アーサー殿下の愛は屋烏に及ぶ(2)
『アーサー殿下は何度も九死に一生を得る(1)』の続編です。今作はキャラクターの詳しい説明を省いています。前作をお読みいただければ幸いです。
二人の結婚後の話をお楽しみください。
王太子であり最強の騎士であるアーサーと貧乏子爵令嬢で最強の魔法使いであるジュリアは、国をあげての盛大な結婚式を終え王宮で仲睦まじく暮らしていた。
「ジュリア、おはよう」
ベッドで片肘をついているアーサーは寝起きだとは思えない程整った顔でジュリアを覗き込み、眩しい程美しく微笑んだ。
「お、お、おはようございます」
何度一緒に朝を迎えても、この状況に慣れることはできず……ジュリアは毎回真っ赤に頬を染めてしまう。
「ふふ、いつになったら慣れてくれることやら」
アーサーは目を細めながら、ジュリアの髪を優しく撫でた後ちゅっとおでこにキスをした。
「うゔっ……一生慣れそうにありません」
ジュリアは顔をすっぽりと隠すようにシーツを上にあげた。
「照れている君も可愛いけれどね」
甘い声でそう囁き、シーツの上からジュリアを優しくぽんぽんと手で叩きながら慰めた。
「結婚翌日に比べたらましになったしね。あの日はジュリアと結婚したはずなのに、夢だったのかと思って驚いたんだから……くくっ……ははは」
アーサーはその日のことを思い出して、思わず吹き出した。
「もうっ! あれは忘れてくださいませ」
「ごめん、ごめん。あまりに衝撃的だったからさ」
ジュリアは子どものようにむっ、と唇を尖らせて拗ねる仕草を見せた。そんな彼女を、アーサーは蕩けるような瞳で見つめている。
結婚式を終えた夜、二人は正式な夫婦になった。ガチガチに緊張したジュリアを、アーサーの大きな愛で包み込みとても幸せな時間を過ごした。
そして、素晴らしい朝を迎えるはずだったのだが……アーサーの目が覚めると隣にジュリアの姿がなかった。
「ジュリア? ジュリア、どこだ!?」
右を向いても左を向いてもジュリアはおらず、寝室中を必死に探し回ったがどこにも彼女は居なかった。
「まさか。全部私の夢だったんじゃないだろうな」
アーサーはジュリアが『最強の魔法使い』で『自分と結婚した』なんて全て都合の良い夢だったのではないかと不安になった。
だってアーサーが九死に一生を得た時はいつも、現実味を帯びていなかったのだから。
「……夢じゃありません」
蚊の鳴くような小さな愛おしい声を、アーサーが聞き逃すはずがなかった。
「ジュリア? そこにいるのか」
「……はい」
なんとジュリアは広いベッドの端に透明になって身を隠していた。
「どうして透明になっているんだい?」
「は、恥ずかしくて」
「はあ……居てくれて本当に良かった。お願いだから、姿を見せて欲しい」
アーサーの心配そうな顔を見て、透明だったジュリアはようやく姿を現した。
「ご、ごめんなさい」
「まさか消えているなんてね。ふふ、結婚初日からこんなサプライズがあるとは」
「どんな顔をしたらいいかわからなくてですね……その……すみません」
アーサーはそんなジュリアも可愛いらしいな、と思いぎゅっと強く抱き締めた。
「逃げられないように今日はずっとこうしていようかな」
「ええっ!」
「妻に逃げられた王太子だなんて格好がつかないからね。もう逃さないよ」
それからアーサーからキスの嵐を受け、時を止めて彼の腕からやっとの思いで抜け出して『ずるい』と彼から睨まれたことはつい最近の出来事だ。
「最近は透明にならずに隣に居てくれるから、幸せだよ」
アーサーはにこり、と微笑み身体を起こした。王太子であるアーサーは毎日忙しい。二人でいつまでもゆっくりしているわけにはいかず、今日も分刻みのスケジュールが詰まっている。
「アーサー、無理だけはしないくださいね」
「ああ、ありがとう。ジュリアも今日は魔物の討伐だったね。私はどうしても一緒に行けないから、充分に気をつけて欲しい」
