カッパに恋したJK(三十と一夜の短篇第62回)
六月の晴れたある日のこと。夕方の河川敷で腰を下ろしているひと組の男女がいた。この表現にはいささか疑問が残るが捨ておこう。
「ねえカッパたんはTickTackしてないの?」
「してないでしょどうみても」
「え〜、それはぴえんだわ」
ひとりは女子高生の『ゆきぴ』こと雪奈である。ポケットから自分のスマホを取り出してすいすいと指で操作すると、カッパに画面を見せた。
「楽しそうでしょ、あたしもやってるんだよ」
画面の中にはかわいく踊る雪奈がいて、たくさんのコメントがついていた。だいたいは「カワイイ!」と手放しで褒めている。
相手はどう返していいか分からず黙りこむ。なんせ彼はカッパである。揶揄ではなく、正真正銘のカッパだ。ただ、妖怪事典に載っているような恐ろしい形相などはしておらず、むしろ小柄で愛らしいフォルムをしていた。雪奈が抱き上げたらぬいぐるみに見えるかもしれない。
「カッパたん、どこ住みの人?」
「……この辺りの川だけど」
「うわネイティブじゃん」
けらけらと笑う雪奈をみて、カッパは重いため息を吐いた。
「あれ、なんか元気なさげ? 一緒に歌うたう?」
「いやいい。ていうかなんでボクにぐいぐい来るの」
若干引き気味のカッパだが、雪奈はまったく気にせずに明るい笑顔で答えた。
「カッパたんと仲良くなりたいもん。あ、あたしのことゆきぴって呼んでいいよ。みんなそう呼ぶの」
「えー……」
どうしてこんな事態になってしまったのかとカッパは頭を抱えた。はじめに話しかけたのはカッパだった。ついさっきの話だ。というのも、彼女は数ヶ月前から天気のいい日には必ずこの河川敷に来ていた。しかも毎度きゅうりを持参して。これでもずいぶん無視したのだ。しかし最近は長い棒にひもをくくりつけ、釣りの要領できゅうりを餌にして川に投げていた。あきらかにカッパ狙いだ。だいぶ警戒心を引き上げたうえで「なにしてるの」とおそるおそる声をかけた次第である。
雪奈は反応は予想外で、カッパを見るなり笑顔を輝かせた。
雪奈は楽しそうにカッパに話しかける。気づけばなぜかふたりで動画を撮ったり写真をとったりと好き放題されていた。
「カッパたんすごい盛れてるかわいい~」
「……そう」
「あ、勝手にSNSにアップとかしないよ。あたしちゃんとリテラ守る人だから」
細い指ですいすいと画面をいじる姿を見て、技術の進化に感心とあきれの気持ちが半々。目まぐるしく変わる人間社会を川からずっと見てきたが、ここ最近の発展は特にすごい。当の人間たちだってついていけてないのではとカッパは思う。
突然、辺りに着信音が鳴り響いた。雪奈は通話ボタンを押すと「うん、わかった、わかった」と言ってすぐに切ってしまう。
「ごめん、もう帰んなきゃ」
立ち上がってぱんぱんと草を払うと、雪奈は「また来るね!」と手を振りながら去っていった。嵐のようだとカッパは思った。
次の日、宣言通りに雪奈は河川敷に来た。
カッパはしぶしぶ川からあがって相手をする。じゃないと雪奈はずっと待っていそうで怖かったのだ。実際彼女は辛抱強く待っただろう。
「えへへ、やっぱり夢じゃなかったんだね」
雪奈はカッパと会えたのが嬉しくて、あれこれと話題をふる。聞かれるがままカッパは自分のことを話した。かれこれ四百年は生きていること、人と交流はあまりしないこと、特にきゅうりは好物ではないこと。
「うそ、じゃああたしが一生懸命作ったきゅうり畑っていったい」
「そんなの作ったの……?」
まさかカッパ用に作ったわけではないと思うが、聞くのが怖いのでやめておいた。それよりも雪奈のカッパに対する執念を聞きたかった。
「なんでカッパに会いたかったの」
差し入れのきゅうりを二人でかじりながら言葉をかわす。食い飽きたきゅうりもマヨネーズをつけるとおいしかった。
「ちっちゃい頃ね、この川でカッパたんに助けてもらったの。たぶん。……それでまた会いたいなと思って」
にひひと笑った顔を見て、ぼんやりとした記憶が浮かび上がってきた。そういえば小さい女の子を助けたことがあった。水面をのぞきこんでいた少女がバランスを崩して川へ落ちてしまったのだ。
「ああ、あの時の子か」
「やっぱりカッパたんだったんだ!」
両手を合わせ、目をキラキラさせてカッパを見る。向けられる好意の大きさに居心地がわるかった。だが、そう嫌な気分でもなかった。
それから毎日雪奈は河川敷へやってきた。
カッパもこうやって人としゃべるのは久しぶりだったので、追い返すことなく付き合っている。長く生きているとたまに刺激が欲しくなるから、と自分にいいわけをして。梅雨入りした空は曇天が多く、小雨が降る日も少なくなかった。カッパには心地良いくらいだが、人間は傘をささないといけないから大変だろう。それにも関わらず毎日嬉しそうにやってくる雪奈にはあきれるしかない。
