第2.7話+β 現在と将来の僕
前回の話の補足です、もしちがっていたら
ぜひ連絡ください。
僕は“彼ら”を糾弾する気はさらさらない。もともと1人が好きだし。正直これ以上関わりあいたくないというのが本音だ。僕自身の将来の保障と、もう一度彼女を会うこと以外さしたる望みもない。
非難するつもりはないが、1つだけ、どうしても引っかかるものがある。“彼ら”の中の一部、おそらく10代後半〜30代前半の男子による年下の女の子に対する扱いだ。子孫繁栄を身内でと考える以上そのようなバイアスが働くのはしかたがないが。ずっとひっかか
っていた。
彼女は決してそうした行為がものすごく好きというわけではなかった。
同級生の“彼ら”も彼女を口説いていたがうまくいってなかったようだ。その時の彼らの態度を見ていればわかる。明らかに僕にたいして苦々しい敵意をもっていた。
しかし、“彼ら”と思われる上級生のリアクションはなにかちがう。お邪魔虫め!くらいな目で苦々しさは感じない。
彼女は唐突に、「きょうはいいよ」と言う。そして、僕が彼女に無理強いしない事を明らかに喜んでいた。
今思うと何かあるとしか思えない。
“彼ら”のうちお兄ちゃんは年下の女の子に対して何らかの優先権を持っているのではないのか?それなら、彼女の積極性がある程度理解できる。自分で相手を選ぶ自由を手にしたかったんじゃないだろうか?そう考えると辻褄があうのだ。
初めてのデートの日、彼女は体のラインの強調されたジーパンをはいていた。けど、鈍感の極みの僕はそれをとくにじろじろ見ない。
「他の人とちがってじろじろみないのね」と微笑んでくれた。
「ふつうはみるのかな」と訊くと。
くしゃっと笑顔を作って
「そうよ」
と微笑んでくれた。
お兄ちゃんの話をする時の彼女の感情はものすごく微妙な感覚で単純にはあらわせない。わたしは認めるけどおかしいでしょとは言わないが感情としては、そんな感情であったように感じる。彼女はその制度を受け入れている。疑問をもちながら。おそらくその制度以外の部分は“彼ら”の世界を受け入れて自分のものにしているのだ。それならわかる。なんだかいろいろなことが。
そいつらからしてみれば僕は彼らの所有物を横から掠め取る害虫というわけだ。害虫は駆除する必要がある。彼女が恐怖した理由もなんだかわかる。
ある日のこと、吹奏楽部の練習でその日実験的に机を組んで仮設ひな壇をつくり、コンクールのステージ風にして練習したときがあった。オーケストラなどで、奥に行くほど壇が高くなっているやつを机でマネたのだ。
僕と彼女はトロンボーンだ、位置はかなり後方、乗ると結構高いし不安定、一瞬バランスをくずす。たいしたことはないのだがたいそう心配する彼女。ほかの人がいる手前、あまり親しげにしてはいけなかったはずなのに、
「昨日、あなたが高いとこから落ちる夢をみたの」
オカルトなんて信じないぼくは正夢を信じる彼女をからかった。
しかし、ものすごく彼女は萎縮している。きっと僕がここで落ちることを心配しているのではなく、誰かに何かされることを連想して萎縮していたんだと思う。普通でないくらい心配してくれた。当時の僕は意味がわからずとにかく照れた。
最近“彼ら”のターゲットにされていらい、10年来の友人を失った。孤立化は彼らのオハコだ。もしかして、彼も“彼ら”だったのだろうか?思い当たるふしがなくはない。すると「20世紀少年」同様“絶好”を言い渡された人物はなにが何でもそうせざるえないのだろうか?そいつも不自然に若い彼女を持っていた。短期間でわかれたとか言っていたが、どういう経緯で出会って、どういう子なのかついぞ説明されなかった。僕の考えすぎであることを祈りたい。
もしこの考えが正しいとしたら、今の彼女は僕をのぞんでないかもしれない。もうその制度に悩ませれてないとしたら、僕を求める理由がないからだ。
満足しているのだろうか?それが彼女の幸せというなら無理強いはしたくない。けど1度あって、この17年にけりをつけたい。
今回の件で止まっていた僕の時間は動き出した。しかしそれは1年間分で16年は止まったままだ、ショートカットにしたあの日以降の彼女の気持ちをしりたい。彼女は巻き返しを図ったように思う。その後彼女は何度か僕と会おうと努力していた。
