9.傭兵の帰還。
「仕事」が予想以上に長引いた。依頼内容は我にとって至極簡単なものだが、子供を引き取ってから初めての長期の「仕事」だった。その間に大型モンスターが現れてしまい、さらに長引いてしまった。こんな事態になるのは予想外のことだ。しかし魔物が跋扈するこの世界では何が起きるか分からない。すぐさまそれに対処し、近くの街から、もう少し時間がかかりそうだという便りを、子供の待つ宿屋へと出した。まったく、手こずらせてくれる。久方ぶりに本気を出した我は、「仕事」を終わらせ、ようやっと本拠地にしている街へ帰ってきた。
「おかえりなさい!」
我の鎧姿を見つけた食堂の少女が、そう叫びながら駆け寄ってきた。すぐに少年くんを呼んできますね。途中だった仕事を放り出して走り出す少女の姿を、女主人は苦笑いで見送っていた。そして少女に連れられてやってきた子供は、我を見つけて泣きそうな顔で、おじさんと呼びながら足元に抱きついてきた。
「今帰った」
「うん。おかえりなさい」
ぐずりそうになる子供をあやしながら、そう挨拶を交わす。すぐさま子供を伴って部屋に戻り、我は鎧を脱ぎ、いつもの服装に着替える。我が帰宅した時間は深夜だったので、「仕事」を終えた報告は、明日にでもすれば良いだろう。なので今夜は子供をすぐさま寝かしつけ、我もたっぷりと睡眠をとった。
次の日。依頼人へと「仕事」を終わらせた報告をしに行かなければならない。普通ならば「仕事」は所属しているギルドを通して受けるものだが、我のようにひとりで活動し、依頼を受ける冒険者や傭兵も少なからず存在する。ただしギルドに属していないため、不測の事態などがあった場合、すべてひとりで対応しなければならない。ゆえにほとんどの者たちは、何らかのギルドに所属している。
依頼人へ報告をしに行くと告げると、それを聞いた子供は、自分も一緒に行くと言い出した。どう説得しても、子供は何故かいつも以上に我の隣にいたがった。女主人に「もう彼はどこにも行きませんよ」と言われても、少女に愛おしげに呆れられても、子供は我の側を離れたくないと頑なだった。
仕方なく、依頼人の館の前で待つという条件をつけて、我は子供の同行を許した。そうでもしなければ、この子は泣いて寂しがるだろう。そうなると我だけでは事態を収めることは難しい。だがいくら子供といえど、依頼人の前に連れて行くわけにはいかない。それに関しては、素直に受け入れてくれた。
■
我は依頼人への報告を終え、部屋でいつも纏っている鎧のメンテナンスをしていた。今回の「仕事」は魔物狩りだったのだが、予想外の大物と出会ってしまい、いささか手こずってしまった。小さな傷くらいは問題ないが、何かしら装備に不備があれば、すぐ武器、防具屋に修理を頼まねばならない。鎧と大剣は我にとって大切な商売道具だ、メンテナンスを疎かにすれば命に関わる。ベッドでは子供が何も言わずに、じっと我の作業を見つめている。
子供は一昨日から我からつかず離れず、ずっと近くにい続けた。我が戻ってきてからここ最近、子供の様子が少しおかしかった。我が視界からいなくなると、慌てて一生懸命、泣きそうになりながら我を捜すのだ。そして我を見つけると、マントを掴んで離れないようにしていた。
「もう「仕事」はない。一緒にいる。だから大丈夫だ」
そう言い聞かせても、子供はずっと側にい続けた。この子の中で我と長らく離れてしまったことが、予想以上にショックだったようだ。留守番をしていたときは、そんな仕草はまったく見せなかったと女主人が語っていた。だがきっと寂しい気持ちを誰にも見せないようにしていたのだろう。この子は気丈に振る舞うのが上手だから。
出来る限りのメンテナンスを終えて、我は装備から視線を子供に移した。さっきまではこちらをじっと見つめていたが、今は学校から出された術式の宿題をやっているようだ。さすがに長期間の戦いだったので、装備に多少ガタが来ている。それを直すために、いつも通っている店へ修理を依頼せねばならない。我の視線に気付いたのか、子供がノートから視線を上げた。
「おじさん、どこか行くの?」
