9.
佳境なので、いつもよりは長めです。
※12月10日 「」を間違えていたので直しました。
魔術師棟を飛び出したからと言って、行く場所に心当たりがないことには変わらず、ドルクは思いつくまま闇雲に探すしかなかった。
何となく、人気のないところで魔術を使うのではないかと思い、人があまり立ち入らない場所を見て回る。
もしドルクの考え通りに危険が伴うなら、近くに人がいると巻き込むことになるからだ。
すべてはドルクの勝手な推論であり、明日になれば約束通りにフェルとデートをしているのかもしれない、そう考えると、誰かに協力を頼むこともできなかった。
否。誰かに協力を頼みに行く時間すら惜しかった。
あちこちを探したが全く手掛かりがない。
普段から鍛えているはずだが、すでに息は切れ始めている。闇雲に走り回ったせいでもあるが、それよりも、心を占める焦燥感から、己の体をうまくコントロールできないでいた。
薄かったはずの闇が、濃さを増していく。
このまま、フェルという存在も闇に溶けてなくなってしまうのではないか。悪い考えばかりが、頭に浮かぶ。
最後にフェルに会った裏庭に、もう一度来た。
ここで、いろいろな話を聞いた。
魔術の基礎的な考え方、今まで出会ってきたいろいろな魔術師の話、普段フェルがしている仕事のこと・・・。
「そういえば・・・」
フェルの主な仕事は、城の結界を張ること。それは城の尖塔で行われていると言っていた。
「頼むから、いてくれよ」
懇願するように呟き、疲れを感じ始めた膝に気合を入れるため手でぴしゃりと叩いてから、ドルクは再び走って行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・
昼間は何とも思わないが、夜になると人気のない塔というものは妙に迫力を増す。
ドルクは塔の中の気配を探っていたが、人がいるような様子はない。
それでも、中に入って確認するまでは分からないからと、入口の扉に手を掛けた瞬間、殺気がしてすぐに飛び退った。
一瞬前までドルクがいた地面には、氷の矢が突き刺さっている。
本来の得物である長剣は持っていないが、護身用に持ち歩いている短刀を構え、ドルクはあたりを見回す。
戦闘状態に入り、あたりを緊迫した空気が包む。
ヒュンヒュンヒュンッ
どこかから再び氷の矢が飛んでくるが、短剣ですべて叩き落した。
「まさか、ここまでたどり着くとは思いませんでした」
足音と共に聞こえてきた声は、まだ幼さを感じさせる少年のもの。
聞き覚えのあるそれに、いつでも跳びかかれる状態をキープしたまま目を凝らしていると、闇の中からローブ姿が浮かび上がってきた。
「あんたは、弟子の・・・」
「【時の魔女】フェル・テンプスの弟子、ティム・テンプスと申します。きちんと自己紹介するのは初めてですね、黒の騎士団団長殿」
「あんたが、氷の矢を?」
「ええまあ、頼まれましたので」
穏やかに語るその声は、到底ドルクに攻撃を仕掛けた者と同一人物とは思えなかった。
「頼まれた・・・?」
「誰が来ても阻むようには言われていましたが、あなただけは、絶対に通さないでほしいと。まったく、あの人は人遣いが荒いんだから」
「どういうことだ・・・?」
「それはこちらのセリフですよ。師はあなたに、何も話さなかったはずですよ?それなのにどうしてこんな場所でうろちょろしてるんですか」
そう問うティムの目からは穏やかさは消え、鋭さを増していた。
「ただの勘だ。だが・・・俺のこの手の勘は、外したことが無い」
「まったく。脳筋のくせに勘だけいいとか、本当に野生の獣ですね。どうして師はこんな奴のために・・・」
ぶつぶつとティムが呟いているが、ドルクはそれどころではない。
「おい、弟子!知ってるんだろ!?あいつはどうした?今夜やる魔術っていうのはそんなに危険なものなのか?」
「それを聞いてどうするんですか?」
「どうするって・・・危ないなら止めないと、」
「問題ないです。周りに危険が及ぶ類の魔術ではありません。分かりましたか?それでは、宿舎に帰ったらいかがです?」
言葉をかぶせるように問いに答えたティムは、ドルクを促すように宿舎の方に手を向けている。
「・・・いや、まだだ。あいつの顔見て、あいつの口から聞かないと、納得できねぇ」
「・・・本当に、面倒くさい人だ」
