2.
「ねぇテン、『おととい出直してきやがれ!!』って、一昨日に会いに行けばいいってこと?」
『バッカだなーフェルは。それは唯の比喩。本当に一昨日に行くやつがどこにいるのサ。それは”二度と来るな”って意味だヨ?』
ふわ、とフェルの前を、小さな影が横切った。
テンと呼ばれたそれは、人間の少年をそのまま小さくしたような容姿をしていた。ただ一つ違うのは、背中に蝶々のような4枚の羽根があること。
テンは精霊だ。フェルの大事な相棒である、時の精霊。
「ああ、なっるほどー!そうだよね、普通の人は一昨日に飛べないもんね!いやー、皆、時の魔術でどうにかしてるのかと思ったよー」
『そこ?注目点そっち?キミ、二度と来るなって言われてるんだよ?』
「え、そんなこと言われても、『恋愛は押して押して押し尽くして押し倒せ』って教えてもらったし」
『・・・誰それ言ったヤツ・・・相手は迷惑だろうナ・・・』
せっかく休憩時間いっぱい粘ろうと思っていたのに、あっさり団長室を摘み出されてしまい、仕方なく職場であり住居でもある魔術師棟に向かう。
『あとサー、さっきの喋り方何?』
「可愛いでしょ!あれはねぇ、”麗しい令嬢の正しいお喋りの仕方”よ!なかなか板についてたでしょ!」
『全然。むしろヒくんじゃないノ?』
「えぇっ!昔会ったモテモテの令嬢を参考にしたのに!」
「昔っていつ?」
「・・・200年位前・・・?」
テンが肩をすくめ、盛大なため息を吐き出したのを見てフェルが「こいつ殴ろうかな」と思った時、前からものすごい勢いで、まだあどけなさが残る顔立ちの男の子が走ってきた。
「やっと見つけたバカ師ーーー!!!」
「あらティム。どした?」
「どしたじゃないですよ!仕事ほっぽり出してほっつき歩いて!今日は半年に一度の結界かけ直す日でしょ!早く!早く来てください!!」
「あー、忘れてた。アンタやっといてよ。もうできるっしょ?」
「できるわけないでしょうが!いいから早く!!」
腕を掴まれ、ぐいぐい引っ張られる。
痛いのとめんどくさいのとで、弟子ごと移動することにした。どうせ行く先は、高い塔の上だ。
「ティム、行くよ」
「え、ちょ、ま・・・うぉおおおお!?」
そのまま風に乗り、王宮で一番高い塔にたどり着いた。
可愛い弟子は、いきなりの空中移動に軽く目を回していたが。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「はいこれでよーし。王サマ、任務完了しましたー」
気軽に国王に報告している師匠に弟子ははらはらしたが、これが彼女の通常運転である。
「いつもすまないな、フェル。ところで、先の戦での魔術はどういうものだったんだ?何でも、敵兵士全員の動きを止めたと聞いたんだが」
好奇心で目をキラキラさせながら聞いてくる国王は、実は大の魔術好き。魔術を使うところが見たくて、『きちんと城の結界が張れているか見る』という名目のもと、毎回結界張りの日に現場にやってくるのだ。
「あれ?部下から聞いてないんだ。あれはねー、敵兵の鎧や武器の時を止めたの。そしたらそこから動けないからね。あとは敵のトップさえ押さえれば戦は終わりでしょ」
「どうせなら派手に、大爆発とか大洪水とかやればいいのに・・・」
魔術と言うと、やはり想像しやすいのはそういったビジュアルが派手なものなのだろう。それはフェルも理解できるし、やろうと思えばできる実力がある。
しかしそれをしないのは。
「そんなことしたら、誰かしら怪我するじゃない。血を流すのは嫌いなの」
「勿体ない。全属性をトップレベルで使えるくせに」
「それ以上言うと、契約違反だからね?『魔術の内容については、時の魔女に一任す』」
「分かっているよ。・・・ああそれと、面白い噂を聞いたんだが?」
契約内容を分かってはいても、つい言いたくなってしまうのは魔術好きだからか。しかし引き際を心得ている国王は、するりと話題を変えた。
