紙呪〜shisyu〜 その14
*** はなちるさと・大波 武 ***
「小物に遭遇した」
戻ってきて早々、礼はそう言って武を見た。
「?」
どうして見られているのか分からない。
「ま、いいや」
ため息混じりにそう言った礼は、さっきまでいた場所に戻ると壁にもたれた。香奈も先ほどと同じ椅子に座り、若月も座ると指を鳴らして言った。
「さて、考察の時間よ。どっちが先にやる?」
「あ、大波さんからどうぞ。1週間分の疑問があると思いますので」
香奈はそう言って、武に話を譲る。しかし当の本人は、難しい顔で首を傾げた。
「疑問……疑問っすね。いや、何がなんだかっす。1日、寝てただけって感じで……」
ゆえに何を聞けばいいのか思い付かない。武はそう思って頭を掻き、一堂を見渡す。
「えっと、直近のことでもいいっすか」
若月の頷きを確認すると、さっそく質問に入る。
「なんで降霊みたいな危ないことやってたんすか」
武の言葉に香奈が目を丸くして言った。
「え、危ないんですか?」
当然のように頷いた武がそれに答える。
「そりゃそうっすよ。降霊するって事は、自分を依代にするって事っすから。めちゃくちゃリスキーな手法っすよ。何が楽しくて、自分から怨霊に体差し出すんすか」
「そ、そうだったんですね。私、憑かれるって事がまだよく分かってなくて……」
香奈の溢した言葉に、若月が答える。
「状態が同じなのよ。意図的に降ろそうが、無意識で憑かれようが、気力負けしたらじわじわ霊体が侵されていくわ。自我のある怨霊ってのは、常に生きている人の魂を狙っているのよ。魂は霊体が保護しているから、そう簡単にはいかないものだけど、融合が始まるとちょっと面倒よね」
武もうんうんと頷いて口を開く。
「古杣だって怨霊っすからね。変なきっかけで木から離れて、香奈さんに取り憑いたかもしれない。だからすぐに家まで行ったんすよ」
「そうだったんですね。私は無自覚でしたが、あの時すでに他の怨霊に憑かれていたんですよね。さらに取り憑かれていたらと思うと……怖いですね」
香奈はそう言ったが、武は首を横に振って言う。
「追加はないっすよ。あの蛇みたいなのが憑いてたら、他の奴は憑けないんす。でもこの店に来た時祓ってしまったから、家のヤツにもチャンス到来っすよ」
「1人に継続して憑く事だって簡単ではないんだけど、武のような事もあるから油断できないわね」
若月から補足が入る。武が病院に運び込まれた経緯を聞いて知っていた香奈は、改めて自分の身に迫っていた危険を知ったのか、胸元でぎゅっと手を握っている。ややして顔を若月に向けて言った。
「おかげで、こうして無事でいられたんですね。もし、取り憑かれていたら、今こうしていないかもしれないって事ですよね?」
「最悪の場合はね。通常はそこまで急激な変化はないのよ。年月をかけてジワジワ侵されていくのが普通ね。それに取り憑かれて日が浅ければ、少ないリスクで取り除く事もできるわ」
「でも、取る時めちゃくちゃ痛いっすよ」
武がそう補足すると、若月は肩をすくめて言った。
「融合してなければそこまで痛くないわよ。鼻齧られた時でしょ?武の体験した痛みなんて、瞬間的なものだもの」
「あぁ、それでさっきも痛いって」
香奈は納得したように頷く。
「さっきってなんすか?」
「1階で合流した時、頭に黒く揺らめくモノを付けていたので、てっきり古杣が憑いているのかと思いました。1週間寝込んでいたと聞いたので、大丈夫なのかなって」
「あ、頭に?はっ、まさかあの店の……」
困惑したような声の武に、礼が呆れ顔で言う。
「なんだ、気づいてなかったのか」
「鴨南蛮に夢中でした」
反省の意を込めて俯く武。香奈は首を傾げて言う。
「ここに戻ってくる時に見た小物って、大波さんに憑いていたモノですか?」
確認のため、香奈の顔が礼に向かう。
「そうだろうな。残滓と同じ色してたし。武は今、弱ってて憑かれやすからな。さっきのやつ、こっちには寄って来るが、同僚には気づかなかっただろ。能力がないと見つかりにくいって利点もある。だが武は今、見つかりやすく、憑かれやすい」
少し青ざめた武。哀れみの表情をした香奈の視線が居心地悪い。
「つまり俺は鴨南蛮に感動中に、あのずっと動かなかった店の怨霊に取り憑かれたって事っすね。あれ?それがなんで急に消えたんすか?」
「弾かれただけだろ」
「?」
「いや、若月の結界内に入ったから」
あ、と声にだしたのは武も香奈も同時だった。今度は香奈が質問する。
「それで、まだ入口付近にいたんですね」
礼は頷いて武を見る。
「元々あまり動けないヤツだから、放置していたらあの場に留まっただろうな。武がなぜ放置しているのかと思ったが、気がついてなかったのか」
「痛みはあったんすけど……」
「小物だからな。そんなもんだろ」
ちょこんと上に乗っているだけではあの程度のなのかと、武は痛みを思い出しながら記憶に刻んだ。
「因みに、なんすけど。融合していると、どうなるっすか?」
