29.傭兵たちの疑問。
遠くで術式の波動を感じる。我ですら感じられるほどの威力のものを、どちらかが放ったのだろう。あの青年なら問題ない。何度も女主人からの依頼をこなしてきた猛者だ。今は腕の中にいる子供のことだけ考えねば。辺りは暗闇に包まれているが、どう向かえば宿屋に辿り着けるか、もう身体で覚えている。ほんのりと明るい空間が見えだした。我はそこへ飛び込むように入った。今回ばかりは、その灯りが救いに見えた。
「傭兵さん!?」
走り込んできた我の姿に驚いて、看板娘の少女がそう叫ぶ。途端に宿の者たちが集まってきた。もちろん、女主人も。彼女も異変に気付いたのか、我の腕の中にいる子供を、己の腕の中へと導いた。子供に触れた途端、彼女が苦々しい表情をしたのを、我は見逃さなかった。
「この子を…」
「分かりました。大丈夫ですよ。…お医者さんを呼んで、すぐに」
「はい!」
短くそう告げて、女主人が頷く。身体が冷えている。急を要すると察した女主人が、隣の少女にそう命じた。返事をしてすぐ、疾風のように素早い動きで少女が出口へと向かった。もう次の瞬間には、彼女の姿は消えていた。
女主人がそっと子供の手首に触れ脈を計る。正常ね、と小さく女主人が呟いた。我は子供の扱いに未だ慣れていない。普段ならともかく、こんな緊急事態ならなおさらだ。だから真っ先に頭に浮かんだのが、我を育て上げ、宿屋の者たちの母代わりでもある女主人だった。もう、彼女に頼るしかない。それしか考えられなかった。
宿屋の者たちに命令し、子供はすぐ近くの空き部屋へと運ばれた。ベッドに横になり、用意してくれた温かいタオルを額に乗せてやる。部屋全体を温めるために、暖炉の焚火がごうごうと燃えている。これだけすれば、きっと問題無いはずだ。問題無いと、思いたい。
「…どうして」
あらゆる疑問を含めたであろう言葉を、女主人が呟く。どうして。それは我にも分からない。部屋を出て行く前にあの子は眠っているはずだった。完全に眠っていると思っていた。だからこそ安心して部屋を出たのだ。だが結果はこうだ。我の知らぬ間にこの子は目を覚まし、女主人の目をすり抜け、あそこまでやって来た。それが事実だとしても、どうして、という疑問符は消えない。
「分からぬ。ただ、我の後を着いて来たと本人は言っている」
「まさか私でも気付かないなんて、そんな」
有り得ない。そんな表情で女主人は呟いた。我らの育ての親である彼女はヒトならざる、と言っても過言では無い能力の持ち主だ。そんな女性があの子供をみすみす見逃すとは思えない。いったいどうやって。だがきっと子供に聞いたとしても、分からないと答えるだろう。あの子は我を追いかけてきたに過ぎないのだから。
この子の潜在能力はあまりにも高すぎる。それは初めて神殿を訪れたときに言われていた。けれど今回の件は、どう考えても、その枠に収まりきらない。女主人が育て上げた生え抜きの者たちが誰も気付かず、そして女主人すらも気付かせないような、何らかの能力を使い、この子供は我の元まで来た。無意識に。
それでも、ベッドで眠り続けるその姿は、無垢な子供以外の何者でもない。きっとこの子は何も知らない。何も分からない。だからこそ保護者である我がどうにかしなければならない。この子の過去、現在、未来、すべて含めて。
「お医者様がいらっしゃいました!」
大急ぎで走って来たのだろう、息を切らしながら、少女がそう叫ぶ。とにかく今は、この子を診てもらおう。そう結論を出した。