卒業式の日、僕は“彼ら”の誘導により彼女とひきさかれた。ぼくは卒業式後、3年間をともにした部活の仲間と最後の別れをしていたつもりだが、実際はちがったようだ。仕組まれたシナリオだった。彼ら全員が“彼ら”とは思いたくないが、卒業後、用のなくなった僕に連絡をくれる友達は一人もいなかった。卒業式の後、僕を彼女から隔離に成功した彼らは消えていった。
実はこの後彼女に会っている。初めてショートカットの彼女をまじかで見たのはこの時が初めてだった。正直似合ってない。“彼ら”の計画に気づいた彼女は猛反撃に転じ、最後1人とぼとぼしている僕の前にあらわれた。いったいどうやって僕の居場所を突き止めたのだろう。
「今年の失業式はなんだか去年と違う感じになっちゃったでしょ?」
彼らによって僕が誘導された事を彼女はにおわす。全然気づかない僕。もうこの時彼女とどう接したらいいのかわからなくなっていた僕は混乱した。以前のように心をうまく開けない。
今のぼくなら、このままこの場で彼女をかっさらう。アガサクリスティーよりも完璧なトリックを使って尾行をまき、どこか離島にでも逃げ込む。田舎なら2人でどうにでもなると思うし、“彼ら”得意の人海戦術もここでは用をなさない。仮にそれでも攻めてきたら、また別の島へにげればいい。海外でもかまわない。海外にも“彼ら”の仲間はいるときくがそんなこと知ったことではない。彼女と2人でいればそんなもの水滴を拭くがごとくけちらしてやる。2人でいれば…だが。僕は今1人だ、1人は無力だ。
最初、尾行をうまくまいた彼女は満面の笑みをうかべていたが、それは短時間でおわった。僕がようやく以前のように心を開きかけたその時先ほど別れた僕が当時友達だと思っていた人もどきが戻ってきた。実はこの後の記憶がどうもはっきり思い出せない。充実した会話はできていなかったせいだ。僕は完全に心を閉ざしていた。
最終的にはあと数回顔をあわせる。会うとは書かない。部活のOBとして何回か顔をあわせる。
飲み会の席で、周囲に監視の目があるにもかかわらずやさしいまなざしを向けてくれる彼女。けど、このころの僕はどうかしていて、もう彼女はぼくのことなんかどうだっていいんだと思っているに違いないと思いこんでいた。
その時でもいいから、彼女をかっさらってしまえば後はどうにでもなるのに、やる気ゼロだった。
あれは、いつの事だったか、1年の浪人生活を終え、再び吹奏楽OBで飲み会をやる機会が巡ってきた。今、思えば僕が友達と思っていたそいつは僕の出席を歓迎はしてなく、警戒していた。
すでに計画は出来上がっていた、用意周到に男子班、女子班に分かれれ、自然な形で2次会を別々の場所で開き、僕らを引き裂く。
彼女の“意表をつかれた!”という表情と“なんでいっちゃうの?”という表情。あの日あの時のあの表情の意味が今理解できようとは夢にもおもわなかった。
分かれる、いや、引き裂かれる前、飲み会のせきで彼女は途中から大胆にも僕の隣に移動し、陣取った。今思えばこのまま最後まで僕のそばを2人きりになるまで離れないつもりだったのかもしれない。
今ようやくあの時の周囲の異様な空気の意味を理解できる。彼女はまだ戦っていたのだ。
どういう事だろう?だったら手紙の1つもくれていたら。当時の僕でさえちがう反応ができたはずだ。
理解できない不自然な現象の時は、なにか必ず欠けた情報が存在する。
記憶が前後しているかもしれないが、印象的な記憶が残っている。
もう彼女の気持ちが理解できなくなった僕は、完全無視をした。空気のように。飲み会で最後店をでて店前でたむろす時。とにかく僕は彼女の目の前を空気のように横切った。この時の僕の気持ちは、
“これだろ?これがお望みなんだろ?”
瞬間彼女がおお泣きした。近くにいた女子が動揺し彼女をいさめる。僕は動揺したが声をかけられなかった。心を閉ざしていたのは軽率だったと思う。動き出した時間はこの時点で再びまた停止した。
記憶が混乱している。
彼女は横浜の音楽の専門学校に行くとい聞いた、ブライダルなんとかとかいう、結婚式でピアノを弾く仕事につきたいと言っていた。時系列がはっきり思い出せないが、記憶している以上どっかで聞いたはずだ。いま思うとこの学校自体“彼ら”のものと考えるのは考えすぎだろうか?
