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7/7

7.月の光に稜線が浮き上がっていた。

 梨絵たち2次会へ向かうメンバーと別れ、大野と2人夜の街へ出た。月が明るかった。特に行くあてもなかったが、何気なく入った路地の道沿いに三方を雑居ビルに囲まれた小さな公園を見つけ、そこに入った。生まれ故郷とはいえ、足を踏み入れたことがない場所は幾らでもあるものだ。

 入口脇の自動販売機で缶ビールを2つ購入し、1つを大野に渡した。ブランコに並んで座った。

 2人きりで話したいことがあったから皆と別れてここまできたはずだったが、いざとなると何を話していいかわからなかった。埋め立てられた秘密基地跡地を見た帰り、コンビニで並んで座った時のことが思い出された。あの頃から何も進んでいないな、と心中で呟いた。沈黙のまま、プルタブを開けた缶からビールの気ばかりがいたずらに抜けていく。

 話の接ぎ穂でまず近況でも、という気にはならなかった。お互いの最近の話は、同窓会の席でも殆ど出なかった。

「あたしには黙ってるけどうちの旦那、相当借金を抱えてるみたいなんだよね」

 大野が席を外した時、ふいに梨絵がそんなことを零した。

 大野は学校を出てから家業の電器店を継いでいた。経営に行き詰まり事業拡大を図ろうと様々な試みに手を出してみたがどれも上手くいかず、資金繰りが悪化してしまったという話だった。最近は夜遅くまで酒に溺れ、大声を出すこともしばしばらしい。

 そういう俗っぽい失敗談は、大野のイメージにそぐわなかった。少年の日、夕闇の山道で綿貫の遺体を見下ろす姿が目に焼き付いている。常に飄々として、どんな嵐もかわしてしまう男だと思っていた。尤も俺が抱く大野像は15年前で止まっているのだから、歳月が変化をもたらしたと言えばそれまでかもしれないが…

 或いは()()()()が、大野の心からしなやかさを奪ったのだろうか。ワタヌキの遺体を運んだ後、大野だって俺のように内心を陰りに侵食されたはずだ。その重圧は20年以上もの間、絶えず大野を苛んでいたのではないか。俺とて旧友のことをとやかく言えた立場ではない。長年尽くしてきた会社に裏切られ、職を失った。誰も引き留める者がいなかったのは、そこまでの人間関係を構築できなかったからだ。故郷を出てから誰かを信頼した記憶がない。

 もしあの日星崎先生とワタヌキの対峙を目撃しなければ、俺たち2人の現在は少しは違っただろうか。大野はかつての不敵さを持ち続け、俺ももっと人間を信じることができただろうか…

 頭に浮かんだ想念に、思わず吹き出してしまった。まったく馬鹿馬鹿しい。人生の悲嘆や辛苦の根元を、すべて一事に転嫁してしまえるならこれ程楽なことはない。どうも気が弱っているらしい。過去の奇禍に縋りたがっている。

「おい、どうした」

 突然吹き出した俺を、大野が訝しそうな眼でみてくる。「いや」と返したが、丁度いいきっかけが掴めた気がした。

「ワタヌキは…随分借金を抱えていたんだってな」

 我知らず、そんなことを口にしていた。当時噂で聞いたことだ。

「そうらしいな」

「でも麻薬の件で星崎先生を責めていた時、秘密を盾に金を要求する様子は全然なかった。そうすることもできたはずなのに」

「…何が言いたいんだよ」

「ワタヌキはワタヌキなりに、自分の信念に沿って行動してたんだろうな、って…」

 それは事件から随分後になって、自然と俺の心に沸き起こった考えだった。

「信念があればなんでもしていいわけじゃない。現にあの爺さんに盗聴やストーキングをされて、迷惑を被った人間だっている」

「でも、星崎先生の件では真実に迫っていた」

「後悔しているのか、爺さんを隠したこと」

「そういうわけじゃないが…」

 だが心中に溜まった澱を吐き出したかった。ワタヌキにも一部の理があったと考えることは、俺たちにとっては苦しいことだ。あの老人に100%の非があったと思えたなら、今よりどんなに心が軽くなったろう。

「お前、梨絵にもあのことは話してないんだよな」

 不毛な問いだと自覚しつつも、尋ねてみる。

「当たり前だ」

「他の誰にも?」

「言えるかよ。お前は誰かに漏らしたのか?」

 もちろんそんなはずはない。ではやはり2人だけだ。星崎先生が死に、ワタヌキの死の真相を知るのは、俺と大野だけになった。3人から2人へ、秘密の比重が増したことが、先生の死を聞き息苦しさを覚えた最たる所以だろう。

「だからお前と話がしたかった。先生の訃報を聞いてから、ずっと。こんなことを話せるのは、お前しかいないからな…」

 大野がぽつりと零した。大野らしくない、弱気な物言いだ。やはり昔とは変わった、と思った。

「そうだな…こうなってみると、星崎先生とも一度話したかった。俺たちが助けてやったのに向こうが知らないままじゃ、やっぱり癪だからな」

 冗談めかしてそんなことを言ってみたが、大野は乗らなかった。缶ビールを一口煽ると、驚くほど真剣な声でこんなことを言った。

「なあ、星崎先生は俺たちがしたこと、本当に知らなかったのかな」

「…いきなりどうしたんだよ」

「ずっと考えていた。あんなことをしでかした後、先生はどういう行動を取ったのか」

 そして大野が語り出したのは、次のような物語だ。

 ―ワタヌキを殺害し発作的にその場から逃げた先生だったが、時間が経つにつれ冷静さを取り戻し訝しく思ったことだろう。何故ワタヌキの死が一向に世間の明るみに出ず、警察の捜査が自分に及ぶ気配さえないのか。何ら隠蔽工作を施さず、遺体を山道中央に放置してきたというのに。