上げていた手を下ろし、ティムが口の中で何事かを呟く。
すると急に、ドルクの体が動かなくなった。正確に言うと、ドルクの服や靴が、まるでその場に縫い止められてしまったかのように、動かなくなったのだ。
「なっ・・・何だこれは!」
「【時魔術】ですよ。団長殿の衣服のみ、時を止めました。動かすことはできないでしょう?本当は、肉体を止める方が手っ取り早いんですがね。禁術なもので」
「禁術・・・?」
「ええ、師が定めました。【生きている物の時を魔術で動かすべからず、止めるべからず】。この縛りのせいで、時魔術は本当に使い勝手の悪い魔術になりましたよ。建造物や文化財などには使えますけどね、実戦的な場面ではこのように、衣服など物体にしか使うことができないんだから」
「・・・どうして、あいつはそんなことを・・・?」
純粋な疑問が口からポロリと零れたのだが、それを聞いたティムは憎々しげに動けないドルクを睨んだ。
「本当に、あなたは何もご存じないんですね。師がどれだけ苦しんで300年あまりを生きてきたのかも、何も知らない」
「・・・」
ドルクは答えられなかった。確かに、何も知らない。いつも明るく元気な姿ばかり見ていたから、そんなに苦しさを抱えていたなんてことに、気付かなかった。
否。
時折見せる諦めたような悟ったような、そんな表情。あれこそが、フェルなりのSOSだったのではないか。
自分はそれに、気付いていた。
気に留めなかっただけで。
「どうして師匠がいつもあの姿なんだと思います?変化なんて容易いはずの師匠が。あの姿、300年変わってないんですよ。ねえ、どうしてだと思います?」
畳みかけるように問うティムは、こちらの返答など期待していないようだ。
「それはね、あれが本来の師の姿だからなんです。師匠の体は、時が止まっているんですよ。己の膨大な魔力の暴走で」
「なんだって・・・!」
変化ではなく、本来の姿。あの、10代前半と思しき少女のまま、時が止まったというのだろうか。
初めて聞く衝撃的な告白に、ドルクは頭を殴られたような衝撃を受けた。
「正確には、魔術で勝手に、体がある時点まで戻るようになっているそうです。何を食べても、飲んでも、無かったことにされる。怪我も消える。爪も髪も伸びない。病気にもならない。おなかも空かない。眠くもならない。眠りにつくこともできない。・・・周りの人は成長していくのに、師は取り残されたまま。何年経っても、自分の姿かたちだけは何も変わらず、周りの環境は一変していく。家族にも会えず、年下だったはずの人たちが当然のように自分より先に死ぬ。・・・ねえ、想像できます?師匠がどれだけ孤独だったか。師匠がどれだけ、絶望したか」
ドルクには何も答えられない。
長く生きているのは、フェルの意思だと思っていた。
しかし、そうでないとすると。
生きたくもないのに、無理矢理長い時を生き永らえさせられる。
普通に暮らしたくとも、食事も睡眠もいらない。
親しい人ができても、その人は確実に、自分より先に死ぬ・・・。
それはどれだけ、辛いことだろう。
どれだけの悲しいことと向き合ってきたのだろう。
「・・・何か、無いのか?普通の体に戻る方法とか・・・」
ドルクが呻くように絞り出した言葉を受けて、ティムがははっと乾いた笑いを零す。
「だから今からするんですよ。命を賭けた、大魔術をね」
「命を賭けた・・・!?」
「止めたんですよ?僕は。でも師の意志は固かった。本当に、頑固なんですあの人は。思い込んだら一直線で、本音と建て前を使い分けられなくて、サボり癖があって、整理整頓が下手で・・・。でも、情に暑くて、困ってる人は放っておけなくて。路地裏で暮らしていた僕を、見つけて拾ってくれた。魔術の才能があるって、気付いてくれた。一から全部教えてくれて、根気強く、何度も何度も教えてくれて・・・」
ぽろぽろと、言葉と共にティムの目からは涙があふれ出て行く。
「あんなに優しい人、他にいないのに・・・。戻るためには、死ぬかもしれない方法しかないって」
「おい弟子!ティムだっけか、他の方法は本当にないのか?時間をかけて探せば、もっといい方法があるんじゃ、」
「あんたがそれを言うな!」
突然激高したティムの顔を見ると、涙を流しながらもドルクを親の仇のように見据えていた。