大学合格後、一度新横浜に行くから待っててと手紙に書き、返事も待たずに実行したことがある。卒業後の彼女の行動が気になりはじめていた頃だ。確かめたかった。彼女と僕のことを
駅に着く、まつ、来ない。いや、じつは気づいていた。ずいぶん遠くのベンチに男女2人組みが座っているのを。女の方は小柄で、彼女が座るとあんな感じになる。以前のぼくらを遠くから見ている錯覚に陥る。
あれは彼女だったのだろうか?
じつは“彼ら”の心理戦のなかに、人の認知力を惑わす手法がある。周囲の赤の他人と思っている人が全員白いヘッドフォンをしていたり、似た風体の別人を似た服装で何度も見るとか、一度気になりだすとものすごいストレスになる。
人は空白の情報を常に埋めたがる性質がある。一見意味のないそれらも毎日続くと、意味があるように感じ、妄想が膨らんでいくのだ。
根拠に乏しい断片をいくらつむぎ合わせても答えがでず精神を蝕んでいく。この場合、このバイアスをかけようとする人間の意図を読みとれば意外と答えがでる。
あの光景はまさにそうした心理戦の一部だったのかも知れない。
だとしたら“彼ら”の心理戦を突破して、彼女にたどり着く方法はあるのだろうか?
同じようなことは高校時代にもあった。後ろから見るとまるで僕と瓜二つの男子がいた、やはり同様に笑顔だがよそよそしい読めない仮面でいやらしい笑顔をする。
授業中ヘをなんどもし、非常にくさい。やつとは一度受験会場でも会ってる。僕の席の2つ後ろで話しかけてきた。ものすごい偶然のはずなのに驚きを見せない、さも当然という態度。その態度は最近よくみる男たちに共通して見られるものと同じだ。マニュアルでもあるのだろうか。
浪人時代、おそらく僕は完璧に彼らに監視されていた。時々同級生に会い、声をかけてくる。もちもんそいつらからどこかへ誘われた事も一度もなければ、電話がかかってきたこともない連中だ。中にはバイクに乗っていたやつもいた。みな妙に親しげでよそよそしい。
たまに、部活の仲間にあうと、妙ににやにやして、僕が近況を話してもまるで全てを知っているような態度だ。この時、ぼくはこいつのことを友達だと思っていた。いや、3年前からそう思っていた。この事実に気がついたのもほんの数日まえだ。いま考えれば、僕らの行動をずっとこいつがさぐっていたのだ。
「お前本当にわからないの?」
浪人中ぼくは半年間ファミレスでバイトをした。その日遅刻しそうで自転車をとばしているとバイクとぶつかった。幸い怪我はない。
そのとき、バイクのうしろから1台の自転車にのったやつが現れた。
その後会う機会があった時、こういわれた。ずっと監視していたのだろう。しかし彼女に対し心を閉ざし衝心の僕は友達との会話がうれしかった。こんな下劣なやつとの会話なのに。
もう一つ気になる記憶がある。大学入学が決まり、引越し作業中。
父方の実家で爺さんが亡くなった。お通夜にとあわただしく一家で遠出の準備をしていると、向かいのおじさんが様子をうかがう。普段そんなことしないくせに。普通訊くなら何かあったんですかと聞きそうなものをどこに行くのかせわしく聞いてくる。
僕がこの状態であったなら、彼女はどうであったのだろう?おそらくもっと厳重な監視下だったに違いない。たった一人で。ぼくと関わったばかりに…。考えすぎだろうか?もう一度会えるとき訊こうと思う。あればだが…
この後に及んでも僕は彼女のことが好きだ。初めてあった、あの高校の廊下での出会いのときから、一寸の狂いもなく同じ想いをしている。伝えたいことが山のようにある。あの日あの時の不甲斐なさをわびたいし、わかってあげられなかった事も直接わびたい。今日今日僕がここにいるのは君がいたからであり。そうでなければとっくに自殺していた。真実に気づいた今、君に断りなくもうこの命粗末にできない。君があれほど一所懸命守ろうとしたものを僕の一存で勝手に処分することはできない。
人間はギリギリまで追い詰められたとき、最後にしがみつくのは思い出だ。ぼくの人生はがらんどうのアルミ缶のようなもので、うすっぺらい映画や本の知識しかない。その中で風に飛ばされそうなアルミ缶を一つの重い石ががっしりと中に入り込み、風に飛ばされるのを防いでいる。その石のおかげで、突風が吹こうが、大雨が来ようが、吹き飛ばされない。
君との思い出が僕にとっての唯一の思い出であり、最後につなぎとめてくれる希望なのだ。うすっぺらいがらんどうの空間は、あの日あのときの2人きりの世界、別時間とも思える永遠の時間で今もぼくの支えとなったいる。
このあたりにきて、ようやくなんで君が僕ごときを好きでいてくてたかわかってきた。
誰が何を考えてるのかわからないような世界で生まれ育った君からみれば。ま逆の位置にいる僕。
あれはまだ1度目の破局が起こる前、夏祭りの前だったと思う。この日彼女もよもや近々発見されるとは夢にも思ってないころで、神社ではないところとで会おうといってくれた。彼女も僕同様一人が好きらしく、彼女は神社以外にも秘密の場所をいくつか持っていた。
