のー、あいむじゃぱにーず。
「Oh, Go straight this street,」
駅員・溝口は、旅客に丁寧に道順を教えた。ここは山陰のとある県の県庁所在地。そのターミナル駅である。少ないとはいえ外国人の旅客もいる。
(まったく、講習で基本的な会話は習ったはずなのに…)
駅員として外国人女性を目の前に、道案内もできない新人、加藤にもう少し教育が必要だなと内心ため息をついた。
「You can see bus stop…」
「溝口さん違います違いますって!」
「なんだ加藤」
「あの」
そこで旅客の女性が口を開いた。
「すみません、もう一度東京方面のバス乗り場を教えてください」
女性はにっこりと笑って言った。
「できれば日本語で。」
眉毛がいらだちに痙攣するのは抑え切れなかったが。
“No,I'm japanese.(いいえ、私は日本人です。)”
「あっはっはっは!」
話を聞いて容赦なく奈美は笑った。
「笑い事じゃないよ。おかげでバスに乗り遅れるところだったんだよ?」
知恵はため息をついた。
「えーなんで」
「その後の駅員平謝りタイムがロス。スーツケース抱えて走ったわよあたしは」
「ぶはははあ!ちえちゃん最高!」
再び知恵はため息をついた。学食では他にも騒いでいる学生はいる。多少大声で笑っても気にとめるものはいない。
「はーほんと面白いわー」
奈美は知恵の顔をまじまじと見て言う。
「知恵ちゃんてほんとに外人の血は入ってないんだよね?」
「一滴もね」
知恵は少々特殊な顔をしている。パーツがそれぞれ大きく、大きな瞳は黒目がちで二重。まつげが長くいつもきらきらしている。唇はぽってりと厚く、肉感的。鼻は少し大きめ、日焼けしやすく浅黒い。ふっくらとした輪郭。要するに、
「なのにどうして、こんな外人顔なんだろう…」
鏡を見つめながら知恵はぼやいた。
「しかもポリネシア系よね?ゴーギャンの絵で知恵ちゃん発見したよ」
「まじか」
そうなのだ。こうして『知恵』という名前と話す様子を聞いていれば誰もそうとは思わないものの、
「こないだね、部の新入生にちーちゃんのことマレーシアからの留学生のアマンダさんですって言ったらね、なんと10人中10人が信じたのよ!」
「人のプロフで遊ぶな!」
そして知恵はツッコミである。外人顔といわれ続けて22年。知恵はうっそりと学食の中を見回した。
構内にはそれこそ留学生が多い。関東の大都市の大学ならば変に目立つこともないだろう。
「あたし、就職やっぱり地方はよそうかな…」
「なんで?地方のほうがあきがあるんでしょ?」
「そのバスの話だけどさ、やっぱ地方って、関東と段違いに外人さん少ないし、しかも和顔の人が多いの。余計じろじろみられて…ってなに笑ってんの奈美!」
「あ、ばれた?」
「ばれるわ!」
今回地方に就職活動に行って痛感した。地方の人は外国人を容赦なく見るのだ。東京であんなに人を見つめたら「ナニ見てんだコラ」と因縁つけられること間違いない。文化そのものが違うのだと思う。
「Hi,Chie!」
一人の青年が話しかけてきた。
「ああ、ラマダンくん、どしたの?」
「~~~~~~~~~?」
どうやら部活の新人歓迎会のことを聞いてるようだ。
「駅前のいつもの居酒屋で、七時からだよ」
知恵は指を七本立ててみせる。
「~~~~~~~~?」
「うん、どれが豚かはちゃんと教えてあげるから、安心して」
「~~~~~~~~~~!」
「またあ。そんな気ないくせに」
知恵は苦笑した。ラマダン君も笑って手を振って去っていった。
ヒアリングがさほど得意でない奈美は、学食の水に口をつけながら一連の会話を見ていた。
「ねえ、最後ラマダン君なんていってたの?」
「いつものことよ。二番目の奥さんにならないかってさ」
ぶふぁあと奈美は水を噴いた。
「第2夫人キター!」
「汚ったない奈美!」
割とまめな知恵は布巾に手を伸ばした。
「第2夫人!第3夫人のほうが面白いのに!」
「…いま私のことまたネタにしようと思ったでしょう」
「うん」
知恵はぽいと布巾を放り出した。
知恵は「なぜか」留学生に頼られやすく、「なぜか」とおりすがりの外国人にも道を尋ねられやすい。奈美は布巾で自分の吹いた水を拭きながら言う。
「でもなんで知恵、全部日本語で返すの?」
「あたし英語苦手なの」
奈美はいいやつだなあとは思う。帰りの電車に一緒に揺られながら、知恵は思った。高校から一緒だし、なんだかんだ一番に連絡をとるのは彼女だ。ただし知恵の顔をいじるのが大好物で、高校のときは「知恵クォーター説」の発端となり、結果卒業まで他クラスのほとんどの生徒が知恵をクォーターだと信じていた。同じクラスの者は知恵のツッコミの速さと、マメで人見知りな内面を知っていた。ある意味誰より日本人ぽいのだ。
「やっぱり厳しいけど公務員試験かなー」
「あたしは医療系かな」
「外資とかどう?知恵にあいそう」
「…まあね」
乗換駅で二人は降りた。
