弾雨の中、黒一つ。
目の前の男の頭が爆ぜた。
それは滴るというよりかは飛び散ると言うべき光景。そう思えるほどの勢いで砂の大地に男の体液は散らばっていく。灼熱の太陽の下にいる水に飢えた砂達にとっては、飛び散る血液は垂涎のご馳走とでも言えよう。遅れて聴こえてきた長い銃声が良いエッセンスとなっている。
「伏せろッ!」
一人の男が俺を含めた周りの人員に声をかける。
大した男だ。今まさに銃の照準が合わせられているというのに周りを気にする余裕があるとは見事である。これが平穏無事な日常ならば賞賛したいところだが、生憎なことに今この場は戦場だ。
次の瞬間。その男の頭が爆ぜる。熟れた果実を殴り壊すようにだ。それだけに留まらず、さらなる弾丸が撃ち込まれ、男はまるで不出来な操り人形のように小刻みに震えて動き、その胴体に風穴を開けていく。
俺はそれを横目で見ながら近くの岩場に姿勢を低くし隠れる。隠れたと同時に風切り音と岩に弾丸が当たる音がし、続けてそれが十秒ほど続く。
「……五月蝿い霧雨だな」
「全くだぜ」
空に向けて悪態を吐いたはずなのに返事があることに思わず驚いてしまう。横を見れば俺が逃げ込んだ岩場には同居人がいたのだ。
「良い動きだなアンタは。名前はなんていうんだ?」
金髪頭が屈託の無い笑顔を俺に見せる。年は俺とそう変わらない二十歳頃だろう。少年のような人懐っこさがあるが、袖が破れた服から覗く筋骨の太さから屈強な兵士であることを想像できる。
周りには味方だった人間が血や臓物を撒き散らし倒れている。味方の力不足よりも敵方の奇襲の巧みさを褒めるべきだ。その中を生き残ったこの金髪男は只者ではなさそうだ。
「俺っちの名前はエドだ。今はアンタら箱庭ヤマトの奴隷戦士。そんでもって今撃ってきてる相手は元故郷の箱庭ユエスの軍人達だな。ははっ、同郷相手に容赦してくれねぇのな!」
聞いても無いことをベラベラと喋りだすこの男の舌には油でも塗ってあるのか。暗闇で困ったときは火を点けて蝋燭の代わりにしてやろうか。
「なぁアンタ知ってるかい? 二千年前の豚は足が四本しか無かったらしいぜ?」
銃弾飛び交う戦場でエドと名乗った男は関係無い話をしてくる。本来ならば煩わしいと断ずるが、絶え間無い銃火に血の鉄臭さと臓腑を破かれた糞便臭を漂わせる戦場において、この手の話は気を紛らわせてくれる効果がある。
「そしたら豚足が四つしか食べれないな。足が十本ある百足豚でも配給が追いつかないのによ」
「へぇ〜、アンタ豚足が好きなのか?」
「塩化ナトリウム錠剤も好きだ。歯ごたえが最高だからな」
話に乗ってやるとエドは意外そうな顔を見せる。どうやら俺が話に食いつくとは思わなかったようだ。
確かに昔から俺は顔が仏頂面だとは言われているが別に人との関わりが嫌いということではない。ただ単にコミュニケーションを取りたくないだけだ。
戦乱と混沌が、銃火と剣戟が、支配するこの砂の大地に友達という概念は不必要なのだから。
「この辺りの生き残りは俺達だけか?」
「強化外骨格を着込んだ隊長と副隊長が頭を撃ち抜かれてんだ。箱庭ユエスのエンフィールド八五式狙撃銃に狙われて生きてける歩兵はいねぇわな」
頭部装甲が他の部位と比べて薄いとはいえ、そこいらの豆鉄砲で撃ち抜けるほど脆くはない。すなわちそれは相対する敵の銃の性能の高さの証明だ。
「エドといったか。お前の銃は?」
ニヤリとした笑みを浮かべ、ぞるりと背中から抜刀するように出したのは長い身を持つ銃であった。
「箱庭ヤマトのムラタ式九六狙撃銃。威力は充分で精度も良し、手動装填で単発なのが欠点だけどな」
愛しい人の尻を撫でるように銃を触っている。それだけでこの男の戦士としての練度が伺える。戦場で命を賭ける相棒をまるで初恋の相手のように情愛を持って接する。戦場を知らない童貞には分からぬ感情だ。