 疑念を晴らすべく先生が凶行現場に戻ろうとするのは、極めて自然な成り行きではないだろうか。しかしもう一度あの祠前に足を運んだところでもちろん死体は見当たらず、殺人現場として警察に封鎖されている様子もない…パニックに陥りながらも先生は辺りを必死で探索しはじめる。自分が立ち去った後、一体この場所で何が起こったのか。事態を把握する為のどんな些細な手がかりでも掴もうと、土に塗れて山中を這いつくばっている内に…それを見つけた。

 祠からさほど離れていない斜面、樹木の間に微かに開けた上方へと伸びる細い道。俺たちが幾度も通った、あの“獣道”。その途上の枯れ草や低木が潰れ、土も不自然に荒れているのを。まるでつい最近、何か重たいものでも引きずったかのような…

 俺と大野がワタヌキの遺体を洞窟まで運ぶ途中、何度も重さで遺体を落としたり足を滑らせたりといった苦労に見舞われたことは既に書いた。その際、道中の草木や土の上には相当の乱れが生じたはずだ。洞窟に遺体を安置してから山を降りる時にも、その乱れを整えるような真似はしなかった。とてもそんな気力はなかった。その後豪雨が訪れ過ぎるまで、俺達はあの周辺に赴いていない…だからその間に注意深く観察すれば、俺達が綿貫を運ぶ際に残した痕跡を追いその経路を辿ることは、十分に可能だったろう。

 先生はそうした。大人が登るには困難な狭い獣道を夢中で登った。草木を掻き分けながら、誰がつけたか分からない目印を頼りに枝分かれした道を進み、息も絶え絶えになった頃、とうとう叢の向こうを岩場に、ぽっかりと開いた洞窟を発見する…

「そうして先生は、ワタヌキの遺体を発見した。洞窟に残っていた私物から、誰がそれを運んだのかも察したわけだ」

 そう静かに語り終えた。俺は眼を見張った。今まで考えたこともない可能性だった。

「…全部、お前の空想だろ」

「そうさ、根拠もない。だが蓋然性は十分あると思っている」

「じゃあ先生は、俺たちが自分の犯行を見たことを知りながら、知らないふりをして接していたってのか?そんなことができるもんか」

「わからんぞ。どの道先生は人ひとり殺してから素知らぬ風で学校に来ていたんだ。そういう面の皮の厚さは十分持ち合わせていた」

 大野の言う通りかもしれない。一方で、ワタヌキを殺してパニックになりその場を逃げ出した先生に、そこまでタフな精神があるとは思えない。1人の人間をその一面だけで語れないのは当然だが、この場合先生のどちらの面を想起して事態を捉えるべきだろう。

 事件後、先生が俺に向けた仮面の笑顔を思い出す。結局秘密を1つ知ったからと言って、俺は先生のことを何も理解していなかったのだろう。

「俺たちのやったことを知っていたのに、先生は俺たちにそのことを尋ねたり口止めしたりしてくることはなかった。危害も一切加えられなかった。それはどう考える」

「さあな。俺たちが自分の味方だと思って安心していたか、それともあの洞窟から更に死体をどこか自分しか知らない場所に移動したか…何なら今から、あの山に行って洞窟を掘り返してみるか?」

 俺は首を振った。すべては過去のことだ。真実は時間に溶け、抽出してみたところでもうどうしようもないだろう。

 この20年、星崎先生はどのような人生を過ごしてきたのだろう。自分が小学校を卒業して以降の先生の消息について、俺はまるでしらない。あれからも教職を続けたのだろうか。麻薬は…抜けられなかっただろうか。1点だけ、終生ワタヌキの幻影に怯え続けたことだけは間違いなく思われたが、これも憶測の域を出ない。

 俺は自分の頭を叩き、埒もない考え事を切り上げた。ブランコから立ち上がった。

「ホテルに戻るよ。明日の新幹線で帰る」

「新幹線走るかな。明日の天気は荒れるぞ」

 確かに今も空は晴れているとはいえ、既に大気が湿っぽい。雲の流れも速い。スマホの天気アプリを開いても、明日の欄には大雨警報が出ていた。だがその時はその時だ。

 俺が15年間も故郷に戻らなかったのは、この地が星崎先生とワタヌキの2人を否応なく思い出させることが大きいだろう。自分でどれだけ否定しても、()()()()の記憶から逃避したくて距離をおいていたのは否めない。しかし逃れた先の東京でも裏切られ、打ちのめされた。傷心のあまり捨てた故郷に慰めを求めて戻ってきてみれば、先生の訃報という形で過去が再び覆い被さってきた…自業自得といえばそれまでだが、どこまでも逃れられないなら、一生引きずるしかない。

「一度くらい実家に顔を出せよ」

 背中にそう大野が声をかけてくる。俺は振り向いてかぶりを振った。

「今は兄貴夫婦が住んでるからな。両親には後で電話するよ」

 昔から兄貴とはそりが合わない。失業して金の無心に訪ねてきた、と思われるのも癪だ。

「梨絵によろしく言っといてくれ」

 そう告げて大野と別れた。公園を出て、来た道を戻ろうと向きを変えたところで、建物群の向こうにそびえたつ山が目に入った。来るときは気づかなかった。月の光に稜線が浮き上がっていた。小学6年生の過ぐる日、夢中で通った山だった。

 あの山にはかつて俺と大野が“秘密基地”と呼んだ場所があった。そして今は、俺たち2人だけが分かち合う“秘密”が眠っている。


(了)

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