三章
三章
「姫様」
神官長が『日記帳』を取りに行っている間ルーディアナが椅子に背を預け身を休めていると、ラティルスが口を開く。彼のその、どこか急いているような表情を察してルーディアナは微笑む。
「ええ、私から伝えておくから先に夢の館に行っていてちょうだい」
「………ありがとうございます」
素っ気ない会釈を残してラティルスは部屋を出る。彼らしくない急いたその様子が微笑ましく温かな視線で見送っているとそれからやや時を置いて神官長が部屋に戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「あら、早かったのね?」
「まぁ、それなりに………彼は?」
「隣にある夢の館の知人に会いに行ったわ」
「知人……ああ」
彼の、と言おうとしたところで目の前の姫がにっこりと微笑んでいるのに気付き神官長は言葉尻を濁す。先ほどまではラティルスがいた。
ルーディアナも神官長も彼の能力を正しく評価している為にそれほど用心は必要としなかったが彼がいない今、この部屋が本当に安全で誰にも何も見聞きされていないという保証はないのだ。
誰に聞かれているかなどわかったものではない。
神殿の中だからなどと、神官長も己の管理する神殿を丸々信頼しているわけではない。現に、とある神官の元から元凶ともいえる手紙が出て来たのだ。組織が大きくなればなるほどに、一枚岩ではなくなる。もちろん彼とて万能ではないのだから鼠を漏らすこともあろうが、彼が逃すほどの者なら隠す方が無駄だ、と以前姫が言っていたこともついで思い出された。その辺は思い起こすと長くなってしまうので自分の心の奥深くにしまうことにしてシルヴェストロは空々しい会話を始める。
「それで、姫様。新しい日記帳を持ってきましたよ」
「ありがとう。神殿で作られているものだと、ご利益がありそうでどうしても欲しくなってしまうのよ」
「楽しい記憶で埋まるといいですね」
「ええ」
ほんとうに、と可憐に微笑む姫に神官長は曖昧な微笑みを向ける。
――全く、末恐ろしい姫だ。
■ ■ ■
「アイリス!」
「……あら、にいさま」
その部屋に扉はなく、布の帳を押しのけラティルスは待ち人の居る部屋に足を踏み入れる。待ち人たる部屋の主はまだあどけない少女でふわりと微笑んでラティルスを迎え入れる。彼を兄と呼んだ少女は身を横たえていた寝台から身を起こした。
年頃の少女にしても細すぎるその頼りない背を支え、ラティルスは労わるように妹へと話し掛ける。
「何か視ていたのか?」
「はい、先日遠方で災害があったと聞いたので…」
気遣うように差し出された手を取って少々ばつの悪い顔をするアイリスにラティルスは苦笑する。余程のことがない限りやってはいけないと言い聞かせているのに、彼女はこうやって力を使うのだ。巫女である彼女の行いはそれが正しいというのだろうが、彼女の兄であるラティルスとしては到底快諾できる内容ではない。
夢見の巫女、とアイリスたちのような異能を持つ少女たちは呼ばれている。
異能を持つ少女は稀に存在し、その中でもより強く、特殊な力を持つ少女を夢見の巫女とされる。神殿にて夢見の巫女と認められた少女たちは異能が失われない限り神殿の中に住まい不自由ない生活を送ることになる。巫女らの能力は国家安泰のために使われ、王の在位中、巫女姫がその地位を支えている。なくてはならない存在なのだ。
夢見の巫女の能力は、夢を飛ぶ。夢と夢を繋ぎその瞳で万里をも見通す事ができる。そのうえで各地の苦難を伝え適切な助言を為政者に与えるのが主な仕事なのだ。
その力が今最も強いとされているのがアイリスで、力が強いということは反動も大きいということ。だからラティルスは彼女への心配を止められない。幼いころから体を壊していたから、猶更に。巫女として為さねばならぬことであれから多少は致し方ないものと理解している。けれど今回のように命を救うためとはいえ自らの命を散らしてほしくない、というのが素直な心情なのだ。
「あらあら、貴方のお兄様は相変わらず過保護ね」
鈴のように軽やかに面白がる声が後ろでして、ラティルスは居住まいを正す。用を済ませたのか、ラティルスの予想よりも早く訪ずれた少女、ルーディアナはアイリスに歩み寄った。
アイリスも久々に彼女と逢えたからかうれしそうな顔をしてルーディアナへと歩み寄る。それはいいのだが、合わさる場所はラティルスの近くで、それはすなわち入口の近くで。なんだかなあとラティルスはこっそり脱力する。皇族の姫君と、国守を担う夢見の巫女が、一人の平凡な人間を挟んで廊下で立ち話。笑えない冗談だ、酔っ払いだって笑わないだろう話。
「ルーディアナ様!」
「ごきげんようアイリス。相変わらず愛らしいわね」
「ルディ、それは多分他人の妹に久しぶりに会って初めて発するにふさわしい言葉じゃない。…………というか、中に入らないか」
「……? はいっていますよ?」
「うん、いやアイリスは確かに位置的には入ってるけど……まぁいいか」
無邪気に手を取り合う少女らに苦言を呈すと、妹は不思議そうな顔をして。
ルーディアナはあらあらと楽しそうに微笑む。夢見の巫女は高位の存在として現世から隔離されるように住まいを与えられ役目を果たしている。管理されているともいえる其れは血族相手にも公平で、滅多に役目についている巫女と逢えることはない。今日のこの時も事前にルーディアナが便宜を図ってくれていなければ実現しなかっただろう。ラティルスは彼女に深く感謝する。
――多分、これが最後だから。
ルーディアナの目指す道へと進むならば、何もかもを捨てなければなるまいとラティルスは覚悟を決めている。愛しい最後の肉親とも、二度と会えない可能性もある。そうでなくともこの面会が終われば長いことあえなく夏のは必定だろう。だから、悔いのないように今日は過ごそうと決めた。
「ねぇアイリス。貴方のお兄様ってお友達いないのよ」
「ルディッ?」
「まぁにいさま……わたしにもお友達がいるのに」
「いや、いないわけじゃないから。作らないだけだからねアイリス」
「そう……? ああ、そうだわ!わたしのお友達とにいさまもお友達になる?」
「聞いてるかな、聞いてないよね人の話はちゃんと聞こうねアイリス!そこが可愛いんだけど!」
「まぁにいさまったら……アイリス嬉しい」
「くっ……………………」
「変わらず面白いわね、貴方たち」
満足そうに微笑んで、これから存分に二人をからかうつもりのルーディアナをラティルスはきつく睨む。わかっていたことだ。アイリスが少々人の話を聞かないこともそれを利用してルーディアナがラティルスをからかうことも。日常茶飯事だったから。それでも、油断していたのだとラティルスは項垂れる。所詮気取ったところで、今はただの少年を域を出たばかりに過ぎない青年なのだ。そして、今はただのどこにでもいる妹を大切に思う兄でしかなかった。