「全然平気です! 私の得意分野ですから任せてください」
ジュリアは得意げにそう言った。今日の彼女は、隣町の山奥で最近悪さをしているという魔物を退治する予定になっていた。
「君の力はわかってはいるが、心配くらいはさせてくれ」
「……はい。ありがとうございます」
「殿下、魔物の討伐は一瞬で終わったのですが……その……」
「確かにさっきもの凄い音がしたな。なにか問題でも起きたのか?」
王宮にまで響く『ドォーーーーン』という大きな音と共に、王都の裏にある小さな山が一つ綺麗に消え去ったと報告があったのはアーサーが書類仕事を片付けていた時だ。
近隣の街にはしっかりと防御魔法がかけられており、無害だったそうだが……あまりのスケールの大きさに報告してきた臣下たちは皆若干引いていた。
「ジュリアが山を吹き飛ばしただと?」
「はい。しかも王太子妃殿下は『力加減を間違えた』と青ざめ、新たに森をお造りになられていました」
困惑した臣下からの報告を聞いて、アーサーはジュリアが山を吹き飛ばして焦っている様子を想像して面白くなってきた。
「ふっ……ふふ、我が妻はなんと豪快なことか」
朝のもじもじしている彼女からは想像できない程の、圧倒的な魔法使いとしてのパワーだ。
「こんなことを言うのは大変失礼だとわかっていますが、私は正直少し恐ろしいです」
「恐ろしい?」
「この国は王太子妃殿下の一存で一瞬で滅びます」
そう言われて、アーサーは冷静な気持ちで『確かにそうだな』と思った。この国どころか、彼女が本気を出せば隣国までも綺麗に消せる気がしたからだ。
「ジュリアがこの国のマイナスになることをするはずがないだろう」
「それはそうなのですが」
「君の言いたいことはわかる。実に一般的な意見だ。だが、これ以上愛する妻を疑うなら私も許すことはできない」
「……っ! も、申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」
逃げるように頭を下げて去って行った臣下を見つめながら、ふうとため息を吐いた。
強すぎる力は憧れの対象にもなるが、同時にそれは恐怖の対象にもなる。これは結婚する前からわかっていたことだ。
「さて、どうするかな」
彼女の世間の目から守るのは夫であるアーサーの役目だ。
「アーサー、すみません。力を間違えて山を吹っ飛ばしてしまいました」
「お疲れ様。かなり豪快だったそうだね?」
「三割くらいの力にしたつもりだったんですが……」
悪戯が主人にばれた犬のように、ジュリアはしょんぼりとしながらアーサーに魔物討伐の報告をしに来た。
「ありがとう、助かったよ。これで民の心配事が一つ減った。しかも新しい森を造ったんだって?」
そう伝えると、彼女は嬉しそうに顔を上げキラキラと瞳を輝かせた。
「はい! 山は平らになりましたが、緑がいっぱいの方が街の皆が喜ぶと思いまして。きっと魔物から怯えて逃げていた動物たちもすぐに戻ってきます」
アーサーは最強の魔法使いなのに子どものように素直なジュリアのことが、愛おしくもあり心配でもあった。
「そうだな。さあ、私も今日の仕事は終わりだ」
「本当ですか!?」
「ああ、少し早いがディナーにしよう」
アーサーはジュリアと一緒にご飯を食べるのがとても好きだった。なぜなら、ジュリアは本当に美味しそうに食事をとるからだ。
「美味しいです」
目を閉じてうっとりしながら味わっているジュリアを、アーサーは優しい眼差しで見つめていた。
アーサーの周りには、こんなに嬉しそうに食事をとる人はいなかったからだ。
王族として恥じないようにと幼い頃から厳しくマナーを躾けられ、好き嫌いがあっても決して顔に出さないようにと教育された。
「ジュリアと食べる食事は何でも美味しい」
「……? 美味しいのは王宮のシェフの腕が良いからですよ」