話すのはともかく、日ごろたくさんのかたがたに話しかけられることによって、知恵のヒアリング能力はとても高い。なんだかんだ嘆きつつも、このネタを鉄板に、もともと人見知りな自分が人とかかわれている。最近はそれも武器かなとも思い始めているのだ。就職は自分のあらゆる面をアピールしたほうがいいだろうし…
バタン。ピピー ピピー ピピー
自動改札に拒まれ、知恵の思索は打ち切られた。
「ごめん、チャージしてくる」
「うん、待ってる」
券売機の前で財布の名を探っていると、
「おい、あんた」
「はい?」
見知らぬ初老の男性が居た。サングラスにキャップをかぶり、セカンドバッグを抱えている。昔の刑事ドラマのボスみたいだ。メッシュ地のベストさえなければ。
「千駄ヶ谷ってどういくんだい?」
「え、いや、ちょっとわかんないです…」
「あんた外人か!」
「いえ、ちがいます」
「外人だろ?」
「いえ、違います」
「そうか?外人っぽいって言われるだろう?」
「……」
「千駄ヶ谷わかんねえか」
「駅員さんに聞かれたほうがいいと思います…」
「そっか。なあ、外人っぽいって言われるだろ?」
「……」
このおっさんはいったい私からどんな答えを引き出したいんだ。じわりと怒りのにじむ知恵にお構いなしにおっさんは窓口のほうに言ってしまった。置いてきぼりの知恵がふと後ろを振り向くと、体を二つ折りにして口に手を当てて震える奈美が見えた。とりあえずカードに入金する。奈美のそばに戻ると、声も出ないほど笑いながら、ぽんぽんと慰めるように知恵の背をたたいた。たたいた手も震えていた。そこで初めて知恵は叫んだ。
「あーもーまじでよー!」
知恵の雄叫びと奈美の引き笑いがかさなった。
またあたらしいネタを提供してしまった。
「ってことが昨日あったのさ」
「そーなんやー」
友美は福祉学の講義で知恵とよく会う。同じボランティアサークルに入っているので、話すことも多い。
「失礼なおっさんやね」
「でしょー?もー。何であたしこんなアジア顔なんだろー」
こうして嘆いて見せるのも、もはやもちネタ化してたきたなあと思いつつ、知恵は机にべちゃりと伏せる。友美がパックジュースから口を離して、少し考えて言った。
「アジア顔、当たり前やん」
「はあ?」
またいじられているのかと知恵は目線を上げた。
「だって、知恵ちゃんアジア人やろ?」
「………あ、ああ。そう、ね…」
なぜだか知恵は恥ずかしいことを言ったような気がした。講義が始まったのが救いだった。
知恵はどうにか医療系の企業にもぐりこむことができ、新入社員として先輩についてまわり始めた。その日は海外企業との会議の末席に、黙ってすわって居るという仕事だった。講義と違って居眠りをするわけにはいかない。まだ学生気分が抜けてないなと自分で自分を叱咤し、会議室を最後に出る。
「立原さん」
コウ先輩の声に知恵は振り向く。兄くらいの年頃のこの方が、知恵の教育係だ。
「まあきょうは、会議ってあんな感じってことで」
「はい。少し緊張しました」
「まじめだなあ立原さんは。僕は居眠りしないか必死だったよ」
ふふっとコウ先輩はいたずらっぽく笑う。知恵はまだ緊張が残っているが、どうにか笑い返した。
「会話、聞き取れた?」
「はい、大体は」
コウ先輩は目を見開く。
「すごいね、立原さん英語得意なの?」
「いえ、英語は苦手なのですが、ヒアリングはできるんです何しろこの…」
エレベーターに知恵が先に入り、ボタンを押す。コウ先輩が入るのを見て、「閉」ボタンを押した。自分の顔を指差した。
「私、顔が外国人風でしょ?」
鉄板ネタを笑顔で提供することにした
「そうなの?そんなふうには見えないけどな」
「そうなんです。昔からからかわれて。でもその分、外国人の方によく話しかけていただけるので、聞くほうは得意なんですよー」
この会話で、たいていの人はつかめる。知恵はそんな風に思っていた。
「へー。そうなんだね。僕は外国人だけど、逆にそういうふうに言われたことはないな」
「はい?」
知恵は先輩がなんと言ったのか分からなかった。
「僕、在日朝鮮人なんだよね。でも親も韓国語しゃべれないし、生まれたときから日本に居るから、あんまり自分が外国人って言う気がしないよ」
「へー、そうなんですかあ!」
知恵は内心の動揺を悟られないように、テンションを落とさないまま言った。
「友達に言っても、へえそう、ぐらいのリアクションだしねー」
「そうなんですね。っと、チヂミとかたべます?」
「ああ、うちの母のチヂミはうまいよ」
エレベータが到着し、コウ先輩の後から知恵は歩き出したが、内心困惑していた。
(どうしよう…これから職場で鉄板封印だ…)
学生同士の付き合いなら、笑って流せる話しでも、社会人になったら仕事上の付き合いが増えていく。このネタを封印したら、自分にはいったい何が残るんだろう。
いやだいやだといいながら、初めて自分の顔ネタに大きく依存していたことに気づいた。それをもぎ取られる。自分がぐらつく。どうしたら。どうしたら。
最初の休みは、どうしても奈美と友美に会わなければならない、と知恵は頭の中のスケジュール表をめくり始めた。