紙呪〜shisyu〜 その15
*** はなちるさと・大波 武 ***
「面白い考え方よね」
「え?月の力ってのもデタラメってことですか?」
本当に分からないと言いたげな顔の香奈は、自分の顎に拳をあてながら若月を見ている。
「まあ、彼女は信じているんでしょうね」
「それじゃあ、月光浴とか、邪気を祓うって話は……?」
ふぅっと面倒そうに息を吐きだしたのは礼だった。
「日の光がダメだって言ってただろ」
香奈はそれに黙って頷く。
「月光ってのは、太陽の反射だろ」
はっと拳が開き口元を覆った香奈。忘れていた事を思い出したような顔だと武は思った。
「月に邪気を祓う力があるってんなら、日中の光は何倍の威力になるんだろうな」
皮肉っぽく言う礼に、納得したように頷いた香奈。
「日中、あいつらは消える事なく、そこかしこにわだかまって、蠢いて、時には生きた人間を巻き込んで存在し続けている。陽の光が邪気を祓うなら、もっと楽なんだけどな」
種明かしのようで面白いが、武としてはまだ1つ確認しておかなければならない事がある。
「はい!」
武が手を上げ、若月が頷いて促す。
「絵琉さんの好きな人を言い当ててたっす」
一瞬、部屋の中が痛いほどの静寂に包まれた。
「あ、うん、そうだな。本人から聞いて知ってたんだろうな」
無表情に言う礼の声色は、驚くほど抑揚がない。
「おぉ、なるほど。あ!でもそれって、絵琉さんから俺が好きって聞いてたって事っすよね」
「あんた、幸せな頭ね……」
若月は冷めた目で武を見ていたが、武は無自覚に照れて頭をかいている。
「それじゃあれが全部、乃菊さんの演出だとしたら、黒幕は最後に名前の出て来た”海秋”って人っすよね」
香奈と若月の表情が固くなって武に向かう。礼は無表情だったが、やはり武を見ていた。
「色ボケしてても、ちゃんと分かってるじゃない」
「正解っすか!」
「いや、まだ確定じゃない」
礼は少しうんざりした声で続ける。
「直接話したいが、本人が捕まらない。どんな奴か写真すら出てこない。これだけ徹底して姿が見えないと、こちらとしては怪しむんだが、全員が海秋って奴を庇う」
「香奈さんもっすか?仲、良いんすよね」
武がそう聞くと、香奈は頷いて答える。
「色々助けてくれる同僚ですが、写真を撮るような仲でもないですし……。小柄だし、可愛い顔をしているので、同性の友達みたいに思っています。人付き合いが良くて、佐間さんとも都岡さんともよく話しているのを見かけます。それぞれと出掛けていると聞いても、納得できそうな距離感で話しているのも見ますし……」
「怪しいっすね」
「そんな事ありません。呪いが付いていた石については、彼も知らなかったようです。彼の手元にあったダイヤとクローバーは、回収してここへ持ってきました。それにも呪いが付いていて、彼が被害に遭っていた可能性もあるんです。それなのに私が被害に遭ったことを話すと、とても怒っていましたし、古杣の時だって、親身に相談に乗ってくれたんです。何度も家を見に来るって言っていたのを、私が遠慮して断っていただけで……」
「なんで遠慮したっすか?」
「……その、家に来ても何かが解決するとは思っていなかったし、同性のように思っていても、一応、男性ですし……」
最後は消え入りそうな声で言う。
「う〜ん、そうなんすね。乃菊さんは何て言ってんすか」
「乃菊さんってのは都岡さんよね?香奈ちゃんから聞いてもらったんだけど、好みのタイプって情報以外はよく分からなかったようよ。佐間さんと違って、何かを貰った事もなさそうだし、接点もそんなになさそうだわ」
香奈はそれに頷いてから口を開く。
「1度デートしたと言っていましたが、それ以上は何もなかったと思います。それよりは佐間さんの方がまだ接点多めです。元は好きな人だったので、よく話しかけてもいましたし」
絵琉の話題に武が反応する。平静を装って香奈に質問した。
「今も、よく話してるっすか」
苦笑しながら首を振る香奈。
「まったく。大波さんのおかげで吹っ切れたようですよ」
そのフォローが嬉しかったのか、武は得意げに腕を組みながら言った。
「でも、やっぱり一番怪しいっすよ、その海秋って人」
武がそう言い、若月と礼を交互に見る。
じっと何かを考えているのは2人共に同じだが、口を開いたのは礼のほうだった。
「なぁ、家に入れたくないって事は、そいつ、時々男を出してくるんじゃないのか」
