閑話 神官長とその友人
閑話 神官長とその友人
「……………」
「………………………………」
無心に聖句を唱えた余韻に浸っているであろう男の姿を見止めて、アルベルトは非常に複雑な表情を作った。
星月に照らされる雪の如き長髪を一つにくくり、湖の様な色をした瞳を眼鏡という薄い硝子の奥に隠し、神官長という身分をもつ彼の名は、シルヴェストロという。この国に栄え数多の神殿を持つルキナ教の神官たちをまとめる存在であり、主要の中央神殿を若くして任されているシルヴェストロの朝は早い。否、神官学校を出て、神殿に入り数年たつのだが、彼はこの神殿に入ってからというもの常に早起きであった。
最早常識を通り越して身にしみて知っている事実だが、アルベルトは敢えてその事実を思い出す。それというのも何故そんな事を急に思い出したか、と言えば人が珍しく早起きをして朝の祈りの当番を代わってやろうと友人を出し抜いたつもりなのに、聖堂へと赴けば既に祈りを捧げた後の友人がいたからだ。神官の朝は早い、だがそれよりも本日の己の朝は早く、そしてそれ以上にシルヴェストロの朝は早かった。
アルベルト・アトラスは善良な祭司である。神官とは多少役目が異なるが同じ神に仕える身、神官と司祭とはとても仲が良い。そう、仲が良いからこそアルベルトは今とても怒っている。シルヴェストロに向かい平坦な声を出した。
「……………………おい。お前、昨日は何時に寝た?」
「え、あ。おはよう」
じとりと睨んだアルベルトの視線ににこ、と返される微笑みにおはようと返す。けれども騙されてやるつもりは毛頭なくじっとそのまま瞳を見詰めればシルヴェストロが僅かに視線を逸らし、次の瞬間にはそれはそれはもう、綺麗な微笑みを浮かべる。
「多分、君と同じ時間じゃないかな」
「……ほう?」
「あ、そう言えば随分と今日は早いね、どうしたの」
「いやあ俺より早いご友人様に言われるほどではないよ?」
「ん、う。僕もさっき来たばかりだよ?」
「そんな平素の神官服ではなく儀礼用の装飾をじゃらじゃら付けて、さっき来たと。それではいつ起きたんでしょうかねえこのご友人様は」
「………………き、」
「君と同じ時間で済むかこの馬鹿!」
「心読まれてる……」
「読んでねえよ毎回反応一緒なんだよいい加減飽きろよそれでも見破るけどな、馬鹿!」
「ひ、ひどい」
静寂を保つ聖堂にくわんくわんと怒鳴り声が満ちる。聖堂は居住区と離れており、未だ就寝中であろう大勢の人間に害は及ばないが故に、目の前の友人一人が多大な迷惑を被る羽目になる。軽くふらついたそれをみてやや怒鳴りすぎたと気を落ちつけ、説教をするべく口を開いた。
「大体、俺は知っているぞ。お前が日付が変わるまで書庫室に籠っていたことを!夜食喰ってた神官が目撃していたからな」
「え、じゃあ逆に聞くけど、君のことだから規則に反して夜食を食べていたその神官を怒っていたんでしょう、いったい何時まで起きてたの?」
「知ってしまった以上はお前の部屋の灯りが消えるまで」
「え」
「だから俺は最初の言葉に対して怒らなかっただろう。真実だからな。あーあーこんなに心配したのになあ。職務に誠実すぎてここの所睡眠をとれていない親友を心配してお前が眠れるまで見守ってたのになーあ。そんな親友に対して誤魔化そうとするんだもんなあ」
「う、うう」
たちまち罪悪感に染まるシルヴェストロの顔を見て、こんなものかと納得して頷く。たまにはこれ位言ってやらねばならないのだ。大体、朝の祈りは神官にとって重要な役割とは言え、それをするべきは当番制で、そしてそれは通常ならば神官長には回ってこない。なのにどうして彼がやる羽目になったかと言えば、病に倒れた神官の代わりで、それもその神官には誰かに頼んでおくよと言って引き受けたもので。何でもかんでも引き受けるこの友人の悪癖にいい加減うんざりしていた。
「ご、ごめんね…?」
「仮に反省しているならば暫くの間は睡眠時間を平均的な数値にして貰おうか」
反省の色を見せる言葉に即座に打ち返す。シルヴェストロは困惑しながらに応えた。
「えー…と、今日に加えてあと一時間も寝れば十分平均じゃないか、な」
「鐘二つ時に寝て、鐘五つ時に起きるのは一般的じゃないんですよ、人の話を聞いていましたか。中央神殿神殿長にして神官長のシルヴェストロ・ミトラス?我が神殿の宝」
「うわ……うん、わかった、わかったからその言葉遣いやめて欲しいです」