午後昼をすぎたくらいの時間、後ろは何らかの造成予定地で長い草に満ち、前は真新しい舗装道路。その境にある白いブロックの境界に2人で座った。
今思うと彼女は特段暗がりが好きなのではなく。このような場所も好むのだなとおもう。白いブロックの境界上に2人ならんで腰掛け、じゃれあっていると、彼女の持っているカバンが気になった。
「なにはいってんの?」
と聞くと。答えを渋る。今思うと、それはそれは見られてはまずいものがきっと入っているに違いないと思うが、当時の僕は思わない。
話の流れ上拒否できなくなった彼女はカバンを開け、慎重に慎重に中を吟味してから取り出した。8割ほど。今思うとポケベルを見られたくなかったのかもしれない。間違いなく目立つから。
ノートや手帳といった類のものが出てきて、何でそんなもの必要なんだと訝しく思ったが聞かなかった。なんと言ってもまさか自分が本気で好かれてるなどとは思ってなかったわけだから。おいそれときらわれそうなことは訊けなかった。
手帳のなかに写真が2枚はいっていた。中学時代の彼女の写真とごく最近のもの。両方とも1人で写っているもので、誰に撮影してもらったかについて訊くとはぐらかす。
「1枚ちょうだい」
というと。猛烈な拒絶をみせる。キスしたってそんな抵抗みせないくせに…。おそらくそれはポケベルなみに大切なものなのだろう。
だが、この後彼女はこの写真のうち、1枚をくれる。
それはあの彼女の大告白ののち、僕がじつは何もわかってないと気づく前の出来事だ。その写真をくれるという行為は、彼女にとってあのポケベルの呼び出しを無視するのと等しい行為だったのかもしれない…
ぼくは卑しい人間だ。彼女がそれほどの思いでくれたプレゼントをなくしてしまった。そういえばずいぶん立派なデザイン額に入れてプレゼントしてくれていた。そこに込められた彼女の想い、そしてそれをなんのためらいもなく踏みにじった僕。
大学生の時の最後の電話で彼女は言った。
「まだもってたの?」
僕としては当然なのだが、彼女のあまりにあっさりした反応に落胆し、扱いが雑になり、最終的にはなくしてしまう。
けどそれは、彼女にとって踏みにじられた想いのモニュメントであり、踏みにじった張の本人のぼくが、その自覚もなく大切にしていたことへのなんともいえない感情の表れだったんだと思う。きっと電話口の向こうではこの人はこれでいいのよという目をしていたと信じたい。
それとも、僕のこの今の現状はやはり天罰なのだろうか?
神社で最後に“彼ら”を出し抜いた日
彼女は満面の笑みで僕と座った。かとおもったら、ぼくをのこしてどこかへ立ち去ってしまった。
気がつくと神社の社を歩いて一周してきたのだ
「ふふふ、だれもいないでしょ?」
最大限のヒントを出しているのだがぼくはただただこのかわいい笑顔がすきで好きでたまらないだけだった。
怒って当然のはずだが、そのまま怒りひとつみせず僕の愚鈍さを受け入れてくれた。
その後しばらく彼女はまだこの時の思いを失っていなかったはずだ。卒業後の何度かの彼女の巻き返しはドラマのようであり、感動的なはずなのに、ぼくの記憶はそれを忘れよう忘れようと17年間勤めてきた。あれほど必死だった彼女の行動。いま、薄らぐ記憶の中からどうにか掘りだす必要がある。
なぜそれほど大切な記憶を消す努力をしてきたかというと…。
たかがバレンタインチョコレートを貰えなかったという程度の理由なのだ。3月の時点で燃え尽きていた。心を閉ざしてしまった。
彼女はいつの時点までこの思いを維持できたのだろう?会ってもう一度確かめたい。
大学に入り、喜んだ僕は早速彼女に手紙を書いた。この頃になると僕の精神状態もだいぶ改善され、夜中かなしばりにあったり、不眠で悩むこともなくなった。、八王子で開放感にひたっていた。
知らせる相手をして彼女の顔が浮かんだ。卒業後の一連の彼女の行動が再び僕の心に火をつけようとしていた。
ある日電話が鳴った。彼女から連絡がきた。手紙に記載した連絡先に直接かけてきてくれたのだ。以前かいたように基本的に2人の会話は僕ペースで僕が一方的に話す。僕は高校時代と同じのりではなした。
彼女に何があり、裏でどのような壮絶なドラマが展開されていたかまったく知らなかった。
彼女は最初宝物をあけるような声をしていた。だがそれは最終的にものすごく重いトーンになり、最後は気をとりなおして普通の声になったように記憶がある。ぼくが高校の時とまったく同じのりなのをきいて落胆し
「あいかわらずね」
と言った
今思うと、期待をこめて電話してきたはず。いくら何も知らないといっても、1年ぶりの会話、何か他にやりようがあったと思うが、僕は雑学系の話をして彼女の気を引こうとしていた。もうその時期ではないというのに…コミュニケーションスキルはこの後に及んでも機能しなかった。でも僕なりに心に火がついたことをアピールした。
彼女の気持ちがさめていったのはこの時なのだろうか?ようやく僕の気持ちが復活したとき、彼女の心の火が消えてしまったのだろうか?