「そうだな。融合具合にもよるが、無理に剥がしたら気絶はするな。体質によればしばらく寝込んだりもするし、下手すりゃ一生起き上がれない。ただしここには入って来れる」
武は知らなかった情報に引き攣った顔になった。その様子を見ていた香奈が不安げに言う。
「そんなに痛いんですね」
「ショック死する奴もいるからな」
さっと香奈の顔が青ざめる。怨霊憑きでここにきた時、気絶した事を思い出しているのだろう。
「ま、融合してたらな。そこまで警戒しなくていい」
礼の補足に、安心したような香奈の表情。
自分が寝ていたという1週間で、この2人の距離は縮まったのだろうかと考えてしまった。それを振り払うように首を振った武は質問を変えた。
「そういえば、ヘラヴィーサってなんすか?俺、初めて聞いたっす」
「円卓の騎士に出てくる魔女よ」
「エンタクノキシ?」
武の首が傾く。
「ま、なんでも良かったのよ。ジャンヌでもアビゲイルでも。ほどほどの知名度でそれっぽい名前を適当に出したってだけ」
若月がそう言うと、礼が気がついたように口を開いた。
「あぁ、ヘラヴィーサって……ランスロットに横恋慕する奴か。どこかで聞いたと思ったよ」
さらに新情報までやってきて、ますます頭を傾けた。
「ランス……なんとかにアビ……アビゲイル?」
「セイラムの魔女と言われて裁判にかけられた人物の名前だ」
礼が補足したが、武はきょとんとして若月を見ている。言っている事があまり理解できていない顔だ。それを見た若月から苦笑が漏れた。
「つまり、デタラメやってたって事」
「ええ!そうなんすか?」
武がようやく理解したようだ。香奈も密かに安堵の息を吐く。
「事前にやり方を聞いていたんですが、コックリさんの原型になった伝統的な降霊術だと思ってました。よかった、本当に霊が動かしているのだと思っていたので、少し不安だったんです」
香奈はそう言ったが、今度は武があれっと首を捻る。
「それなら、なんでカード破いて結界張ったんすか?」
礼に顔を向けた武。
「媒体がデタラメでも、能力あれば呼べるだろ。無知を装って隙を狙っていた可能性だってあるし、知らず利用されている可能性もある。香奈が怨霊と呪いを連れて来た事をもう忘れたのか」
「あ、そうか」
武は納得したが、今度は香奈がひっかかった。自分の指を見て、ぽつりと言う。
「でも、誰かが動かしているような感じはしませんでした。私はもちろんですが、みんなの腕が動くか、それとなく見ていたつもりです。もちろん、誰の腕も力が入った様子は、少しもありませんでした」
若月は首を横にふって説明する。
「勝手に動いたように感じたのは、脳の誤作動だと思っていいわ。有名なのは、不覚筋動ってやつね。原因は色々あるけど、霊的なものじゃないわ。無意識に人が動かしているものよ」
「そうだったんですね。雰囲気に飲まれて信じてしまうところでした」
安堵の息を吐いた香奈。武はなんとなく思っていた疑問を投げかける。
「色々答えてたのって、全部適当っすか?」
若月は頷いて答える。
「あたしと香奈ちゃんは、意識的に力を抜いていたから、主導して動かしていたのはあの子で間違いないわ。ま、前半の回答は願望で、後半は知っている事でしょ」
最初の質問。
『礼の恋愛運を教えて』
若月はそう言って、乃菊はすでに出会っていると答えた。しかも1ヶ月以内と。
この時香奈は、不思議な力による回答だと信じたかったのではないだろうか。しかし若月は”偶然”ではなく、”願望”だと言う。
「礼さんの恋愛運が、あの人の願望って事っすか」
「あれは、彼女自身の事を言いたかったのだと思うわ。ずっと礼を見ていたもの。色目も使っていたし、相当意識していたわよ。これから親交を深めよだなんて、いじらしいじゃない」
さっと香奈の表情が陰る。ライバルが増えたと思っているのだろうか。
礼は来るもの拒まずの雰囲気がある。乃菊が積極的に口説けば、1晩くらいは相手してもらえるかもしれない。しかし香奈からすれば、同じ会社の同僚と、そんな共通項ができるのは嫌だろう。礼が他の女性と肩を並べる事だって、きっと嬉しくないだろうし。
「途中で口寄せと言っていたのも、何も来ていなかったって事ですか?」
そんな武の想像を他所に、香奈が若月に質問している。
「あたしは何も感じ取れなかったわ。礼もでしょ」
若月がそう言って礼に目を向ける。腕組みのまま、礼は頷いてから口を開く。
「色んな視界で試したが、何も降ろしてなかった。そもそも、今日は若月の結界もちゃんと2重だし、入ってこれるはずもないんだけどな」
そう言うと破かれた金のカードを、指の間に挟んでみんなに見せる。
「念のために魂も見たが、呪われていなかったし、輝きもなかった」
「輝き?」
香奈が疑問の声を上げる。礼が輝きがないと言うのなら、乃菊は非能力者だ。
「つまり、さっきの女は何も知らないってことだ。能力もないし、完全シロだよ。古杣の件だけ誰かに利用されたんだろ」
「では、月の光の力を借りて、何かやっている、とか?」
香奈の質問に、ぷっと吹き出したのは若月だった。