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中編・二度目の彼の胸の中

「やだ、雨……?」


 見ると、昼間あれほど晴れていた空がいつの間にやら暗くなっている。ゴロゴロと鳴る音が微かに遠くから響いてくる。


「夕立ちだな」


 ぽつりぽつりと振り出した雨は、見る見るうちに真夏特有の土砂降りへと変わっていった。


「きゃっ……!!」


 思わず耳を塞いだ。空が紫色の閃光を放ったかと思うと、ものすごい音がして雷が落ちたのだ。それもかなり近いような気がする。

 電気を消したままだった部屋は、たちどころに薄暗くなり、それだけに紫に光る雷光が不気味だ。雨脚が激しくなり、ものすごい音を立てる雷に私は、思わず彼の腕にしがみついていた。


「大丈夫さ。こんなとこに落ちたりしやしない……」 


 震える私の耳を塞ぐようにして、彼は私を抱き留めていてくれる。気紛れな夕立が去るまで、私はただ彼の胸に縋りついていた。

 彼の胸は、暖かい。心臓の音を聴くと、何故だか安心する自分を感じている。そうして瞳を瞑っていると、眠ってしまいそうになる。

 守屋君の胸の中……。


「あ、あの……。ありがと……」


 雨が小降りになり雷が遠のいて初めて、私はこの格好の不自然さに気がつき、彼の胸から離れようとした。


「このままで、いい」


 しかし、彼は私の腕を掴んだまま、私を離さなかったのだ。

 彼の顔を見つめた私の口唇くちびるは、彼の口唇によって塞がれていた。


「どうして……」


 その深い、ふかい口づけの後で、私は彼の胸に顔を埋めながら、過ぎる程の無防備さで本心を口にしている。


「どうして泣くの」


 私を胸に抱いたまま、穏やかに彼は口を開く。


「何がそんなに辛かった」


 彼の言葉が胸に響く。

 わかっていたんだろうか、彼は……。

 私がここへ来てしまった本当の理由を。


「どうしてこうなっちゃうんだろ。どうしてあたしあなたになんか逢いに来てしまうの。やんなっちゃうほんとに。私のことなんかほっといてくれればいいのに……」


 吐息に近いその言葉を吐き出しながら今、私が泣いているのは彼のせいじゃない。

 私は彼に縋りに来たのだ。

 こんな身勝手なことってあるだろうか。

 私は次第に、しゃくりあげ始めていた。

 大阪で受けた傷はまだ生々しく、私の心は血を流している。男によって受けた痛手を、別の男の胸の中で癒やそうとしている自分が、滑稽にも思えてならない。


「守屋君…守屋君……」


 意味もなく彼の名を呟きながら、私はメイクしていることも忘れて、ただ泣いている。

 それはまるで、三年前のあの高二の秋の放課後を再現しているかのようでもあった。

 甘美な想いが、ぼろぼろに傷ついた心の奥底へと優しく浸透してゆく。切れ切れに、しかし絶え間なく続くライトな彼の口づけを感じながら、いつしか眠りへと誘われていくかのような心地よさ……。

 やがて涙も尽き、ただじっと彼に寄り添い抱かれながら、静まりかえったこの部屋の中でまさしく彼と二人きりでいることに、何故か違和感を感じていない自分が不思議と言えば不思議だった。


 エアコンの機械音。

 微かに響く蝉の声。


 部屋の殺風景さも加えて、このフローリングのだだっ広い部屋は、二年前と少しも変わっていない。

 まるで、タイムスリップしてきたかのような感覚にすら囚われながらも、我に返れば、サマーブルーのアイシャドゥーと紅いルージュをひき、プレタポルテの歳よりも大人びたワンピースに身を包んでいる自分に、気付く。

 私はもう、あの頃の私とは……。


「神崎」

「……え?」

「俺が今、どういう気持ちだかわかるか」


 突然発せられたその言葉の意味をすぐには判断しかねた。


「俺を信じずに俺から離れていったお前が、ぼろぼろに傷ついて、今また俺の腕の中にいる」


 守屋君────── 


 顔を上げ、彼の顔を見つめた私は次の瞬間、軽い叫び声を上げていた。

 板張りの床はやはり背に固く、彼の手の熱さとは対照的に、ひんやりとした感触を保っている。私は彼の顔を正面に見上げていた。


「後悔したよ、俺は。どうしてあの時、お前を素直に帰しちまったのか。お前が何を想おうと、俺はお前を愛していたんだ。俺たちはお互い惚れ合ってたはずだ。そうだろ」


 一方的に言葉を続けながら、彼は私へとその手をかけたのだ。

 それをどうして拒まなかったのか。

 何故ああもすんなりと受け入れてしまったのか。

 後から考えてみてもよくわからない心理だった。


 彼はそれ以上は何も言わず、私のワンピースを脱がせるとその引き締まった両腕で私を抱え、ベッドに横たえた。

 彼がシャツを脱ぐ姿を私は見なかったが、背中でその気配を感じながら、スリップ一枚の我が身を片手で抱き締めた。



***



「変わったな。……神崎」


 それが彼の第一声だった。

 そして、それが何を意味しているのか、私にはよくわかる。


「誰だっていつまでも、コドモのままじゃいられないわ」


 それが、答え。

 いい女になってるはずだよ、と彼は呟いた。


「軽蔑した……?」


 多少の自嘲を含みながらそう問いかけた。

 彼は、昔と同じように煙草を吸いながら何処か所在なげな目をしている。


「いや、ただ……」

「ただ?」

「お前を女にしたヤツの顔を見てみたい」


 煙草を揉み消しながら、彼は真顔でそう呟いた。


「癪だね、やっぱり。惚れた女が他の奴を通じて綺麗になっていたとはね。あまつさえ、そいつ好みのカラダになってるのかと思うと、堪らないね」


 そんなことを考えながら彼は私を抱いていたのか?! 乱暴ともとれる抱き方は、その仕打ちだったとでも言うのか……。

 抱けば抱くほど、彼は私の中に他の男の存在を見せつけられるだけだったのかもしれない。確かに、私はもう二年前の何も知らない私ではなかった。



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