ぼくがもっとちがうこと、まさに、あの最後の密会の時、聞こうと思っていた事を聞けばよかった。あれが最後の会話になろうとは…。
ひょっとしたら、彼女は僕の出方しだいでは秘密を告白する気でいたのかもしれない。 こんなセリフを言わすだなんて僕は本当にどうかしてた。
今は会って、この時どう思っていたのか確かめたい。必死にかけてきた電話だったのだろうか?まだ、想いつづけていてくれたのだろうか?
君は最後にこういった
「こんな、話をするとはおもわなかった」
彼女は時おり仮面をつける。
“彼ら”は仮面をつける技能をもつ。特に筋金入りはすごい。この事実に気がついたのはごく最近なのだが、振り返ってみればそれはぼくが小学5年生の時から始まっていた。
小学5年生の“彼ら”からしてみれば僕は格好の練習相手なのだ。自分のつたない技術でも心を容易に操れる僕はうってつけだ。
以前小5のとき、教室で三保松原人体博物館という建物の話を何人かの同級生のまえで披露したときのこと、たった一人だけ、どうしても僕の話を信じないやつがいた。入り口が人の口を模していて、出口が肛門なんだといってもせせら笑う。理詰めがすきな僕はそいつのいう疑問点を1つ1つつぶし、完全に全部つぶした。それでも信じない。
「どうして?」
と訊くと、また最初に言ったすでに言った疑問点をもちだす。それはさっきいっただろとつぶす。せせら笑うしか手段のなくなったそいつは僕の知らない高度な技能で威圧する。しかし周囲にいたほかの同級生はあきらかに僕の味方で、双方引き分けに終わる。
相手のもっとも不快に思う表情、しゃべり方、しぐさをわざとすることで、相手の心理を萎縮させたうえ、自分の本心もかくせる。それがこの特殊技能の正体だ。
同じ「もしもーし」という発言ももっともカンにさわる言い方を発明し、全員で共有する。
ターゲットは毎日その不快な「もしもーし」を聞かされ萎縮する。というか、それしか聞いたことない人間は彼ら同様のカンにさわる「もしもーし」しか使えなくなり、周囲から一生そのような人物として扱われる。
ぼくは格好の練習相手だったにちがいない。日々感じるストレスから逃げるにはどうすればいいのか?関心をもたなければいのだ。僕の“超”がつくほどの鈍感力も、もともとの素養も加えてこうして磨かれたと考えるのはいきすぎだろうか?