「ん?宰相のところの痴話げんかが酷くなってとうとう医局に駆け込むほどになったこと?銀の騎士団の団長と副団長に男色疑惑があること?それとも、国王秘蔵のお酒をちょろまかしている犯人のこと?」
「・・・最後のはぜひ詳しく聞きたいところだが。そうではなくて、お前自身の噂だよ、フェル」
「私?」
「ああ。何でも、黒の団長に付きまとっているとか?」
ニヤリと楽しそうな顔で笑う国王は、御年40歳に差し掛かるところだが、まるで新しいおもちゃを見つけた子どものようだ。
「付きまとってるわけじゃありませーん。正式に交際を申し込んでるんですー」
「だが、あいつの好みは年上のボンキュッボンだろう?いささか、分が悪すぎるんじゃないか?」
「・・・知ってますー。花街でどんなお姉さんと遊んできたかも調査済み。皆揃いも揃って、ナイスバディのお姉様系でしたー」
多少ふてくされてしまうのは許してほしい。フェルにとってはそこは、一番突かれたくないところなのだ。
「年齢だけなら、お前が誰よりもお姉さんなんだがな」
「ミハエル、全然それフォローになってないから」
一国の王の名前をあっさりと呼び捨てにするが、当の本人はまったく気にしていない。それもそのはず、フェルとの付き合いは、ミハエルが生まれたときからーーー正しくは、そのずっと前から始まっているのだ。
年齢差と、この国への恩恵を考えれば、敬語を使うべきなのはミハエルの方なのだが、そういったことをするのもされるのも嫌いな魔女は、契約に『対等に接すること』を盛り込んでいる。
「そうだな。・・・私は、いい傾向だと思う。お前が、自分のことに目を向けるなんて、初めてなんじゃないか?」
「・・・」
「まあ、頑張るんだな。でき得ることは、協力するぞ。ではな」
そう言うと、王は部屋の外で待たせていた護衛と共に、戻っていった。
「師匠、僕たちも戻りましょう」
ティムに言われ、帰りは歩きで戻る。
風に乗る魔力が無くなったわけではない。
魔術に頼り過ぎていると、一歩も足を動かさない生活になってしまうからだ。そうなったからといって、フェルには何ら不都合はないが、なんとなく運動をしたくなるのである。
てくてくと、一段ずつ階段を降りる。景色がずっと変わらない階段を降りていると、何故か途中で踏み外したりするんだよなと思っていると、前を歩いていたティムが立ち止まった。
「ティム?」
「師匠、黒の団長って・・・ドルク・ランガーですか?」
「そう!ドルク様!!」
パッと顔を明るくした師匠を見て、弟子はため息をひとつ吐き出す。
「あんなののどこがいんですか?ただの筋肉馬鹿にしか見えませんが?」
「アンタ失礼なやつね!ドルク様は確かに、顔はいかついし、体はムキムキだし、女受けしなさそうな雰囲気全身から出てるけど!」
『貶してる貶してる』
「素直で単純で裏表なくて単細胞なところが素敵じゃない!」
『褒めてない褒めてない』
「もう!茶々入れないでよテン!」
国王がいる前ではとりあえず黙っていたテンも、魔術師ばかりになると喋り出す。
と言っても、魔力が無い人には、姿を見ることも声を聞くこともできないので、王の前で話していたからといって何ら問題はないのだが。
『だってティムの言うことももっともだと思うヨ?なんであんなのがいいのサ?顔だけなら、まだ副長の方が良くない?』
テンの言うことはもっともで、世間の評判も同じである。
体が大きく顔も厳つく怖い雰囲気の団長より、優しげで貴公子然としていつも笑顔で女性に優しい副団長の方が何倍も人気なのだ。
「えー、あのうさん臭そうな笑みのどこが?私はやっぱり、怒声も素敵なドルク様が・・・!」
『それ。フェルってば、そんな性癖隠し持ってたの知らなかったヨ。キミとはかれこれウン百年の付き合いになるのにネ・・・まさか、被虐嗜好者だったとは』