ある時、暗い道は危ないから家の近くまで送ってやると言ったら雪奈は目をまん丸にして驚いた。
「え、送ってくれるの? 他の人に見られない?」
「だいたい人はボクを見てもカッパって認識できないの。いないのと同じ存在だから」
「でもあたしはバッチリ見えるよ?」
「……それはゆきぴが特別だから。このご時世に、ここまでカッパの存在を信じてる人はそういないでしょ」
「いやーん特別とかきゅんきゅんなんですけど」
いかにカッパであろうとも、こうも一緒に過ごしたら愛着も湧くというものだ。色恋ではない。犬や猫に向けるものと同じだ。ひとりで帰っていくと知ったら心配にもなるだろう。
「カッパたんはお嫁さんいないの?」
「いない。この辺にカッパなんてボクしかいないし」
「じゃあゆきぴがなってあげよっか」
そういう彼女の頬は少しだけ赤くて、かわいらしいなんて思ってしまった。言っていることは滅茶苦茶だけど。
「できるわけないじゃん」
「ちぇー、プロポーズ失敗」
べーっと舌をだす彼女もまたかわいく見えたから困ったものだった。
◇
その日は大雨がふっていた。夜から降り続いたせいで河川は増水し、かなり危険な状態だった。カッパもこういう日は大人しくしているのだが、嫌な予感がして川岸を覗くと、傘をさした雪奈がこちらへこようとしていた。
「大雨の日は来ちゃだめだって言ったろ! 川は危ないんだぞ!」
カッパは慌てて近づくが、傘が強い風であおられて雪奈の重心はおぼつかない。今にも飛ばされてしまいそうだ。カッパは小柄ながらに一生懸命手を引っぱって雪奈を川から遠ざける。濁流はすべてを飲み込む。人間なんか簡単に流されるのだ。
「なんでここに来たの」
「ごめんなさい。でも、カッパたんに会いたくて」
「このバカ! ふざけんな!」
強い横雨がふたりを打つ。はじめて触れた雪奈の腕は思った以上に細かった。力を入れたら簡単に折れてしまいそうだ。
「だってあたし、もう時間がないんだもん……」
雨に濡れた雪奈の顔がぐしゃりと歪む。いつもはどんなことがあっても笑っているのに、初めて見る表情だった。カッパは無性に腹立たしくて、雪奈の腕を引っ張って家の近くまで連れて行く。雨で全身ずぶ濡れだがそれどころではない。雪奈はそのあいだずっと無言だった。
別れ道、手を離して背中を向ける。そして歩き出そうとして、「あのね」と細く語りかける雪奈の声を聞いた。
「小さいとき川で溺れて、死ぬんだと思った。すごく怖かった。でもカッパたんが助けてくれて、すごくホッとしたの。あたしにとって、カッパたんはヒーローなの」
振り向きもせず、背中で聞く。雪奈の声には涙が混じっていた。
「……だから、また助けてほしいって、思っちゃったの」
わからない。雪奈は助けてほしくてあの河川敷に来ていたというのか。それは今日? それとも最初から? 普段の元気な姿の下に、不安な気持ちを飼っていた?
振り返って雪奈を見る。彼女は目を真っ赤に腫らして涙を流していた。
「助けるよ。何度だって」
考えるよりも先に言葉が口をついて出た。
雪奈は子どものように声をあげて泣いた。
その日を境に雪奈はぱったりこなくなった。あの日々が夢のようだ。うるさくて迷惑だと思っていたのに、いざその日々がなくなると心にぽかんと穴があいた気がする。
水面からちょっとだけ顔をだして河川敷をながめた。犬の散歩やジョギングする人がたまに通り、そのうち学生の姿がちらりと現れる。しかしそれは雪奈ではない。
雪奈がふたたびカッパの前に現れることはなかった。彼女が何から助けてほしかったのか今となっては分からない。カッパがひとりで考えたところで分かるわけがないのだ。だからそのうち考えることもやめた。心の底に封印して、ぼーっと毎日を過ごした。四百年も生きるカッパにとって時間の流れはあいまいだ。瞬きをするあいだに流れたのは三日か、三ヶ月か、あるいはそれ以上か。
だから彼女が生まれたとき、あれからどれくらいの時間が経過したのか分からなかった。
妖怪が生まれるときは、発生すると表現した方が正しい気がする。人間の思いや自然の摂理、そんなものがある日固まって、意思を持つのだ。
生まれたてのその子はカッパを見つけると、嬉しそうに笑った。
「あたしはゆきぴだよ。あなたはだれ?」
カッパは信じられなかった。それでも一歩二歩と足を動かして、その子の元へ近づき手を伸ばす。
「どうして泣いてるの? 一緒に歌うたう?」
とめどなく流れる涙を拭うこともせず、
カッパはその子を抱きしめた。