ジュリアはキョトンとした顔で、当たり前だと言わんばかりにそう返事をした。
アーサーはわかっていた。どれだけ高級な食材で、素晴らしい腕のシェフが作った料理でも一人で孤独に食べる食事がどれだけ味気ないかを。
「いや、全部ジュリアのおかげだよ」
「……私、何も作っていませんよ?」
「ふふ、私の傍に居てくれるだけでいいんだ」
アーサーが微笑むと、ジュリアは恥ずかしそうな顔をしてごくりとパンを飲み込んだ。
ジュリアは最低限の貴族としてのマナーは身につけているが、貧乏な子爵令嬢だったので苦手なことも多い。
舞踏会は相変わらず嫌いでダンスは上手く踊れないし、貴族令嬢には必須の刺繍の出来も酷いものだ(ジュリア曰く破けたものを繕うことはできるらしいが……)
アーサーがジュリアから刺繍入りのハンカチをもらった時、正直何が縫われているのかわからなかった。
「これは……可愛い黒猫だね」
紳士であるアーサーは自分の動物の知識をフル回転させた結果、猫だと判断し『可愛い』と褒めた。
「う……馬デス」
「うま……?」
まさかこれが馬とは。真っ黒な塊に耳が付いているのはわかるが、アーサーはあまりの出来の悪さに驚いていた。自分の周りには凝った刺繍をする御令嬢方しかいなかったからだ。
「すみません……上手くできなくて……」
ボソボソと話す彼女の指にはたくさんのテープが貼られている。
それを見た瞬間、アーサーは自分のために怪我をしながら頑張ってこれを作ってくれたのかと胸がいっぱいになった。
「ありがとう、離れていても君だと思って大事にするよ」
「いえ! それは処分してください。次はもう少しマシに作りますから」
「君がくれた物を、私が捨てるはずがないだろう」
「だ、だめです!」
「ふふ……これはもう私のハンカチだから、ジュリアに捨てる権利はないよ」
そのハンカチは、肌身離さずアーサーの胸ポケットに入っている。
「刺繍も満足にできないなんて。これだから下級貴族の出は嫌なのよ」
どこからその話を聞いたのか、アーサーの義母である正妃がそんな嫌味を言ってくることが度々あった。わざと皆の前で言ってくるのが性格が悪い。
彼女は元々は有力な公爵家の娘であり、父である国王陛下とは完全な政略結婚だった。アーサーを殺そうとした第一王子の実母でもある。
息子である第一王子の一件で、彼女の発言力は急速に落ちていた。
そして側室の子であるアーサーが王位継承権を取ったことを面白く思っていないため、怒りの矛先は妻のジュリアに向いていた。
「あなたのお母様も貧乏な下級貴族でしたものね。きっとお母様に似ているからお好きなのね」
アーサーはその発言がどうしても許せなかった。ジュリアと母……大好きな二人を侮辱されたからだ。
「発言を撤回してください」
「……本当のことを言って何が悪いのかしら」
好色なアーサーの父には何人もの側室がいる。身分が低いが優しく可愛らしいアーサーの母を気に入り、半ば無理矢理嫁がせた。
アーサーの母は、父の一番お気に入りの側室で愛し大事にされていた。母も父を愛していたように思う。国王陛下として冷徹な面はあれど、それは紛れもない事実だ。
しかし陛下は明確に正妃と側室の線引きをしており、正妃を蔑ろにしたことなどなかった。
「ジュリアは普通の令嬢には出来ぬことがたくさん出来ます。あなたのように刺繍が上手くできたからと言ってなんです? この国を救えるとでも仰るのですか?」
「ですが、貴族の常識が何も出来ないなんて王家の品位が……品位が下がります!」
ヒステリックに叫ぶ王妃を前に、アーサーはフッと馬鹿にしたように鼻で笑った。
「品位ですって? 兄上が私にしたことをお忘れですか? 半分とはいえ血を分けた弟を殺そうとするなど、品がないことこの上ないですがね」
「……っ!」
「兄上をけしかけたのが誰なのか……しっかり調べてもいいんですよ?」