武はもしや怒っているのではと礼を見たが、その表情はまったく感情が読み取れない、無に近い顔だった。感情のない顔は作り物のように見える。
「目が丸く大きくて、一見すると小柄で可愛い。クセが強くてふわふわした髪が、仔犬を想起させて撫でたくなるような男だが、本性は腹黒いところが見え隠れするような奴、とか」
礼が無表情のまま聞いたが、香奈は少しドギマギしながら答える。礼の鋭い視線が怖かったのか、質問の内容に動揺したのかは分からない。
「え、あの、海秋さんは……髪はサラサラのストレートです。小柄で可愛いので……仔犬っぽいとも言えなくないですが、腹黒かどうかは……」
言葉に困っている香奈を見て、礼はふっと息を吐き出す。
「いや、なんでもない。海秋なんて、俺は知らないしな。アイツがこんなところにいるはずない」
最後はほとんど独り言だった。
「海秋さんについては、香奈ちゃんに頑張ってもらって、ここに来てもらいましょう。これ以上考えても煮詰まっちゃうし、武の方に移りましょう」
武は話の中心が、香奈から自分に変わったことで、背をピンと伸ばし座り直した。
「さっきも言っていたけど、武の中では1日しか経っていないのよね。でも武、最後にここに来た時は日曜日だったの、覚えてる?」
若月にそう言われた武は、左上を見ながら思い出そうとしている。
「金曜日に香奈さんの家に行って、土曜日に絵琉さんの家に行って、次の日はもう礼さんが横浜に帰ってて……。感覚では今日は月曜なんすけど」
「そこからさらに進んだ日曜よ」
まだ実感が湧かない武。記憶を辿りながら口を開いた。
「もしかして、1回家に来ました?」
「行ったわよ、水曜に。チャイムもしつこく鳴らしたし、外から声もかけたのよ。でも返事はないし、気配もない。怪異のような物も見つけられなかったわ」
それで、一度帰ったのだろう。寝てすぐだと思っていたが、2日は経っていた事になる。
「金曜の夜、礼に来てもらってもう一度行ったのよ。礼でも何も見つけられなかったけど、さすがにおかしいって事になって、不動産屋に電話したの」
「土曜日の朝、不動産の店舗担当者と警察官立ち合いのもと、マスターキーで解錠したようですよ」
「まじっすか」
香奈の説明に、武は驚いた顔で言った。
若月と礼がいた事は記憶にあるが、他にも人がいたのか。
「怨霊に呪い、それと結界が張られていたわ」
武は驚いて若月の目を見る。
「結界?誰が何のために張った結界っすか」
「誰か分かってたら犯人探しなんてしてないわよ。外からじゃ、あたしの耳も、礼の視界も異常はなかったのよ」
武は香奈の家に行った時の異様な雰囲気を思い出していた。あんな感じになっていないのなら、誰が来ても分かりようがない。
「あたしのカードを身につけたまま寝たのがよかったのね。守備範囲の外側は貪り食われていたけど、魂は無事でよかったわ」
「む、貪り……」
的確に表現されたであろうその言葉に、冷や汗を覚える。
寝ている時に聞いた、ガツガツ鳴っていた音を思い出す。あれがひょっとして、霊体を食われていた音ではなかろうか。
「鍵は玄関に落ちていたけど、郵便受けが開いていたから、外から投げ入れた可能性もある。時間の感覚を喪失させ、眠り続ける呪いが付いていたのは、香奈ちゃんも持っていたチャーム付きの石と類似しているわ。怨霊はどうやって入ってきたのか不明で、かなり強い奴よ。結界は外界と隔離するためのものね」
「外界と、隔離……?」
「そうよ。これは能力者対策だと思っていいわ。武、心当たりは?」
顔を捻って考える武。しかし心当たりなど、どこを探してもない。
難しい顔をして考えていると、香奈から質問が飛ぶ。
「あの日の事、覚えていますか?佐間さんの家に行った日です。記憶が曖昧な事とか、ないでしょうか?」
若月が補足するように言う。
「武は一晩中、古杣と睨み合っていたのよね。香奈ちゃんはそれを見てないのよ」
武が香奈を見る。申し訳なさそうな表情から、なんらかの責任を感じているのだと知った。
「古杣がいたら、私は帰っていないと思うんです。私が帰った後に、何か出来事があったんじゃないでしょうか」
香奈がそう言うと、若月が武に顔を向ける。
「もしくは翌日、ここを出てから家に帰るまでのどっちかね」
「オレは仔細を聞いてない」
礼がそう言うと、若月は頷いて香奈に言った。
「整理がてら、改めて聞かせてくれない?」
はい、と返事した香奈が口を開く。