彼女が仮面をはずさない理由、それは監視の存在をうかがわせる。と、いうことは、ぼくが愛くるしいと感じた初対面のときの彼女、1〜2年の時の彼女のあの笑顔も大半は仮面だったのかもしれない。そう考えると悲しいが、もう1つ重大な事実に気づく。
つまり僕と会っていた時の、あの密会の最中の愛くるしい笑顔は彼女本来のものであり、“彼ら”ですら間じかにめったに見れないもので、ぼくはそれをずっとずっと見ることができた、今でも脳裏に焼きついている。
僕は知っているのだ。本当に心をひらいたときの人間の表情というものを。彼女に教わった。彼女からもらったあの美しい表情が僕の人格の骨格の重要な構成要素になっている事を彼女に今、つたえたい。
だがもう2度と会えない。
単純に彼女がかわいいだけなら、おそらくここまで好きにはならなかった。
当時も今も僕は待ち続けている、彼女からの手紙を。今もというのはおこがましいかもしれないが、あるうすぼやけた記憶のせいだ。
それは僕が17年間忘れよう忘れようとしていた高校卒業後の記憶のなかにある、確信がもてない記憶の断片。事実か自分でもはっきりない記憶のなかにある心に引っかかるもの。
彼女は僕に手紙を書いたといったような気がする。記憶違いだろうか?そしてぼくは「そんなのもらってない」と答えた記憶がある。
なぜそう思うかというと、実際会えたわけだから、手紙の到着の有無などどうでもいいと感じた記憶が残っている、もしかしたら彼女はその他にも手紙を出していたのかもしれない。“彼ら”なら伝票の残らない普通郵便を途中でわざと紛失させるくらいできるかもしれない。彼女は必要以上に自分を抑える遠慮がちな部分を持つ。だから伝票の残る手紙、書留や内容証明郵便などは考え付かなかったのかもしれない。けど、彼女は背中をおされるとどこまでもいけるところまで突き進む性格をしている。ある日突然そうした手段があることに気がついて僕に手紙をくれる日が来るかもしれない…。
普通に考えれば非常識極まりない考えなのだが、彼女の場合はちょっと違う。変わっている。なくはないと思えてしまう。
僕の知る限り、普段彼女は遠慮がちで、おとなしくて、自己主張などめったにしなくて、謙虚ではにかみ屋なのだが。いざ背中を押されると、行けるとこまでトコトンどこまでも突き進む。何者も省みずリスクを恐れない。そしてふと我にかえり、自分の無鉄砲さに震える。けど、後悔はしない、自分の判断でした事だから決して悔いない。そんな性格をしていた。似ている、2人は似たもの同士だと思う。トコトン突き進む程度の差こそあれ、僕と彼女はその辺似ている。そして他人からわ非常識だと思われる。手紙などいまさら来るはずはないのだが、あえてそれを否定したくないのはこの彼女の性格ゆえなのだ。
最近、彼女との思い出の映画「紅の豚」を見返した。忘れていた記憶がよみがえる。彼女は言った。
「女の子の髪型、私と同じでしょ?」
彼女はヒロインと自分をだぶらせて見ていた。そして豚と僕を重ね合わせて見ていた。
今思い出す、身もだえのする事実。彼女は確かに言った。記憶している、当時の僕はまったく気がつかなかった彼女の発言の真意。それに気づいた今の僕の動揺。なぜ動揺するかというと…、
彼女はあるシーンが一番好きだといった。それはヒロインが豚を守るため、大勢の男たちに対してたった1人で立ち向かい、大演説をし、最終的に男たちを追い返してしまうシーンだ。追い返した後、ヒロインは豚と2人きりになり急に震えだす。恐怖がおくれてやってきたというシーン。彼女はまるで自分のことを描写しているように感じたにちがいない。リアルタイムで彼女は僕を守るだめに奮戦していてくれたのだ、当時。
風のうわさに現在の彼女は失踪したと聞いた。うわさは確認することができず、やるせない思いがつのるばかりだ。僕の妄想は希望的観測として、彼女が僕のために1人で戦っている姿を思い浮かばせる。
だが、もしうわさどうりなら事実はきっと、早々に力技で連れ戻され、考えを改めさせる。現在の僕がついこないだまで受けていた彼らの猛襲を考えると、彼女はどれほどの目の遭っているのだろうと考えると身のよじれる思いがする。こちらに越してきてから猛襲が控えめになった。彼女は東京にいるのだろうか…。
僕はもう待つより手段がない。
17年前、ある分岐点があった。
高校生の彼女のメガネ姿なんか1度もかけた姿見たことなかった。
なのに当時、彼女はメガネを持っていた。いつだったか忘れたが彼女の胸のポケットに黒ぶちのダサいメガネが入っていたのに気がついた。2人並んで座っていて、ぼくが彼女に触れたときたまたまいつも持っていないそれに気がついたのだ。
「目わるいの?」と訊くと、悪くないと答える。
じゃあなぜかけてるの?と訊くと
「これかけて髪型かえて自転車のると私だってわからないでしょ?」という。
もちろん尾行対策なのだが、今考えるとどれほどの効果があったのか疑わしい。
「かけて見せて」というと猛烈にいやがる。理由をたずねると
「似合わないから…」という。