アーサーは口元だけに笑みを作り、顔色の悪い王妃を冷たく見下ろした。何度も殺されかけた事件の一部はきっと王妃の差金だとわかっていたからだ。
「義母上、随分と小さくなられましたな」
彼女の顔をじっと覗き込み、ニィッと口角を上げた。
この国最強の騎士であるアーサーは、鍛えているため身体も大きい。
「私はもうあの時の弱い子どもではない」
「ひぃっ……!」
「私は愛するジュリアを傷つける人間を、誰であっても許しません。そのことだけお忘れなく」
ギロリと睨みつけひとしきり脅して、その場を去った。きっともうあからさまなことはしてこないだろう。
アーサーは幼い頃、義母や兄にも愛されたくて必死だった自分を思い出し胸が痛くなった。
「アーサー! アーサー‼︎」
そんな時、遠くからブンブンと手を振っているジュリアが目に入った。
「……ジュリア」
「アーサー、見てください。畑で私が育てた野菜が取れたわ。これでシェフがランチを作ってくれるそうよ」
ジュリアは生家で畑をしていた。貧乏だったからというのが一番の理由だが、彼女は野菜を育てることが好きだった。
だから、アーサーは王家の庭にジュリアが好きにできる畑を作ってあげていた。王太子妃としての振る舞いではないと批判もあったが、アーサーはジュリアにのびのびとしていて欲しかった。
「うわっ、危ない」
ジュリアはさっきまでかなり遠くにいたのに、一瞬でアーサーの目の前に来たので流石に驚いた。
いきなり籠いっぱいに野菜を持って現れたジュリアを、アーサーは慌てて抱き止めた。
「えへへ、驚かせてごめんなさい。早く見せたくてテレポーテーション使っちゃいました」
どうやら彼女は魔法を使ってアーサーのところまで移動したらしい。
「ふふっ……はは。いいよ、ジュリアが胸に飛び込んで来てくれるならいつでも大歓迎だ」
彼はそのまま耳元で甘く囁き、ジュリアの頬にキスをした。
「ひゃあっ! こ、ここ……廊下ですよ。誰かに見られたらどうするんですか」
「見られても構わないさ。それとも時を止めてもっとする?」
「し、し、しません! ランチ……そう、ランチを食べますよ」
「そうか。残念だな」
真っ赤になったジュリアを見て、アーサーはさっきまでの沈んだ気持ちが吹き飛んでいった。
♢♢♢
「ずっと見ていると、このハンカチもかなりハイセンスに思えてきた」
「殿下……恐れながら申し上げます。そのハンカチに全くセンスはありません」
アーサーは、淡々と告げる側近のゲルトをジロリと睨んだ。
「そんな顔で睨まれても、これは事実です。殿下の間違った認識を諌めるのも私の役目ですから」
「……頭ではわかっている。だが、私には良く見えるのだ」
猫のような馬の刺繍のハンカチを広げて、アーサーは指でそっとなぞった。
「好きになったら、想い人の屋根にいる烏さえ愛おしく思えるという言い伝えは本当のようですね」
なるほど、確かにそうかもしれない。つまりは一般的にマイナスだと言われるところも含めて、どんなジュリアも愛しているのだ。
下手な刺繍でも嬉しいし、彼女が泥だらけで畑仕事をしていてもいい。ダンスでリズムがずれたって、可愛らしく思えてくる。
山を吹っ飛ばす豪快な彼女も好きだし、照れて姿を隠してしまう彼女も愛おしい。
「夫婦仲がよろしいのは良いことです」
「そうだな。だが、最近困ったことがある。彼女の力があまりに巨大すぎて、臣下や民たちから恐れられているらしいのだ」
「……普段の王太子妃殿下をご覧になれば『恐ろしい』なんて発想にはなりませんけどね」
「そうだな」
アーサーはジュリアの天真爛漫なところをみんなに知って欲しかった。そして彼女の魔法は決して怖いものではないと理解させたかった。
あの魔法は、何度もアーサーを助けてくれたものなのだから。
その時、大きな地響きと共にガタガタと建物が大きく揺れた。部屋の中の本や書類が床に散らばる。
「殿下っ! ご無事ですか」