「あんたがいたから・・・!あんたの隣に立って、あんたと一緒の時を過ごしたいって、師が言うから!・・・そんな理由で、不確かな方法をとるなんて・・・」
「俺のせい・・・?」
呆然と呟くドルクを見て、ティムは手の甲でグイッと涙を拭った。
「そう、あんたのせいだ。これで師に何かあったら・・・僕はあんたを恨みます、団長」
ティムが空を見上げたのを見て、ドルクものろのろと顔を上げた。先程まで隠れていた細長い月が、いつの間にかぽっかりと空に浮かんでいる。
「ああ・・・始まる」
うつろなつぶやきが聞こえてきた瞬間、ドルクの体は衝撃を感じた。
それはまるで、肉体の中を何かが通り抜けていったような感覚。
心臓が直接強風に晒されたようなぞっとする感覚はしかし、一瞬だけだった。
「今のは・・・?」
「師の、魔術です・・・。ああ、本当に、死ぬつもりで・・・」
「おいティム!この時魔術を解け!今なら間に合うかもしれないだろ!」
「・・・無理ですよ。もう間に合いません」
「ふざけんな!俺はまだ、あいつに言いたいことがたくさんあるんだ!こんなところで足止めを食ってる場合じゃねぇんだよっ!」
足を踏ん張り、力任せに靴や服を動かそうとするが、魔術で時が止まっている服は空間に固定されている。唯の布のはずなのに、どんな金属よりも固く感じるのだ。
「黒の騎士団団長を、舐めるんじゃねぇぞ・・・!こちとら平民から叩き上げでここまで上り詰めたんだ。弟子の魔術なんかに負けてられるかよっ・・・!」
ドルクが叫びとともに力を籠めると、パリンという小さな音が聞こえた。
急に衣服は常の柔らかさを取り戻したため、力を入れていたドルクは勢い余って体勢を崩す。
「なっ・・・魔術を、力技で破るなんて・・・」
「おい弟子!今すぐ俺をあいつのところに連れていけ!」
ティムに詰め寄り、胸ぐらをつかむと、気道を押さえられたのかティムがごほごほと咳き込んだ。
「どちらにしても、ごほっ、間に合いませんよ」
「そんなの分かんねぇだろうが!いいから連れて行け!早く!!」
「聞こえてますから耳元で叫ばないでください。・・・・・・【風】はあまり得意じゃないので、手荒になっても文句言わないでくださいね」
「うおっ!?」
突然、ドルクの体がふわりと浮いたかと思うと、あっという間に塔の上に向かって加速していく。
その姿を見送り、ティムは地面に座り込み、木にもたれた。
『ティム、やりすぎ』
「・・・ウァリー・・・分かってるよそんなこと。全部師匠が決めたことで、あいつは悪くない。全部八つ当たりだ、こんなの」
『・・・もしかしたら、彼がフェル様を救ってくれるかもしれないのに』
「魔力がひとかけらもない、ただの脳筋が?そんなこと、あるわけがない。・・・僕にも、何もできないのに・・・」
『ティム・・・』
「・・・何が起こっても、師匠のフォローをするのが僕の役目だ。だから、この目で見届けないと」
『少し、休みなよ。魔力が減り過ぎてる。何かあったら起こすから』
「・・・ん」
そう言うとティムは、静かに目を閉じた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
ティムの魔術で押し上げられて、数秒後には塔のほぼてっぺんまでついたドルクは、窓から中に入った。
危険を避けるためだろう。ドルクが到着したのは、塔の一番上ではなく、一つ下の階だった。
急いでドアを開け、階段を駆け上がる。
「フェル!」
頂上の部屋の扉を開けると、そこにはローブ姿で倒れている少女の姿があった。
床に広がった銀髪が、ささやかな月の光を受けて輝いている。
慌てて抱き起すが、金茶の目は瞼の奥に隠れ、体は体温を失っており、呼吸は今にも止まりそうだった。
「おい、フェル!フェル!・・・あんた、このまま死ぬ気じゃないだろうな!俺との約束はどうする気だよ!フェル!」
揺さぶっても、頬を軽く叩いても、何の反応も示さない。
打つ手なく、少しでも温まればと、その小さな体を腕の中に閉じ込める。
その時、他に誰もいないはずの部屋で、ドルクの耳には確かに、誰かの声が届いた。
『フェリシア』
「・・・え・・・?」
『その子の本当の名前は、フェリシア。呼んで、ドルク。キミなら、もしかしたらーーー』
「フェリシア・・・?フェリシア、おいフェリシア!目を開けろ、フェリシア!」