16
聖所には、人のいた形跡はあるのに、気配を全く感じない。
不気味な空気が漂っていた。
道具が散乱し、争うというより慌てて逃げ出したような足跡が残っている。
が、それらはいずれも途中で途切れていた。
地面を掘った痕跡があるのに誰もいない。
足跡もあるのに辿れない。
奇妙な感覚を抱きつつ、建物に近づく。
「うわああああ」
突然、男たちが聖所の建物から飛び出してきた。
青い顔、何処か怯えたような、ひきつった表情だ。
ひどい顔をしている。
アスレイはその面子に覚えがあった。
三度目の正直だ。
人の顔を覚えるのは苦手なので、誉められるべき成長だ。
師匠がいたら、誉めてくれたと思う。
確かガタイの良い男はダン、小男がロジー、細長い男がギルだ。
「あれ、あいつら」
シビルも三人に気づいたらしい。
少し顔をしかめたが、ただならぬ様子にそれ以上は口にしない。
彼らの縺れる足、無駄に動く手、意味のない動き。
それは紛れもなく、パニック状態だと示している。
「た、助けてくれ!!」
彼らは恐慌状態で手足を縺れさせながら、転がって進む。
そうして辿り着いたアスレイ達の足元で、がくがくと震えていた。
開かれた扉から何か引きずるような鈍い音が漏れている。
そしてそれが入り口に手をかけた。
大きな手だ。
入り口を出れるのか疑うほどの大きさで、扉の内側から、頭らしきものは見当たらぬほんのり桃色の肉塊が現れる。
「えええ」
「気持ち悪…」
シビルは呆然と見上げ、ディアドラは顔を背けて嘔吐いた。
奥から次々と、どこにその収容能力があったか解らぬほどの肉塊。
それが聖所の入口を破壊しながら全て屋内から出てくると、瞬く間に聖所を覆うほどの巨体を形成する。
匂いは、もう鼻が麻痺してしまったかも知れなかった。
「この大きさは反則じゃない?」
「邪魔だからまとめて殺してしまおう、ということか」
「まずくない?」
やる気なく後退るシビルに、アスレイが冷静に分析する。
肉塊はその巨躯の右手らしきものに小さな玉を持っている。
その中には見覚えのある姿があった。
その頬は青白く生気がない。
金色の髪に大きな髪飾りの小さな。
「アリーシャ!!」
ディアドラが叫び、聖所に駆け寄ろうとする。
肉塊がディアドラに左手らしきものを伸ばす。
それを避ける術は彼女にはない。
あまりにも無防備に、彼女は前に出ていた。
アスレイの反応は速かった。
彼女が前に出るのと同時に、半身を彼女に向けた。
真横を通りすぎようとするディアドラの肩を掴み、シビルの方へ押して投げた。
その勢いのまま、アスレイは肉塊が伸ばした手を斬りつけ、蹴り飛ばして距離を取る。
シビルも術を使って援護し、ディアドラを救い出した。
だが、肉塊にはあまり効果がなかったのだろう、シビルの小さな舌打ちが聴こえた。
その顔が歪んで、失敗したのだろうとわかった。
気にせずに、アスレイは肉塊を刻んでいく。
肉塊は追撃を諦め、頭部らしき箇所に右手の丸い玉を据えた。
勁部のようなところが盛り上がり、巨大な人体を構築していく。
それは整っていくが、醜く肥え、所々が剥き出しの骨組のままだ。
巨大な肉塊に気を取られていると、先程の動く死体が退路を取り囲むようにして門扉に群がる。
門扉には結界の効果があるとは思えなかった。
それ以上は入り込んでこないが、それは獲物を逃がさんとしている執着を感じるし、ただ機会を窺っているように思えた。
シビル達の背後に隠れていたダン達が恐怖に叫んだ。
「あらあら、貴方たち、ダメじゃない。この子の餌になってくれないと」
「ナール」
肉塊の傍らに、いつから居たのか。
紫の髪の女が立っていた。
いつもとは違う長靴にラフなパンツスタイルではあるが、シャツの所々が裂けて肌の露出が多い。
その眼は澄んだ力強い光を灯しておらず、揺らいで潤んでいる。
眼鏡もない。
髪は辛うじて纏められているが、吐息が乱れ、肉塊に寄り添って甘く吐き出される。
「どうしちまったんだよ、ナールさん。あんた地脈技師のダガンとはうまくやってただろう!」
ダンが怯えきった顔でナールに問いかける。
ダガンはこの場にはいないらしい。
地脈技師ということは、この辺りに散乱する道具の持ち主か。
職人が道具を放って逃げ出したのか。
「うまくやっていた?いつもいつも面倒ばかり。ボスの命令だから何とかしてきたのよ。私がお掃除したら、綺麗になって、漸く役に立ったけれど」
ナールが肉塊をゆっくりと撫で上げる。
それは緩慢に身震いするような動きをみせると、ナールがうっそりと笑んだ。
怖気に似た、得も言われぬ感覚が走ったのは、ディアドラだけではない。
生理的に受け付けないと、シビルが顔をしかめて吐き捨てる。
「この化け物は」
「鉱夫達よ。面倒なんだもの。うろうろと大事なトコロをうろついて…お仕置きが必要でしょ」
「なんであんたが…なんのために」
つまり、鉱夫達のなれの果てがあの肉塊ということか。
ダガンも恐らくはそうなってしまったのだろう。
だが、ナールが彼らを邪魔に思う理由がわからない。
「もしかして、あんたがアリーシャを浚ったのか」
シビルの後ろから、ディアドラがナールを睨み付ける。
たった一人の肉親を奪われたディアドラは、怒りに震えている。
アスレイはそこに感情移入することは避けた。
睨まれたナールは、そこでその存在を認識したようだった。
ディアドラを一瞥し、少し考える素振りをしてから、漸く思い出した、といったように見えた。
「あら、そうね。貴女も邪魔ね。なかなか土地の権利を売り渡してくれないし、変な知恵もついてるみたいだし。消えてくれないかしらぁ!」