「焦るな、大丈夫だ。かなり大きな地震だな」
アーサーは揺れがおさまるのを待って、冷静にゲルトに指示を続けた。
「王都の被害をすぐに調べよ。街の怪我人はすぐに王宮の医師たちに診せるのだ」
「はっ!」
「あと、ジュリアの居場所を突き止めてくれ」
「わかりました」
ジュリアが被害に遭っていないことを祈りながら、アーサーは動き続けた。
「殿下っ!」
ゲルトの焦る声に、アーサーは冷や汗が流れた。こういう場合、良い話であるはずがない。
「王太子妃殿下が地震で倒壊した教会が崩れぬように、魔法で食い止めていらっしゃるとの報告が」
「何だって!」
「人が多すぎて建物を魔法で壊すことが出来ぬようです」
アーサーは『危ない』と止める側近や臣下たちを振り切って、すぐに馬で駆け出して現場に駆けつけた。
「ジュリアっ!」
そこには額に汗をかきながら、倒れた巨大な教会を一人で支えているジュリアの姿があった。
「アーサー!」
「待っていろ、今助け……」
「私は大丈夫です!」
ジュリアは真剣な顔で、アーサーに向かって叫んだ。
「できるだけ皆をここから遠ざけて! 本当は破壊したいのですが、街中でそれをすると被害が出ます。不甲斐ないですが……もう守るためのバリアを張る余裕はないし……私の魔法もいつまで持つか」
臣下の報告によると、ジュリアは地震の後すぐに王宮にバリアを張った。そしてテレポーテーションで王都に移動し、苦手な回復魔法を使ってたくさんの怪我人を治し……街中の瓦礫を動かして道を作り、今は教会が倒れないように押さえているらしい。
いくら彼女が最強の魔法使いといえど、明らかに魔法を使いすぎであり限界を迎えていた。
「……わかった。すぐに皆を避難させる」
「ありがと……ございます」
「ジュリア、君を信じてる。だから君も私を信じてくれ」
アーサーがそう伝えると、彼女は力強くこくんと頷いた。
「さあ、皆ここから早く離れ王宮へ迎え! 子どもや病人、年配のものは騎士が手助けする」
アーサーはテキパキと臣下たちに指示をして、民衆の避難を誘導した。
「大丈夫だ! 安心してくれ。皆には私がついている」
戸惑い混乱していた民衆たちも、自分たちの尊敬する王太子殿下自らが指揮をしてくれることに段々と落ち着きを取り戻した。
「ジュリアっ! 安心してくれ、もうこの街には誰もいない」
アーサーは馬を走らせ、最速でジュリアの元に向かった。
「そう……よかっ……た」
ジュリアはフッと笑った瞬間、そのまま真っ直ぐと地面に倒れ込んだ。
それと同時に『ドォーーーーン』『ガラガラガラ』という大きな音と共に教会が粉々に破壊された。
「ジュリア、ジュリアーーっ!」
彼女の上に瓦礫がバラバラと落ちていき、砂煙が街全体を包んだ。
「街がすっかり元通りだ」
「ああ、全部アーサー殿下とジュリア様のおかげだな」
「間違いないな。あのお二人は本当に凄いよ」
あの地震から三ヶ月、崩れた街はほぼ元通りになっていた。
「しかし、ジュリア様はお可哀想なことだったな」
「ああ……」
「でも、仕方がないさ」
街の民衆たちは助けてくれたジュリアのことを想い、心配そうな顔で王宮の方向を見つめていた。
教会が崩落した時、ジュリアはその下敷きになった。
「ジュリアーーっ!」
いつも冷静なアーサーもこの時ばかりは取り乱し、必死に瓦礫をかき分けなんとか彼女を救い出した。
そこには気は失っているが、薄いバリアに守られた傷ひとつないジュリアの姿があった。
「ああ……良かった」
目を潤ませたアーサーは、大事に彼女を抱きかかえ王宮に戻った。
だが、ジュリアは目を覚さなかった。バリアに守られたまま、死んだように生きていた。
食事をとらないどころか、身動き一つしない。しかし、心臓はゆっくりと動いており体温も平熱より低いが一定の温度を保っていた。
「本当に彼女の身体に問題はないのか!」
普段穏やかなアーサーが珍しく声を荒げて、医師に詰め寄った。
