分岐
【なかよしのおともだちがいます】
「さーくーらーちゃーん、あーそーぼー!」
あきっぱなしのドアからひょこ、と顔を出したその子を見るなり、わたしもすぐに笑顔になる。積み木も絵本もほったらかしてすぐに走っていってしまう。
「りょうまくん!」
待ってたよ。わたしのおともだち。手をつないで今日は何をしようか? 砂場? ブランコ? それとも、それとも?
いろいろ考えてそうだんしてみるけれど、本当はどこでもよかった。だってふたりでいればどこに行っても楽しいもん。
私【さくら】は5才。こんな名前だから『さくらぐみ』なのかな?
この子は【りょうま】くん。4才。同じようちえんの同じねんちゅう、となりの『ひまわりぐみ』。おたんじょうび遅いから、来年で5才になる。私の方がおねえさんだね。
おかあさん同士がなかよしだから、わたしたちもいつもいっしょ。今日も手をつないでる、そんなわたしたちをみんなが見てる。
「さくらちゃんとりょうまくん、けっこんするのー?」
だれかが聞くとわたしたちは答える。
「うん!」
「するよー」
もちろん。『けっこん』ってずっといっしょにいることでしょ? だったらやっぱり、もちろんだよ。
りょうまくんを見て笑った。わたしは言った。
ーーけっこんするならりょうまくんがいいなーー
ぼくも、だって。うれしいな。
☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆
【仲良しの男の子がいます】
「桜ぁ、一緒に帰ろ!」
「うん、ちょっと待ってぇ」
放課後にまたやってきた、その子に私は答える。ランドセルをしょってそそくさと出る。ちょっと周りが気になる。だって最近みんながうるさいから。
「あーっ! また一緒に帰ってるぅ!」
「ひゅー、ひゅー」
ほらね。最近いつもこう。この間なんて黒板に大きな相合い傘を書かれたの。本当、迷惑。うんざりした私は、冷やかす男子たちに「うっさい!」と怒鳴ってから逃げる。ぼーっと立ってる龍馬くんの手をつかんで。
私【桜】は十才。小学四年生。昔は長かった髪の毛もバッサリ短くしちゃった。だって肌弱いからすぐあせもになるし、こっちの方が楽。背もクラスの中で大きい方。可愛い顔でもないからいつもTシャツにズボン。こっちの方が似合ってる。多分。
この子【龍馬】くんは九才。同じ小学校の四年生。早生まれだからとかじゃなくて、すごく下の子に見える。学年でも小さい方だしすごく可愛い顔してる。同じような格好しててもこっちの方が女の子みたい。
「おっ、デートか、ガキ」
横を走っていった上級生の男子が言い残した。私はむっときて隣の龍馬くんの方を向く。
「あれ、絶対逆だと思ってるよね」
「そんな色のランドセルしょってるからじゃない? 男の子がよく選ぶ色だよ、それ」
「やだよ、赤とかピンクなんて、似合わない。龍馬くんが黄色なんてしょってるからだよ」
「そぉかなぁ?」
よくわかってないみたいな龍馬くん。ちょっとモヤモヤするけれど、私たちはまた約束をする。
「今日うちんち来る?」
「うん、行く」
ーー龍馬くんといると元気になれるからーー
にっこり笑って嬉しそうにしてる。ほら、もう元気になれそう。
☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆
【割とつるんでる男子がいます】
「おい、桜ぁ!」
「わーってるよ、ちょっと待て!」
教室の引き戸のところで急かしてくるそいつに私は返す。ちら、ちら、と時折向いてくるいくつもの視線に気付きながらも彼の方へ向かう。
「やっぱ付き合ってんでしょ、アンタたち」
最近そんなことを言われた。意味わかんない。一緒にいるってだけで何でそうなるかなぁ。憮然とする私はそれでも並んで歩く。彼の隣を。
私【桜】は十四歳。中学二年。部活はソフトボール部。髪はやっぱり短い。
コイツ【龍馬】は十三歳。学年は…って、もういいよね。同級生なんだから。部活は演劇部だって。芸能人でも目指してんのかな? 相変わらず中性的で可愛い顔してやんの。
「ってかさ、この間隣町に買い物行ったじゃん?」
私は胸糞悪く思いながら切り出す。
「噂になってんだよ、私ら」
「何で?」
「ホテル街から出てきたからだって。ばっかじゃねーの。チャリでホテル行くかっての」
「いや、突っ込むの、そこ?」
いいところに落っこちてた空き缶を蹴っ飛ばした。カン! といい感じの音を立てて下水道のフタの隙間にはまった。いい感じ。内心で拳を握り締める私に龍馬が言う。
「ってかさ、そもそも付き合ってないし」
「それな」
「で、うち来る?」
「うん、いいけど」
ーーそれとこれとは関係ないしーー
ふい、と前を向く寂しそうな横顔。まぁ、こんな顔立ちだから、コイツ。いつものことだよ。
☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆
【ほっとけない幼馴染がいます】
「桜」
「おう」
校門前で待っていたそいつに短く答える。彼氏ー? とかやっぱり聞かれるけど、いつも同じように返す。「ただの幼馴染」……その都度説明すんの、もういい加減疲れたんだけど。