尾行のことなど露ほどにも思わない僕はなぜ似合わないめがねをかけるのか面白がって詰問した。困った彼女は実際それをかけて見せた。ホントに似合ってなかった。このままでは話がさらに彼女の都合の悪い方向に進みそうだと思った彼女は機転をきかせて
「あなたがかけてみて」とそのメガネを僕に渡した。
かけて彼女に見せると
「ふふ、似合ってない」と微笑んだ。その笑顔がかわいくて、それ以上追求しなかった。
いま思えばあれは重大な分岐点だったと思う。あのまま彼女を追及し続けていたら、なにか変わっていたかもしれない。ぼくが自発的に彼女の闇を追及したのは当時この時だけだったと思う。僕も遠慮がちで、控えめで、自己主張などあまりしない人間だった。
もう今の僕に彼女を追及する手段はない、ごく最近彼女の実家に連絡をいれた際も、あろうことか彼女のニセモノが電話にでてきた。
僕もバカじゃない、性格の違いや声の違いくらいわかる。それに妙に親しげでよそよそしい。いくつか質問をした、本人にしかわからないようなことを 全質問のなかに1つだけウソの事実をいれた、見事ひっかかった、本人じゃない。当時彼女を監視していた“彼ら”の1人なのだろうか?妙に詳しかった。
これ以上の自発的行動はできない僕は、もう待つしか手段がない。
一縷の望みに期待をたくして…。手紙を待とうと思う。書留か内容証明郵便、郵パック、宅配便、伝票の残る形での手紙の出し方はいくらでもある。表の世界のルールを破れない以上“彼ら”とて届けざる得ないと思う、ちゃんと着いたか伝票さえあれば追求できる。
住所は昔と変わってない、電話もそうだ。僕の場合、古い彼女の住所から現在の実家を見つけ出すまで1日かかった、電話帳とお父さんの名前、あとはPCがあれば十分だ。本気で探せばできるはずだ。
一般的に考えてこれらは荒唐無稽なフィクションに思われる。
けど僕は17年まえにもらった彼女からの手紙がそれを覆す。それは夏祭りの大告白ののち、僕の態度の対する彼女の思いを綴った内容の手紙だ。僕はこの手紙だけどうしても処分できなかった。何度読んでも意味がわからないのだが、彼女の言い表せない思いがひしひしと伝わってくるからだ。彼女は遠慮がちな表現を使いながら、僕を怒らせないよう気遣いながら僕を非難した。しかし肝心なことが抜け落ちている。感覚だけで書かれたそれは胸をうち、涙をさそうのだが意味がわからない…。
17年たち、事実に気づいたいま、手紙のなぞは解凍され、すべてが理解できるようになった。そして、この手紙の物理的存在がこれら僕の考えが必ずしも妄想でないことを保障してくれている。ほんとにごめん理解してあげられなくて。君の価値に気づけなかった。
今でも外にでると彼らに遭遇する。随分観察した結果、ある事実に気がついた。
なぜ、彼女が最初のデートでマックに入ったとき、オレンジジュースしかたのまなかったのかの理由がわかったのだ。
彼らのテクニックの肝は常に対象とする人間のパーソナルスペースを侵害し続けることで、連続的緊張をしいて精神不安や体調不良を誘発することにある。常にしかめっ面、必要以上な接近、わざと自らの食事姿を見せたり、感じのわるいタバコの吸い方、感じの悪い腕の上げ方、感じの悪い接客…、1つ1つはたいしたことないが何十人何百人が連続して行うとかなり効果がある。
17年前、ポケベルで呼び出された彼女はこうしたことをさせられていたのだろうか?そういえば「女の子がタバコなんて感じわるいでしょ?」とか雑談のなかで言っていた。初めてのデートで食事をしなかったのは、精一杯の好意の現れだったのかもしれない。
東京にいたとき、この彼らの猛襲に遭遇し、最初その正体に気がつかなかったぼくは、精神的に追い詰められ、最後の2日間は本当にぎりぎりの所まで追い詰められた。必死でネットを探り、彼らの名を知った、書いてある情報を見た瞬間、17年前のあの謎の思い出が次々と蘇ってきて、すべてを悟った。もし、あの記憶がなかったらその後僕は電車の中でナイフを振りかざしていたかもしれない。彼女に再び救われたことになる。17年前僕を守ってくれたように…。彼女がぼくにとって特別な存在であるのがおわかりいただけるだろうか?
1度リストにのった人間はおそらく一生ターゲットにされ続けるのだろう…、TVでみる有名人の謎の変死もギクリと感じる時がある。あるラジオパーソナリティーなど、彼らと遭遇しているとしか思えない話を毎回している。20世紀少年の漫画版が売れた理由が以前はわからなかったが、今はよくわかる。“彼ら”のなかの彼女のように疑問を感じている人達にしてみればあの物語は切実に感じるのだろう。
僕はいずれ“彼ら”に刈られるだろう…。どこまでがんばれるか。
君は僕がこんな事を言ったらどう思うだろう、
推察するに君はかなり高い地位の旦那に嫁いだものと思われる。でなければ“彼ら”の熱気とヘリまで飛んでくる理由は説明できない、信頼する人まで彼ら側にまわってしまった…。
こんなこと書いてごめん…
君の力で僕をリストからはずしてもらう事はできないだろうか?