「はい、問題はございません。しかし、私たちは魔法使いの方を診たことはないので……正直なんとも申し上げられません」
「そう……か。わかった。取り乱してすまなかった」
一向に目を覚まさないジュリアが心配で、アーサーは付きっきりで看病をした。
「ジュリア、君のおかげでたくさんの人が助かったんだ」
アーサーは優しく話しかけながら、ジュリアの髪を撫でた。
「お願いだから、早く目を覚まして欲しい。君がいない世界は色を失ったようだ」
見た目の変わらないジュリアに比べ、ろくに眠らず食事もほとんどとらないアーサーはだんだんとやつれていった。
「殿下。お辛いのはわかりますが……王太子妃殿下のためにも、もう少し食事を召し上がってください」
「わかっているが、食欲がない」
アーサーは毎回美味しそうにご飯を食べるジュリアの姿を思い出しながら、食事を半分以上残してカトラリーを置いた。
街の復興のため日中は休みなく仕事を続け、夜はジュリアのベッド横の椅子で座ったまま眠る。
側近のゲルトや臣下たちはアーサーの身体を心配したが、彼がジュリアの傍を離れることはなかった。
「ジュリア、そろそろ目を覚ましてくれないと困る」
アーサーの目から大粒の涙が零れ落ちた。王族は『人前で弱さをみせるな』と、幼少期からきつく言い聞かされてきたアーサーは物心がついた時から一滴も涙を流したことはなかった。
ジュリアの頬がアーサーの涙で濡れていく。それを見て、自分が泣いているのだと初めて気がついた。
「涙など……何年振りだろうか」
ポケットからジュリアに貰ったハンカチを出し、そっと頬を拭いた。
「私は君を失うことが何よりも恐ろしいんだ」
アーサーは死にそうになった時ですら、落ち着いていた。それなのに、今はジュリアという最愛の妻がこの世を去ったらと思うだけでガタガタと身体が震えてきた。
「愛してる」
ジュリアの唇にそっとキスをすると、彼女の瞼がゆっくりと開いた。
「ジュ……リア……良か……った」
突然のことに驚き固まっているアーサーの前で、ジュリアはパチパチと瞬きをした。そして、そのまま彼をぼんやりと見つめていた。
「ジュリア! 身体は大丈夫か」
その呼びかけに反応して、ジュリアはガバリと勢いよく起き上がった。
「大丈夫かって……それはこっちの台詞ですよ。顔色が悪いし、どうして泣いているのですか? アーサーを傷付けた人は誰なんですか! あなたのことは私が守りますから安心してください」
凄い勢いで捲し立てて話すジュリアを見て、アーサーはどっと力が抜けた。
あまりにも『いつも通り』のジュリアで安心したからだ。
「ア、アーサー?」
アーサーはそのままジュリアの胸に飛び込み、甘えるようにぐりぐりと頭を押し付けた。
「ひゃあっ!」
「少しだけ……このままでいて欲しい」
ジュリアは目覚めたばかりで、今の状況がよくわからなかった。だけどアーサーの声が震えていたので、ジュリアはよしよしと慰めるように彼の頭を撫でた。
そしてしばらくそうした後、アーサーが握りしめている刺繍のハンカチを見て叫び声をあげた。
「ぎゃあっ……! このハンカチまだ持っていたのですか!?」
「ふっ……ふふ、あははは。一週間振りに起きて、私に最初に言いたいことはそれかい?」
アーサーの涙はいつの間にか止まっていた。ジュリアが傍にいるだけで、暗くどんよりした世界だったのが嘘のようにキラキラと輝き出した。
「だってそのハンカチは失敗作で……」
「失敗作なんかじゃないさ。これはジュリアが指に怪我をしながら作ってくれた、世界に一枚しかないハンカチだ」
どんなに周りから『不格好なハンカチ』だと言われたとしても、アーサーにとっては大事な宝物だ。
ジュリアは困ったように眉を下げながら「そ、そうですか」もじもじと照れていた。
ドンドンドン
「殿下っ! 話し声が聞こえましたが、まさか王太子妃殿下がお目覚めなのですか!?」
