30.傭兵たちの疑問とこれから。
宿屋のロビーは深夜だからか、先程の騒ぎとは打って変わってしんと静まり返っていた。夜遅くに叩き起こされてしまった医者は、文句のひとつもなく、いそいそと子供の部屋へと入っていった。酒が入っていないときで良かった。医者はそう微笑みながら言っていた。彼はこの街でも名が知れた名医だ、彼が診てくれるのなら問題無かろう。
こういうとき、何を語れば良いのだろうか。女主人も、看板娘も、我も、何も言い出せずに沈黙を貫いていた。あの底抜けに明るい少女ですら、沈痛な面持ちで椅子に座り込んでいる。時折ふっと顔を上げるものの、言葉を紡げないのか、すぐに下を向いてしまっている。だがそれは我も変わらなかった。じっと座していると、己の無力さに打ちひしがれてしまいそうになるのだ。
もっと、もっと良い判断が出来たはずだ。その判断とは? 自問自答しても時間の無駄だと分かっていながらも、繰り返さずにはいられない。やはり子供だけでも帰らせるべきだったのか。今回は諦めて、共に帰宅すれば良かったのか。何度考えたとしても、答えは出て来なかった。
静寂を保っていたロビーに、足音がした。咄嗟に顔を上げると、そこにはバーテンダーの青年が、ゆっくりとした動きでこちらへ向かってきていた。どうやら彼の「仕事」が完了したようだ。女主人が立ち上がり、彼の元へと歩み寄った。
「おかえりなさい。どうだった?」
答えなど分かりきっているだろうに、それでも女主人は問う。すると青年が首肯した。
「はい、問題無く」
「そう、ご苦労様」
「しばらく身を清めます。ゆえに…」
そう続ける青年に、女主人は右手を前に出してそれを制止する。そして、ゆるやかに首を横に振った。
「大丈夫よ。後はもうこっちに任せて」
「ありがとうございます」
青年は一礼し、また煙のように消えた。恐らく幽霊から浴びた歪みを浄化するのだろう。心霊の類は、魔物よりも直に歪みを浴びる。我がこなしているような魔物退治であれば問題無いが、今回のような場合だと、己の持つアイテムや、持っていなければ神殿で肉体を浄化せねばならない。そうしないと本人の心身に多大な悪影響をもたらし、さらに余計な歪みを他人にばら撒くことになってしまう。
あの幽霊……のようなモノは、何故少年に執着したのだろう。やはりあの子が持つ強い能力に魅かれてしまったのか。帰ろうと何度も促してはいたものの、子供が知っている相手だとは到底思えない。もし知っているのならば、子供の反応はもっと違っていたはずだ。少なくとも子供は、幽霊のことをまったく知らなかった。
「今回の件は、私が悪かった」
「そんなことはありません!……あっごめんなさい」
女主人の後悔の言葉を、少女は飛び上がってすぐに否定した。途端に己の行為に恥じて、気まずそうに再び椅子に座る。少女がこうなるのも仕方がない。女主人に育てられてきた者たちは、彼女をある意味完璧な存在であると認識している。女主人は何でも知っていたし、あらゆる対処が出来た。
「いいえ、私とて人間です。見落とすことだってあるし、間違うこともあります」
「でも…」
「いいのよ」
少女の反論に、女主人が穏やかに微笑んだ。これ以上議論しても意味がない、と言いたげな表情だった。
「過去を悔やむより、これからのことを考えましょう」
「そう、ですね。そうですね」
これからのこと。その言葉を噛み締めるように、少女が何度もそう呟く。そうだ、起こってしまったことはどうすることもできない。ならば女主人の言う通り、これからのことを考えるべきだ。その方がよほど有益だろう。
子供が目を覚ましたら、たくさん頭を撫でてやることにしよう。部屋を抜け出した過失を問うよりも、今は心に傷を負ってしまったこの子を慰めることを優先せねばならない。過失に関しては、子供が落ち着いてからでも遅くはない。子供のときに負ってしまった傷は、そう簡単に癒えるものではないのだ。我も、その経験がある。
ふと、ドアの開く音がした。少しばかり疲れた顔の医者が、我らの元へとやって来た。どうやら子供は無事らしい。医者の報告を聞くより先に、我は子供が眠る部屋へと急いで駆けこんでいった。
ここで一旦お休みさせて頂きます。またぽつぽつ更新していくつもりなのでよろしくお願いいたします。