“彼ら”と遭遇するたびに君の事を思い出す。これで忘れろというのは無理な相談だ。
君が望むなら手持ちの宝物を処分もするし、一生口をつぐみもする。他の人間にいわれても絶対しないが、君に言われたらそれは絶対だ。なぜなら、ぼくの立ち位置は君の望むべき世界が実現するのを祈るというものだからだ。君がそれを望むなら受け入れる。
もし奇跡がおきて再会できても、ぼくは“彼ら”によって誘拐犯にでもされてしまうだろう…。
もし君が想像以上に僕を思っていてくれて離婚を考えたとしても、実家の協力が得られなければ弁護士費用も工面できないはずだ。僕には地位も財産もないし、そもそも僕が関われば不貞罪が成立してしまう。
別居が長期間に及べばそれも容易ときくけど、身内に対しては容赦ない彼らがそれを許すとは到底思えない。本で読んだ、考えを改めさせたくて奥さんを寺に軟禁して毎日修行させた話を…。
敵の敵は味方という、わかるだろうか?彼ら最大の目の上のたんこぶ。かつてたもとを分かち合っていたもうひとつの“彼ら”。
もしくは、外国に起源をもつ似て非なる“それ”しかし慎重に完璧に準備しないと。通常とはちがう手段。人とちがう発想のできる君なら思いつくはずだ。
それに、僕の希望に反して今の暮らしに満足していて、僕の事などどーでもいいと思っているのかもしれない、それならそれでいい、あとは“彼ら”に刈られるのを待つだけだ。
もし、少しでもなにか思う事があったら、助けてほしい。心をもらった上、人生までほしいと言うようで、自分でもずうずうしいと思う。けど、君の知る僕は君の想いもしらずぬけぬけとこういう事を言う人間だったと思う。もし、この人はこれでいいのよと思ってくれていたら。ぜひご尽力を。自分でも愚鈍で軽薄なお願いだと思う、これも君を忘れるためには必要なことだと思う。
今も外で大型トラックのアイドリングが聞こえる、極低周波で不快感をさそうつもりだと思う。これに対抗する手段はいくつかあるがここには書かない。今日、日吉神社に行ったら工事で通行止めになっていた。ネットに書いて数日でこの調子だ。君の実家を訪ねたこともつい最近あったのだが、その時も通行止めが3箇所もあった。“彼ら”はあまくない、同情や情けの通じる相手ではない。
昔、小学生の時。学校の近くの文具店のおばさんの悪いうわさがひろがった。しかし、そのおばさん自体は悪い人ではなく、当時不思議に思った。ちなみに現在その店はない。
今、ぼくも小学生の間でなにかしらうわさされてるらしい、うわさが“彼ら”以外の一般の人にも広がればやっかいな事になる。その手の冤罪にはめられてしまいかねない。
火事にも気をつけなければならない、形に残らない形で警告をうけている。
東京にいた時は正直“彼ら”と刺し違える気でいた。君のためならそれもできると思った。しかし運命は途中で狂い、僕自身のあまい見通しによる判断ミスから、現状のようになってしまった。僕に新しい人生を歩む資格があるのだろうか?もし君が読んでいてくれるのなら、教えてほしい。
こんな事を書いていたらまた1つ思い出した。
あれは君がもう部活をやめるつもりだと言っていた時の事、それを聞いた僕は「やめたいやつは辞めればいい」と宣言した。人づてにそれを聴いた君は部活に残ることにした、そんなこともあった。しばらくして君は僕がそんなこと言ってたと聞いたと言った、僕はとぼけた。現にとなりに君がいるのだから言う必要がなかった。
今のぼくはどこへ進めばいいのかまよっている、君はぼくの一部となってしまった…、否定は自殺を意味する。君にことわりなくそんなことはできない。人は話せばつうじあえる、僕はこれを信念にしてる、通じないのは、ボクに表現力が足りないからだ。高嶺の花と思っていた君に気持ちが通じた事実が僕にこの信念を持たせた。君を否定することは信念の否定だ。この先おそらく気持ちの通じ合える人には出会えないかもしれない、君と関わったばかりに会う人会う人“彼ら”がほとんどだ。でも後悔はない、君の本当の価値に気づいた今、こにお現状は僕の誇りでもある。