どうやら二人の声が外まで聞こえていたらしい。アーサー以外も皆ジュリアのことを心配していた。
「ジュリア、身体は本当に平気なのか?」
アーサーは、側近には返事をせぬまま小声でジュリアに訊ねた。
「はい、元気いっぱいです。そもそも魔力回復のため、自分にバリアを張って充電していただけなので」
ジュリアは両腕で力こぶを見せるような仕草をした。
「ならば、今すぐ私たち以外の時を止めてくれ」
「え?」
ドンドンドン
「殿下っ! 返事をしてください」
外からはまたドアを叩く音が聞こえている。アーサーはチッと嫌そうに舌打ちをした後、ジュリアの耳元に唇を寄せた。
「ジュリア、お願いだ。早く」
「えっ……ええっ……と。はい」
その甘い囁きにジュリアは真っ赤になりながら、魔法をかけた。
その瞬間、二人以外の時が止まった。当たり前だが、さっきまで聞こえていたノック音もピタリと止まっている。
「これで邪魔はなくなった」
アーサーはニコリ、と不敵な笑みを浮かべてジュリアをベッドに押し倒した。
「ええっ! い、い、いきなりどうしたのですか」
「私がこの一週間……どれだけ心配したか」
「……すみません」
「ジュリアが足りない」
少し痩せ頬がシャープになったアーサーは、儚い美青年さがいつもより増していた。
「私にも君を充電させて欲しい」
「んっ……ふっ……」
アーサーは生きているジュリアを確かめるように、何度も何度もキスをした。
「良かった……生きていてくれて」
「アーサー、心配かけてごめんなさい」
「ジュリア……ジュリア……」
アーサーはうわごとのように、何回もジュリアの名前を読んだ。
すー……すー……
「ん!?」
急に動きが止まったアーサーを確認すると、彼はジュリアの胸元ですやすやと眠っていた。
「ふふ……おやすみなさい」
ジュリアはそのままアーサーが目覚めるまで時を止め続けた。完全復活したジュリアにとってはそれくらい朝飯前なので何の問題もない。
魔法で怪我や毒の治療はできても、寝不足は治してあげられない。痩せた体重を戻してあげることもできない。
「魔法は時に無力ですね」
ジュリアはアーサーの前髪をそっとかき分け、おでこにちゅっとキスをした。
「愛しています」
「……アーサー、私はもう一人で大丈夫です」
「だめだ」
そしてジュリアが目覚めてから数ヶ月経った今でも、アーサーはべったり彼女と一緒に過ごしていた。
あまりに一緒にいるので、今や民たちにも『アーサー殿下はジュリア様を溺愛しすぎていて心配だ』なんてもっぱらの噂だ。
地震から民を守った英雄としてジュリアは一躍時の人となっていた。そして、彼女の魔法を怖がる者たちはいなくなった。
そして建物や道の復旧を素早く指示をしたアーサーの優秀さも、民からの王家の支持をさらに押し上げていた。
「あんな大地震があったのに死者がゼロだなんてな」
「他の国じゃ信じられないことだ」
「食糧も皆にきちんと配ってくれて、家が潰れた者たちには住むところを提供してくれたらしい」
ボーデン王国の民たちは、次期国王になるアーサー殿下とジュリア王太子妃殿下に一生ついていこうと決めていた。
「国民がいて初めて国といえる。民を守るのは国を守ることと同じではないか!」
国家予算を超える規模の支援に渋る上層部の人間を、アーサーは一蹴した。
貴族社会にはいまだに『平民はどうなってもいい』と思っている人間がたくさんいる。アーサーはそんな古い考えは捨て去りたかった。
「はは……綺麗事だな。我が息子らしい優しすぎる考えだ。だが、アーサーに王都の全権を渡してやろう。私は国全体の問題を考えねばならぬのでな」
「はっ、承知致しました」
「一刻も早く街を元通りにしろ。民が飢え、税金が滞れば王家にも影響が出るからな」
「……はい」
アーサーの父である国王は、良くも悪くも冷静な支配者だった。言っていることは間違ってはいない。
