11
「あの女はマーガだよ」
サイドボードに置いた日記を捲っていると、風呂から上がってきたシビルが切り出した。
そういえば風呂について聞いてみたところ、術で浄化も出来るらしいが、疲労が消えないし、寛ぎもないから代用しないらしい。
「ナールがか。どうしてわかる」
シビルが言っていたのは、彼女のことだろう。
美しい紫の髪を靡かせた、知性と色気を備えた女。
裁判官の秘書官に収まっているのは、彼女が優秀だからだ。
でなければお飾りの秘書官として侍らせればいいだけで、間違っても外の視察には行かせない。
今日のように詰め所に来る必要性はないのだ。
外に出て活躍するナールは、多くの人に認知されているようだが、誰も彼女がマーガであるように扱わなかった。
「どうしてわかった」
「ユルが見えるから。殆どのマーガには相手のユルが見えるんだ。体を覆う薄い光の膜がね。彼女は薄い桃色だった」
アスレイには見えないが、マーガの間では見えるのだという。
シビルがそれをアスレイに伝えた理由や意図はわからない。
思案しても身はないと、アスレイは判断した。
それよりも、アスレイははっきりさせておくことがあると、日記を閉じてシビルに向き合った。
「で、お前はこれからどうする」
「え」
「大方、私は用心棒がわりだ。もうその必要は無くなっただろう」
シビルがダン商会に提示した要求は、喧嘩を売っているようなものだ。
狙われている自覚があったのだろう。
だから、たまたまダン商会との争いに巻き込まれたアスレイに目をつけた。
丁度アスレイは方向音痴だし、無償の道案内という名目だ。
用心棒を雇うと高くつく。
ほとぼりがさめるまで行動を共にし、くっついていれば身の安全が確保できる。
目的があって流れているアスレイなら、そんなに長くノクスに止まらない。
都合の良いときに離れればそれで良いのだ。
アスレイはシビルが親切だと言った。
多少の情が湧いたのは、そうかもしれない。
とはいえ、なにも能天気にシビルが単なる良い人だと鵜吞みにし、本当の目的に気付いていない訳でもなかった。
「それは、そうだけど」
もう用心棒の必要はなくなったのだから、付き合う必要もない。
ダン商会との確執を避けるなら離れて行動するのが最善だ。
二人で行動すれば、振りかかる火の粉を分散できない。
「わかった。道案内は今日までにする」
すんなりと受け入れたシビルは、何故か元気がない。
やはり、鉱脈を失ったのが重かったのだろうか、アスレイは思案する。
「最後に一つ、訊きたいことがある」
「何?」
「この写真を《遠視》できるか?」
アスレイは、日記に挟んでいた写真を数枚取り出す。
聖所で拾った日記だ。
不思議なことに、これは牢の中でも没収されていなかった。
建物を映したものや、僧侶自身、草むらで駆ける子供に、葬列など。
シビルはそれらの写真を受け取ると近くの丸い机にそれを置き、人差し指で指した。
《遠視》とは、妖精術の一つだ。
創生術なのだが、補助術で行われることが多い。
補助術は、初歩の根源術と創生術の再現ができる。
根源術と創生術は、補助術と違って力の性質に左右される。
基本的には、力の分量が少ないものには、根源術と創生術は厳しい術だ。
自分の内にある膨大な力を使用して設計図を練りこみ、抽出しなければならない。
一方で補助術は其の名の通り、香草などで補う術で、力が少なくても発動する。
ただ、その精度は術師の腕による。
「何を知りたいかによるよ。遠視は、其のものの強烈な痕跡を探す術だからね。一番近い過去で強烈な痕跡、何か必死に力を尽くしたりしたものを引き寄せる。物であれば、作られた時の状態が一番強烈かな」
例えば、マーガであれば一番強い術を使った時。
恋する乙女なら忘れられない失恋や恋愛。
死の間際の執着のようなものだ。
なんでも解る訳じゃない、そうシビルは付け足した。
「遠視は未来視とは違う。未来視は一時的な情報じゃない。たまに、急に襲ってくる感覚みたいなのが未来視。《妖精の落とし物》って言われているけれど、そんな頻繁に見えるものじゃない。西大陸(天宮)の女王の《千里眼》には程遠い」
アスレイは日記からもう一枚写真を取り出して見せる。
聖所の前で僧侶を中心にした集合写真だ。
「ならばこれの方がいいか」
「これは…」
若い夫婦に幼い子供、少女に青年と壮年期の男女が映っている写真。
そこには、ディアドラの面影があった。
そして、その隣には。
「見る価値はあるだろう。鍵は聖所にある。このままだと動きがとれない。うまくはめられてしまったようだからな」
アスレイは日記をそのままサイドボードに置き、シビルの近く、数枚の写真を置いた丸い机に集合写真を追加した。
シビルは緊張からか、声を絞り出す。
「根拠は?」
「勘だ」
「じゃあ僕の鉱脈奪取も仕組まれたこと?」
「いや、それは自業自得だ。いい材料にされたとは思うが、なければ別の難癖をつけてきただろう」
シビルが派手に転ぶ。
頭を床に打ち付け、ひどい、あんまりだ、そんな呻きが聴こえた気がした。
が、アスレイは気のせいだと自分をコントロールした。
やがて立ち直ったシビルは、件の机に向かった。
アスレイが思うに、相手にとって想定外だったのは、マーガと行動を共にしたこと。
そして入ってほしくない領域に踏み込んだのかもしれない。
聖所にいるアスレイ達を、ギンナル達を使って妨害した可能性がある。
その結果、一旦牢に入れられた。
少なからず人目は引いてしまった。
誰がこちらの動きを見てても不自然ではない。
新参ものが、よそ者が騒ぎを起こして牢に入れられた。
地元住民からすれば危険人物が近くにやってきたのだ。
警戒するのが当たり前だ。
アスレイの動きを制限している、その先にいるのは。
灰色の髪の男が、アスレイの脳裏に過る。
こうなると大きく動くことはできない。
あちこちを動き回れば、その分だけ怪しまれるばかりだ。
「それで、どうするの。今のままじゃ動けないんだよね。僕とも別れちゃうんでしょ」
「そのための遠視だ」
「ふうん」
シビルが寝台に腰かける。
柔らかなスプリングが跳ねて揺れ、落ち着いてから、猫のように伸びをする。
そして黒曜石の瞳をまっすぐアスレイに向けた。
「だったら、いいこと教えてあげるよ。餞別、かな」
「高くつきそうだな」
「いうね」
餞別、と大仰にいったそれについて、アスレイは何も言わなかった。
シビルもそれでいいと思った。
アスレイがノクスに着いて数日がたった。
概ねシビルに関しての騒動は、落ち着いていた。
事が動いたのはその時だった。