私は高校一年、龍馬も同じ。だけど学校はもう違う。なのに…
「変わんないよね、うちら」
「バイト先一緒だからだろ」
「思えば同じクラスになったことだって一度もないし」
「親が仲いいからだろ」
そうやって今日も同じ道を辿る、夕暮れ時。何てことのない会話が続いていく。
「ってか彼氏できないんですけど。髪伸ばしたのにな…」
「俺できた」
「マジ!?」
「この間、別れた」
「んだよ……」
つまんねぇの、とぼやく私に龍馬は言う。いつになく沈んだ声で。
「俺さ、名前負けだよな。男らしくないし……」
しばらく見入った。ぐっ、と喉を詰まらせた後、私は。
「そんなの私もじゃん。女らしくないし」
消え入りそうな彼の笑顔を見上げてた。見上げて、た。
ーーこんなに高かったっけ?ーー
「ってかさ、私らが恋愛できないのって、絶対……」
笑った声が薄れて消えた。続きを言えなかった、何故か。
☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆✳︎☆
【よくわからない関係です】
「龍馬……?」
「久しぶり」
本当に久しぶり。いや、普通なのかも知れないけどそんな気がした。だってコイツ高校辞めたし、バイトの方は私が辞めた。
お互いやりたいことで忙しくなって、それがまた別々の方向で、もう共通の話題だっていくらもない。
「ちょっと寄ってく?」
彼が親指で指し示す、懐かしい方向。
「……うん」
ちょっとためらった。ほんの数ヶ月、会わなかった、だけなのに。
数ヶ月じゃいくらも変わらないだろうと思っていた彼の部屋には確かな変化が見えた。憧れのバンドのポスターに真新しい楽譜の本。端に立てかけたギター。
やっぱりね、音楽やりたかったんだ。納得する私のところに麦茶を持ってきた龍馬。
「お前も高三か。どうすんの、進路」
「体育大学」
「やっぱりな」
彼も納得してる。大して話してないのに見え透いていたのだろうか、とちょっぴり驚いていたとき、何か指先に当たって視線を落とした。
本……やっぱり音楽の? それくらいしか思い付かずに拾い上げた。彼が何か小さく叫んだとき、私も小さく叫んでた。
「やだ……! こんなの読んでるの?」
コイツが? と上目で窺う私。
「あのなぁ、俺だって男だぞ。別に普通だ、そんなの」
じとっ、と睨んでくる、憮然とした龍馬。
柔らかく揺れる明るい色の前髪。整った中性的な顔。だけど大人っぽいと今更気付いた。
私は鎖骨まで伸ばした髪を落ち着きなくいじりだす。
しばらく黙って麦茶を飲んでた。龍馬も黙って雑誌を読んでた。もちろんさっきのじゃない方。
空が赤く染まり始めた、そんなとき。
「なぁ、桜」
「ん?」
「お前も高三だ」
「だね」
「もうすぐ卒業だ」
「…………だね」
それさっき言ったじゃん。誰だって大人になるんだよ。そんなのわかりきってるじゃん…
胸に疼きを覚えた。龍馬の部屋でこんなに落ち着かないのは初めてで、戸惑ってた。
「……どうすんの?」
「だから体育大学……」
「じゃなくて」
彼が遮った。驚いて顔を上げると瞬時に息が詰まった。
「俺ら。どうすんの?」
どうする……って……
「越えてみる?」
…………
「龍馬……」
動きを止めていた。時間さえ止まった気がしたその最中、彼だけがゆっくりと近付いてきた。いつの間にか大きくなっていた手で私の肩を掴んだ、強く。
「桜が嫌なら、そう言って」
彼が言う。ずっとずっと一緒だった龍馬が。すっかり大人の顔をした龍馬が。
「言って……桜」
訊いてくる。寂しげで、だけど奥に熱を宿したような目で。
「私は……」
私は……
決断を迫られるときが、そのときが来てしまったんだと知った。私と龍馬、二人以外の全てが止まっている中、二つの未来を想像した。
そっと掴んだ、彼の胸元。
この手を引いたら……
これからも一緒。だけど確実に何か変わる。もう前のようにはいかない。無邪気ではいられない。自分の放つ「好き」の意味が重くなって、他人の放つ「好き」に目くじらを立てる。彼の放つ一言一言に一喜一憂する。数ヶ月離れていたって平気だったのに、こうなってしまったが最後、きっと離れる恐怖に怯え続ける。
温かい、彼の胸元。
この手を押したら……
もう一緒には居られない。意識してしまった上に拒んだなら、もうまともに顔も見れない。だけどいずれ慣れる。どうせ別の道へ行く。思い出は無邪気で綺麗なまま、大切にしまっておける。いつかまた再会しても、きっとお互い知っていながら「初めまして」状態に戻るんだろう。
時は止まっているのに、脈は打つ。きっと同じでいる、儚げな龍馬の顔が滲んできた。どうして……私は思った。
どうしてこのままじゃいられないの。大人にならなきゃいけないの、って、どうしようもないことを。
はらりと雫が頬を伝うとまた視界がはっきりした。すぐ間近の彼の表情が少し変わったのを見て、喉を鳴らした。
そうだよね……もう、決めなきゃ。
ーー引くの? それとも押すの?ーー
長い長い、淡い葛藤の末、私はついに覚悟を決めた。
握る手に力を込めた。
ーー強く。