しかし父のその考えがアーサーは好きではなかったが、今は反論する時ではないと黙ってグッと耐えた。
アーサーは自分が王になった時、もっと下々の者に優しい国にするのだと心に誓った。
「本当に一人で行くのか?」
「そりゃあ、行きますよ。アーサーは書類が溜まっているでしょう」
あの地震から半年経過して、ジュリアはやっと一人での外出許可が出た。
「……気をつけて。何かあれば無理をしないで欲しい」
「わかったわ」
ジュリアは今日、魔物の討伐に行くことになっている。今回の魔物は力はたいしたことはないが、かなりすばしっこくて騎士達が皆手を焼いているというのだ。
「私が行って斬ればいいと言ったのだが、却下されたのだ」
アーサーはつい最近ゲルトに『あなたにしかできない仕事を優先にしてください』とこってり怒られたのだ。
「ふふ、そりゃそうですよ。じゃあ行ってきます」
「ああ、よろしく頼む」
「お任せください」
ニコッと笑ったジュリアは、一瞬でアーサーの目の前から消えた。
トントントン
「入れ」
「アーサー殿下、まずはこの書類に目を通してください。あと一時間後には軍部の会議があり……その後は隣国の王族との交流会があります」
相変わらずの分刻みのスケジュールを聞いて、アーサーはふうとため息をついた。
「わかった」
そう返事をしながら、ふと窓を見ると一匹の烏がとまっていた。そしてその烏は、ずっと先の山の方に消えていった。
「あの烏は今、ジュリアがいる方向に飛んでいった」
「それがどうかしましたか」
「ふむ……前にゲルトが話していた『愛及屋烏』という言い伝えは本当かも知らぬ。あの烏がジュリアの近くにいると思ったら、なんだか愛着が湧いてくる」
真顔でそう言い切ったアーサーを見て、ゲルトは苦笑いをした。
「アーサー殿下、烏は所詮ただの烏です」
「ただの烏でも、ジュリアに少しでも関係があれば私はそれを愛せるってことさ」
アーサーは嬉しそうに目を細め遠くを眺めながら、ぽつりと呟いた。
「殿下の惚気で、私は胸焼けしそうです」
「そうか?」
「ええ。でも……昔からお仕えしている身としては、殿下が毎日楽しそうで安心しております」
アーサーは早くに母親を亡くし、可愛がってくれた姉も隣国に嫁いでしまった。それからは、毎日誰にも隙をみせないように生きてきた。
そんな中でもアーサーは真っ直ぐに育ち、優しく強い王太子に成長した。何でもそつなくこなしていたが、いつもなにかを『諦めた』雰囲気があった。
「ゲルト、昔から私の味方でいてくれて感謝している」
ゲルトは王位継承権などなかった時から、アーサーの面倒をみてくれていた。
「今の殿下の方が表情豊かで、お仕えし甲斐があります。まあ、その胸ポケットにある猫のハンカチはいかがな物かと思いますけれどね」
ゲルトにそう言われてアーサーはくくくっ……と声を殺して笑い出した。
「なぜ笑うのですか」
「ゲルト、これは馬だ。正真正銘のな」
アーサーは胸からハンカチを取り出して、広げてゲルトに見せた。
「これが? 馬ですかっ!?」
「ああ。ジュリアが馬だと言えば馬だ」
「その理論は……どうでしょうか?」
納得していないゲルトを横目に、アーサーは綺麗にハンカチを畳んで胸ポケットに大事にしまった。
「猫でも馬でも烏でも、ジュリアに関わるもの全てが私の宝物だ」
ふっと笑ったアーサーは、とても幸せそうな顔をしていた。
END
【愛は屋烏に及ぶ】
※人を愛すると、その愛する人が住んでいる家の屋根にいる烏をも愛するようになる。
愛する人の関係するすべてのものに愛情を注ぐようになることのたとえ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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