5,5。閑話休題・好き嫌い。
宿屋の食堂で働く少女から見た少年たちのお話。
「うーん、どうしよう」
私の職場である食堂のカウンターで、少年くんがぽつりとそう呟きながら、目の前に広がるメニューを見て悩んでいた。今日は保護者の傭兵さんはいないみたい。きっと「お仕事」に行っているんだろう。いつも一緒にいるから、この子だけがここにいるのは珍しい。ちょっと手が空いたのもあって、私は昼食の食器を準備しながら聞いてみた。
「何をそんなに悩んでいるの?お姉さん、相談に乗ろうか?」
差し出がましいかもしれないけど。そう付け足しながら、私は少年くんに話しかける。傭兵さんが初めてこの子をここに連れてきたときは、物凄く緊張していたようだけれど、今はマスター…私の雇い主である宿屋の主人とも、私とも、他のみんなとも気軽に話せるようになってきた。
この子の名前を、私は知らない。マスターですら知らないようだから、もしかしたら名付けていないのかもしれない。傭兵さんもかつてはちゃんとした名前を名乗っていたらしいけれど、今はそれを捨ててしまって、ただの傭兵で通している。もしかして、名前にあまりいい思い出が無いのかな。それはともかくとして、便宜上、私はこの子を勝手に少年くんと呼んでいる。
もう朝食の時間は終わって、これから昼食の準備を始めるか、という時間だった。なので食堂にいる人はまばらで、これから遅めの仕事を始めようとする冒険者さんや、今日は宿屋でゆっくりと過ごそうという人くらいしか残っていない。この子も今日は術式の授業が無いし、傭兵さんもいないようだから、手持無沙汰でここに来たのかもしれない。そうだとしたら、食堂が居心地いいということだろうから、とても嬉しいけれど。
「えっとね、おやつのクッキーをね、買おうと思ったの。それで、「お仕事」してるおじさんの分も買おうと思って」
私の提案を聞いた少年くんが、にっこりと笑ってそう答えた。その手の中には、彼のお小遣いであろう小銭があった。ありがたいことに少年くんは、私が作ったクッキーをとても気に入ってくれた。なのでおやつの時間になると、傭兵さんと一緒にここへやって来てくれる。
やっぱり今日は傭兵さんは「お仕事」でいないみたいだ。だからあの人のために、クッキーを買って、帰りを待とうとしているんだろう。何ともいじらしくて、そしてかわいい。仕事じゃなかったら、ぎゅっと抱き締めてしまいそう。
「でも、おじさん、クッキー以外も美味しいって、言ってたの。だから、おじさんが好きなものを買ってあげたいんだ」
そう言いながら、少年くんはまたメニューを見つめる。自分で言うのも何だけど、ここの甘味はどれも美味しいものばかりだ。でも傭兵さんがそれを食べているのを、私は今まで一度も見たことがない。ここに来るときは、お茶だけを飲んでいる。だから私にも、あの人の好みは分からなかった。マスターに聞けば、もしかしたら教えてくれるかもしれないけれど。
私がここで働き始めた頃から、傭兵さんはこの宿屋を家代わりにしていた。そのはずなのに、あの人の好きな食べ物を、私はほとんど知らない。唯一知っているのは、好きなお茶があって、暇なときはここに来てそれを飲むくらいだ。
「そういえば、私も傭兵さんの好きな食べ物、良く知らないなあ…」
「そうなんだ…でも、嫌いなものとか買っちゃったら、いけないよね」
少年くんがまた悩みながら呟いた。恐らく傭兵さんは要人のボディガードをしたり、魔物を倒す「お仕事」をしている。少年くんを助けたときに大きな仕事を終えたと言っていたから、すぐに終えられるような仕事をしているに違いない。きっと今日中には帰ってくるはずだ。マスターたちが見守ってくれているとはいえ、まだここに来て日が浅い少年くんをずっと置いていくこともないだろうし。
「お仕事」を頑張っているであろう傭兵さんのために、一緒に楽しむために、おやつを用意しようと言うのに、相手の嫌いな物を用意するわけにはいかない。少年くんはそう考えて、何を買うか迷っているんだろう。きっと少年くんがこんなに悩んで買った物なら、傭兵さんは何でも喜びそうな気がするけど。
「僕の好きなクッキーでも大丈夫かな…?」
またメニューを見つめながら少年くんが言う。私はそんなこの子の発言を肯定するように頷いた。
「大丈夫だよ、傭兵さんなら、きっと喜んでくれるよ」
「そうかな、そう、だよね」
私の言葉を聞いた少年くんが、何度もこくこくと首を縦に振りながら、そう続ける。じゃあクッキーをください、という少年くんに、承りました、と私は答えてキッチンへと向かった。
どうして私はこんなに少年くんが気になるのだろう。傭兵さんが拾ってきた子供だからっていうのも確かにある。マスターは今の傭兵さんのように、昔から親のいない、深い事情を抱える子供を引き取っては育てていた。私もそのひとり。マスターは何も知らない私に、様々なことを教えてくれた。
そういえば、私もマスターに引き取られて、初めてクッキーを食べさせてもらったことがある。マスター手作りのそれは、何も知らなかった私にとって、言葉にできないくらい美味しくて、何よりも代えがたいほどのご馳走になった。だからかもしれない。私がここまで、クッキーや甘味に対して、強い思い入れがあるのは。それはきっと、あの少年くんも同じ。
あの子はこれから、傭兵さんやマスターや私たちに愛されて、大きくなっていくんだろう。かつての私や、この宿屋で働くみんなのように。私もいつの間にか、マスターの側に立つことになっていたんだ。その事実が何だか不思議で、それでいて嬉しくなって、思わずクッキーをいつもより多く、袋に入れてしまった。