俺の愛想が良すぎて教師の様な生真面目さもある外面を彼が苦手だと知っていてわざとその様に振る舞い彼の聖名まで丁寧に呼ぶと、案の定沈んだ顔で止めてくる。若手には受けがいいし、爺どもにもそれなりに受けがいい外面なのにどうしてこいつが気味悪がるかと言えば、勿論俺がそんな慈悲に溢れた神官らしい人間ではないと知っているからだ。
平民出の、粗雑な性格だった学生時代をシルヴェストロは知っている。同時に、俺もこいつの今よりもっと間が抜けて、緩んだ性格の学生時代を知っている。同級ならば皆が知っている事よりも、少しだけ俺たちは互いの事を知っている。だからどうなのだと言えば、どうということもない。強いて言えば柄にもなく俺がこいつの世話を焼きたがる様になったということと、こいつにしては珍しく甘えを許す人物が俺だけだと言うだけの話だ。
「……まあ、お前がこういう雑用が好きだって、知ってはいるけどな。程々にしておけ。元々多忙なんだし」
神殿長、そして神官長ともなれば仕事はもう、山のように海のようにある。大体兼任という事実がおかしいのだが、中央神殿においては歴代神官長が神殿の長も兼ねて役目につくのが常なのだ。細々としたものから大きなものまで、それを全てこなすのは一人では無理があるから、神殿長の上に当たる最高司祭だとか、神官長を助ける副神官長だとかが助けなければいけないのだけれど。
「人に渡す分の仕事より、自分の分のがいっつも多いもんなあお前」
「あはは…」
「あははじゃないっつの」
おまけに副神官長は仕事の配分差に気付いてはいるが目上の神官長に強くは申し出られず、最高司祭の奴等は何にも気付かずで仕事を残すし。この国に残るわずかな魔法士が重用される神殿協会の中とは言え、貴族と言うのは何時だって傲慢が許される生き物だということなのだろう。まあ、目の前の元貴族は例外中の大例外だが。司祭長の自分としては、傲慢の見本たる最高司祭を早々に蹴落としたいのだがそうもいかない。大体何故神官長と司祭長の上の格に最高神官と最高司祭がいるのか。いなくても問題のない人間ばかりなだけに彼らの下にいるということが少し口惜しくもある。
ふと、目の前のシルヴェストロを見た。
そう言えば、彼の実家は代々司教や枢機卿を出す家柄だが、彼の叔父もまたそうだった。
その叔父を上回る勢いで現在昇級続きの目の前の友人は聖人ミトラスの名を戴くほどの魔力の持ち主だが、彼自身はと言えば緩い所があるただの青年の訳で。夢を見ている神官共や、こいつを恐れてだか嫌ってだかでこき使う爺共を思い出して。彼の耐えてきた過去を、身内から受けた非道徳な行いやらを思い出して。
……思い出して、アルベルトは速攻で忘れることにした。
朝から不愉快な気分になど、誰がなりたいものか。
周りに俺だけしかいないからか、いつもとは違う仕事をしたからか、心なしか緩んでいる友人の表情を見て、蒼い空を見て。そうして気持ちを入れ替える。何しろ空はいつでも青いのだ。
「………うーん。飯でも食いに行くかー」
「ああ、そうだね。もう少ししたら」
「もう少ししたら。それって朝食当番の奴らが作り終わったら? いつよそれ。ほんと、気ぃ使い過ぎてはげるぞその内」
「ええ、それは嫌だな」
「でも出来るまでは行かないんだろう?」
「だって出来てもいないのに良い匂いを嗅ぎたくはない」
「それもご尤も。んじゃまぁ散歩にでも行くか」
「じゃあって何。じゃあって」
「だってほら、今日は絶好の散歩日和だろ?」
「…………アルはいっつも、それだなぁ」
仕方ない、という表情をするシルヴェストロこそ、仕方ない奴だと俺は思っているのだけれど、まあいいかとも思う。多分、今日だって起きてすぐに聖堂にいたわけではないのだ。自分が聖堂へと向かう途中に神殿騎士が回廊を過るのを確認している。神殿騎士を動かせるのはそれなりに位の高い神官や司祭でないと難しく、昨日に神殿を訪れた皇女のことや、沈黙を保った上層部のことを考えれば自然と推測は出来るのだ。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
それでも、彼が決めたことだから。何も言うまいと決めている。
そう考えているシルヴェストロの笑顔に結局は流されてしまう。
勿論、流されてばかりな訳は無いのだが。
――まずは、今日の睡眠時間を強制するところだろうか。




