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前編・あの忘れ得ぬ夏からの再会

 目の前に置かれたのは、やはりアイスコーヒーだった。

 もしかして、あの時と同じグラスのような気がしたが、よくは思い出せない。しかし、やや苦みの強い味は、やはり彼独特のものであるように思える。


「いつこっち帰ってたの」


 彼がコンポの前で何やらCDを選びながら、私に声をかけてきた。


「ん、三日前……かな」


 私は何故だかわからないけれども二度目となる彼の部屋の中で、表面の大人しさとは裏腹に好奇心の塊になっている。それを悟られたくはなくて、ちょっと気の抜けた返事を演出してみせた。

 しかし、それは徒労だった。


「もうとっくに夏休み、入ってたんだろ。彼氏と旅行でもしてたの?」


 たった一言のなんてことはない彼の言葉に、大きく狼狽してしまうのは、二年前とまるで変っていないことに私はすぐ気付かされていた。


「まさか。バイトよ、バイト。ずっと模試採点やってたの。知ってるでしょ? そ、あの大手通信講座がやってる例の。結構、まとまったお金になるものね。え? うそお! 守屋君が肉体労働やってたってぇ!? 私がクーラーの缶詰になってた間に。……でも案外、似合ってたのかもしれないわね。守屋君。昔は三年間もボートやってたんだから」


 最初の思惑はものの見事に崩れ去り、饒舌になりかけている私にはしらんぷりしたまま、部屋の中には軽快な音が響き始めていた。

 彼は私の隣に腰を下ろすとベッドを背に、早々と煙草をふかす。その目は、どこということもないあらぬ方に向けられている。人と一緒にいながら精神がトリップしてしまう彼の癖はまだ治っていないらしい。

 BGMはロック……そのくらいの認識でしかない。

 隣にいる彼に一言、「これ、誰の音?」とかなんとか言えばいいのに、その一言が何故だか言い出せずにいた。

 実に二年ぶりに再会した彼は、高校時代とほとんど変わっていないような気がする。

 あの当時から既に大人びていた彼のこと。大学生になったからといって、受ける刺激などほとんどなかったのかもしれない。薄いフレームのメガネが相変わらずなら、細身の肢体も痩せた横顔もあの頃のまま。

 ただよく見れば、二十歳らしい精悍な男らしさが加わり、彼はもう完全に青年になってしまっていた。


「そんな風に見るなよ」

「え、そんな……。私」


 思わず、言葉に困った。何だか完全に心の中を見透かされたような気がした。


「守屋君って。あんまり変わってないなあなんて思って、つい……。さすがに制服ガクランはもう似合わないだろうけど、私服だとなんか。こう……」

「今でも高校生に見えるって?」

「まさか。その逆よ。あの頃から大学生みたいだったって……」


 あ、なんで?馬鹿にしてる!?……その時、思わずそう声をあげていた。すこぶるマジだった私の言葉に、彼がクスリと笑ったからだ。

 けれど、彼の失笑は長くは続かなかった。


「神崎が変わったんだよ」

「わ、たし……?」


 そのまるで予期し得なかった彼の言葉に、私はピクリと体を動かした。


「綺麗にメイクして、仕立ての良さそうなリネンのワンピースなんか着て、足元はペディキュア。すっかり女子大生してんじゃん」

「……もう二十歳だもの。このくらい当然でしょ」


 素っ気なくともとれる言い方を私はしていた。


 二十歳────── 


 正確には私はまだ十九歳。私の誕生日は秋だから。

しかし、七月生まれの彼は私より一足先にその年齢、二十歳になったばかり。

 あの忘れ得ぬ夏から、二年の歳月が流れようとしていた。

 その二年という月日が、長かったのか短いものであるのか、私には判断しかねている。


「もう……きっと一生、あなたに逢うことなんてないと思ってた」


 それでも、何か言わずにはいられない性分は相変わらずとみえる。


「同窓会もすっぽかすつもりだったの?」

「出てもきっと無視したんじゃない、お互いに」


 それが、答え。

 しかし、その答えに対する彼の言葉はあまりにも無防備すぎるものだった。


「あの夏別れたっきり、言葉も視線も交わさないまま知らん顔して卒業して。神崎だけ先にさっさと大学生になって関西なんかに行っちまって、俺の立場はなかったね」

「追いかけてくれなかったからよ。……守屋君が」

「あの時追いかけてたら俺、何やってたかわかんないぜ」 


 どうして。

 何故、こんな会話を今頃こんな所でやっているのだろう……。

 そう思わずにはいられなかった。

 けれど、彼の言っていることもまた全く隙のない台詞であるということにも違いない。


 高三の二学期────── 

 再び顔を合わせた私達は、完全に他人の顔をしていた。


 誰の目にも触れることなく終わってしまった、終わらせたはずだった彼と私の関係。

 そうやって何の言葉も交わさないまま卒業し、どの新聞、どの大学の合格者欄にもとうとう彼の名を見いだせないまま、その春、私は大阪へと発って行った。

 そして、その後の彼の消息を、私は今日まで知らずにいた。


「どうして、俺ん家の前なんかに立ってたんだよ。この暑いのに」


 彼は更に淡々と言葉を続けた。


「誰かと思ったよ。目の醒めるようなブルーの服着たいい女が、門の前に立ってるのを見た時は」

「そんなからかい方、よして」

「からかってなんかいやしないさ」


 彼は涼しい顔をしている。内心酷く狼狽している私の心中を見透かしているのだろうか、再び、どうしてと問うた。


「今日……祖母の家に行ってたのよ。それで。交通センターでバス乗り換えようとして降りた時、なんか急にあの予備校前の公園の木陰の下に行ってみたくなって。それで……」

「で、公園まで来たらついでに、俺の家で珈琲飲みたくなった」

「そうね。そうかもしれない」


 実のところは自分でもよくわかってはいなかった。

 ここに来たところで、彼に逢えるなんて思ってもいなかったし、思わなかったからこそ来る気になったのだ。

 それなのに……。



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