「佐間さんの家は、建物の外からは何の異変も感じ取れなかったんです。それで部屋まで入ったんですが、私はもちろん、大波さんにも、変なものは何一つ見えませんでした」
香奈がちらりと武を見る。
「あぁ、そうっすね。思い出したっす。ちょっと広めのワンルームで、一人暮らしだから遠慮せずに中に入ってくれって」
香奈の家に感じたような異変は、絵琉の家にはなかった。
「香木はいくら探しても見つからなかったので、大波さんにじっくり調べてもらいました。それでも特に異変を発見できなかったんですが、佐間さんがとっても怖がっていたので、しばらく2人で部屋に残る事にしたんです」
そうだ。紅茶を淹れてもらって、それから……
「あ、海秋って人の話!絵琉さんがどれくらい好きだったのか、その人が会社でどれくらいモテてるのかって話を聞いたっす」
香奈は頷いて答える。
「はい。私も知らなかったんですが、海秋さんは社内でかなり人気があるようです」
「思い出してきたっす。絵琉さんと乃菊さん以外にも狙っている人がいるって」
「アイドルみたいな感じで見ているのかもしれませんね」
香奈がそう言い、武はハっとして言った。
「あの日、話してたのって乃菊さんの事だったんすね」
だんだん思い出してきた。武が思い出そうと俯いていると、香奈が代わりに話をする。
「海秋さんのどこが好きか語った後は彼女、泣き出したんです。友達と同じ人を好きになってしまうなんて、申し訳ない、自ら身をひいて諦める。そう言っていました」
「健気っすね」
武の感想に頷いた香奈は、そのまま続ける。
「2時間くらい滞在したでしょうか。紅茶も3杯ほどいただいて、私は途中でお手洗いを借りました。それで戻ってきたら……」
香奈は言うのを躊躇って武を見る。しかし考え込んでいる武とは目が会わず、どうしようかと彷徨った視線は、先を促す礼にとまった。
「その、佐間さんと、大波さんが抱き合ってて……」
ほんのり頬を染めた香奈がそう言うと、若月はまぁ、と言って頬に両手を当てる。
「え!」
小さく驚きの声を上げて香奈を見た武。
だが、その直後思い出した事がある。
香奈がトイレに立ったので、そろそろ帰ったほうがいいだろうかと絵琉に確認した。
そうしたら、『待って、帰らないで』と言って、彼女から抱きついてきたのだった。
「不安だったのでしょう。その気持ちはよく分かりましたので、後は大波さんにお任せして、私はすぐに帰りました」
絵琉が抱きついてきた時、もう1人いるような気がしたのは香奈だったのだ。さすがにその格好のままで香奈を見送るのは嫌だったので、絵琉を部屋に残して玄関まで見送った。
その後だ。
「そうか……。そうだ。香奈さんを見送って戻ったら、怨霊がいたっすよ」
「え!あの直後ですか?」
香奈が驚いて武に聞いた。
「そっすね。本当に直後っす」
絵琉は声も出せずに、怨霊と距離を取っているようだった。香奈の家にいた古杣と違って、人の形をした怨霊だった。
「最初は小さくなってたっすよ。それで封印できそうだと思って、オーナーから借りた布を持って近づいたら、ふいに伸びてきて鼻を齧られたんす」
そこからは睨み合いの開始だ。最後の方は眠気と集中力の低下で朦朧としていたような気がする。
少しでも近づけば攻撃してくる。どれほどの伸縮性があるのか計りかねて動けない。
そんな武を見かねてなのか、緊張に耐えられなくなったのか、絵琉が若月の布を持って怨霊に近づいて行ったのだ。投げるように上から布を被せ、それが成功したからようやく気を抜くことができた。
思わず抱きあって喜び合い……キスをしたような、しなかったような。
その後……その後はどうしたのか?
若月に報告するため”はなちるさと”に向かうまでが曖昧だ。疲れて寝てしまったような気もする。
これを全て報告するのは色んな理由で恥ずかしいと考えた武。掻い摘んで説明する事にした。
「絵琉さんと協力して怨霊を布に封じ、そのままここに来たっす」
「怪しい行動はなかったのか」
礼からの質問に、武が驚いて言う。
「怪しいって、誰がっすか?まさか、絵琉さんっすか?」
頷きを見て、武は勢いよく否定する。
「ないっす!」
「そうか。なら、ここから家に帰るまでに何かあったのか?」
礼の問いにしばし固まる武。ややして首を横にふった。
「特に思い当たる事がないっす」
「じゃあ、どこで怨霊なんて持ち帰ったんだ?」
「それっすよねぇ」
一堂から言葉が消えた。
ふいに、オートロックの呼び出し音。