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ルナティック

「ああ、またか」

努めて笑顔で応じながら、私は内心ウンザリする。

精神科医というものは、あまり有名になるべきでない。

世間に顔を知られたが最後、電車でたまたま一緒になった相手からも声を掛けられる。

「詳細はクリニックで伺います」

適当な所で名刺を渡して降りるのだが、相手になった私まで他の客から妙な目で見られるのだからたまらない。


「全くかなわないな」

駅のベンチで弁当を広げたはいいが、萎びたてんぷらのころもと油の匂いにげんなりする。

夕べと同じ、妻がパート先のスーパーで貰い受けた、見切り品のおかずだ。

所詮、小遣い程度の稼ぎだし、家事に手を抜くくらいなら、慣れない仕事など始めないで欲しい。

溜息を吐いて線路の向こうに目をやると、薄桃色の月見草が微風にそよいでいた。

ホームからの薄明かりが辛うじて届く日陰に生えているので、昼間なのに花開いたらしい。


「毎日おかしな人間ばかり相手にして、胃が痛いよ」

家で愚痴はこぼしたくないが、妻に言わずにいられない。

この一月は特に妙な患者ばかりだ。

今日も自分の症状より私の経歴ばかり尋ねてくる男がいて辟易させられた。

勤務先では重役らしいから、病の自覚はあっても、受け入れられないのだろう。

「それじゃ一度、病院へ行きましょう」

妻は私の背を押して車に乗せると、深夜の道を走り出した。


「どこまで行くんだ?」

車窓から見える月は、ちょうど切れ目が上に来る形で半分に割れていた。

今は素面しらふだが、先月、酔って同じ形の月を同じくらいの時刻に眺めた時より、乾いた砂の面がまた近づいた気がする。

「ネットで見つけた病院なんだけど、ちょっと遠いとこなの」

それだけ告げると、ルームミラーに映る妻の唇は固く閉ざされた。

もしかして、ホスピスのような所だろうか。

私は再びキリキリし始めた胃の辺りを撫でる。

ここ最近の痛みは単なるストレスではなく、もしかして……。


蝋燭のように白い建物の前で車は止まる。

夜目にも鮮やかな朱色のポピーが花壇に群れて揺れていた。

一応は安全な種のようだが、あまりにも形が揃っているので、却って、麻薬を秘めた毒の花がどこかに一本紛れている気がしてしまう。

「大丈夫だから」

肩を押す妻の手が痛い。


「最近、クリニック以外の場所でも心を病んだ方から次々声をかけられるので、過労気味なのですよ。」

少しの身動きにもギシギシ音を立てる診察室の椅子に内心閉口しつつ、私はいつも患者に対するように穏やかに語る。

白衣の男は深い同情を込めた風に頷いた。

「奥さん、いつからこうなりました?」

「先月、リストラで会社を辞めてから様子がおかしくなりまして……」

私をそっちのけで話し始めた二人を見ながら、背筋に悪寒が走るのを感じた。

どうやら、こいつらも全員心の病の様だ。


窓の外で、裂けた月がまた一歩、私に刃を向けて迫ってくる。(了)

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