「あんた何で精霊のくせにそんな言葉ばっかり知ってるわけ!?」
『これでも時の精霊ですから。流行は常にチェックしないとネ』
「・・・え、流行ってるの?」
師匠とその精霊のくだらない会話を聞いて、弟子は深々とため息を吐いた。
「師匠、テン様の仰ることはほどほどに聞いてくださいね」
『テン様も、あまりフェル様のことをからかわれないように』
可愛らしい声と共に、ふわり、とティムの方に止まったのも、やはり小さな人型をした精霊だ。
テンが少年のような身なりなのに対し、こちらは女の子っぽい格好をしている。
テンと同じく、ティムの相棒の時の精霊である。
『ウァリー、君も今度読んでごらん?人間の書く物語は、突拍子もなくてなかなか面白いヨ?』
『そうですね、いずれ』
精霊二人はひらひらと舞いながら、先に塔から出ていった。
「いいもーん。ドルク様のカッコよさは、私だけが知ってればいいもーん」
ぶつぶつと呟きながら階段を降りていくフェルは、少しいじけ気味だ。
そんな師匠の姿に、また一つ、ティムはため息を吐く。
「そうは言っても、『時の魔女』であるあなたに迫られても相手が困るでしょう」
その呼び名を出した途端、フェルの周りの空気が凍った。
それは比喩ではなく、実際に周りの水蒸気が凍りとなって、キラキラと地面に落ちていくのが見える。
「・・・そんなこと、分かってる」
そう一言呟くと、フェルは急に宙に浮かんだ。
「師匠、どこへ?」
「ちょっと出かけてくる」
「あ、ちょっと!」
びゅぅんッという音とともに、そこにあった姿は消えていた。
どうやら、窓から出ていったらしい。
「・・・言い過ぎた・・・」
その声は、誰にも拾われずに塔の中に吸い込まれていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
自分が異端なのはとっくに知っている。
自分が人間とは呼べない存在なのも知っている。
どんな高名な魔術師だって、寿命だけは伸ばせなかった。
皆、他の魔力無しの人達と同じくらいの年齢で、死んでいった。
それが、自分はどうだろう。
望んでもいないのに、もう、300年は生きている。
年齢を数えるのは、ずいぶん昔にやめた。ただ虚しいだけだから。
家族はとっくにこの世を去った。
今は自分の兄弟の孫の孫の孫の・・・何代後の子孫だろう。その子たちが、フェルがかつて暮らしていた土地を受け継いでいる。
フェルのことは、知らないままに。
「『時の魔女』は、恋もできないのかー・・・」
王城の裏側、あまり人が出入りしない森の中で、フェルは独りごちた。
「そうだよねー。こんなんだもんねー」
小さな泉に自らの姿を映し、ため息を吐く。
そこには、小柄で、女性らしい丸みがまるでない、やせっぽちの少女が映っているだけ。
顔立ちは可愛らしいと言えなくもないが、それだって突出したものではない。
唯一目立つものと言えば、背中の中ほどまで伸びた見事な銀色の髪の毛だけだが、その髪に対しての思い入れは何もない。
その髪は、少女本来の色ではないから。
「ありふれた茶色だったんだけど。もう思い出せないや」
見事な銀髪を指でつまみ、くるくると巻き付けてみても、何も起こらない。
知っていたはずだ。
自らが異端で、異質であること。
それを受け入れ、今まで生きてきたのに。
『魔力持ちをいいと思うか?』という問いに、何の迷いもなく是と答えたあの瞳に、フェルは囚われた。
今まで、嫉妬の目でも羨望の目でも散々見られてきたが、あんなふうに真正面から肯定してくれる存在に出会えたのは初めてだった。
初めて、人を好きになったのに。
「・・・帰ろ」
フェルは立ち上がると、軽く草を払って、行きと同じく風に乗った。
風を浴びながら、思う。
『時の魔女』が、誰かのそばにいたいと思うのは、いけないことだろうか、と。