話をしている間にも盾にしている岩は弾雨に晒されている。さすがに岩の中心部分は撃ち抜かれることはないが、その外縁の部分は銃声の数だけ削られていく。目に見えて体積を減らしていく様はそのまま俺達の命を奪わんとする銃の威力を物語っていた。
「アンタの銃はアリサカ百式突撃銃だろ?」
エドは俺の右手に握られている銃を指差す。
アリサカ百式突撃銃とは俺が所属する箱庭ヤマトの標準火器だ。弾倉給弾方式三十発の威力と精度に優れた銃である。だが、突撃銃ということもあり主として比較的近距離の戦闘を想定しているために狙撃戦のような長距離戦にはやや難がある。
「俺のじゃ遠すぎる。頼みの綱はお前の狙撃だけだな」
「ところがどっこい、そうもいかねぇんだぜ?」
狙撃に対抗するには狙撃しかない。そのような意味でエドに期待をしたが、当の本人は首を振った。
「えっとな? ここに逃げ込むときに予備弾薬のポーチを落としちまってよ。弾は一発だけなのよ」
会話の合間に弾丸が岩を削る音と銃声が響く。それも二つと三つほど。ほぼ同時に複数の音がするということは、俺達を狙っている射手は一人ではないということだ。
つまり、現在の俺達の状況は要約するとたった一発の弾丸で敵対する狙撃手達を倒さなければいけないということになる。
「無理だな」
「でしょ?」
当然、一発の弾丸で複数の敵を倒すなど到底無理な話である。射出された弾丸が勝手に動き、自由自在に敵を撃ち抜くなら別の話だが。
「あれが弾薬ポーチか?」
弾雨の音に背を向け、俺の視線の先には砂地にポツンと落ちている茶色の箱が映る。距離にして約二十メートルの位置。不幸にも周囲には遮蔽物と呼べる物は一切無く、仮にお散歩気分で取りに行けば目的のモノを手に入れる頃には身体中が蜂の巣となる。
「まさかアンタ、取りに行くとか言うんじゃないよな?」
「この顔でクレープ食べたいと言うと思うか?」
「その面で心が乙女は無理あるわな」
エドは正直な感想をくれた。俺は失礼なことを言うな、っと返したかったが岩を削る弾丸の音に機会を奪われる。
「俺が取りに行く」
「正気かよ。あんたの趣味は穴空きチーズになることか?」
出会ったばかりだというのに変に距離が近い男だ。
だが今は文句も言えない。この男が、いや、この男の銃が必要だ。狙撃銃でなければ狙撃に立ち向かえない。
好き好んで銃火の中に飛び込もうとしてるのではない。どうせこの場で下らない話を続けても先は見えている。遅かれ早かれ死ぬだけだ。
戦闘奴隷として使い捨てられる命であっても、俺の命には変わりない。
誰かの代わりに死ぬ命であっても、この命を使い切るのは俺の意志だ。
少しでも早く動けるようにと、装具を外していく。薄っぺらな膝当てに膝当て。体幹部分しか守っていない機能性重視という言い訳の貧相な防弾板を外して地面に捨てる。少し凹んだ砂の形が今までの命の重さだ。
防弾性能に優れた強化外骨格を着ていても隊長達は死んだ。それよりも質が劣る装備など重いだけであり狙撃の良い的だ。まだ動きやすいという点では、下に着ている戦闘服という名を騙った作業着の方がマシだ。
脱ぎ捨てた装備の中でいくつかを改めて拾う。破片手榴弾のネズミハナビ一号。対人対物刀ノダチ三八式。どちらも近距離戦にしか役目を果たさないが、いざというときに無くてはならないモノだ。
最後に髪型を台無しにする作用しかないヘルメットを脱ぎ捨て地面へ投げた。
「……へぇ、アンタは純粋なヤマト人なんだな」
「俺はアンタという名前じゃない」
ヘルメットで乱れた頭髪を手櫛で整える。
長い間被ってたせいで髪の状態が悪かったのか、指に毛が絡んで数本抜けた。それらも地面へと払い落とす。
風が吹き、砂が舞い、手から落ちた黒い髪の毛を何処かへ運んでいく。
「俺の名はスメラギ。スメラギ・コウだ」
広大な砂色の中。際立つ黒一つ。
刀をズボンのベルトに差し込み準備を整えると銃の安全装置を解除する。カチリと鳴る無機質な機械の絡繰音が、俺の戦闘開始の合図となる。