そう言って子供が我を見つめる。その声音には、どこか悲しげな、寂しげな色を含んでいた。そして子供は我が答えるその前に、そのままぎゅうと我に足元に抱きついた。まるでここから絶対動かさない、とでも言いたげに。だが装備を直さねば我は「仕事」が出来ない。そうなると、生きていくための、この子を育てるための金を稼ぐことができない。
「これから繁華街に行く。装備を直さねばならぬ」
我がそう言い聞かせるように声をかけても、子供は我の足をぎゅっと掴んだまま、俯いて何も答えない。そんなにも我と離れるのが寂しいのか。だいぶひとりに慣れてきたと思っていたのだが、そうでは無かったというのか、それとも。とにかく、ここまで我を慕ってくれるのは、悪くない気分だ。だがどうして、こんなに寂しがるようになったのだろう。「仕事」でここを離れることは、前にもあったはずなのに。
さて、どうするべきか。正直に言えば、子供の扱いには詳しくない。そもそもずっとひとりで生きてきたのだ、他人とこうやって生活を共にすることなんてなかった。我はひとりだった。そして恐らく、この子もひとりだった。そして子供にとって、我はこの世界で一番、頼れる存在となってしまったのだろう。
頼れる存在が長らくいなくなったら、どうなるか。それくらいの想像は我にもできる。置いていかないで。この子と初めて出会ったときに呟いた言葉が、我の中で蘇る。頭では「仕事」で忙しいのだと分かっていても、子供からすれば、我に置いてかれたと考えてしまったのかもしれない。
我は必死に考えた末、己の手を優しく子供の頭に乗せる。幼いその小さな頭は、我の大きな手にすっぽりと収まった。
「もう、我はどこにも行かん」
そう、我は子供に語りかける。そして、その銀糸をなぞるように、手を動かした。子供の頭を撫でる行為なぞ、未だかつてしたことがない。撫でられた記憶も、もう思い出せない。ゆえにこれが正解なのかも分からない。だが、思いは伝わっているはずだ。
「お前の側にいる」
「でも、お出かけ、する…でしょ?」
そう言いながら、我はずっと子供の頭を優しく撫で続けると、おずおずと子供がそう聞き返した。今まで「仕事」をしているときは考えられなかったが、子供と離れて、我は初めてあの子の心配をした。きちんと生活が出来ているか。食事はとれているか。帰還が遅れるという手紙を、女主人宛に認めたのも初めてだった。ああ、そうか、この子もきっと、我と同じだったのだ。いや、もしかしたら我以上に辛かったのかもしれない。
「そうだな。あれは「仕事」をするための、大切な物だ。だから直さねばならぬ」
そう、我は子供に説明する。恐らくそんなことは、この子も理解しているだろう。だからなのか、子供は何も言わなかった。答えなかった。
「退屈かもしれぬが、行くか?」
そのまま我は言葉を続ける。するとそれを聞いた子供が、ずっと黙り続けていた子供が、やっと顔をこちらに向けてくれた。その表情は泣きそうではあったが、どこか安堵の色も含んでいた。子供は何度も首を縦に振り、うん、うん、と応えた。
「……僕の方こそ、ごめんなさい…おじさん」
子供のアイスブルーの瞳から、涙が一粒零れ落ちる。そして耐えられなくなったのか、ぼろぼろと涙がとめどなく流れていく。それを必死に拭うものの、涙は止まらない。ずっと堪えていたものが、溢れてしまったのだろう。
「僕、おじさんと離れちゃうんじゃないかなって思っちゃったんだ。よく思い出せないけど、僕、おじさんと会うまで、ずっとひとりだったから…だから、離れたくなくて…ごめんなさい…」
そう、子供がしゃくりあげながら語る。我が「仕事」の際に子供と出会ったとき、この子は崩壊した建物の中でぽつりと立ち尽くしていた。何故あのような場所にいたのかは分からない。捨てられたのかもしれない。だがそこは魔物の巣窟で、人が住めるような場所ではない。近くに人里もない。あのまま我が見つけなければ、魔物に殺されていた可能性すらある。
この子の出生には何か深い事情があるのではないか。そう思い始めていた。あんな危険な場所に、崩壊した建物の中に、記憶のない状態で捨てられていた、術式適性の高すぎる子供。この子が置かれていた状況は、あまりにも異様だ。子供のことを知るために、少しあの場所を調べる必要がありそうだ。装備が直り次第、行動を起こすか。そう考えながら、我はようやく機嫌を直した子供を抱え、装備を直すために繁華街へと向かったのだった。