められているような感じだが、誰の手もかかっていない。息苦しくなって顔を歪めたが、何も言えなかった。
「……真なる輝きを顕せ」
首の負荷が急になくなり、胸のあたりから迫り上がってくる感覚。
慌てて口を塞ぎ、トイレのある入口側に目を向ける。
今すぐにでも駆けて行きたかったが、膝が震えて動けない。
「出した方がいいよ〜」
呑気な沙の声。視界の端で、香奈の目を塞ぎながら言っている様子が見えた。
(ここで吐いたら、オーナーに怒られる!)
そう思ったが限界が近い。礼が背中をバンっと叩いたのが決定打になった。
「お、おえ〜!」
そのまま背中をさする礼の手は、意外にも優しかった。
「うわ、きも!だめ、香奈は見ない方がいい」
「見えません」
不満げな香奈の声に続き、若月と礼。
「絨毯じゃなくてよかったわ」
「全部出せ」
「うぅ!う〜〜〜〜〜!」
後から後から喉を逆流してくるナニカ。ボトボト音が聞こえるが、苦しさと涙で黒い虫のような塊以外は何も見えない。
「よし、全部出たな」
立ち上がった礼を、見上げるようにして顔を向ける。
振り下ろされる足と、蒸発するような音。
沙が言っていた、虫のような怨霊だろうか。涙が落ちて視界が少しクリアになったが、大きな幼虫が大量に自分の腹から出てくる様は、青ざめるには充分だった。
それと同時に、記憶の一部にかかっていた霧が晴れていく。
「思い、出した」
まだ明るくなかったが、明け方近い時間帯。ようやく怨霊を布に閉じ込め、抱き合って喜び……キスをした。そのキスは絵琉からどんどん激しいものになり、圧倒されつつ顔を離した。報告のため、開店前の店に行かなければならないことを告げると、絵琉は怖いと言って武を引き止める。
『怖い。一人でここに残るのは嫌。ねえ、あなたの家に行ってもいい?』
甘えた声で寄りかかってくる体。
『俺の家は汚いっすよ』
『気にしないわ』
そう言われてタクシーで帰宅した。絵琉を自宅に残したまま、ここに来て報告した時には、すでに記憶の混乱が起きていたようだ。
「絵琉さん、なんで……」
若月に報告を済ませ、自宅に戻った時、鍵が空いていた。合鍵などないし、仕事に行かなきゃいけないだろうから、そのまま帰ったのだと思って気にしていなかった。
ローテーブルに用意されたメッセージ付きの握り飯を、幸せな気持ちで食べたのに。
あれに呪いが入っていたのだろう。
「だから言ったでしょ、邪悪だって。情を作り出しておいてそれをあっさり利用するなんて、タチ悪いよね」
肩で息をつきながら喘ぐ武に、沙の憐れみ。それに続く礼の声。
「最低だな、あの女」
「でも、この程度なら僕も何度も送られてるからね。警戒してるから回避してこれたけど、人の好意を断れない善人や、疑う事を知らない良い人なら騙されちゃうよ」
『善人』
『良い人』
わざわざ強調されたように聞こえた。
沙の慰めの言葉に救われた気持ちになり、口元を拭って顔をあげる。
しかし沙は香奈の手を両手で握りしめて、顔を覗き込みながらそれを言っていたようだ。
唖然として固まっている武の肩に、ポンと軽く置かれた礼の手。
「言いたいことは分かる。でも、気にするだけ時間の無駄だから、とりあえず水でも飲んできな」
パクパクと動いた口は、やがて力を失くす。がっくり落ちた肩が遠ざかっていった。